佐渡の金賞酒

「料飲三田会」の総会が「ちんや」で開催されました。

私は会の会計担当でもあるので、店の主人役に加えて、決算報告・予算の説明・領収書づくりもするわけで、当然ハードでした。

でも、この会の会合を自分の店でやっていただけるのは大変光栄なことですから、ハードだからと言って断る手はありません。

有り難くお請けいたしましたところ、業界の大先輩方が集まって来ました。

さて、今回の宴会のメインテーマの第一は御酒でした。

佐渡の尾畑酒造さんは私の同期で、「料飲三田会」の会員でもありますので、彼女に頼んでスペシャルなものを出していただきました。

・本年度新酒鑑評会金賞受賞酒

・「ワイングラスで美味しい日本酒アワード」金賞受賞酒などなど、デザート用まで。

「ワイングラスで美味しい」というからには、勿論ワイングラスで飲んでいただきました。ワイングラスは、ぐい呑みより酒の香気を楽しめます。

ワイングラスを多数使うと洗い物が大変なんですけどね、洗い場さんには頑張って貰いました。

さらに!燗酒は座敷の中で土鍋を使い湯煎で燗つけしました。

やはり湯煎は良いものです。温度を好きに調整出来ますし、土鍋は風情もあって楽しいです。

実は「座敷で土鍋で燗」はマイブームでして、実際の問題としては営業用には、かなり実現しにくいので、こうして自分が参加する宴会で、半ば趣味のようにやっています。

さて、二番目のテーマは消化酵素とデトックスです。

え、肉じゃないのか、って?

まあまあ、肉も旨いものを出しましたよ。でも、それは当然ですから。

旨い肉でも、御自宅に帰ってからモタレたり、翌朝出るものが出ないと困るんです。それに、「料飲三田会」は人生の大先輩が大勢見えますので、消化酵素とデトックスは重大なテーマなんです。

と、いうわけで消化酵素として「口がわり」の「パインのマリネ」。

先付の1点の「牛モモ肉みぞれ和え」の「みぞれ」には、パパイヤ・マンゴーを加える、といった感じです。

デトックスには、やはり野菜ですから、変わりザクが必要です。

熊本の「早獲り蓮根」、それに、

少し時期が早めですが、賀茂茄子をすき焼きに入れていただきました。

皆さん、食後の感じはどうだったのでしょう。

狙い通りに行っていれば嬉しいんですが、結局佐渡の御酒を通院イヤ痛飲。二次会の向島にまで繰り出しましたから、こういう細かい仕事の成果は行方不明だったかもしれませんね。

でも、まあ、いいんです、皆さん、喜んで下さったようですし、私も楽しかったですから。

う~い、ひっく。

以下は献立です。ご参考まで。

先付け① 馬鈴薯豆腐の銀餡かけ、サイ巻海老など

先付け② 牛モモ肉みぞれ和え、パパイヤ、マンゴー(消化酵素)など

前菜   

 浅草揚げ(本物の浅草海苔を使用)、

 味噌姫栄螺、

 蛍烏賊自家製スモーク、

 小芋雲丹焼、

 万願寺揚げ浸し

すき焼き肉 

 黒毛和種、雌、個体識別番号:1334603752、

 家畜改良事業団広島産肉能力検定場産

 平成22年8月28日生まれ⇒25年4月17日と畜

 肥育32か月、熟成6週強 

ザク 

 葱(千住葱)、

 豆腐(「市川食品」浅草)、白滝(同)、

 春菊(宮城県)、

 椎茸(群馬県)、

 江戸麩

変りザク 

 初獲り蓮根(熊本県)、

 賀茂茄子(京都府)

口がわり パインのマリネ(消化酵素)、

デザート 杏仁豆腐

日本茶  増田園総本店(浅草)  

<献立終わり>

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.191日連続更新を達成しました。

1.200日が近づいてまいりました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

 

 

すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために⑩

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開していますので、ご覧下さい。

長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開して来ましたが、本日が最終回です。

<以下本文>

さてさて、最後になりますが、なにしろ様々なことが色んな意味で、色々に多様化しているのが現代だと思います。

ですから、すき焼き業界も多様化し、お客様に食べ比べていただけば良いと思いまして、ある時調べてみましたら、実は既にすき焼きは結構多様でした。色んなすき焼きのことを知れば知るほど楽しいんです。その見本が、今日の会場の御店「太田なわのれん」さんですね。

では、どうやって、色んなすき焼きを知るようになったか、ですが、それは9年ほど前に遡ります。その頃向笠千恵子先生が『すき焼きものがたり』を雑誌に連載なさる、というので、そのスポンサーに成りましたら、その本に載ったすき焼き屋で集まって宴会しようという話しになりました。それが『すきや連』というグループの原型です。

その後14回の会合を重ねてまいりました。当時BSE問題の後で、「ライバルの足を引っ張っている場合じゃない」という意識がすき焼き屋同士を仲良くさせた、と考えております。

その連載が編集されて『すき焼き通』という題名の単行本に成りましたので、勢いに乗って、『すき焼き通の日』を制定しました。『すき焼き通』の刊行日だった毎年10月15日が、その日なんですが、日本記念日協会さんに公式認定してもらいました。

また、この楽しさを一般の人にも知っていただこう、と『すき焼き通検定』試験を実施しています。これは本当に試験でして、「大人の食育」と言っても良いものだと思っています。既に90人ほどが合格なさいました。だいたい、ですね、人に試験をするって実に良い気分でして、皆さんもトライしてみて下さい。

以上、この段では最近私がやって来たことを色々散文式にお話ししましたが、ネットをはじめとする技術が進んだから、何か違う方向に向かい始めたわけでは勿論ありません。手前どもの方向性は「商品としてのすき焼き」の段でお話しした通りです。

ネットは、そう方向性を強化するのを助けてくれる、そういう利器が使えて面白い時代に成った!と思っております。

繰り返しになりますが、すき焼きは「生活不用品」ですので、売りやすくはございませんが、日本に日本人の歴史が在る限り、「すき焼きの思い出」という商品は売れます。そして、そうすることで私はじめ働く者がハートに暖かい気持ちを持って働くことが出来ます。

今後も、新たな作戦を考え出しつつ、しかし方向だけは間違えずに進んで行きたい、そういう強い気持ちを、ただ今私は抱いております。

私も若い頃は、どういう店にしたものか、思い悩んだものですが、今は時計の針を戻せたとしても、この方向だろう、と思っております。

そのことを本日皆さんにご紹介できまして、大変光栄に思っております。時間も時間ですし、御後は楽しい宴会で、よろしいようでございますので、この辺りにて終わらせていただきます。

皆さん、お忙しい中、遠路お集まりいただき、また長時間の御清聴、誠に誠に有り難うございました。最後になりましたが、皆様の御店のますますの御繁盛を祈念いたしまして、今日の話しを終わります。有り難うございました。

<これにて長かった、この話しも終わりです。10日間の御愛読ありがとうございました。>

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。

不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。

ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.174日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために⑨

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

さて残り時間もあまりありませんので、弊店の現代社会への対応については簡単にお話ししましょう。

ネットが普及し、さらに近年はSNSが普及して来ましたので、そういった利器を使いまして、勿論、弊店の理念に沿う展開をいたしております。

まず『すき焼き思い出ストーリー』という、短文を投稿していただくサイトをつくりました。読むと結構泣けますので、是非お読みください。

またTwitterですき焼きをテーマにした川柳を公募しました、企画名は『すき焼き川柳on Twitter』でした。『思い出ストーリー』でも『川柳』でも、家族で食べたすき焼きをテーマにした作品が圧倒的に多かったです。

その、Twitterで集めた「すき焼き川柳」を使って、ただ今制作中なのが包装紙です。川柳の文字を散らしたデザインで包装紙を製作中しています。だいたい、ネットは短文と画像が好きですから、川柳のような短文がマッチしますね。

また先ほどご紹介した『牛っとハート』も、頻繁にFBなどにUPしていただいております。またブログは検索に引っかかりやすいので、私もブログも書いておりまして、本日1.173日連続更新をいたしました。お手すきの時にご覧いただけたら嬉しいです。もう1点。

次です。「思い出」を売らせていただく立場ですので、世の中にお困りの方がいる時は、お助けして当然です。具体例としては、黄蹄疫問題で『今こそ宮崎牛を食べる会』を開きました。これはTwitterユーザー向けチャリテイー宴会です。

東北の畜産支援では、『1千人の笑顔計画』を、今も続行中です。ご協力いただければ嬉しいです。この企画に参加なさったお客様には食後の笑顔写真を撮らせていただいて、ネットにUPします。そして御本人にもプリントして差し上げておりまして、その写真を次回ご来店時に持参していただくと、東北のお酒のサービスがあります。

つまり、その笑顔写真は、そのまま店にとっては「出されて嬉しいクーポン」なんです。店側が「出されて嬉しいクーポン」なんてものが存在し得るんでありまして、店サイドも楽しみながら取り組むことができます。

今時は、小企業でも社会貢献を!小企業こそ社会貢献を!と申し上げておきたいと思います。

その他の、最近の傾向として、健康志向や「デトックス」重視がありますが、それに対応するため弊店では「変わりザク」と称して具の野菜の種類を増やしてオプション販売しています。

だいたい、すき焼きは、実は野菜を食べる料理でもありまして、すき焼きの鍋に放り込んでマズい具材って、この世の中にあんまりないです。春はウドやフキ、新玉ねぎ、新たけのこなんて美味いですね。秋はキノコ類です。

和食屋の皆さんはそういうことが当たり前でしょうが、すき焼き屋は今まで季節感無しでやってきたものですから、この程度の変化でも新鮮味を感じることができます。

まだやっていない方は是非試していただきたいのですが、ツイッターに「すき焼き」と入れて検索しますと、色々な地方の、郷土色豊かな、すき焼きのことが出て来まして、そういう変わった具を発見して、採り入れたりしております。結構、楽しいです。

さてさて、最後になりますが、なにしろ様々なことが色んな意味で、色々に多様化しているのが現代だと思います。ですから、すき焼き業界も多様化し、お客様に食べ比べていただけば良いと思いまして、ある時調べてみましたら、実は既にすき焼きは結構多様でした。色んなすき焼きのことを知れば知るほど楽しいんです。その見本が・・・

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。

不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。

ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.173日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために⑧

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

まず弊社の経営理念は「心に残る思い出を!」という文言にしました。弊社は「すき焼きを売るのではく思い出を売る」という次第です。

それから例えば、ですが、「記念日割引」という制度を作りまして、その日は割引率が倍になるんですが、お客様が自分の好きな日を登録できる、というのがミソです。

勿論自分の誕生日を登録してもOKなのですが、むしろ多いのは奥様の誕生日とか、結婚記念日とか、お孫さんの誕生日、あるいはご先祖の命日もあります。不祝儀でも良いんです。会社をやっている人は創業記念日を登録して社員さんを連れて見える、というようなパターンがあります。

傾向を見ておりますと、男性は結婚記念日を登録なさることが多いですが、女性は自分の誕生日です、ゼッタイに。恐ろしいことですね、はい。

え~何でしたっけ?そう、そう、「記念日割引」という制度の話しですが、この制度の良い点は、どういう理由でお客様が見えたのかハッキリすることです。そしておめでたい日であれば、おめでたい趣向でサプライズのサービスが出来ます。

実は『牛っとハート』というネーミングを商標登録出願しているのですが、なんの名前かと申しますと、ハート型に成型した牛脂の名前です。最初に鍋の底に敷く脂の名前です。結婚記念日に見えた御夫婦には、その脂を使って、すき焼きをお作りするんですが、結構喜んでいただけます。またFBやツイッターにUPしていただいています。

そういった努力をしつこく続けて行けば、浅草のすき焼きを、その方の人生における必需品に入れていただくことも可能ではないか、イヤ絶対に可能だと確信しております。 

実際の問題としては、お客様にリピートしていただく、それも10年に30回、20年に60回、30年に90回といったペースでリピートをしていただく、ということを目指しております。浅草はそれが可能なんです。実は浅草と上野の間には寺町があってお墓があります。そこへ正月、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸と多くのご家族が通って来ます。春には墨堤の桜が咲きます。是非ともそういう機会にリピートをしていただきたいと思っています。

30年の間にはお爺さんが亡くなるかもしれません。しかしリピートは終わりません。30年の間に、お孫さんが成長して結婚して⇒そこにお子さんが生まれて、つまりかつてのお父さんがお爺さんの位置に上がりまして、新たな3世代が揃って「ちんや」へ来て下さいます。

人間の個体の単位で考えれば、お爺さんは死んじゃったんですから二度とリピートできませんが、家族単位ではリピートできるんです。生まれたお子さんにモノ心がついたら、今度のお爺さんつまりかつてのお父さんから聞かされるでしょう、オマエの曾爺さんの代から、ウチの家族はこの店に来てるんだぞ!って。それが弊店の理想形であります。

以上<商品としてのすき焼き>という段を纏めますと、すき焼きという商品は売り易くない、しかしすき焼きの思い出という商品は結構、売り易い、そう申し上げておきます。

だいだい、そうでなくては所謂「老舗」の存在意義なんてものはありません。そして、さらにもう少し申せば、家族を統一するのは味覚だと、私は思っています。そうしたご家族の平凡な幸せに貢献すること・平凡な思い出づくりのお手伝いをさせていただく、それが私と「ちんや」の役割・私と「ちんや」のミッションです。

さて残り時間もあまりありませんので・・・

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。

不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。

ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.172日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために⑦

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

さて<食べ物としてのすき焼き>を整理しましたので<商品としてのすき焼き>も見ておきましょう。

すき焼きという商品の特徴は「生活不要品」、つまり在っても無くてもOKな商品だ、ということです。

そう申しますと、そんなことないですよ!すき焼きは立派な食文化ですよ!日本にすき焼きが無くては困ります、という反応がたいてい返ってきますが、それなら税金で補助して貰えるんでしょうかね。貰えませんね。

歌舞伎すら松竹さんの民営ですから、すき焼きも民営で頑張る他ないですが、では、さきほど「そんなことないですよ!すき焼きは食文化ですよ!」と言っておいだった人は、果たして頻繁にすき焼きを食べて下さいますでしょうか?そこが、心もとないんです。

口で言うのはタダ。FBで「いいね!」するのもタダですが、我々が成り立つためには、時間を作り、予約を入れて、お金を貯めて、わざわざ浅草へ来て下さる人が大勢いないと困るわけです。

だいたい、今時はすき焼き以外にも美味い食べ物がいくらでもありますね。浅草以外にも遊びに行く所はあります。だから「なんか美味いものを食べたいな」という程度の意識のお客様がいるだけではダメなんです。

歌舞伎見物が生きがいという方がいますが、同様にすき焼きが無ければ自分の人生真っ暗、という位に、メンタルに入れ込んで下さる方を獲得することが大事だと思います。言い換えれば、その方の人生における必需品の中に、すき焼きを入れて貰わないといけない、と思っております。

はあ、すき焼きを必需品にって、そんなことが出来んの?っていうことですけど、出来なくもないんです、すき焼きには。

出来る理由は、すき焼きのイメージです。すき焼きは明治時代と結びついていて保守的なイメージだと、さきほど申しましたが、その保守的な感情が、家族で食事をする時の感情と結びつきます。それがすき焼き商売の原動力と思っております。

保守的な感情と申しましても「憲法96条を改正したい」とか、そういうことじゃあないんです、勿論。具体的には「正月は家族揃って浅草に初詣に行きたいね」「お参りの後は、すき焼きって我が家は毎年決まってるんだ」というような感覚を「保守的」と言ったわけです。そこに弊店が上手く嵌っていくことが、他の何より大事と思っています。

ところが、です、私はそう願っているんですが、ある年の暮に、ある御家族のお嬢さんが色気づきまして、お父さん、芸能人は正月はハワイに行くのよ、私もハワイに行ってみたい!と言い出しました。

何言ってるんだ、お爺さんもお婆さんも、オマエとすき焼きを食べるのを楽しみにしてるんだぞ!えーやだー、浅草とかすき焼きとか、私、前からダサいと思ってたのよ。それに私、英語を勉強したいの!

そう言われてお父さん、そうか、英語も習わせないとなあ、ということで、この一家はハワイへゴー、憐れ、お爺さんとお婆さんだけが浅草へ行きました。

行きはしたものの、オイ婆さん、オマエと二人ですき焼きじゃあツマラナいなあ。何よ、お爺さん、アタシだってアナタとじゃあツマラナいわよ、今日は帰りましょう!あららら~っていうことにならないようにするのが、浅草のすき焼き屋の、最も大事な仕事です。

私は、そう確信しまして、この10年ほど御家族づれ、それも3世代・4世代で「ちんや」へ来ていただくことに努力を集中して参りました。

ご接待の御客様も勿論弊店へ見えますが、ビジネスマン同士だと「すき焼き業界も改革のスピードを上げた方が良いんじゃないか!」とかツマらんことを言い出しかねませんね。で、ご家族での利用に集中して販促をして参りました。まず弊社の経営理念は・・・

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。

不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。

ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.171日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために⑥

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

では次に、ここで<食べ物としてのすき焼き>を別の観点で考えてみましょう。

まず、すき焼きは、そもそも動物性のタンパク質、タンパク質から出来る旨み成分のアミノ酸、それから脂肪を食べる料理ですね。その味付けは甘味が強く、牛肉をここまで甘く食べる料理は世界的にも珍しいと思います。

しかも、その調理を、熱源を客席に置くことによって客の目の前で行うのが特徴です。

すき焼きをする時、鍋の中でおきる化学反応をアミノカルボニル反応あるいはメイラード反応と言います。

アミノカルボニル反応と申しますのは、還元糖とアミノ酸を加熱したときなどに見られる反応で、この反応によりまして、褐色の物質が生成され、特有の香気成分が生成されます。加熱しなくても起きる反応ですが、加熱によって短時間で反応を進行させることができます。何しろ、砂糖と熟成させた肉を一緒にして加熱すると、素晴らしい香りがたつ、ということです。

カラメル様、チョコレート様、ナッツ様、時にスミレ様であったりと様々な香りを生じますが、この香りは、まともな生き物であれば、一気に食欲が増進される香りです。

しかも、それをバックヤードではなく、客席で行うのがミソでありまして、今思い出しただけでも胃液が出ませんか、胃液をさんざん出していただいてから、食べていただくのが、すき焼きの特徴です。

それから、客席に熱源があるという利点を、今後「未来のすき焼き屋」を創造するに当たっては是非活かそうと私は思っておりまして、例えばガス台に土鍋を載せて、徳利を湯煎して燗をつけると素晴らしく楽しく、美味しいですね。まだ試験段階で普通の御客様には出せていないんですが、たまに蔵元さん達と実験的に楽しんでおります。

また御飯も炊けるかなあ、とか夢想したりしておりますが、まあ、この話しは何分思いつき段階ですので、この辺にしておきます。

もう一つのすき焼きの特徴は香辛料~特に葱の硫化アリルを食べる料理だ、という点です。

初期の牛は肉用に育てられていませんから硬くて臭い肉でしたね。それでスパイスとして葱を加えたわけですが、葱は加熱すると今度は甘くなって野菜としても食えますから、実に便利です。すき焼きの第二の主役は葱だ!という理由は、そこです。

ですので、「未来のすき焼き」では、その他の色々な香辛料にトライしてみるのも楽しいのかな、と思っています。

実は私も去年初めて食べまして、ちょっと驚いたんですが、茅ヶ崎に「茅ヶ崎館」さんという、映画の小津安二郎監督が定宿にした旅館さんが在るんですが、この旅館さんが名物メニューにしている、小津風「カレーすき焼き」がなかなか旨いんです。旨いのが勿論一つの発見ですが、湘南の別荘文化・保養地文化の中にすき焼きを存在させるとこうなるんだ!というのも発見でした。

森さんという五代目の若旦那がいらして、別荘文化の再興運動も頑張っておられます。神奈川のすき焼きは横浜だけじゃないんだ!多様なんだ!ということをですね、是非、神奈川芽生会の皆さんに御承知おきいただければ、嬉しく思います。

すき焼きは、うーむ、まだまだ発見があるぞ、未来もあるぞ、とここで申し上げておきます。

もう1点、ここですき焼きの食文化史上の特殊性も指摘しておきたいと思います。

たいていの料理が、時間をかけてだんだんに日本人の間に定着して来たのに対し、すき焼きは幕末から明治初期の、ごく短期間に国民食になりました。すき焼きは明治時代という特定の時代と結びついています。日本人が近代化へのチャレンジを始めた時代つまり現代へと続く道を歩み始めた時代の、民族的な強烈な記憶とすき焼きはつながっています。このことが、今日すき焼きを商売にする人間にとっては非常に大事な点ですので、ここであらためて指摘させていただきます。

さて<食べ物としてのすき焼き>を整理しましたので<商品としてのすき焼き>も見ておきましょう。

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

昨夜放送された、TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場しました。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場しました。

ご覧いただいた皆さん、ありがとうございました。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.170日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために⑤

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

この辺りが牛のブランド化のさきがけです。

これ以前は、肉牛の生産と申しましても、最初は田圃で使役するわけです。ですので1960年頃(昭和30年代中頃)まで「肉用牛」とは言わずに、「役肉用牛」と言われていました。最初から肉牛として育てていなかったんですね。

それがブランド化の進展と並行して、「役」が取れていったわけです。で、肉質も変わって行きまして、今日皆さんが良く目にする所謂「霜降り」の肉が登場するわけです。

ここでもう一回整理しますと、「今半」「今朝」と言った場合、それは近代的で衛生的な屠殺場から牛を仕入れている、という意味のブランドで、次に神戸ビーフと言った場合は、牛が売られている土地のブランドで、その次に松阪牛と言った場合は、牛の生産地のブランドという具合に、ブランドの意味あいが変化してきたわけです。

3番目の産地ブランドが確立したのが昭和30年代のことでした。そして、さらに申せば、それ以降は、あまり画期的はことが起きていない、今は個人ブランドが2~3在ったりしますが、全体的にはあまり進歩していない、と申すことができます。

これ以上話すと愚痴が入りますが、なんか新しい発想ってないの?って私は思いますし、誰も出さないなら、オレが出そうかな!って最近は思ったりしています。

歴史の段の最後に、すき焼きと牛鍋について一回整理しましょう。先に結論を先と申しますと、すき焼きと牛鍋の間に何か重要な違いが在って明確に二つに分けられるわけではなく、すき焼きー牛鍋という合体した一つのカテゴリーの中に、結構色々な方法がある、というのが実態です。

まず、こちらの御店「太田なわのれん」さんは非常にユニークな方法で、サイコロステーキのような角切り肉を味噌で煮込みますが、料理名としては「牛鍋」です。ところが横浜の、ここから歩いて数分のところに「荒井屋」さん、「じゃのめや」さんという御店が在りまして「牛鍋」と称していますが、内容は「なわのれん」さんとは違いまして、普通の割り下を使う関東風のすき焼きです。浅草には「米久」さんという店がありまして、「牛鍋」と言っていますが、やはり普通のすき焼きです。

一方「すき焼き」と言っているのは「今半」系統の4社、新橋の「今朝」さん、小伝馬町の「伊勢重」さん、湯島の「江知勝」さん、神田の「いしばし」さん、銀座吉澤さん、それに「ちんや」です。

関西風すき焼きは、ご存知の通り割り下を使わず、醤油と砂糖で、すき焼きと言っています。松阪はじめ中京圏も醤油と砂糖で、すき焼きです。

また東京で関西風をやっている店として「岡半」さんという御店がありますが、さきほど申しました「関東大震災の後に東京に進出した店」ではありません。皆さんご存知の料亭「金田中」の創業者・岡副鉄雄さんが出したすき焼きの店が「岡半」さんで、開業は昭和28年です。

関東風と関西風の境目も押さえておきましょう。それは豊橋でして、家によって両派混在しているそうです。また豊橋には「小林」さんという、醤油と砂糖なのだけど、最初に野菜を入れる珍しい店があります。

トリビアですよね。飲み会トークの小ネタにして下さい。

では次に、ここで<食べ物としてのすき焼き>を別の観点で考えてみましょう。まず、すき焼きは、そもそも・・・

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。

本日5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.169日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために④

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

具材の内容ですが、牛肉を薄切りすることが、最初から定着したわけではなく、「なわのれん」さんのように、角切り肉を使う場合も少なくなかったようです。

野菜は最初は寂しくて、ネギのみの場合も多かったようですが、ネギは臭み消しのスパイスとして必需品だったので、ネギは必ず入っていたと思われます。

その後明治20年代辺りから大正時代にかけて、すき焼きは高級化を始めたようです。具体的にはザクの具が増えます。この頃白滝や豆腐が使われ始めましたが、この皿はザクザクと切ることから「ザク」と通称されるようになりました。

そして高級化では、関西の店の方がやや先行していた模様です。現存してはおりませんが、関東大震災の後に関西から東京へ進出したすき焼き屋があったと聞いています。店が現存していませんので、どういうすき焼きだったか、ハッキリとは分かりませんが、わざわざ東京へ進出する位ですから、創意工夫をこらし、気合いを入れて出て来たと考えて間違いはないと思います。

で、この傾向は東京勢つまり関東式の牛鍋屋には相当脅威であったようです。関東では牛鍋屋は当時「牛屋ぎゅうや」と言われて、あいかわらず下卑た店、という認識でした。「牛屋の女中」といいますと、下品で愛想が悪いが体力はある、という意味でして、これでは高級化できません。

関東大震災が起きて打撃を受けたところへ高級なライバルが現れたので大変だったと思います。

関東の牛鍋屋が「牛鍋」と言うのを止めて、「すき焼き」と言うようになったのは、この頃でして、中には、もう廃業した御店ですが『高等すき焼き』という名前にした店すらありました。ザクの具材も、おそらく「高等」にするために増やしたんだろう、と想像します。この御店は10年位前まで現存していて、最後まで『高等すき焼き』というメニュー名を使っていまいた。

「牛屋」と蔑まれているようでは、やっていけない、という恐怖感が、こんな滑稽な名前のメニューを産み出したんですね。

勿論牛鍋という名前を護っておいでの店もありますが、かなりの数の関東の牛鍋屋が名前を変えました。その背景は、そんな感じだったと御理解下さい。

さて、牛の話しよりザクの話しが先になってしまいました。牛のブランド化の話しもしておきましょう。今では全国各地に牛のブランドがありまして、牛と言えば「〇〇ぎゅう」ですが、ブランド化の歴史は、実はそんなに長くありません。

日本初の牛のブランド=神戸ビーフは生産地のブランドではなく、流通経路の途中の集積地の地名でした。神戸の居留地の外国人が肉を求めたことが、神戸ビーフの「そもそも」でありまして、ブランドと言いましても、今とはかなり感覚が違います。

「伊万里焼」は伊万里で焼かれておらず、伊万里は積み出し港の地名でしたが、それと似ていますね。今現在は兵庫県北部の但馬地方の牛のことを「神戸ビーフ」と定義していますが、明治時代には事情が違っていましたので、ご注意願います。

生産地の地名がブランドになるのは、1935年(=昭和10年)以降のことでありまして、松阪牛が『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになりました。しかし、この後すぐに日本は戦争に突入してしまいまして、第一回の松阪肉牛共進会が開始されたのは、戦後の1949年(=昭和24年)のことでした。

この辺りが牛のブランド化のさきがけです。これ以前は、肉牛の生産と申しましても・・・

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.168日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために③

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

時に皆さんは15代将軍・徳川慶喜のあだ名を知ってますか?「暴れん坊将軍」じゃないですよ!それは松平健さんですからね。慶喜は豚が好きで食べるので、「豚将軍」「豚一殿」とあだ名されていたんですね。将軍が豚を食べる位ですから、牛鍋屋も、もはやアングラではなく、公然と開業し始めます。

高橋音吉が「太田なわのれん」を創業しましたのは、そんな中のことでありまして、1868年すなわち明治元年のことでございました。

やがて牛鍋屋の開業ブームは横浜から江戸にも飛び火します。1867年に中川嘉兵衛という人が江戸のはずれ荏原郡今里村に屠牛場を設立しまして、江戸の牛鍋屋にも牛肉が供給されるようになります。

その場所は後の芝白金今里町、現在の白金台2丁目です。その辺りは今では、シロガネーゼのお洒落な街ということになっていますけど、当時は田舎だったんですね。

で、この屠牛場は近代的な屠殺場であったようです。当初は外国人向けが主でしたので、衛生的な取扱いには気をつかっていたようで、それで、今日の感覚からすると少し驚く話しですけど、この屠牛場で屠殺した牛がブランド牛になって行きます。どこで飼われていたか、ではなくて、どこで屠殺されたか、がブランドだったんです。

今でも「今半」さんとか、「今朝」さんというすき焼き屋さんが在りますが、「今」の字が入っているのは「ウチは今里村屠牛場~後には「東京共有屠牛場」という名前になりますが、そういうチャンとした所から牛を買っている、チャンとした店だ!」ということを主張しているですね。

ももんじや系の店でも牛鍋を出していたわけですが、「同じような料理だけど、私屠殺の牛は使ってないよ!」という意味が店の名前に込められているわけです。トリビアでしょう!次にカノジョと「今半」さんに行ったら話して自慢してみましょう。

さてさて、1872年ついに明治天皇が初めて牛肉を召し上がりました。そのことが報道されて、肉食は完全に解禁。解禁どころか、文明開化のシンボルになります。

1877年の東京における牛鍋屋の数は550軒を超えるほどであった、と伝えらえていますから、いかに当時の牛鍋のブームがスゴかったか、お分かりいただけると思います。今日すき焼き屋を続けている店のほとんどが、この頃に開業した者の生き残りです。

ただし、言い方は変わっていますね。関東では大正時代まで「すき焼き」と言わず「牛鍋」と言っていましたから、我々は牛鍋屋の生き残り、というのが正確です。

ここで昔の調理方法のこともお話ししておきましょう。

「なわのれん」さんの食べ方は味噌煮込みですが、このやり方は、今では珍しいですが当時は珍しい方法ではなかったようです。

明治初期の牛肉は、そもそも肉用に育てられていませんから固くて、また放血の仕方が上手でなかったために獣臭さがキツかったようです。それで、それを緩和するために、ぼたん鍋や紅葉鍋に類似した方法で調理したようです。つまり味噌仕立ての味付けでした。

後に肉質が良くなるにつれて、味噌から醤油と砂糖などで作る割下で煮る方法が主流になっていったようです。一方、関西では、皆さんご存知の通り、醤油と砂糖を事前に煮合わせないで、鍋の上で混ぜる方法が主流です。

具材の内容ですが、・・・

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.167日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために②

全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。

「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。

ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。

<以下本文>

私が住吉でございます。ただ今よりすき焼きの話しをさせていただきます。

「すき焼き屋がすき焼きの話しをするんだから簡単だろう!」って思っておいでの方も多いのかな、と存じますけど、今日は会場が同業の御店「太田なわのれん」さんでお話しするわけでありまして、自分の店じゃございませんから困りました。いい加減に出来ません。

軽口は無しで真面目に進めたいと思いますので(笑い)、よろしくお願い申し上げます。

さて最初に宣言しておきますが、すき焼きのルーツについては、諸説あって分かりません。今日のところは、いくつか説を挙げておく位でご勘弁いただきたいと思います。

まず「杉やき」ですね、「杉やき」と言いますのは、魚介類と野菜を杉の箱に入れて味噌煮にする料理で、1643年の料理本に出て来るそうです。

次の「鋤やき」は、鳥や魚を鋤の上で焼く料理のことで、こちらは1801年の料理本に出て来るそうですが、私は直接原典を読んではおりませんので、要するに、受け売りです。興味のある方はお調べになって、私に教えていただければ、と思います。よろしくお願い申し上げます。

この他に、肉を剝(す)いて薄くするので「剝き焼き」だという説もありますが、本当にそうした文献上の料理が受けつがれて来て、やがてすき焼きに成ったのか、私はわかりませんし、多分調べようがないですし、正直私はあんまり関心が無いです。それに皆さんも、そういう話しはつまんないですよね、だから「へえ、そういう説があるのね」位にしておいて、先に行きたいと思います。

はい、この部分に興味を抱いていた方には、ゴメンナサイでした。

さて現代のすき焼きに直結しているのは、江戸の街で密かに営業していた「ももんじ屋」または「ももんじい屋」の料理で、けものの肉を鍋物にして食べさせていたようです。当然、当時表向き肉食はタブーですから、「薬喰い」と称して、アングラで食べていました。

今でも猪肉を山鯨(やまくじら)あるいは「牡丹」と言ったり、鹿肉を紅葉などと言いますが、この当時の隠語が起源のようです。

獣の産地は江戸郊外で、農民が害獣である猪や鹿を駆除した時、それを利根川で江戸へ運んでいたそうです。牛や馬は害獣でなく役にたつ動物ですから、さらにタブー感が強かったはずですが、それでも牛肉・馬肉を食べさせることがあったようです。ここで食べられていた料理が今日のすき焼きの、直接の原型です。

今でも両国で1718年創業の「ももんじや」さんが営業していますね。両国橋を渡ると、すぐ右手のビルの外壁にイノシシが逆さまに吊るしてありますから、行けば「おおっ!」と思うはずですが、あの御店はそうした御店の生き残りです。

で、その「ももんじや」で食べられていた、牛鍋が明治時代になりまして解禁になるのですが、その前に幕末に「プレ解禁」がありました。「プレ解禁」の原因は言うまでもなく、日本に入って来た外国人の影響です。

1859年に横浜が開港しますと、居留地の外国人の需要に応えて、肉を調達する必要が生じました。当時は日本に畜産業がなかったため、最初は輸入したりもしたようですが、やがて日本国内で農耕作業に使った牛を、退役させて潰して食用にするようになりました。1864年には横浜に屠牛場が開設され、幕府から公認もされたようです。こうした流れに乗りまして、日本人も公然と肉を食べるようになっていきます。

時に皆さんは15代将軍・徳川慶喜のあだ名を知ってますか?

<本日分は終わり>

この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。

追伸①

TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.166日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)