『続すき焼き ものがたり』

 向笠(ムカサ)千恵子先生が突然店に見えました。「電話もしないで急に来てゴメンナサイ、浅草に用事があったもんだから、住吉さんが私の、すき焼きの新連載を読んで下さったかしらと思って・・・」 そりゃ、先生、読みましたよ。読んだどころか、今このブログにそのことを書こうと思っていたところです・・・

 実は、向笠千恵子先生の新連載『続すき焼き ものがたり』が、月刊「百味」誌上にて、5月号より始まり、その第一回が先日届きました。「続」というからには、その前に最初の『すき焼き ものがたり』がありまして、それは平成18年3月から20年4月まで、やはり月刊「百味」誌上に連載されました。

 その当時、平成17年のことですが、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠先生でした。それが最初の連載です。

  この連載はその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。そして、平成20年10月15日のことですが、この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、すき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

 このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」は順調以上の活動ぶりで、例会を、21年2月に新橋「今朝」さんで、7月に「浅草今半」さんで、10月に湯島「江知勝」さんで、22年3月には横浜の「太田なわのれん」さんで、という具合に続けて開催してきました。毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出るくらいの勢いでした。

 また、例会以外にも、21年9月には、「日本記念日協会」に申請して、毎年10月15日を、『すき焼き通の日』として正式に認定してもらいました。また、すき焼き業界の長老を集めて対談してもらい、その対談を月刊「dancyu」22年1月号(プレジデント社発行)に掲載していただきました。「すき焼き劇場」という題の特集記事で、この対談には、私の父(=ちんや会長)も参加させていただきました。また、すき焼きを題にした句会もしました。

 以上が、向笠先生と、「すきや連」と、私の、五年間の「すき焼き物語」です。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。

  そんな活動を続けている内、21年の秋頃だったと思いますが、向笠先生が、『すき焼き ものがたり』の続篇を書き、連載したいと言い出されました。この時は、最初の時より嬉しかったような気がします。以前にも増して、さらにすき焼きに興味を持ち、すき焼きのことを書いて下さる、というのは有り難いことです。

  世は不景気ですが、この連載が始まれば、すき焼き業界にも少しは良いこともあるでしょう。調子が良くなってくれば深甚です。

  いいぞ、すき焼き!

  立ち上がれ、すき焼き!

  おっと、「立ち上がれ、すき焼き」じゃあ、どっかの新党と同じだなあ。そんな党名じゃあ、3議席くらいしか獲れないぞ。何か他のを考えなきゃ。

 「うまいもの実現党」とか「開化倶楽部」とか、どうだろう?

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*平凡社新書『すき焼き通』については、こちらです。

*新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」については、株式会社ビジネス・フォーラムへお問いあわせ下さい。(電話:03-3288-9180)

ヤバイすき焼き

 先日、若い友人のA君が店に見えました。A君は業界団体の青年部の、宴会の幹事で、15人ほどの同業の方と一緒に見えました。青年部の宴会らしく、元気で楽しそうな会となり、盛り上がっていることを確認した私は、皆さんがお帰りの時には、安心して、送り出しのため、店の玄関におりました。

  ところが、A君がやがて玄関へ降りてきて、言った言葉は、

「いやあ、住吉さん、ヤバかったです! 「ちんや」さんのすき焼きがこんなにヤバいとは知りませんでした!」

  ? すき焼きがヤバい?

  ここからは「カリスマ受け売り師」として有名な、住吉史彦先生による、受け売りコーナーですが、「やばい」という言葉は、「野生の梅のこと、野に咲く梅のこと、<や・ばい>」ではもちろんなくて、「危険であるの意の隠語<やば・い>」であるハズです、広辞苑によれば。

  しかし、「ヤバかったです!ヤバかったです!」と言っている、A君の表情には、そういう意味は感じとれず、どうも褒めてくれているようです。

 そうか、最近の人は、スゴく良い物を褒める意で、ヤバい、と言うんだっけ。それに違和感があるっていうことは、こっちが年を喰った、っていうことか・・・

  今度、他の店に食べに行った時は、そういう風に褒めてみるか。さしあたって、5/19に、国際観光日本レストラン協会の理事会・食事会が、中華料理の「南国酒家」さんであるから、食事が終わったら、試しにM社長に言ってみよう。

  いやあ、Mさん、ヤバかったですよ、今日の御料理! 殴られるかな?

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:36 AM  Comments (4)

VIP?の八王子訪問

 4/27は火曜日で休みでしたので、八王子の料亭「坂福(さかふく)」さんを訪ねました。「坂福」さんは、すき焼きをメイン料理にしている、料亭さんでして、かねて興味を持っておりましたが、その話しを、国際観光日本レストラン協会の総会で御一緒した、「八王子エルシイ」のO会長にしましたところ、「坂福さんは、良く知っているから、是非ご紹介しましょう。」と有り難いお言葉。善は急げ、で早速お訪ねすることにしました。

 八王子は、明治時代後半・大正・昭和の頃、織物業が盛んで繁栄したそうです。それで財を成した旦那衆が遊ぶ花柳界が出来たり、牛鍋屋ができたりしました。明治45年創業の「坂福」さんも、その内の1軒だそうで、ホームページを見たところ、歴史の風情を感じられそうな御店です。

 そういうわけでの今回の訪問です。まずは「坂福」さんを訪ねる前に、Oさんご経営の御店「八王子エルシイ」にご挨拶にうかがいました。Oさんは、八王子観光協会の会長を務めておいでで、八王子の、重鎮中の重鎮なのですが、さすがに、そういう方の御店は、立派な構えです。

 「エルシイ」さんで、コーヒーをご馳走になり⇒館内を見学させていただき、「坂福」さんへ向かおうとすると、Oさんが「では、「坂福」さんまでご案内しましょう!」とおっしゃいます。

 いやいや、そんな恐れおおいです。連絡をとって下さっただけで有り難いのに、同行して下さるなんて。世話焼きの方とはうかがっていましたが、それは恐縮です、と申すと、

 「いいんです。「坂福」のD君も、頑張っている、元気な社長で、きっと仲間になれるから、是非直にご紹介しますよ。」

 と、いうわけで、地元の重鎮・業界の大先輩にエスコートしていだいて、鳴り物入りで、現地入りし、結構なすき焼きをいただきました。牛は「いわて南牛」、ザクに玉ねぎが入っていて、麩が細長い焼き麩でした。

 食後にコーヒーをいただきながら、D社長から、八王子のこと、すき焼きのこと、向笠千恵子先生の「すき焼き通」は端から端まで熟読して、そこに載っているすき焼き屋は、のきなみ訪問したことなどをうかがいました。

 怒涛の勢いで語る、D社長の語り口は、講釈のように切れ味があります。そのわけを聞くと、なんと「講談人力車」として有名な、浅草の車夫・O氏に弟子入りして、やり方を伝授されたのだそうです。そして、さらに驚きなのは、D社長自らが講釈しながら、客を乗せて曳く、人力車が店にある、というのです。

「 住吉さん、お帰りの時は、車夫の装束に着替える間チョッとだけ待っていていただければ、駅まで人力でお送りしますよ!」

 いやいや、それは遠慮しておきます。住吉風情は、ゼンゼン、VIPじゃありませんから、駅まで歩いて行きます。それと、次回の「すきや連」には、Dさんも是非お誘いしたいと思っていますが、是非気楽におつきあいいただければ、と思ってます。

 ええ、本当に結構です、恥ずかしいですから、じゃなくて、時間がなくなってきましたので。長居いたしまして、スミマセン、もう帰ります。すたこらさっさ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「坂福」さんについては、こちらです。

*「八王子エルシイ」さんについては、こちらです。

老舗の味ーうん十年ぶりの鰻

 4/24に、「台彪会(たいひょうかい)」の工房見学会があり、その打ち上げ&懇親会が鰻の「川松」さんでありました。「川松」の後継者・A子女史が「台彪会」のメンバーでして、おかげ様で、とても楽しい宴会になりましたが、実は、その時隣席になった方から、「川松」さんについて、とても良い話しを聞きましたので、今日はそのことを書いてみようかと思います。

  隣席になった、Uキャスター販売のU社長は、私と同年配の方で、お父上(=会長)も存じ上げているのですが、ウチの父と同年配です。そのお父上にUさんが、「今日はこれから、初めて「川松」さんで鰻を食べるんだ。」と言ったところ、「何言ってんだ、オマエが小さい頃に、「川松」さんへは、何回も連れて行ってやったんだぞ!」と言われてしまったそうなのです。

 そう言われたUさんは、「そうだったのかな? でもあんまり、覚えてないなあ」と思いつつ、「川松」さんでの懇親会に出席しました。しかし鰻を食べた時、思ったそうです、「あ、この味は、自分もオヤジも好きな味だ。きっと、間違いなく、連れてこられてる!」

  Uさんは、鰻とご飯の両方を、上手に箸に載せてバクっと食べます。結構な分量を載せて、うまそうに、ズンズン食べていきます。その場で確認しませんでしたが、その食べ方もオヤジ譲りかもしれません。

  かつて、Uさんが小さい頃、一家は「川松」さんで、楽しい食事をしたのだと思います。ご家族とハッピーな時間を、そこで過ごしたからこそ、その時の味を覚えているのだと思います。その結果、味覚の継承が、次世代へキッチリ行われています。そして、味覚が継承されていれば、その料理屋さんにとっては、永続的なご繁盛につながっていきます。

  うーん、同業として、かなりうらやましいなあ、この話し。「ちんや」でも、こういう話しが聞かれるようにしないと。

 と書いている、私の横からヨメの冷たい視線が・・・

「いつまでパソコンにかじりついてるのよ? アタシもパソコン使うんだから! どうせ、また善人ぶったこと書いてるんでしょ。」

  え? だってそりゃあ、ホントに善人だもん。 ねえ、台彪会の皆さん。 ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「川松」さんについては、こちらです。

短くしようよー台彪会・工房見学会

 4/24に、「台彪会(たいひょうかい)」の工房見学会がありました。日程は以下のように盛りだくさんでした。1:江戸町火消し錦絵の第一人者・岡田親さんの工房⇒2:ご存知!カリスマ靴職人・末光宏さんの工房⇒3: スーパー「シマダヤ」さんのバックヤード見学⇒沖縄サミットにコーヒーを提供した、超有名喫茶店「バッハ」で小休止、のつもりが満員で入れず通過⇒4:打ち上げ&懇親会は、創業139年の老舗「川松」さん と充実しすぎの内容でした。訪問先の内、末光さん・「シマダヤ」さん・「川松」さんが台彪会の仲間です。

  台東区の若手サポートセミナー(二条彪先生のゼミ)は、9月開講⇒翌2月閉講というサイクルなので、今の時期は「夏休み」にあたります。それで、セミナー受講者のグループである「台彪会」が自主的に勉強会をしています。

 自主勉強会の一つ・工房見学会は、昨年に引き続き2回目です。今年は、さらに充実の日程となりました。皆、とても仲が良く、冗談を言い合ったり、情報交換をしたりする時間が楽しくて仕方ない様子です。そういった次第で、自然と日程も昨年以上に長時間になりました。

 見学先の皆さんは、どなたも腕のたつ方・目利きの方ばかりですが、御口の方も滑らかで、品物や人生にかける思いを熱く語って下さいました。勉強になります。関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

 見学を終え後は、「川松」さんで美味な鰻をいただきました。大満足の宴会でしたが、そこで撤収となることはありません。夜が更けても、場所を変えつつ、談論が尽きることはありませんでした。

  ああ、今日は面白かった。でも、疲れたなあ。

  そう言えば、打ち合わせの時「昨年のは、スゴク勉強になったけど、チョッと時間が長かったから、今年は少し短くしようよ。」と、台彪会会長たる私・住吉史彦が提案したのに、あっさり無視されたっけ。

  来年は、もっと長くなるのかなあ。途中に昼寝の時間を入れてもらうか。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台彪会については、こちらです。

「あとご飯」論争

 このブログの4/20の号にも書きましたが、カリスマ靴職人・末光宏さんを講師として「ちんや」に迎えて、靴の勉強会を開催し、その後で末光さんを囲んで、すき焼き懇親会をしました。桜鍋「中江」のN社長、「駒形どぜう」の若旦那W君、料亭「きよし」(墨田区向嶋)のA子女史などが参加してくれました。

  なごやかに靴談義をしつつ、鍋を食べ進めていく内、「ではそろそろご飯を」ということになりましたが、桜鍋「中江」のN社長だけは、出されたご飯に手をつけません。「?」と思ってみていると、「住吉さん、タマゴもらえませんか?」とN社長。

「え?すき焼き終わったのに、まだタマゴ要るんですか?」「ええ、だって「あとご飯」やりたくなっちゃったもんですから。」とN社長ニヤリ。

 「あとご飯」とは、「中江」さんのホームページによると、以下の通りです。⇒「鍋の残り汁に玉子を入れ、ふんわりと仕上げ、その玉子をご飯にのせて玉子丼のように食べるのが「あとご飯」です。肉や野菜のうまみたっぷりの玉子は、桜なべを食べた後にしか味わえない格別な味です。「中江で一番美味しいのは、あとご飯」という評判も立つほど・・・(後略)」

  なるほど、「中江」名物の「あとご飯」を「ちんや」でも試そうという作戦でしたか。

「ちんや」では、ご飯は、自家製の牛佃煮とみそ椀と共に召し上がっていただくことにしているのですが、そう言えば、「ちんや」でも「あとご飯」を試みるお客様がたまにおいでです。「中江」さんの影響でしょう。

 私としては、ずっとすき焼きを食べ続けた後は、何か食い味の違うものの方がよかろう、と思って、ご飯は上記の方式にしていますが、お客様が、「同じ食い味でも良いから是非」というのなら、それはそれで、その方の味覚ですので、まあ、やっていただけば結構、と思っています。

  そう話すと、今度は「駒形どぜう」君が、「ウチにも、そういうお客様がたまにおいでですね。でも、ウチの鍋は、「ちんや」さんより、ずっと小さいから焦げ付きやすくて往生するんです。今日のNさんみたいに、そろそろ鍋に入れて、丁寧に溶いてくれれば良いんですけど、タマゴを勢いよくドバっと入れて、噴きこぼす方がいらして、あれは困りますね。」

  その程度のこと気にするんなんて、天下の名店が、ナニ小さいこと言ってんの? とお思いの方には、私よりキョーレツなダメ出しをさせていただきます。どぜう屋さんは、永年使い続けてきた、鍋をそれはそれは大事にしています。「蒸気機関車の動態保存」とか聞きますが、鍋屋の鍋も、言ってみれば、「動態保存」のようなものです。丁寧に洗って、焦げや汚れをとり除き、錆びないように処置します。この時焦げが完全にとれていないマズいのです。

  皆さま、どぜう屋さんで「あとご飯」をする時は、何卒、鍋にご高配を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

  「あとご飯」の正しい作り方は、こちらです。「中江」の女将さん(=N社長令夫人)が肖像権フリーの顔出しで教えてくれます。皆さん、このページを印出してから、どぜう屋へ向かいましょう(?)

  ちなみに私は、どぜう屋で鍋が終わった後、残った割り下でネギを煮て、それをご飯に載せて食べるのが好きです。ただし、代金フリーのネギを利用するわけなので、分量は遠慮して・・・注文します。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

「ザキ」の名店、「ザキ」の牛鍋

 4/20火曜日の休みを利用して、「ザキ」の牛鍋=横浜・伊勢佐木町の「じゃのめや」さんに行ってきました。伊勢佐木町(通称「ザキ」)と浅草(通称「エンコ」)は、街の雰囲気がなんとなく似ていて、すき焼き屋が集中していることも似ています。曙町に美人女将の「荒井屋牛鍋店」さん、末吉町にブツ切り肉の「太田なわのれん」さんがあり、町名こそ違うものの、徒歩5分圏内です。この界隈は浅草に次いで、すき焼き屋が密集している、と言って良いでしょう。

 ハマのすき焼き屋3軒の内「じゃのめや」さんだけは、これまで面識がなかったのですが、是非ともお近づきになりたいと、お訪ねすることにしました。「じゃのめや」さんへ入る前に、まず、3/3の「すきや連」で大変お世話になった、「太田なわのれん」の、ご主人・Aさんにご挨拶。

  ついで、「荒井屋牛鍋店」の美人女将にご挨拶、のはずが、げげっ、今日は第三火曜なので、休業! 今日って第三の火曜だったんだ。仕方ないな、浅草から連れてきたヨメで我慢するか。

 気を取り直して、「じゃのめや」さんへ。個室へ通され、Y社長自ら部屋へお越しいただき、また土産まで持たせて下さり、恐縮してしまいました。「太田なわのれん」のご主人Aさんが、事前にY社長に、私のことや「すきや連」のことを説明して下さっていたからです。今回もお世話下さり、Aさん、本当にありがとうございます。

 さて、食事ですが、最初の肴も、ひとつひとつ手のかかったものでしたし、もちろん、すき焼きの肉もさすがのクオリテイーでした。鍋のデザインが、面白い形でした。また器類も趣味が良くて感心します。

 なお、ハマの3軒は、20年くらい前に集まって協議して、料理名を「すき焼き」でなくて「牛鍋」に統一したそうです。浅草では「米久本店」さんだけが「牛鍋」を称していて、その他は「すき焼き」です。

 次回の「すきや連」に、Y社長もお誘いしたいと思っています。どんどん仲間が増えて嬉しいです。すき焼き談義、いや牛鍋談義が楽しみですね。

「おやあ、住吉、今日は久しぶりにすき焼きの話しだねえ。マジメに仕事してんのか、コイツ、と思ってたとこだったよ。」

 いやあ、実はですね、先週のある夜、仕事を終えて、いつもの店に出動しましたら、なじみの姐さんから「住吉さんのブログすごく面白いけど、すき焼きのことがあんまり書いてないわよねえ。」とダメ出しを食らっちゃいまして。

 と、いうわけ(?)で、今日は、すき焼きの話しでした。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 *「荒井屋牛鍋店」さん(曙町)については、こちらです。

*「太田なわのれん」さん(末吉町)については、こちらです。

*「じゃのめや」さん(伊勢佐木町)については、こちらです。

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:15 AM  Comments (1)

靴の 松・竹・梅

 このブログの3/11号に書いた、末光宏さんを講師に迎え、勉強会を「ちんや」で開催しました。もちろん、靴についての話しです。「ちんや」従業員向けの、勉強会ですが、貴重な話しなので、浅草の飲食店の人達にも「良かったら是非聞きに来て下さい」と声をかけましたら、桜鍋「中江」のN社長、「ときわ食堂」のM君、「駒形どぜう」のW君、料亭「きよし」(墨田区向嶋)のA子女史、それから飲食店ではないですが、地元の書家のS女史も参加してくれました。

 この講演会の趣旨を、重複になりますが、もう1回書いておきますと、実は「ちんや」では「ちょっと嬉しい褒め言葉作戦」を実行したいと思っています。お客様の、お靴・お着物・お洋服・お持ち物を従業員にどんどん褒めさせます。基本的にいつも褒めることにしたいと思っています。

 それは褒めない方がむしろ不自然だからです。お客様の立場になってみれば、せっかく靴や洋服を整えて「ちんや」を訪問したのに、誰も褒めてくれなかったら、がっかりしますよね。外食に出かける、ということは、お客様にとっては、そういう手間がかかるわけですから、こちらは是非とも反応してさしあげないといけません。

  褒めて差し上げれば、お客様のご機嫌が良くなって、接客が格段にやりやすくなりますから、お客様も店も双方がハッピーです。そして、さらに、その「モノ」を造った、造り手の人もハッピーになります。

  もちろん、やたらめったら何でも褒めるのはカッコが悪いですから、モノの良し悪しを少しは知った上で褒めたい所です。そこで造り手の人に「ちんや」に来てもらって、従業員向けに、靴を褒める場合のポイントを教えてもらおうと企画しました。

 それが今回の、講演「30分でわかる靴の 松・竹・梅」です。

  カリスマ靴職人の末光さんは、手だけでなく、結構御口も滑らかで、「絶対おススメのメーカー」「ピンキリのあるメーカー」も教えてくれました。講演の後は、末光さんを囲んで参加者で懇親すき焼き。1時間で終わる予定でしたが、靴談義で夜が更けました。

  今後飲み会がある時は、今日仕入れた薀蓄をガンガン受け売りして、得意がってやるぞ。ひひひひ。これだから、カリスマ受け売り師はやめられない。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

討ち入り

 4/16は月に1度の、雷門横丁一斉清掃の日でしたので、参加しました。と申しますか、私は、「浅草雷門横丁振興会」の副会長でして、会が区役所から借り受けた、清掃用具や、「大江戸清掃隊」の揃いの法被は皆、「ちんや」でお預かりしていますので、この行事を主宰しないといけません。

 路面を皆で清掃するわけですから、雨がひどければ延期です。朝から冷たい霧雨が降っていたので、判断に迷いましたが、決行と判断。やると決めた以上は、ハリキッて、隊のツワモノ?どもを率いて奮戦しました。

  この行事は、平成18年に、「浅草雷門横丁振興会」が結成されて以来、欠かさずに月に1度行われています。暑い日も寒い日もめげずに続けてきたわけは、「この横丁をなんとしても清潔な通りにしたい」という共通の願いがあったからです。

  雷門横丁というのは、雷門通りのすじ一本北、つまり「ちんや」の裏の、細い通りなのですが、通りと通りの間の距離がさほどないので、雷門通りから雷門横丁まで敷地が続いている店が多く、そうした店は雷門通りに面して表口を、雷門横丁に面して通用口を設けています。で、平成18年当時問題だったのは、その通用口近辺、つまり雷門横丁に面した口の、ゴミの始末が、とてもだらしない店があったことでした。

  ゴミの始末がだらしない店の中に飲食店がありました。「ちんや」も飲食店ですが、飲食店は生ゴミを出しますから、始末をよほどキチンとしないと近隣にご迷惑をかけます。生ゴミにネズミやハエ、ゴキブリが寄ってくるからです。そして悪いことに、その店にはホームレスまで寄ってきてしまいました。ヤツが連日出没するので、とても困りました。

 もちろん、その店には何度も、個人的に申し入れをしましたが、口約束ばかりで、キチンとしたゴミ処理が実行されません。従業員に外国人が多く、オーナーが店をコントロールできていない様子でした。

  このザンネンな状態を解決すべく、一人の女子が立ち上がりました。ウチの裏の、もんじゃ焼き「O」のU子ちゃんです。ちゃん付けなのはずっと年下だからです。「雷門横丁に「通り会」を作って、組織の力でゴミ問題に取り組もう」という彼女の音頭とりで、浅草雷門横丁振興会が結成された時、私は副会長となり、生まれて初めて、年下の女性の上官をかつぐことになりました。 

 そういう次第ですので、私の役どころはさしずめ参謀長といったところです。会の規約の起草、設立総会の準備を進め、平行して「大江戸清掃隊」として区役所に公式登録をしました。「大江戸清掃隊」に登録すると、清掃用具が借りられ、また揃いの法被も借りられるのです。横丁のメンバーが徒党を組んで、汚い店(つまり、他人の敷地)に入り込むには、揃いの法被がどうしても必要でした。その法被が届いた時は、「これでやっと、あの汚い店に立ち入って掃除できるぞ」と興奮したものでした。

  やがて設立総会を経て、浅草雷門横丁振興会が無事結成され、最初の「一斉清掃」の日がやってきました。待ちに待った、討ち入り、じゃなくて立ち入りの日です。揃いの法被を着込んで、他人の土地に侵入し、当の店の人間が驚くのを無視して、ガンガンと掃除してやることができます。

  気分が高揚した私は、集まったメンバーを前にさけびました。

「おのおの方、積年の憂さをはらす日がまいった。今宵めいめいが本懐を遂げるべし!」

「エイ、エイ、オー」

  後日談ですが、あの汚かった店は倒産し、今のテナントさんに代わりました。今のテナントさんはキレいにしてくれているので、以前のような問題はなくなりました。毎月清掃することで、他の御店もゴミ処理に気を使うようになりました。また、会の共有でダストボックスを購入したので、さらに清潔になりました。 あーあ、興奮しないなあ、最近。

   お読み下さり、かたじけない。住吉由良之助でござった。

 *「ちんや」については、こちらです。

*「大江戸清掃隊」については、こちらです。

Filed under: 浅草インサイダー情報,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:44 AM  Comments (0)

ビールより なんとか

 4/15、浅草料理飲食業組合の研修会で、アサヒビールの守谷工場を訪ねました。この工場は、平成3年に竣工したのですが、私は竣工直後に訪問したことがありまして、2度目の訪問です。ですから、実は、行く前には全くワクワク感がなくて、「業界のおつきあいだから」というだけで参加を決めました。

  守谷工場はアサヒビールの工場の中では、3番目に新しく、本格的な見学コースを備えた最初の工場です。ホテルのロビーのように快適な見学コースがあって、赤い制帽が可愛い、ガイド嬢もいます。でも、実は、だからこそ私にとっては、再度訪問する意欲がわかない工場でした。立派すぎて、同じ敷地内にいるのに、見学者が造り手の人間からとても遠い感じがするのです。我々中小企業人にとって、こういう工場は「ひゃあ、スゴい近代的ですね、恐れ入りました、へへー。」で終わってしまうのです。造りの現場にいるリアリテイーがほとんど感じられなかったのが、前回の見学でした。

  今回の見学も、どうせそのような次第だろうと思って守谷(茨城県)へ向かいましたが、そういうこっちの思いを知ってか、アサヒの吾妻橋支店さんは特別プログラムをご用意くださりました。

  ホテルのような見学コースが終了した後、「それでは、これから従業員用スペースにお入りいただきます(!)」と声がかかりました。これが、本当に従業員用スペースでして、本日の出勤者シフト表(もちろん従業員さん方の実名!)を掲示したパネルの横を通過して進んでいきます。その間副工場長氏がつきっきりで、説明してくださいます。正規の見学コースは静かで快適ですが、こちらは稼動している機械のすぐ横を歩くので、轟音が響きます。副工場長氏、説明を絶叫。

  やがて進む内、アルコールチェック機というのを発見。ビールのアルコールをチェックする機械はありません。出勤してきた従業員の、体内のアルコールをチェックする機です。前夜に深酒した者を検知するのだそうです。ひえー。ごくたまに、本当に検知されて、作業に加われない人もいるとか。「そんなの検査されたら、俺なんか、週に1回くらいはひっかかるな」と浅草のK社長。「嘘つけ! キミは3日に1回はひっかかるよ!」と別の社長。まだ飲んでないのに、楽しくなってきました。

  従業員用スペースを見学させていただいた後は、醸造部長氏も参加しての、質疑応答タイムです。いろいろお尋ねする中で感心したのは、国内に何箇所もある、各工場のスーパードライを相互に点検して、評価しあっているというところです。もちろん、人間が自分の舌で点検するわけです。「味覚だけで、そのスーパードライがどこの工場の産かわかるんですか?」とお尋ねすると、「そりゃ、たいていわかります。でも、一番判別に迷うのは、実は、自分の工場で作ったドライなんですよ。よそが作ったのは、簡単に判別できるんですけどね。」

  うーん、大工場・大メーカーでも、最後の最後は人間なんだね。とても有り難く、勉強になりました。

  さてさて、見学の後にやることはもちろん、決まっています。それは、宴会!じゃなくて試飲会です。醸造部長氏が選んだビールを、「樽生・注ぎ方インストラクター」氏が注ぐのですから、マズかろうハズはありません。いざいざ、と勇んでいると、さきほど来、我々を案内してくれた、赤いお帽子のガイド嬢が、「それでは、私はこちらで失礼いたします。」と帰ろうとするではありませんか。

 「あれ、お姐さん、なんでもう上がっちゃうの? 一緒に飲もうよ!」と声をかけると、

浅草からずっと同行して来て下さった、吾妻橋支店長氏が、

「チョ、チョッと、住吉さん、彼女はまだ勤務時間中なんですよ。」そう言う支店長氏の目が笑っていなかったので、それ以上しつこくするのはやめにしました。

  やだなあ、支店長、冗談ですよ、冗談。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。