「饗応・居留地・牛鍋」講演台本①

 7/3に旧東京音楽学校奏楽堂での、平野正敏さん (ヴィオラ・アルタ奏者)のコンサートに出演し、食べ物の話し=日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことをお話ししました。

 お運びいただいた皆さんに御礼申し上げます。

 タイトルは「饗応・居留地・牛鍋」にしました。半年がかりで準備しましたので、ブログ読者の皆さんにも、公開しようと思います。

 長いので、3回=3日間に分けて公開します。以下講演台本です。ご笑覧下さい。

 こんな恰好(=背広の上に「ちんや」の法被)で失礼します、私が住吉史彦でございます。こちらの建物・奏楽堂の、120年という永い歴史の中で、こんな恰好の男が、舞台の上に居るのは、ひょっとしたら、初めてのことかな、と思いながら今立たせていただいております。

 他の出演者の方は、皆素敵な恰好ですので、私も本当は、もっと目立つ恰好にしたくてですね、スター・にしきのあきら みたいなのが良いな、と思いまして(笑い)、ネットで貸し衣装を探していたんですが、そこをヨメに見られてしまいまして、「アナタ、そんな恥ずかしい恰好をするなら、アタシ出て行きますからね」と言われまして、それで、こういう恰好に落ち着いた次第でございます。

 私の部分は、当然食べ物の話しでございますが、今日のコンサートのオマケみたいなもんですので、前半を一生懸命お聞きになって、肩が凝ってしまった方には、丁度よろしいかと思います。15分ほど、おつきあいいただく予定になっておりますが、気楽に、お聞き流しいただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

 さて、これからお話ししますのは、日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことでございます。キーワードとして、饗応・居留地・牛鍋と3つあげました。早速行きます。まずは、一番目、饗応という言葉が出てきました。

 饗応っていう言葉は、今時ほとんど使いませんから、念のため、おさらいしますが、この言葉は、国のトップとか重要な地位にある方が、ゲストをお迎えした時に、料理を食べさせておもてなしする、そういう、超高級な接待のことですね。それが言葉の意味ですが、この饗応のために出された料理が、その後の、日本における西洋料理の一つの源流になっていくわけでございます。

 そのことをお話ししたいと思いますが、その前に、ここで、クイズを出させて下さい!いいですか?日本の国のトップが、外国人のゲストを饗応するのに、日本料理ではなく、西洋料理を初めて使ったのは、いつ・どこで・誰がやったのでしょうか?

 はい、タイムUPですので、答えです。時は1867年、日本の元号で申しますと、慶応3年の春、場所は大坂城でございました。あるじは誰かと申しますと、15代将軍・徳川慶喜でした。ええ、明治天皇じゃあないんです。時は明治維新・王政復古の数ヶ月前のことです。

 ちなみに接待した相手は、イギリス公使・フランス公使・オランダ公使で、シェフはいうとフランス人でした。歴史にお詳しい方は、慶喜がフランスから支援を受けて、イギリスが支援する薩摩長州と対決していたのをご存じかと思いますが、シェフもフランスの世話になってたんですね。そのシェフのフランス料理を各国代表に食べさせたわけです。

 慶喜はフランスの世話になっていた、というだけなくて、たぶん自分も、西洋料理とか肉料理が好きだったと思われます。その証拠がありまして、それは、慶喜のアダ名なんですが、なんとか将軍っていうアダ名だったか、ご存じですか?これが実は、クイズの第二問ですが、「暴れん坊将軍」じゃないですよ!それは松平健さんですから(笑い)。

 はい、タイムUPで正解を申し上げます。豚将軍と言われていました。豚一殿っていうアダ名もあったらしいですね、豚を食べるってことが、それだけ世間に知られていたっていうことだと思います。そのように、豚が大好きだった、日本の国のトップが、外国人のゲストを饗応するのに、西洋料理を使いましたのが、慶応3年の春、場所は大坂城でございました。「へー、はやかったんだ!」と思っていただけば、深甚です。

 さて、ドンドン話しを進めます。今日のお話しで、饗応の次にきますのは、居留地です。「きょ」の次も、また「きょ」なわけです。

 今日は、平野さんの会で、インテリの方が多そうですから、言葉の意味は、さらりとおさらいしますけど、その昔幕府は、外国人が住んだり・商売したりできる場所を、「ここだけ!」と一定の地域内に限っていまして、その特別な地域を、居留地と言いましたね。幕府は、1858年以降に欧米の5ヶ国に対して、5箇所の港を開いたのですが、その時開港しましたのが、北から箱館、新潟、神奈川、兵庫、長崎です。そして、その港の近所に居留地も出来たわけであります。びっくりしますのは・・・

*まだ続きますが、今日はここまで。続きは明日UPします。本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*なお、このコンサートの模様は、ケーブルテレビ「J:COM台東」でもご覧になれます。(契約されている方のみ視聴可能です)

<放送時間>

7月29日(木)、31日(土)、8月3日(火)
 9:20〜、13:20〜、17:20〜、21:20〜

8月1日(日)
 10:00〜、14:00〜、18:00〜、22:00〜

*平野正敏さんについては、こちらです。

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代,食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:01 AM
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