桜鍋店「中江」のスタッフの皆さんの食事会を「ちんや」で開きたい、という申込みがあり、在り難くお請けしたのですが、あの御主人のこと、普通に食事をするだけでは収まらないらしく、私に話しをしろ、とおっしゃいます。しかも、
「牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望」について話しをしろ!というムタイなことをおっしゃいます。私が渋っていると、
「先入観や感情丸出しで大いに脱線したお話を!」とのこと。
そういうことならガッテン招致、いや招致するのはオリンピックでしたな、ガッテン承知仕りました。
「先入観」=それを大いに話題にしましょう。
馬肉と牛肉の栄養学的な比較とか、これまで嫌というほど聞かされてきた、ツマンない話しをする気は、私はモートー無いですからね。
そう、肉食の話しを、時代を遡って致します。そういう話しをする時は、当然先入観や偏見についても触れないといけないから丁度良いですな。上等です。覚悟してお聞き下さい・・・
<と、いうことで昨日から始まりました、この話しは長いので2回に分けてUPしています。まず昨日の弊ブログをお読みいただき、その後で、この下(↓)をお読みください。>
さて、やっと馬の話しです。この頃=つまり明治時代に馬はどうなっていたのでしょう。牛同様に熱心に飼育されるようになりますが、目的は違います。軍用馬として育てられるようになったのです。
この絵を見て下さい。『上野不忍大競馬之図』という明治17年(1884年)の絵です。上野の不忍池の周りに競馬場が設けられて、そこで開催された競馬会に明治天皇が親臨なさっています。
陛下は馬に大金を賭けていて、その結果が気になって見に来たんじゃあないですよ。明治政府は軍馬改良の為に競馬を奨励していて、この競馬会も、その一環なんです。
陛下自身も馬術が大変お好きで、毎日馬を乗りまわしていた時期もあるそうです。
もともと陛下は京都のお公卿さんですから、牛車(ぎっしゃ)に曳かれて移動するのが本来なのですが、帝国主義華やかな、この時代にあっては、牛をやめて馬に切り替えてしまったのです。
お分かりですね、当時馬は強い軍隊の象徴であり、皇室の栄光の象徴だったのです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだ人もおいでと思いますが、主人公の秋山大将は騎兵隊の司令官でしたね。日本の騎兵隊を一から育て上げ、ロシアのコサック騎兵と闘った秋山大将が、この時代のシンボルだったのです。
馬肉が、栄養学的には大変優れたものなのに、食卓の主役の座を牛に譲った理由・譲った時代背景は、これです。是非理解しておきましょう。勿論牛の方が飼い易いという事情もあったと思いますが、馬は皇室と軍隊のイメージだから、食べにくかったんです。
ここで強調したいのは、まさに、この時代に「中江」さんは馬肉料理を始めた、ということです。
そこを押さえておくと共に、そんな中でも馬肉を売ろうと試みた中江さんの意志の強さに思いを致さないといけません。
そして、さらに申し上げますが、そこを理解することは現代社会に於いても深い意義が在ると思います。
今時は獣の命を戴く、ということにリアリテイーが無さすぎます。スーパーに行くとスライス済みの肉しか売ってないですからね。
思いまするに、食事の前に「いただきます」と唱えることは日本人の精神の神髄であって、実は私は、このItadaki-masと Gochiso-samaを是非世界語にしようと思っております。これからオリンピックまでに、それをやろう!と思っています。
Itadaki-masと Gochiso-samaという言葉の裏にある日本人の思想を英語で解説した小冊子を作りまして、料理屋に見えた外人さんがそれを上手に唱えたら、冊子の裏に記念のスタンプを押す、という企画を考えています。「中江」さんにもご協力いただきたいのですが、まあ、その話しはさて置きましょう。
生き物の命を戴くことへの恐れと神聖な気持ちが失われましたら、食の大切さということも理解しにくくなりましょう。
そして、それを体感し易い店が、皆さんの御店です。
牛より食べにくく、猪や熊よりも食べにくい馬を食べさせることの意義は、現代社会においては、ますます高まるものと考えます。
日々の業務に精励されますよう。
追伸、
2/24にインターネットラジオ局CROSSWAVE☆SENJUの番組「ビジネスチャンネル~この人に聞きたい」に出演させていただきました。
過去の放送は、こちらのURLで聞けますので、よろしかったら、是非。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.466日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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