一期一絵

読売新聞朝刊都民版に桐谷逸夫さんが描いている「一期一絵」のコーナーには、東京の懐かしいものが登場します。知人の経営する店が登場することもあるので楽しみにしています。
桐谷さんは谷中の町の画家として有名ですが、「一期一絵」では、谷中に限らず・建物に限らず描いておられます。でも、やはり私は建物の絵に魅力を感じてしまいますね。
最近登場したのは、新富町の、知人が経営する割烹料理店の建物でした。
店の名前は「躍金楼」さん。
読めない・・・
という方は、以前弊ブログの2016年11月3日号に書きましたので、そちらをご覧ください。
「躍金楼」さんは明治六年のご創業。新富町が芝居の町で、花柳界もある町だった頃の記憶を思い出させてくれるお店です。若旦那に、
読みましたよ!
とメールしましたら、
新富町では、段々と昔の面影が薄らいでおります。少しでも、粋な街となれますように精進して参ります。
いつも ありがとうございます。
と返信が。
是非そう在って欲しいと願います。

追伸、
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、こちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.103日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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ぶつ切り肉

どういう料理を「牛鍋」と呼ぶかについて、統一見解はありません。
統一見解がないので、インタビューなどで質問された時に往生するのですが、無いものは無いので仕方ありません。
そのように色々なタイプがある牛鍋屋さんの中で、横浜末吉町の「太田なわのれん」さんは、ひときわユニークな食べ方をさせるお店さんで、しかも「牛鍋元祖」と名乗っておられるので存在感がありますが、上記のように、その他の牛鍋屋さんも同じやり方をしているかというとそうではありませんで、最初に戻りますが統一見解はありません。
同じ横浜の「荒井屋」さんや、浅草ひさご通りの「米久」さんも「すき焼き」と言わずに「牛鍋」と言っておられますが、やり方は「なわのれん」さんとはかなり違います。すき焼き界は未だ天下統一されていないのです。
さて、その「なわのれん」さんを久しぶりにお訪ねしました。
「すきや連」の会場をお引き受けいただいたのが2010年。その後も二度ほどお訪ねしましたが、ここ3年ほどはご無沙汰しておりました。
「なわのれん」さんの牛鍋のやり方について、弊ブログの読者さんの多くはご存知かもしれませんが、念のため書いておきますと・・・
肉は全て「ぶつ切り」。サイコロステーキのようです。
「なわのれん」の初代音吉は、太田の地で鍋屋を始める前は、肉の串焼きを売っていました。「ぶつ切り」は、その名残りでしょう。
鍋は味噌仕立て。
これは肉の臭みを消すための工夫で、当時多くの牛鍋屋が採用していました。その後畜産業が発展し、臭みが減るにつれて味噌は次第に使わなくなりましたが、「なわのれん」さんは今でも味噌を入れていて、しかも貴重な江戸甘味噌を使っています。
「ちんや」が非常に甘辛い割り下を使っていて、それで肉に旨味が必要なのと事情は似ていると思うのですが、「なわのれん」さんの味噌入り割り下は甘辛いです。その割り下と拮抗させるため、「なわのれん」さんの肉には旨味がしっかりあります。私の好みですね。
かねてサイコロ肉を薄く切って、この味噌で煮てみたいと思っているのですが、こちらのお店の仲居さんが、そういうプレイを許してくれません。
今回も目を盗むことは叶いませんでした。残念。

追伸
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、こちらです。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

茶寮

「八雲茶寮」さんを訪ねました。
青木ゆり子さんと私とで開催したイベントに、八雲の料理長が来て下さったからです。
ゆり子先生の世界の料理や私のすき焼きを経験してみようというのですから、間違いなく勉強熱心な方だろうと確信していましたが、果たして、そうでした。
まずウエルカム・ドリンクが「煎茶のスパークリング」だと言います。「炭酸割り」と言わないところがオツですね。
お料理は、創意工夫に満ちていて、酸味を上手に使い、しかし優しい感じのお味でした。
クエの刺身が、小さい赤絵の角皿で運ばれてくて、付けられていた「炒り酒」が上品で深みのある結構なものでした。
ドリンクの「おまかせ」も出来て、その途中でお茶もはさむというのは良い案だと思いました。
親会社が建築・デザイン関係ということで、建物も庭も食器もすべておしゃれ。机の上に極力文字を出さないというのも斬新。
おデート向きと言えます。
ご馳走様でした。

追伸
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、こちらです。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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川の恵み

国際観光日本レストラン協会の例会が、天保8年ご創業の「福寿家」さんで開催されました。
「福寿家」さんが在るのは埼玉県吉川市。江戸川と中川に挟まれた地帯と言った方が分かり易いかもしれません。
徳川家康が江戸に来た頃、関東平野には未だ多数の湿地があり、川の流路も定まっていないところがあったようです。その関東平野を、徳川幕府は「改造」と言っても良いくらい治しました。
一番有名なのは「利根川の東遷」。利根川は、現在の茨城県に流れるようになりました。
「荒川の西遷」もやりました。荒川の治水が昭和までかかった件は最近、弊ブログの7月10日号に書きましたね。
「福寿家」さんが在るのは、その「西遷」する前の元荒川と中川が合流する地点のちょうど対岸。当日は川の向こうに沈み行く夕日が美しく、実に結構な思いをさせていただきました。
あ、そうそう、料理の件も書かないと。
・・・そういう次第で、この地は川魚料理が有名です。
特に吉川は鯰(ナマズ)が有名です。それを天婦羅にしたものと、薩摩揚げのように、挽肉にして揚げたものの両方をいただきました。
鯉の洗いは、酢味噌との相性がオツ。味博士に相性を測定してもらいたい感じです。
そしてそして、鰻。満腹。
先人の、血の滲む努力により関東では洪水に遭うことが少なくなり、現代人は川に関心を持たなくなりましたが、昨今の洪水をキッカケに川に関心を持ち、さらには川魚料理に関心を持てば・・・と私は思います。
そう、埼玉の食の名物と言えば、ガリガリ君ではなく、川魚なのです。
「福寿家」さん、御馳走様でした。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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大人のキッザニア

たまたま点けたテレビで視た時、
これは良いなあ!サイコーだなあ!
とすぐに思いました。
「大人のキッザニア」。
つまり「キッザニア」を大人が利用できるプランがあるのだそうです。
「キッザニア」は有名ですが、念のため説明しますと、
憧れの職業にチャレンジし、楽しみながら社会の仕組みを学べる職業・社会体験施設が「キッザニア」です。3分の2サイズの街の中で、お菓子職人、ピザ職人や消防署、運転士など約100種類の仕事やサービスを体験できます。
「キッザニア」を運営するKCJグループの住谷さんは、国際観光日本レストラン協会でご一緒する機会があり、素敵な経営者の方だとひそかにレスペクトしておりましたが、今回のアイデイアもサイコーです。
SNSでは「大人のキッザニア」に15万4千いいね!が来たそうです。
「おれ、パイロットになりたかったんだよなあ」
「本当は看護師が夢でした」
「過ぎ去った思い出がダダ洩れで、帰ってから少し泣きそうになった。めっちゃ楽しかった」
といった投稿がネットに溢れたそうです。
残念ながら、一般の大人が入場できるわけではないらしく、団体で「貸し切り」する方式なのだそうですが、一般向けにもやって欲しい、という要望が多数寄せられるのは確実でしょう。
サイコーだと思います、このアイデイア。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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蕎麦クイズ

「浅草うまいもの会」の総会が、蕎麦の「尾張屋」さんでありました。
毎度余興担当の私は、「蕎麦クイズ」を創りました。
さて、皆さんは、何問できますか?全部三択です。
<蕎麦クイズ>
・江戸っ子は蕎麦を粋に食べることを大変重んじ、蕎麦を食べることを「食べる」と言いたがりませんでした。では、粋な江戸っ子は、蕎麦を食べることを何と言ったでしょう?
1蕎麦をひねる 2蕎麦をたぐる 3蕎麦を流す
・江戸時代に江戸で蕎麦が大流行したのは、健康食品として食べられていたからですが、さて、蕎麦にはどの病気を予防する効果があるでしょうか?
1梅毒 2脚気 3盲腸
・江戸っ子が死ぬ間際に「一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりつけて食ってみたかった」と言い残して事切れる、という有名なオチを落語に付けたのは、十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)でしたが、さて、その噺の題名は何でしょう?
1そば清(せい) 2そば甚(じん) 3そば勘(かん)
Qそば屋の屋号には「〇〇庵」と「庵」が付いていることが多いですが、これは、あるお寺のお坊さんが、そば打ちの名人で、江戸時代のそば名人番付で有名だったからです。さて、そのお坊さんのいたお寺は、どこにあったでしょうか?
1芝 2本郷 3浅草
・地方の蕎麦の問題です。一口大の蕎麦を給仕係が客のお椀に投げ入れ、客がそれを食べ終わるたびに、次々とそばを入れ続けるというスタイルの蕎麦は「わんこそば」と言いますが、そのわんこそばの起源は、とある人が蕎麦を何杯もおかわりしたからだそうです。さて、そのおかわりした人とは誰でしょう?
1遠野の座敷わらし 2盛岡南部家の当主・南部利直 3岩手山の鬼
・そば店の名前の問題です。次の3つの蕎麦店の内、神田にないのはどれでしょう?
1やぶそば 2まつや 3更級堀井
・蕎麦を決まった日に食べる風習としては「年越し蕎麦」が有名ですが、さて、日本人のずばり何パーセントが大晦日に蕎麦を食べるでしょう?
132.5パーセント 257.6パーセント 375.8パーセント
<正解は明日の弊ブログで!>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.050日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

生衛組合

日本橋小伝馬町のすき焼き店「伊勢重」(いせじゅう)さんのご主人が、
東京都食肉生活衛生同業組合の理事長に就かれました。
私は遠い親戚でもありますし、2010年に第七回「すきや連」の会場をお引き受けいただいたこともありましたので、お祝い言上に行って来ました。
「生活衛生同業組合」という言葉は、部外者には???かと思いますが、
肉屋、料理屋、美容院、銭湯、旅館といった生活衛生にかかわる事業分野ごとに組織されている、厚生労働省監督下の団体でして、要するに、お上が発する衛生行政上の指導を、街中の店に伝達・徹底させる為の団体です。
ですので、言い換えますと、もっともオフィシャル度・シリアス度が高い団体と申せます。生衛組合の理事長が、その分野の代表者だと言っても良いでしょう。
随分な大役を請けられたものだと、頭が下がります。
お芽出とうございます&ご活躍を祈念致します。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.046日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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味で楽しむ会

「適サシ肉」と「ライスィな酒」の会を、磯蔵酒造さんと開催しました。
その趣旨は以前に書きましたので、そちらをご覧いただくとして、今日は、その日のお酒のラインナップです。
<まず乾杯には>
・「窖」一周年記念酒(純米吟醸原酒)
これは磯蔵さんの浅草売店「窖」(あなぐら)の開店一周年を記念したお酒で、「冷やして飲む」がコンセプトの純米吟醸原酒です。
基本的に磯蔵さんは、あまり冷やして飲むことを勧めしておられないようですが、今回は梅雨の時季でもありますし、まずは飲み易い冷酒で乾杯していただこう!ということでした。
ただし!これは、一筋なわでは行かないお酒です。吟醸づくりではあるものの、醗酵程度が中度の段階で醗酵を止めて甘味を残し、それを加水せずに原酒のまま飲もうというのが、このお酒。米は酒造好適米「愛山」ですから、糖質が多くて酸味・苦味は少ないので、「完全ライスィ」とは申せませんが、甘味をたくさん残しているので、「準ライスィ」でしょうか。甘いから冷やすのです。「愛山」を使って酔狂な造りをなさるものです。
<続いて前菜には>
・「稲里」純米大吟醸 山田錦
これは「山田」の大吟なので、「ノン・ライスィ」です。後に出て来る「ライスィ」と比べてもらうという趣旨です。
では前菜に合わないかと言うと、そうでもなく、「山田の大吟」ではあっても香りを付け過ぎずに醸造したタイプなので、味のインパクトが小さい和食の前菜となら相性悪くはないだろうということです。「なにげなくも、だからこそ美味しい」というのが狙いですね。
そういう次第で、「大吟」ですが、冷やさず常温で行きました。
<すき焼きには>
・「稲里」 純米 熟成出荷
この辺から「ライスィ」が登場です。吟醸造りではない原酒を常温で熟成したものです。しっかりした旨味が、お燗することでさらに華開き、肉や卵の旨味は勿論、割り下の甘味ともバランスするだろうという算段です。
当日は土鍋で燗をつけてお出ししました。土鍋で湯煎すると酒質がマイルドに感じるのです。うーい。
<続けて>
・「稲里」純米しぼったまんまの出荷(無濾過生原酒)
これも「ライスィ」ですね。原酒の熟成酒に続けて、今度は「ライスィ」な「生原」。文字どおり「しぼったまんま」です。
生酒は冷やして飲む事が多いと思いますが、冷やすのは品質管理上の都合でして、飲むことだけを考えたら常温もかなり良いものです。「すき焼き」と合わせるのであれば、なおさら常温ですね。
今回は、その「ライスィ」な「生原」を常温で「適サシ肉」にバランスさせようという作戦でした。うっ、うーい。
ここまでで絶好調に御機嫌になった方も多かったですが、
<飲み足りない人用に>
・「稲里」 純米 日本晴
これは穏やかな「ライスィ」です。低精米だからこその苦味・渋味・酸味のバランスが、呑み飽きしない味を実現しています。長時間の飲み会には、こういうのが良いですねえ。常温でもお燗でも行けます。意識の確かな方は、どうぞ・・・・
いやあ、飲んだなあ、ひっく。
最後に今更ですが、ここでこの日のコンセプトです。
「すき焼きと日本酒の相乗効果を、「こだわり」でなく「味」でお楽しみください。」
マーケットで目立つための過剰な「こだわり」を忘れてみたら、お酒の魅力がストレートに感じられると私は思います。それを磯蔵式に言えば「味で楽しむ」になるんだろうと思います。楽しい会でした。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.043日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

新入会員歓迎会

料飲三田会の新入会員歓迎会を開催しました。
会場は向島の料亭「きよし」さん。
例年花柳界入門会の会場として使わせていただいてきましたが、今年は思い切って、「新入会員さんは御招待」という形にしました。
本格的な和食の品々。
芸者衆の踊りや、お座敷あそびを、ひととき楽しみました。
受け入れ店として、ご尽力いただいた女将のAY子さん、
ご芳志を賜りました、UZ橋先輩、誠にありがとうございました。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.037日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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三角ビル

超高層ビルが老朽化で「大規模改修中」とは時代は巡るものです。
行ってきましたのは、新宿住友ビル48階の京料理「美濃吉」さん。
国際観光日本レストラン協会関東支部の総会でした。私は副支部長ですが、今回の出番は乾杯の音頭だけで楽をさせていただきました。
さて、新宿住友ビルは「住友三角ビル」と言った方が思い出す人が多かろうと思います。日本超高層ビルの中の老舗です。
竣工は1974年。完成当時日本一の高さを誇り、大変有名でした。また日本の高層ビルで初めて200mを超えたビルでもありました。
そのビルが今2020を意識して、大規模改修中とかで入口がだいぶ制限されたり、使えないエレベーターがあったりしました。
思えば、このビルは1975年竣工の「ちんや」ビルと同世代です。あちこちにガタがきているであろうことは容易に想像できます。弊ビルも、おととしエレベーターの付け替えをしまして、目ん玉飛び出るほどの額の投資をしたものでした。が、そういうショボい話しは、この辺にして、そう、お料理です。
お料理は、初夏の京名物が目白押しの内容でした。
一晩の食事の中で鱧、鮎、賀茂茄子という同じ食材が繰り返して登場して、印象が強い食事になりました。
鮎は、この時季ですから、未だ若鮎で、それを料理する前に、竹筒に入れて生きたまま運んできて客に見せ、それを後で焼いてまた持って来るというパフォーマンスもありました。
美味しくいただきました。ご馳走様でした。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.035日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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