厨BO

 浅草料理飲食業組合の皆さんと一緒に「厨BO」を訪ねました。

 「厨BO」と申しますのは、東京ガスさんが、飲食業界用の商談のために、広い敷地に最新式の厨房設備を備え、口舌爽やかなコンパオニオンのお姐さんを配置した、それは素晴らしいショールームです。

 一時は東京電力さんの「オール電化」攻勢で、東ガスさんは劣勢にまわっていましたが、フクシマの悲劇が追い風になって、このショールームも賑わっているように見えました。

 まず、ガスと電力とエネルギー効率を比較した数字や、味覚テストの数字などをビデオで勉強し⇒お姐さんの案内で「涼厨(スズチュウ)」を実現する設備などを見学⇒その後ガスで調理した料理を頂戴しました。

 この日見学した設備は、眩しく素晴らしいものばかりでした。特にガスの裸火を覆って、そこから出る排気を配管で逃がすことによって、厨房の温度を7-10℃下げることに成功した設備=それを「涼厨」と言うのだそうですが、これには感心しました。

 これまでIH厨房が涼しいのに対してガス厨房は暑い、というのがガスの弱点だったわけで、そこを克服したわけですから、今後は東電さんも大変でしょう。

 ただ、私個人はと申しますと、この日テンションは低め。ガスをたくさん使う、佃煮用の大きい回転釜を去年買ってしまったため、今のところ商談がありません。

 それより気になったのは、壁に貼ってあった、明治初期の都市ガス計画の図面です。

 明治初期、ガスは当時の文明の最先端の技術でした。そのガスを、東ガス本社のある金杉橋から、新橋・銀座・日本橋を経由して浅草橋まで配管しよう、というのが、この図面です。現在の中央通り・江戸通りを縦断する大規模な計画です。

 たかが図面ではありますが、手書きの図面なものですから、なんだか、文明の先端の仕事に取り組むのだ!という壮気が画面から感じられ、見ていて心躍ります。

 これを見ていたら、さしあたって商談したくない私にも、東ガスの社員さんが近寄って来たので、この図面をネタにして煙に巻くことにしました。

 いやあ、東ガスさんも、料理屋相手にチマチマとガス売るより、瓦斯灯を100本くらい、浅草に建ててくれませんか?!風情が出て良いと思うんですけど。

と私が言うと、やはり御店の改築を終えたばかりで、商談のないTさんも参戦。

 いいねえ、それ!瓦斯灯100本なら浅草として大歓迎ですよ。そう言えば、ウチの店のある「合羽橋本通り」は、景観を良くするために、電線を全部地下に埋めるんですよ。そこに建てましょう、100本。

 ほほお。っていうことは「東電は地下で、東ガスは地上!」ってことですね。いいんじゃないですか、今時。

・・・ちとブラックでしたかね、ジョークが。

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文化の日

 11月3日は「文化の日」ですね。

 浅草的には「東京時代祭」の日ですが、国民的には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日です。この日には皇居では文化勲章の授与式が行われ、また、この日を中心に文化庁主催の「芸術祭」が開催されたりしています。

 しかし最初から「文化の日」だったわけではなく、この日は本来、明治天皇のお誕生日でした。最初は「天長節」と呼ばれ、陛下が亡くなった後も、「明治節」という名前で祝日でした。それが太平洋戦争後に「文化の日」に化けたわけです。

 弊店は、明治時代に起源のある店ですので、どちらかと言うと「明治天皇のお誕生日」として祝っています。

 ただし、です。11月3日が明治天皇のお誕生日というのは、暦の読み替えです。

 明治天皇がお生まれになったのは、嘉永5年(1852年)の9月22日でして、この時は勿論旧暦を使っていましたから、太陽暦を採用した時に読み替えをしないといけなくなってしまいました。それで明治6年(1873年)に11月3日が「天長節」になった、というのが経緯のようです。

 どうも、明治6年以前に起きた出来事を記念する祝日は、この暦の読み替えでテンションが下がりがちです。

 例えば、「鉄道の日」は10月14日ですが、実際の鉄道の開通は明治5年旧暦9月12日でした。この出来事も明治6年より前のことなので、まだ旧暦を使っていたのです。

 さらに、テンションが下がる祝日もあります。

 それは、ああ我が義塾の開校記念日=4月23日。

 この日は、明治4年旧暦3月23日に慶應義塾が芝新銭座より現在地の三田に移転した日のはずなのですが、慶應義塾の公式ホームページを見ると、それを否定するようなことが・・・

「・・・この日を義塾の開校記念日と定めたことには、今日の目から見ていくつかの問題が残る。その第一は、4月23日という日の設定に当たって、旧暦を太陽暦に換算したとあるが、明治4年の3月23日を陽暦にすると、5月12日が正しいことになる。

 どこでこんな単純なミスを生じたか分からないが、強いて探せば4月23日が旧暦3月23日に当たるのは前年の明治41年である。或いは開校記念日の制定に当たって、前年の暦によったともいえなくもないが、あくまで憶測の域をでない。」

 はあ、単純なミスだって? さらに!
 「いま一つの問題は、新銭座から三田の現在地に移転したのが、旧暦の3月23日だとする史料的根拠がきわめて薄弱な事である。この移転に関して最も信頼できる史料は「荘田平五郎日記」であるが、それによると4年の1月16日から一部の引越しが始まり、2月の16日の集会でいよいよ三田移転のことを決し、同21日には荘田自身が引越し、塾総体が三田に移ったのは3月16日とある。

 また『慶應義塾五十年史』でも「義塾が新銭座より悉皆三田丘上へ移り了りしは明治4年3月16日なりし」とあり、その限りでは3月16日をもって移転の記念日とするのが最も妥当のようにも思えるのだが、それがどうして3月23日とされたのか。

 あまりそんな詮索をしないのが、いかにも慶應だといえなくもない。ともあれ義塾にとって、三田に本拠を定めた事の意義を改めて考える日でもあろう。」

 いかにも慶應だと言えなくもない・・って? うーん。

 早稲田はちゃんとしてるんですよねえ。

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浅草広小路

 『100年の味 店100選』なる御本が毎日新聞社から出るそうです。

 「ちんや」も、そこにお採り上げいただくことになり、取材のライターさんが見えました。

 そういう題の御本ですから、取材内容も昔の話しです。そこで明治末から大正の頃の、「ちんや」の写真をご覧にいれました。

 この写真は、元々モノクロで、その上に着色するという手法で加採した写真です。当時は、東京土産として売られていたようです。

 ご覧にいれて、ライターさんの目にとまったのは、その写真のタイトルです。

 「(帝都名所)浅草広小路雷門通り」

というのが、その写真のタイトルです。

 現在は、この、「ちんや」の前の広い通りは、「浅草雷門通り」と称していますから、ライターさんとしては、現在の通りとどこがどう違うのか、当然気になったご様子です。

 で、正解ですが・・・

 「浅草広小路」というのは、この通りの、江戸時代以来の古い名前で、その旧称と近代的な名前の「雷門通り」を合体させたのが、この写真のタイトルなのです。

 現在でも、「上野広小路」という古い名前が地下鉄の駅名として残っていますが、通りの名前は「中央通り」ですね。だから、この通りのことを「上野広小路中央通り」と呼べば、「浅草広小路雷門通り」と言うのと同じです。

 おそらく写真を撮った当時、新しい「浅草雷門通り」という名前がつけられたものの、古く慣れ親しんだ名前も捨てがたくて、合体させてしまったものと思われます。

 ちなみに「広小路」が、どの位古いかと申しますと、明暦(1657年)の大火の後に、幕府の防火政策の一環で出来たものです。

 この大火で、江戸の市街の大半は焼失し、10万人以上の死者を出したそうです。そこで幕府は広い通りを作り、火事が延焼するのを防ごうと考えました。それが「火除け地」としての「広小路」です。

 浅草、上野の他に両国にも作られ、この三箇所が「江戸三大広小路」と言われたそうで、その近辺は人の往来が増えて、盛り場となった次第です。結果的には、火事が町の発展に貢献しわけですから、皮肉なものです。

 私個人は、「浅草雷門通り」という名前は、なんとなく、普通っぽ過ぎて愛着がわいてきません。

 「浅草広小路」という言い方を復活させたら、粋で、なおかつ瞬時に歴史に思いをはせることができるように思います。

 「浅草広小路の ちんや」とか「浅草広小路の住吉史彦」とか名乗ろうかと思案しています。

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潮湯治

 潮湯治という言葉をご存じでしょうか。

 海水浴のことです。

 「図説明治事物起源辞典」によりますと、文明開化の頃、海水浴は潮湯治とも呼ばれ、温泉浴に近い、一種の療養として推奨されていたそうです。医者や軍が海水浴を推奨する、そういう時代でした。また海に浸るばかりでなく潮風を浴びる海気浴も療養とされていたそうです。

 薬や手術法が発達するにつれ、温泉浴も海水浴も療養というよりレジャーとみなされるようになっていき、海水浴のことを潮湯治とは全く言わなくなりました。

 でも私の場合、海岸近くの宿へ泊まりに行く目的は、まさに潮湯治です。

 海に入りはしませんので、海気浴専門ですが、宿の部屋から波の音を聞いているだけで、日頃の疲れがとれます。

 そんな理由で、今回の夏休みに私が潮湯治に向かったのは・・・

 茨城県の大洗海岸。

 「すきや連」に毎回来て下さる、Tさんが経営されている「大洗ホテル」に泊めていただきました。

 大洗海岸は、太平洋に面していて、波が激しいので海水浴好適地とされ、古くから海水浴場が開設されていました。真東を向いているので、日あたりも最高です。

 海は、なんと言っても、視界が開けているのが良いですよね。東京にいると、視界が開けている所は、ほとんどなく、常に圧迫感がありますが、その点、海は気分がいいです。

 それに加えて、明治時代に出来た旅館街を訪ねると、なんだか、やたらと懐かしさを感じます。歴史のロマンと申しますか、浅草っぽい感じすらするのですが、そう思うのは私だけでしょうか。そういう所を楽しむのが、私は好きです。

 そういうわけで、普通の観光客の方なら、海に行けば、ビーチスポーツとか釣りとかをするのでしょうが、私が訪ねたのは、大洗町立「幕末と明治の博物館」。

 ここはTさんのご先祖様が建設に尽力された博物館です。収蔵品の幕末・明治の史料が面白く、また私がそれ以上に面白かったのは、大洗の古写真です。私は昔のリゾートの風情が、やたらと好きなので、こういう写真を見ていると飽きません。

 あ、勿論、普通の観光の方と同様の楽しみも、充分に満喫させていただきましたよ。それは・・・

 「大洗ホテル」さんの中の、海鮮ダイニングでいただいた、岩牡蠣の天麩羅。

 これは最高でした。

 ホテルのすぐ近所には、やはり「すきや連」に毎回来て下さる、K子さんの酒蔵「月の井酒造店」さんがありますので、当然、あわせていただきました。有機認証済みで、精米歩合をあえて低くした御酒で、これもまた結構でした。

 いやあ、旨かった、大洗。

 食事も海気も。

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オススメの祝日

 このブログの8/17号を書くために「海の日」のことを調べていて思ったのですが、日本の祝日って、根拠が?のものが多いですよね。しかもハッピーマンデー法で、その日からも動かしてしまったので、さらに?と成りました。

 もう、こうなったら、祝日と休日は分離した方が良いように思います。休日は休む日で、祝日は歴史を偲ぶ日にするわけです。

 今日は、私がオススメする祝日をご紹介しましょう。

1月24日(明治5年)明治天皇が牛肉を初めて召し上がった日。

2月11日(明治22年)大日本帝国憲法が公布された日。

3月25日(明治20年)「電気記念日」=日本で初めて、家庭用の配電が始まった日。

4月20日(明治4年)「郵政記念日」(旧「逓信記念日」)=飛脚に代わり、近代郵便制度 が開業した日。

4月23年(明治4年)慶應義塾開校記念日。創設者は福沢諭吉。(ただし、この日の旧暦=新暦換算が誤っている、と慶應義塾のホームページに書いてある!)

5月27日(明治38年)日本海海戦の記念日(旧「海軍記念日」)=日本海軍がロシアのバルチック艦隊に大勝利を収めた日。

6月1日(明治8年)「気象記念日」=東京赤坂に日本初の気象台が設置された日。

7月1日(明治23年)大日本帝国議会の第一回衆議院議員選挙が行われた日。

7月30日(明治45年)明治天皇が亡くなった日。

10月14日(明治5年)「鉄道の日」=日本初の鉄道が新橋・横浜間に開通した日。

10月21日(明治15年)早稲田大学創立記念日。創設者は大隈重信。

11月1日(明治元年)「灯台記念日」=日本初の洋式灯台である観音崎灯台の起工日。

12月16日(明治23年)「電話の日」= 日本で初めて、東京・横浜間で電話交換業務を開始した日。

 この中の、明治45年7月30日=明治天皇が亡くなった日から、来年で100年です。それで、いろいろ記念行事があるようです。

 明治ど真ん中の、すき焼き屋としても何か考えないといけないですね。

追伸①

 弊店では肉を召し上がっていただく前に、牛の個体識別番号と生産県をお示ししています。汚染エサを与えていないことが確認されていますのでので、安心して国産牛を召し上がっていただくことができます。

追伸②

 「ゆかたdeプレゼント」を実施しています。ゆかた姿で弊店に見えた方に、東北・茨城の冷酒1本(300ml)を差し上げます!(お座敷で、料理1人前を召し上がる方に限り)

 弊店以外の台東区の御店でも、同様のプレゼントが。そちらは、8月13日(土)から28日(日)まで実施予定です。

追伸③ 

 今月の昼時より「四分の三すき焼き」を始めました。

 ご昼食セット(4.300円)の、お肉とご飯の分量を四分の三人前にできます。価格は3.800円です。満腹するまで食べたくはないが、おいしい肉を少し食べたい、という時に、どうぞ御利用を。

追伸④ 

 地下1階カウンターレストラン「ちんや亭」でも、「ちんや」座敷と同等の、霜降り肉すき焼きを召し上がれるようにしました。

 「旨い肉を食べたいが、記念日でもないし、座敷に上がるのは億劫だ」というお客様、あるいは御一人様のお客様、是非ご利用を。

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ブラタモリ

 NHKのTV番組「ブラタモリ」の撮影が、弊店でありました。私も出演させていただき、タモリさんと問答するところを撮っていただきました。

 ただし、今回のテーマは残念ながら、すき焼きではなく、狆(ちん)。

 美術史にお詳しい、今橋理子先生とタモリさんが、狆の絵を見ながら対談する場所として弊店の個室を、お貸しした次第です。撮影の都合で、すき焼きを召し上がっていただく時間が無かったのは、残念でした。いつかあらためてご来店いただければ、と思います。

 実は、このような狆関係のご取材が、たまにありますが、私が狆にゼンゼン詳しくなく、飼ってもいないので、ご担当の方は皆さんガッカリされるようです。今回も、そうでしたが、狆対談の場所貸しということで、使っていだきました。

 すき焼きを召し上がっていただけなかったのは残念でしたが、屋号の宣伝はさせて下さいました。NHKさんは、もちろん、営利企業の屋号の放送がNGですが、タモリさんとの問答の内容が「ちんや」の屋号の由来の説明ですので、「狆屋」と言わないと、その問答が成り立ちません。

 営利企業の屋号であるにもかかわらず、暖簾や半纏を撮っていただいてしまい、ラッキーなことでした。

 でも、私は本当は・・・「空耳アワー」に出たかったんですけどね。

 オンエアは10月です。お楽しみに。

追伸①

 弊店では肉を召し上がっていただく前に、牛の個体識別番号と生産県をお示ししています。汚染エサを与えていないことが確認されていますのでので、安心して国産牛を召し上がっていただくことができます。

追伸②

 「ゆかたdeプレゼント」を実施しています。ゆかた姿で弊店に見えた方に、東北・茨城の冷酒1本(300ml)を差し上げます!(お座敷で、料理1人前を召し上がる方に限り)

 弊店以外の台東区の御店でも、同様のプレゼントが。そちらは、8月13日(土)から28日(日)まで実施予定です。

追伸③

 川柳で日本の食卓に笑顔を!

「すき焼き川柳onツイッター」コンクール、略して「すきせん」の、投句受付をしています。

 応募要領は、こちらです⇒http://www.sukiomo.com/

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共に食べる

 昨日のテレビ撮影の話しの、そのまた続きです。

 BSーTBSの、『関口宏の昭和青春グラフイテイ』という番組の撮影があり、私と、「すきや連」旗振り役で「すき焼き通」(平凡社新書)の著者である、

向笠千恵子先生がインタビューを受けました。

 この番組は、これまでは「昭和の渋谷」「昭和の六本木」とかを放送したそうですが、今回は「昭和の子供の贅沢」。

 「昭和の子供の贅沢の代表である、すき焼きの魅力を語って欲しい。」という御題で、先生と私が問答し、それを撮っていく、というスタイルです。問答している内に、

 そう、そう、そうなんですよ!

と私の声が上ずってしまったのは、向笠先生の、

 「すき焼きは、共に食べる、っていう感覚が一番強い食べ物よね」

 「すきや連の、宴会の写真を見ていると、皆さん、本当に良い笑顔で、共にすき焼きを食べるのが嬉しいって、顔に書いてあるわよね」という部分でした。

 そこ、大事なところです。

 平成23年の今時は、「個食」とか「孤食」とか言って、同時に食事を食べないことが多いようです。

 その点すき焼きは、共に食べないと、そもそも成立しません。

 同時に食べ始め、同時に食べ終わらないといけない点が、すき焼きの不便な点ですが、しかし、そこが同時にそのまま、すき焼きの魅力です。

 宴会が始まり、やがて鍋に火を入れ、煮えた肉が取り分けられる瞬間には、皆が、鍋に意識を集中します。他の料理の宴会では、皆さんはたいてい、好きずきに会話を楽しんでいらして、料理にそれほど集中しません。

 ところが、すき焼き宴会なら、少なくとも、この瞬間だけは、全員が意識を料理に集中させ、今共に食べる嬉しさを強く感じることができます。

 震災以来、ご宴会はめっきり減りましたが、会社の中で心を一つにしたい、とお考えの社長さんには、是非、すき焼き宴会をしていただきたいものです。

 自粛や節電ばかりでは、希望が見えません。ビジネスも気勢が揚がらないのではないでしょうか。

 今共に食べる嬉しさ〜すき焼きには、それがありますよ。

 『関口宏の昭和青春グラフイテイ』オン・エアは、8/16(火)22:00〜です。このブログをお読みの、社長さんは、是非、この番組を参考にしていただきたいです。

追伸①

 「仙台牛」の販売を始めました。震災の当日にも「仙台牛」を仕入れましたが、それ以来の仙台牛です。データ=宮城県大崎市・遠山明牧場産、黒毛和種牝牛、個体識別番号:12041-78434。

 「食して繋がる、食して支える、浅草から東北へ。」

追伸②

 7/18に「第三回すき焼き通検定」を実施します。合格すると特典満載ですよ!

検定の詳細はこちらです。 

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御馳走

 関東も梅雨明けとか、暑いわけです。夏バテしてしまう前に、肉を食べてバテ予防しましょう。さて、

 昨日のテレビ撮影の話しの続きです。

 BSーTBSの、『関口宏の昭和青春グラフイテイ』という番組の撮影があり、私と、「すきや連」旗振り役で「すき焼き通」(平凡社新書)の著者である、

向笠千恵子先生がインタビューを受けました。

 この番組は、これまでは「昭和の渋谷」「昭和の六本木」とかを放送したそうですが、今回は「昭和の子供の贅沢」。

 「昭和の子供の贅沢の代表である、すき焼きの魅力を語って欲しい。」という御題で、先生と私が問答し、それを撮っていく、というスタイルです。問答している内に、

 そう、そう、そうなんですよ!

と私の声が上ずってしまったのは、向笠先生の、

 「すき焼きは、鍋奉行を務める人にも幸福感があるわよね」

 「それに、その前の具材を買い揃える、買い物にも喜びがあるわよね」という部分でした。

 そこ、大事なところです。

 この話しは、外食でのすき焼きの話しではなく、肉の売店で買っていただいて、ご家庭ですき焼きをする場合の話しですが、これこそ、まさに「御馳走」という行動だと思います。

 現代語では「御馳走」「お御馳走」というと、高価な食べ物のことを指しますが、元々は違います。

 人に何か美味しいものを食べさせようと、準備のためにあちこちへ走り回ることが「馳走(ちそう)」の本来の意味です。だから、それに感謝するために、食べさせてもらった側は「ごちそうさまでした」と言うわけです。

 その本来の意味での、「御馳走」をする感覚が一番強い食べ物が、すき焼きだと思います。

 特にご家族のために、お父さんやお爺ちゃんが肉を買い出しに行き⇒鍋奉行を務める、これは家庭内の「御馳走」であって、そこには、他の食べ物では得がたい幸福感がある、というのが、私の思いでしたが、向笠先生も同意見でしたので、とても嬉しく思いました。

 『関口宏の昭和青春グラフイテイ』オン・エアは、8/16(火)22:00〜です。このブログをお読みの、お父さんやお爺ちゃんの皆さんも、是非、この番組を参考にしていただいて、「御馳走」をしてみませんか、たまには。

追伸①

 「仙台牛」の販売を始めました。震災の当日にも「仙台牛」を仕入れましたが、それ以来の仙台牛です。データ=宮城県大崎市・遠山明牧場産、黒毛和種牝牛、個体識別番号:12041-78434。

 「食して繋がる、食して支える、浅草から東北へ。」

追伸②

 7/18に「第三回すき焼き通検定」を実施します。合格すると特典満載ですよ!

検定の詳細はこちらです。 

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて498連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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昭和のすき焼き

 今日は浅草の「ほうずき市」です。夏の風情がお楽しみいただけますので、是非お出かけいただけたら、と思います。さて、

 先日テレビ撮影がありました。

 BSーTBSで毎週火曜日22:00から放送している、『関口宏の昭和青春グラフイテイ』という番組です。これまでは「昭和の渋谷」「昭和の六本木」とかを放送したそうですが、今回は「昭和の子供の贅沢」。

 それで、すき焼きが「昭和の贅沢」代表になったそうです。

 私がインタビューされる他に、「すき焼き好き」代表の人も紹介して欲しい、というご依頼でしたので、「すきや連」旗振り役で「すき焼き通」(平凡社新書)の著者である、向笠千恵子先生を急遽お呼びたてしました。先生は、前日に岐阜県で御仕事があるのに、強行軍で帰京、撮影を受けて下さいました。

 さて、インタビューの内容は、

・昭和30年代〜40年代の、すき焼の思い出話しをして欲しい。
・すき焼きの魅力を語って欲しい。
ということでした。向笠先生がおいでなので、私はたまに絡むだけで良く、楽な撮影でした。

 私が運営している「すき焼き思い出ストーリー」投稿サイトにも興味を持っていただき、パソコン画面接写で撮影されました。

 投稿なさった方!テレビに出るかもしれませんよ。

 一方、少しだけ困ったのは、昔の写真を見せて欲しい、昔の店の写真だけでなく、住吉さんの昔の写真を見せて欲しい、というご依頼でした。

 必死で昔のアルバムを探したところ、ありました。浅草寺幼稚園の入園式の日の写真が。

 幼稚園の正門で、私の手を引く母は着物姿で、髪の結い方も昭和っぽいです。

 そして、か、可愛いなあ、史ちゃん!

 見たい方は、8/16(火)22:00〜の放送を、お楽しみに。

追伸①

 「仙台牛」の販売を始めました。震災の当日にも「仙台牛」を仕入れましたが、それ以来の仙台牛です。データ=宮城県大崎市・遠山明牧場産、黒毛和種牝牛、個体識別番号:12041-78434。

 「食して繋がる、食して支える、浅草から東北へ。」

追伸②

 7/18に「第三回すき焼き通検定」を実施します。合格すると特典満載ですよ!

検定の詳細はこちらです。 

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて497連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目店主の、住吉史彦でした。

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旧町名②

 このブログの昨日の号に書いたような次第で、「ちんや」で勝手に、浅草の旧町名の宣伝をすることにしました。

 実は以前から、「ちんや」の個室の名前には、浅草近辺の旧町名を使っていたのですが、その由来を簡単に書いたカードを各部屋に置くことにしました。そのカードを部屋に入った人しか見られないのでは、もったいないので、ここでも公開しています。

 今日は、その2日目です。

<並木>

 現在の台東区雷門二丁目付近の地名です。

 奥州街道に接し、松並木があったことから並木町となりました。 

 現在の、浅草寺・雷門前の並木通りは、浅草の表玄関としての役割にふさわしい町並みに整備されております。地下には、公共駐車場があり、来街者の利便性向上に貢献しています。

<馬道(うまみち)>

 馬道通りは、東武線浅草駅前より北方向へ、隅田川の西側に並行して伸びる通りです。

 地名の由来は、古く江戸時代に遊客が馬を利用して新吉原へ通う道筋であったから、または浅草寺境内の馬場に行く馬の道だったから、などと言われています。

 戦災で全焼するまでは、呉服屋、足袋屋、袋物屋といった老舗が多く、それだけに由緒ある町のムードがあったと伝えられています。

 戦後再建され、現在も和装関係、履物関係の店舗が並んでいます。

<今戸(いまど)>

 浅草北方で現在でも使われている地名です。

 台東区今戸一丁目の今戸神社は、元は今戸八幡宮と称した御社で、康平6年(1063年)源頼義、義家父子が奥州征伐の折、京都の岩清水八幡宮と鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮を浅草今津(現今戸)に勧請して創建したものです。

 浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られており、「下町八社巡り」の内の一社です。

 江戸時代、この神社の周辺では「今戸焼」が焼かれおり、商売繁盛の象徴「招き猫」などの土人形や、日用雑器、火鉢、植木鉢、瓦などが造られておりました。一時その伝統が途絶えかけましたが、近年有志の職人さんが復興させました。

(浅草付近の旧地名終わり)

追伸①

 「仙台牛」の販売を始めました。震災の当日にも「仙台牛」を仕入れましたが、それ以来の仙台牛です。データ=宮城県大崎市・遠山明牧場産、黒毛和種牝牛、個体識別番号:12041-78434。

 「食して繋がる、食して支える、浅草から東北へ。」

追伸②

 「青森・岩手・宮城・福島・茨城五県蔵元連合試飲会@浅草in三社祭が開催できない、その日に開催!」の様子を撮影した動画を、こちら(YouTube)にUPしましたので、是非ご覧下さい。

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