選挙サンデー 「かぶちゃん」来訪

 7/11は、参議院選の選挙サンデーでした。投票日は、当然遠方へ旅行しにくいですから、観光地・浅草への人出は鈍ります。その分、中国から見えた方達が目立ちました。そりゃあ、投票権ないですからね、参議院には。

 そんな中、「かぶちゃん」こと鏑木武弥さんが「ちんや」を来訪されました。「かぶちゃん」が雑誌「百味」に連載している、対談コーナーに、私との「対談」を載せるためです。

 「かぶちゃん」のスマイルを、新聞の広告で見かけたことのある方も多いと思います。青年海外協力隊員として、パラグアイで農業指導をした後、帰国して「かぶちゃん農園」を長野県飯田市に設立、「市田柿」の通信販売が大評判で、ご盛業です。

 「すきや連」とご縁の深い「百味」の同じ誌面で、「かぶちゃん」も対談コーナーを連載し始めたのをキッカケに繋がりができ、今回「対談を」という話しになりました。

 このコーナーの、これまでの対談相手は、料理・食品関係の、ソウソウたる方ばかりですので、ウカツなことは言えません。

 「御手柔らかにお願いしますよ」と最初に申し上げたら、「いやあ、大丈夫ですよ」と、満面の「かぶちゃん」スマイル。当方すっかり気楽になって、ペラペラしゃべりまくって、すぐに1時間たってしまいました。

 変わりザクの話し、食育の話しなど、どんどん展開して、とりとめがなかったと反省しております。

 出来上がりが、とても心配・・・です。

 それにつけても、「かぶちゃん」は、飯田市在住のはずだけど、投票は行ったのかなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「かぶちゃん農園」については、こちらです。

*「百味」については、こちらです。

味覚障害 亜鉛欠乏

  7/9浅草は、「ほおずき市」が開かれ賑わいます。最近浴衣ブームですから、浴衣がけの女性達にも多数お出かけいただけるでしょう。

  なんだ、住吉の奴、また「浅草の夏の風情」の話しか。それは、7/7に読んだぞ。

  と、見せかけて、今日は違う話しです。以下かなり大事な話しです。

  ほおずきには、ゼンゼン関係ありませんが、7/1の、読売新聞に「食ショック2010-身体の警告」という記事が載っていました。その内容は、チョッと衝撃的でした。

 そこには、「添加物 舌の味覚鈍る」「亜鉛欠乏が影響、濃い味に慣れ・・・」と題して、味覚障害について書いてありました。なんでも、味覚障害で病院を訪れる人は、1990年の14万人から、2003年の24万人に増えているのだそうです。

 原因の一つは、亜鉛の欠乏だそうです。亜鉛は、舌にある「味細胞」の再生に必要なミネラルですが、「フィチン酸」「ポリリン酸塩」などの食品添加物は、その亜鉛を体外に排出する作用があるというのです。

 記事には、コックなのに、自分の料理の味がわからなくなってしまった、気の毒な患者さんの話しが載っていました。忙しく働く中で、コンビニ弁当ばかりを食べていたのだそうです。

 もう、一つの原因は、食事の食べ方そのものです。テレビや漫画を見ながら食事をするお子さんが増えているそうです。それでは、味わうことの意味が薄れ、食事が空腹を満たすだけの行為になってしまいます。それで、味覚が訓練されないのです。

 自分の家にいると、テレビやゲームが気になって仕方ないようなら、たまには、何かの記念日などには、「ちんや」の個室を予約して、ご家族揃ってお出かけいただいてはどうでしょう。食事に集中しやすいと思います。

 テレビは置いてありませんので・・・

 あ、そうそう、「ほおづき市」は、7/10までです。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

「饗応・居留地・牛鍋」講演台本③

 7/3は旧東京音楽学校奏楽堂での、平野正敏さんのコンサートに出演し、食べ物の話し=日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことをお話ししました。

 お運びいただいた皆さんに御礼申し上げます。

 タイトルは「饗応・居留地・牛鍋」にしました。半年がかりで準備しましたので、ブログ読者の皆さんにも、公開しようと思います。

 長いので、3回=3日間に分けて公開しています。今日は、その3回目です。

 以下講演台本です。ご笑覧下さい。

 まず最初に1点指摘させていただきたいのは、この時代の、医学の方は、実は進化を遂げている最中だった、ということです。ウイルスとか抗生物質のことは、まだまだでした。栄養学の中でも、ビタミンとか脚気のことは、わかっていません。分子レベルでの治療なんて、当然まだです。

 そういう状況ですので、この時代、薬や手術は既にあることはありましたが、医療や健康管理の中で、治療として食べ物を食べること、当時は「養生」と言っていましたが、その養生のウェイトが現代より結構高かった、ということが理由としてあったと思います。それが、1つ目です。

 もう一つの理由は、人の気持ちの部分で、これも推測ですが、激動の時代の中で、生命とか寿命に対する欲求が、日本人の間で爆発したからではないか、と思っています。この時代に、元気をつけて、上手く生きて、懸命に仕事をすれば、偉くなったり、金持ちになったりできる、そういう時代が来たんだ、是非偉くなりたい、ということを、日本人の相当数が願ったんだと、私は思います。

 日本の歴史は、もの凄く平穏な時代と、爆発的なバトルの時代が交互に来ますが、幕末明治は、言うまでもなく、バトルの時代で、それはイーコール、貧しく生まれても偉くなったり、金持ちになったりする時代でした。そのために是非、体に元気をつけたい、そう思ったとしても不思議はないと思っています。

 さきほど御紹介した、福沢諭吉の話しも、当事日本中で一番勉強のできる連中が、今の時代で言えば、新宿の歌舞伎町のような所に行っていた、という話しです。

 そういう時代だから、新しい食べ物が入ってきた時、日本人は、永年のタブーも、ものともせず、西洋料理や肉料理に、どんどん向かっていったんだと推測しています。

 翻って、いきなり現代の話しですが、皆さんのまわりにいませんか? やたらと食の細い、若者が。そういう手合いがいましたら、是非、説教してやっていただきたいと思います。

 「明治の人を見習って、今すぐ牛鍋屋へ行け!」ってね。(=ここは笑っていただく所)

 お後がよろしいようですので、私の話しは、この辺で。(退出)

*この話しは、これにて終わりです。最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*なお、このコンサートの模様は、ケーブルテレビ「J:COM台東」でもご覧になれます。(契約されている方のみ視聴可能)

<放送時間>

7月29日(木)、31日(土)、8月3日(火)
 9:20〜、13:20〜、17:20〜、21:20〜

8月1日(日)
 10:00〜、14:00〜、18:00〜、22:00〜

*平野正敏さんについては、こちらです。

「饗応・居留地・牛鍋」講演台本②

 7/3は旧東京音楽学校奏楽堂での、平野正敏さんのコンサートに出演し、食べ物の話し=日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことをお話ししました。

 お運びいただいた皆さんに御礼申し上げます。

 タイトルは「饗応・居留地・牛鍋」にしました。半年がかりで準備しましたので、ブログ読者の皆さんにも、公開しようと思います。

 長いので、3回=3日間に分けて公開しています。今日は、その第二回です。

 以下講演台本です。ご笑覧下さい。

 びっくりしますのは、函館市史にも載っているんですが、1859年には、函館の料理人・重三郎という人が、外国人目当てに料理屋を開く許可を願い出たそうなんです。開港を決めた条約は1858年ですから、その次の年でして、もちろん、まだ江戸時代です。明治維新になる前に、既に、少しずつ西洋料理屋が、居留地の近辺に出来てきたことがわかります。

 さっきの徳川慶喜もはやかったですが、普通の日本人も、実はやることはやかったんだなあ、ということがわかります。「もう一つ、へー」思っていただけば、深甚です。

 ついでに申しますと、東京の築地にも居留地がありました。築地居留地は明治になって、後から出来た居留地なんですが、ここの周囲にできた、西洋風のものの中でも、ひときわ目だった存在は、築地精養軒ホテルでした。言うまでもなく、上野公園の精養軒さんの前身です。この場所からすぐですので、後でお寄りいただくのも一興と思います。

 さて、人の宣伝している場合じゃないですね、本日のテーマ3項目行きます。きょ、きょと来まして、最後は当然、牛です。これを話さないと帰れないもんですから、ワタクシ(笑い)。ここだけはよろしくお願い申し上げます。

 ええ、ここで話しはいったん江戸時代に戻ります。江戸時代も日本人は、「薬食い」と称して、動物の肉を食べていたようでして、「ももんじ屋」と言われる店は、獣の肉を食べさせていたところです。今でも、両国にございますね、「ももんじ屋」さんという屋号の御店が。

 そういう店で食べさせていたのは、イノシシ、シカ、クマ、オオカミ、キツネ、タヌキなどだったようでして、牛と馬を食べることだけは、やはり特別なタブー感があったようです。 馬には乗りますし、牛は農作業で世話になっていましたので、食べにくかったと想像できます。

 このタブー感な感じを知っていただくには、1万円札の、福澤諭吉の「福翁自伝」を読んでいただくと、良いと思います。諭吉が若い頃、緒方洪庵の適塾の書生として学んでいたころ、つまり幕末の1857年ごろに、大阪には、遊郭の近所の、牛鍋屋が2軒あってて、それは定連客が適塾の書生とゴロツキばかり、という「最下等の店」だったと書いてあります。

 このように、昔はゴロツキの食べ物でしたのに明治時代に入りますと、牛を食べることは、タブーから急に文明開化のシンボルになります。それが言わずとしれた、牛鍋であります。

 さて、その食べ方でありますが、基本的には、江戸時代の「ももんじ屋」の食べさせ方と同じで、材料を、イノシシから牛にしただけ、というのが基本形です。ただし、今のすき焼きと違って、鍋に味噌を入れている店が多かったようです。

 最初の頃は、牛をと殺する時の、血抜きの技術が不完全で、また、牛の年齢自体も、今より高齢でしたので、牛肉を煮炊きすると、どうしても臭みがあったようです。そこで、臭み消しに、醗酵食品である、味噌を入れていたようです。

 鍋に入れる具について、もう少しお話ししますが、それぞれの具が、どういう理由で入っているのか、実は、理由がみんな非常にハッキリしています。まず、ネギは硫化アリルで臭み消しプラス食物繊維ですね。次のシラタキはマンナンで、虫下し・整腸作用です。お次の豆腐は蛋白源ということです、それに、豆腐割下がしみると旨いですのでね、そういう理由で入っているわけです。以上がお約束の具です。

 このように、用途が完全に決まっているわけですから、この時代になって急に具が決まったとは思えません。江戸時代には「ももんじや」の伝統的な食べ方が既に確立していて、そこへ具材として牛が導入された、という経緯だと思います。

 このように自然で庶民的な導入方法であったので、記録が乏しいのが、残念でありますが、まずこういう経緯だったろうと、想像がつきます。

 以上、饗応・居留地・牛鍋をキーワードに、日本人が西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のお話しでございました。内容は「へー、そうだったんだ」というトリビアな情報を、いくつかお伝えしました。

 今日は、この後、もう一つだけお話ししますが、それは、「なんで、こんなに、日本人は西洋料理や肉料理を導入するのがはやかったの?その理由は何だろう?」ということです。これは、トリビアではございませんで、完全な私の推測ですが、どう推測したか、これから申します。まず最初に1点指摘させていただきたいのは・・・

*まだ続きますが、長いので今日はここまで。続きは明日UPします。本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*なお、このコンサートの模様は、ケーブルテレビ「J:COM台東」でもご覧になれます。(契約されている方のみ視聴可能)

<放送時間>

7月29日(木)、31日(土)、8月3日(火)
 9:20〜、13:20〜、17:20〜、21:20〜

8月1日(日)
 10:00〜、14:00〜、18:00〜、22:00〜

*平野正敏さんについては、こちらです。

「饗応・居留地・牛鍋」講演台本①

 7/3に旧東京音楽学校奏楽堂での、平野正敏さん (ヴィオラ・アルタ奏者)のコンサートに出演し、食べ物の話し=日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことをお話ししました。

 お運びいただいた皆さんに御礼申し上げます。

 タイトルは「饗応・居留地・牛鍋」にしました。半年がかりで準備しましたので、ブログ読者の皆さんにも、公開しようと思います。

 長いので、3回=3日間に分けて公開します。以下講演台本です。ご笑覧下さい。

 こんな恰好(=背広の上に「ちんや」の法被)で失礼します、私が住吉史彦でございます。こちらの建物・奏楽堂の、120年という永い歴史の中で、こんな恰好の男が、舞台の上に居るのは、ひょっとしたら、初めてのことかな、と思いながら今立たせていただいております。

 他の出演者の方は、皆素敵な恰好ですので、私も本当は、もっと目立つ恰好にしたくてですね、スター・にしきのあきら みたいなのが良いな、と思いまして(笑い)、ネットで貸し衣装を探していたんですが、そこをヨメに見られてしまいまして、「アナタ、そんな恥ずかしい恰好をするなら、アタシ出て行きますからね」と言われまして、それで、こういう恰好に落ち着いた次第でございます。

 私の部分は、当然食べ物の話しでございますが、今日のコンサートのオマケみたいなもんですので、前半を一生懸命お聞きになって、肩が凝ってしまった方には、丁度よろしいかと思います。15分ほど、おつきあいいただく予定になっておりますが、気楽に、お聞き流しいただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

 さて、これからお話ししますのは、日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことでございます。キーワードとして、饗応・居留地・牛鍋と3つあげました。早速行きます。まずは、一番目、饗応という言葉が出てきました。

 饗応っていう言葉は、今時ほとんど使いませんから、念のため、おさらいしますが、この言葉は、国のトップとか重要な地位にある方が、ゲストをお迎えした時に、料理を食べさせておもてなしする、そういう、超高級な接待のことですね。それが言葉の意味ですが、この饗応のために出された料理が、その後の、日本における西洋料理の一つの源流になっていくわけでございます。

 そのことをお話ししたいと思いますが、その前に、ここで、クイズを出させて下さい!いいですか?日本の国のトップが、外国人のゲストを饗応するのに、日本料理ではなく、西洋料理を初めて使ったのは、いつ・どこで・誰がやったのでしょうか?

 はい、タイムUPですので、答えです。時は1867年、日本の元号で申しますと、慶応3年の春、場所は大坂城でございました。あるじは誰かと申しますと、15代将軍・徳川慶喜でした。ええ、明治天皇じゃあないんです。時は明治維新・王政復古の数ヶ月前のことです。

 ちなみに接待した相手は、イギリス公使・フランス公使・オランダ公使で、シェフはいうとフランス人でした。歴史にお詳しい方は、慶喜がフランスから支援を受けて、イギリスが支援する薩摩長州と対決していたのをご存じかと思いますが、シェフもフランスの世話になってたんですね。そのシェフのフランス料理を各国代表に食べさせたわけです。

 慶喜はフランスの世話になっていた、というだけなくて、たぶん自分も、西洋料理とか肉料理が好きだったと思われます。その証拠がありまして、それは、慶喜のアダ名なんですが、なんとか将軍っていうアダ名だったか、ご存じですか?これが実は、クイズの第二問ですが、「暴れん坊将軍」じゃないですよ!それは松平健さんですから(笑い)。

 はい、タイムUPで正解を申し上げます。豚将軍と言われていました。豚一殿っていうアダ名もあったらしいですね、豚を食べるってことが、それだけ世間に知られていたっていうことだと思います。そのように、豚が大好きだった、日本の国のトップが、外国人のゲストを饗応するのに、西洋料理を使いましたのが、慶応3年の春、場所は大坂城でございました。「へー、はやかったんだ!」と思っていただけば、深甚です。

 さて、ドンドン話しを進めます。今日のお話しで、饗応の次にきますのは、居留地です。「きょ」の次も、また「きょ」なわけです。

 今日は、平野さんの会で、インテリの方が多そうですから、言葉の意味は、さらりとおさらいしますけど、その昔幕府は、外国人が住んだり・商売したりできる場所を、「ここだけ!」と一定の地域内に限っていまして、その特別な地域を、居留地と言いましたね。幕府は、1858年以降に欧米の5ヶ国に対して、5箇所の港を開いたのですが、その時開港しましたのが、北から箱館、新潟、神奈川、兵庫、長崎です。そして、その港の近所に居留地も出来たわけであります。びっくりしますのは・・・

*まだ続きますが、今日はここまで。続きは明日UPします。本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*なお、このコンサートの模様は、ケーブルテレビ「J:COM台東」でもご覧になれます。(契約されている方のみ視聴可能です)

<放送時間>

7月29日(木)、31日(土)、8月3日(火)
 9:20〜、13:20〜、17:20〜、21:20〜

8月1日(日)
 10:00〜、14:00〜、18:00〜、22:00〜

*平野正敏さんについては、こちらです。

 

 

特別リハーサル、「浅草うまいもの会」研修旅行

 7/3に開かれる、ヴィオラ・アルタの、平野真敏さんのコンサートのチラシを配りまくっています。何を隠そう、私はこのコンサートに出演して、「お話し」をすることになっているからです。

 チラシを配りまくっていたら、料理屋の仲間に、「へー、どういう内容なの?」と聞かれましたので、それはですね・・・

 「饗応・居留地・牛鍋」というタイトルで、日本の近代食文化の、起源の話しをしようと思ってるんですよ。

 例えばね、最初にクイズを出しますけど、日本の国のトップが、外国人のゲストを饗応(=超高級な接待)するのに、日本料理ではなく、西洋料理を初めて使ったのは、いつ・どこで・誰がやったのか、ご存じですか? 

  と、さわりの部分を話してさしあげたら、結構皆さんの食いつきが良く、興味を持って下さったようでした。

  そんなやりとりをしていたら、ちょうど、6/23〜6/24の予定で、「浅草うまいもの会」の研修旅行が予定されており、その研修タイムに何をするか、「うまいもの会」のK子会長(=「川松社長」)が、プログラムを探しておられました。

 この研修タイムを使って、何か勉強になる話しを聞きたいとかで、急遽私が、「饗応・居留地・牛鍋」の「特別リハーサル」をすることになりました。その時間に充て込むものとして、私の話しは、長さが15分ですし、丁度良かったわけです。

  そういうわけで、「浅草うまいもの会」の皆さんを想定客にして、7/3と同じ話しをすることになりました。

  私の方も、丁度良かったのは、他人の前でリハーサルをできて、準備万端で当日を迎えられることです。人の前で話すのは、さほど苦ではありませんが、有料となると別です。

 今回のことは、定価@2.500円でチケットを売っている、コンサートの一部が私の出番です。2時間のコンサートの内、15分ということは、8分の1の時間ですから、単純計算してみると、@312円(税込み)が私の部分です。

 312円と言えば、食べ物なら、お菓子一個くらいは買えますから、それ以上の価値が、私の話しにないとNGです。もちろん、私目当てのお客さんなどいないでしょうから、割引いて考えますが、それでも、200円くらいの価値はないとねえ。

 そういう意味で、稽古できる「公開リハーサル」の場は、とても有り難い次第です。

  そういうわけで、ここ2〜3日は、6/23を目指して、稽古に励んでいます。

 もちろん、ジョークの稽古も・・・

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*このコンサートについて、くわしくはこちらです。

*このコンサートについては、このブログの3/10号4/30号もご覧下さい。

帯祝い

 先週の土曜日、「帯祝い(おびいわい)」のお客様がありました。

 「帯祝い」 について念のため、おさらいしますと、「帯祝い」とは、妊婦さんが、妊娠五ヶ月目にあたる戌(いぬ)の日に、安産を祈願して腹帯を巻く儀式のことです。犬は子だくさんで、安産の象徴と考えられているので、その犬の性質にあやかって、戌の日に、妊婦の安産を祈願する儀式が「帯祝い」です。

 この日に巻く腹帯は「岩田帯」と呼ばれます。五ヶ月目には、妊娠の「安定期」に入るので、この帯で、目立ってきたお腹を保護すると共に、「岩のように丈夫な赤ちゃんを!」という願いも込めるそうです。

 家族が集まり、この腹帯をした妊婦さんと共に、神社に出向き、安産を祈るのが一般的な形です。

 こうして神社に出向いた後、当然何か召し上がるわけですが、そういう流れで、「ちんや」をご利用いただくことがあるようです。

 今回もそういうケースで有り難いことでした。「ちんや」は「狆屋」ですので、犬関係?の方はウェルカムです、もともと。

 別に「帯祝い」のような、あらたまった御席でなくても、妊婦さんが「ちんや」へご来店になることは、実は結構多いです。肉を食べて精をつけよう、という発想は当然のことですが、加えて、こういう時くらい、ちゃんとした食べ物を食べよう、という心理もあるようです。

 これは大変、結構なことと思います。お子さんがお腹の中にいる時は、伝統的で自然な食べ物を是非、召し上がっていただきたいと思います。

 お母さんが妊娠中に、変な食べ物を召し上がることで、お子さんが、生まれる前から、食品添加物を取りこんでしまうのは、実に良くないと思います。精をつけるだけでなく、安全なものを、是非、召し上がっていただきたいですね。

 召し上がっていただきました上、無事出産されたら、もちろん、お子さんと一緒に、「ちんや」へご来店いただきたいと思います。

 ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 お子さんは、きっと「ちんや」の肉を食べたいと思いますよ。なにしろ、生まれた時から、「ちんや」の味を覚えていますから。

 いやあ、それって、商売としては、理想形かもしれませんね。有り難いです。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

修学旅行

 5/21は、月に1回の「雷門横丁一斉清掃」の日でしたので、朝から出動しました。先月とは違って、暑くも寒くもない陽気で、気分良く運動不足解消させてもらいました。

 ところで、5月の浅草は、修学旅行シーズンです。私たちが中高生の頃は、修学旅行と言えば、夏場の7月がお約束でしたが、昨今は5月です。教員をしている友人に聞いたところでは、4月にクラス変えをして、そのクラスの中に派閥ができない内に、つまり5月中には、修学旅行に連れていく必要があるんだとか。中高生も厄介になったものです。

  それと、もう一つの変化は、生徒全員が一箇所で食事するわけではないことです。生徒がグループにわかれて食事するようです。だから、食べる店は、大きな店でなくても良いわけで、雷門横丁(「ちんや」のすぐ北側)の、もんじゃ焼き「おすぎ」さんなどは、この時期大繁盛です。

  「おすぎ」さんと言えば、そうです、このブログの4/17号に書いた、浅草雷門横丁振興会会長の、U子ちゃんの御店です。修学旅行生の間では、なぜだか、もんじゃ焼きが大人気だそうで、出勤途中にチョイト覗くと、朝から大忙しの様子です。

  「食育」という意味でも、中高生は大事ですから、もんじゃ焼きに対抗して、すき焼きも頑張らねば、と思い、「ちんや」も「手作り工房マップ」に登録しました。「手作り工房マップ」のことは、3/13号にも書きましたが、台東区役所が作っている、見学・体験をできる区内の工房のリストのことです。

 見学は大人数で一度にはできないのですが、このマップで「ちんや」を見つけて来た人は、修学旅行生はもちろん、歓迎したいと思っています。

  小さいうちから、すき焼きなんて贅沢は教えられない、という親御さんもおいでのようですが、お子さんが、変な味覚を身につけてしまってからでは遅いと思います。昨今では、いくらでもバケ学的に味を作り出せますから、そういう味を覚えていただいては困ります。

 是非、伝統的な調理方法の現場を、一度は見学していただきたいと思っています。

  先生が、キレイな女の先生なら、さらに大歓迎なんだけどなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 *「手作り工房」マップについては、こちらです。 

*浅草雷門横丁振興会については、このブログの4/17号をご覧下さい。

ヤバいチラシ配り

 チラシが届いてしまいました。何のチラシかと申しますと、7月3日(土)に開かれる、ヴィオラ・アルタの、平野真敏さんのコンサートのチラシです。このブログの3/10号に書きました通り、私はこのコンサートに出演して、「お話し」をすることになっているのです。

 コンサートそのものは、いたってクラシックで真面目なものです。ドゥビエンヌのフルートとヴィオラのための二重奏曲/宮城道雄の「春の海」(琴)/ショパンのチェロ・ソナタ(平野さん編曲のヴィオラ版) /C.ナイの奇想曲・・・といった内容なのですが、少し息抜きもあった方が良かろう、ということで、間に「お話し」が入ります。その息抜き部分が私の担当です。
 

 チラシが届いてしまった以上、私は出演者ですから、これを配りまくらないといけません。早速会合に出るたびに配ることにしました。ところが配っていると、私の知人には、私が学生時代に、趣味でチェロを弾いていたことを知っている人が多いので、

 「スゴいねえ、今でも弾けるんだ、チェロ!」という反応が帰ってきますが、「そんなこと有り得ませんよ。今はもう、弾けません。それに当時だって大して上手くなかったし、今回は「お話し」をするんです。」といちいち説明するのが、だんだん面倒になってきたので、途中で作戦を変えて、

 「いやあ、1曲歌ってくれって、言われちゃいましてね。曲名は『ガッチャマン』ですけど。」と言いながら配ると、当然冗談なのに、「ええ、本当?」と本気にされてしまいました。念のため申しておきますが、これは、台東区芸術文化財団が主催する、いたってクラシックなコンサートなのです。

 それにしても、まだ話す内容が固まっていないのに、チラシを配るという行為は結構なプレッシャーがかかります。「饗応・居留地・牛鍋」というタイトルで、日本の近代の食生活の、起源の話しをしようかと思ってはいますが、完成はしていません。

 どうもヤバいです。ヤバいというのは、若者風の「素晴らしい」という意ではなく、野に咲く梅<や・ばい>という意でも勿論なく、危険な状態に入ってきた、という意の隠語でヤバい・・・です。

 稽古しなきゃなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*このコンサートについて、くわしくはこちらです。(なお、このホームページに掲載されている、私の顔写真をクリックすると、このブログにリンクしてきます。台東区芸術文化財団で私を担当しているK嬢が、よせばいいのに、リンクを張ってくれたのです。一般の真面目な人が、このブログへ飛んで来るなんて、ひええ、ヤバいです、その点も。)

*このコンサートに出演を依頼されたいきさつについては、このブログの3/10号をご覧下さい。

お彼岸と食育

今日は、お彼岸の3連休の中日で、店の営業がとても忙しい日でした。実は、お彼岸は浅草の飲食店にとっては、一大イベント・一大商機なのです。

 そのわけは、浅草の北部や西部に、お寺が多く、そこに墓参りに来られるご家族連れが多いからです。墓参りは家族の重要な行事ですから、小さいお子さん・お孫さんも引率していかないといけません。そして、小さいお子さんがお墓にお参りしたら、ご褒美として、やはり、何か美味しい物を食べさせないといけません。それで、浅草の街が賑わう、という寸法です。有難い話しです。

 もう一つ、お彼岸が有難いのは、墓参りの後の食事=親子孫3世代での食事が、そのまま「食育」の場にもなっている、ということです。「いいかい?、良い肉というのは、こういう味がするんだよ」あるいは「シラタキはどうやって作るか、知ってるかい?」という具合に、おじいちゃん・おばあちゃんが、日本の伝統料理の良さを、「食育」している場面が見られるのは、お彼岸です。

 ご家族揃っての会食に勝る「食育」の機会はありません。最近では、有名シェフが子供たちに料理を教えたりしているそうで、それはそれで結構ではありますが、まず、家庭の中で、食べ物のことをもっと語っていただきたいと思います。「同じ味を、家族が皆『美味しい!』と感じられたら素晴らしい」そう思っていただけたら、最高です。

 そうした機会に読んでいただこうと、「ちんや」では、すき焼きについて、お子様向けに平易に解説した、小冊子「すき焼き百科」を独自に作って、店頭で差し上げています。(小学校高学年の生徒さん向けに書かれています。)

  ご仏縁に、(こういう時だけ・・・)感謝しています。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。