文化の日

 11月3日は「文化の日」ですね。

 浅草的には「東京時代祭」の日ですが、国民的には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日です。この日には皇居では文化勲章の授与式が行われ、また、この日を中心に文化庁主催の「芸術祭」が開催されたりしています。

 しかし最初から「文化の日」だったわけではなく、この日は本来、明治天皇のお誕生日でした。最初は「天長節」と呼ばれ、陛下が亡くなった後も、「明治節」という名前で祝日でした。それが太平洋戦争後に「文化の日」に化けたわけです。

 弊店は、明治時代に起源のある店ですので、どちらかと言うと「明治天皇のお誕生日」として祝っています。

 ただし、です。11月3日が明治天皇のお誕生日というのは、暦の読み替えです。

 明治天皇がお生まれになったのは、嘉永5年(1852年)の9月22日でして、この時は勿論旧暦を使っていましたから、太陽暦を採用した時に読み替えをしないといけなくなってしまいました。それで明治6年(1873年)に11月3日が「天長節」になった、というのが経緯のようです。

 どうも、明治6年以前に起きた出来事を記念する祝日は、この暦の読み替えでテンションが下がりがちです。

 例えば、「鉄道の日」は10月14日ですが、実際の鉄道の開通は明治5年旧暦9月12日でした。この出来事も明治6年より前のことなので、まだ旧暦を使っていたのです。

 さらに、テンションが下がる祝日もあります。

 それは、ああ我が義塾の開校記念日=4月23日。

 この日は、明治4年旧暦3月23日に慶應義塾が芝新銭座より現在地の三田に移転した日のはずなのですが、慶應義塾の公式ホームページを見ると、それを否定するようなことが・・・

「・・・この日を義塾の開校記念日と定めたことには、今日の目から見ていくつかの問題が残る。その第一は、4月23日という日の設定に当たって、旧暦を太陽暦に換算したとあるが、明治4年の3月23日を陽暦にすると、5月12日が正しいことになる。

 どこでこんな単純なミスを生じたか分からないが、強いて探せば4月23日が旧暦3月23日に当たるのは前年の明治41年である。或いは開校記念日の制定に当たって、前年の暦によったともいえなくもないが、あくまで憶測の域をでない。」

 はあ、単純なミスだって? さらに!
 「いま一つの問題は、新銭座から三田の現在地に移転したのが、旧暦の3月23日だとする史料的根拠がきわめて薄弱な事である。この移転に関して最も信頼できる史料は「荘田平五郎日記」であるが、それによると4年の1月16日から一部の引越しが始まり、2月の16日の集会でいよいよ三田移転のことを決し、同21日には荘田自身が引越し、塾総体が三田に移ったのは3月16日とある。

 また『慶應義塾五十年史』でも「義塾が新銭座より悉皆三田丘上へ移り了りしは明治4年3月16日なりし」とあり、その限りでは3月16日をもって移転の記念日とするのが最も妥当のようにも思えるのだが、それがどうして3月23日とされたのか。

 あまりそんな詮索をしないのが、いかにも慶應だといえなくもない。ともあれ義塾にとって、三田に本拠を定めた事の意義を改めて考える日でもあろう。」

 いかにも慶應だと言えなくもない・・って? うーん。

 早稲田はちゃんとしてるんですよねえ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて608日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: ぼやき部屋,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM
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