五輪につながる、すき焼き

ソチ五輪の、日本選手団の主将にスキー・ジャンプの葛西紀明さんが決まった、という記事が報道されていました。

葛西選手は先日41歳でスキージャンプW杯史上最年長での優勝を飾ったことでも有名になりましたが、記事を読んで行きましたら、その葛西選手のスタミナ源は、なんと、

「札幌市内にある大正時代からある老舗のすき焼き屋さんだった。今回もそのすき焼きでエネルギーを補充してから、五輪につながる海外遠征に旅立つ」

と書いてありました。

ほお!

でも、残念なことに、すき焼き屋の店名が書いてないのです。

そこで、この記事をFBに貼り付けて、

ご存知の方は店名をお知らせ下さい!

と呼びかけましたら、札幌の同期生から反応がありました。

「札幌からです。「三光舎」ですね、旭川にもあります。」

なるほど、そうでしたか。

調べましたら、旭川の方が元ということのようですが、大正六年御創業とかです。

で、面白いことには、すき焼きに創業当時より代々受け継がれている『秘伝のみそ』を使う、ということでした。まだ私は行っていないので、ネットの受け売りですが。

昔は、すき焼きに味噌を入れる店はたくさんあったようですが、関東では横浜の「太田なわのれん」さん位になりました。

それが札幌に生き残っていたのですねえ。

「三光舎」さんには、ますます頑張っていただき、葛西選手にも御活躍いただきたいと思います。

オリンピックのテレビ観戦の楽しみが出来ました。

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肥前の妖怪

今年の台東区若手経営者サポートセミナーには「宿題」があり、読書感想文を提出することになっていますが、その提出日は1/14でした。

この時期は仕事上一年中で最悪に疲労している時期で、困りました。

お恥ずかしい話しではありますが、今回は短編で勘弁してもらいましょう。そうそう、読み残しの短編がありました。

司馬遼太郎の連作短編集『酔って候』に四作の短編小説が収録されていますが、その内の二作だけを読んで、二作を読み残しているのを思い出しました。それにさせていたくことに致しました。

その四作は、いずれも幕末の大名の生涯を描いたもので、

『酔って候』は土佐藩主の山内容堂の話し、

『きつね馬』は薩摩藩の島津久光の話しですが、この2作を読んで、そこで止まっていました。残りは、

『伊達の黒船』は宇和島藩主の伊達宗城の話し、

『肥前の妖怪』は佐賀藩主の鍋島閑叟の話しです。

で、今回感想を書きますのは鍋島閑叟(かんそう)の『肥前の妖怪』ですが、まずそのことを書く前に、話しは飛びますが、上野の彰義隊戦争のことに触れないといけません。

明治維新で江戸は「無血開城した」と言われていますが、上野の山だけは、そうは行かず、彰義隊と新政府方の銭湯がありました、イヤ戦闘がありました。

この戦いについて、私たちのような江戸の人間は彰義隊側から視ることがほとんどです。例えば上野近辺の老舗さん、例えば「羽二重団子」さんには彰義隊ゆかりの遺品があります。上野から敗走する隊士が店に乱入、刀や槍を縁の下に隠し、百姓の野良着に変装して北へ落ちのびた、と聞きます。

浅草は上野にごく近く、私個人も「羽二重」の御主人SW田さんと面識があったりしますから、どうしても、この戦いのことは彰義隊側から視ますが、今回『肥前の妖怪』を読んで、新政府方の視点を持つことが出来ました。

さて、ここでやっと上野と佐賀藩とがつながりますが、彰義隊を負かしたのは、実質的には鍋島閑叟だったと言えなくもないのです。

当時の錦絵を見ますると、戦災で寛永寺の伽藍が炎上する様子が描かれていますが、この火災を引き起こしたのは、佐賀藩が行った砲撃でした。

佐賀藩は本郷台の加賀藩邸つまり現在の東大構内に、アームストロング砲を引っ張り上げ、なんと不忍池を越えて砲弾を撃ち込みました。彰義隊がこの長距離攻撃に対抗し得るはずもなく、戦いは一日で終結。寛永寺は壊滅的被害を蒙りました。

へええ、そうだったの!

で終わってしまっては、しかし感想文に成りません。

本当に面白いのは、この戦いの経緯ではなく、そうした近代兵器を持つに至った、閑叟の生涯・閑叟の藩経営です。佐賀藩は幕府には秘密で兵器を開発し、銃や玉を生産していたのです。

その為に閑叟は、まず一代で藩財政を好転させ、その財力で軍需産業を築きました。小説の中の閑叟は、こう語ります、

「わしは襲封以来、商人のごとく厘耗の費えも惜しみ、銃砲陣、海軍をつくりあげてきた。半生のうち、庶人がするほどの贅沢もしたことがない。」

このように司馬遼は閑叟のことを、軍事力と経済力を信奉する異様な合理主義者=妖怪として描いています。そして、そういう人格が出来上がった理由として、若き日の2つのトラウマを挙げています。

・浪費家の父の遊興で藩財政が悪化し、借金取りの商人達によって、動き出した大名行列が止められてしまった事件。

・長崎湾にイギリスの軍艦が侵入した時、当時長崎守衛を任さていた佐賀の兵がまったく役にたたなかった事件。

この悔しさから閑叟は出発し、ついには薩長両藩をも恐れさせる軍事力を得たのです。

しかも、その全行程を幕府にはナイショで、藩内整然と成し遂げます。

自分は合理主義者なのに、藩士には『葉隠』武士道を強制し、後に早稲田を創立する大隈重信なども押さえつけます。下級武士が活躍できた薩長の雰囲気とはゼンゼン違うのです。

結局、幕末の動乱期に薩摩では西郷隆盛・大久保利通、長州では木戸孝允といった志士が活躍して時代を旋回させましたが、肥前においては、異様な人格の殿様がいて、その殿様が営々と築いた軍事力が大きな力を発揮しました。

一個の殿様の人格が、どの程度世の中を変えたのか、私は勿論正確なところは分かりません。でも小説なのですから、やはり面白い方が良いですね。

そこを司馬遼ですから、面白く納得的に筋を進めます。ここには書き切れませんが、閑叟の変わり者ぶりを描写するのに、きつね顔であるとか、癇病持ちとか、極度の潔癖家で性行為の後に何十回も手を洗ったとか書いています。

ともあれ、このようにして彰義隊は壊滅し、新政府は薩長土肥の四藩によって占められる結果となりました。

歴史というものは、色んなタイプの人物に登場の機会を与えるものですね。

明治維新は、カッコ良い人物のカッコ良い物語として描かれる場合が多いですが、この小説のおかげで他の捉え方もできました。

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英国政府観光庁の手引き書

英国政府観光庁が作成した、観光業界向けの手引きがネットで紹介されていて面白く読みました。

と申しますか、役所がこんなものを作るんですねえ!という感じです。

この手引きには、客の国ごとに「興味深いアドバイスが並んでいる」と言うか、ほとんど偏見のようなものも入っていて笑えました。曰く、

「カナダからの訪問客を米国人と呼んではいけない」

「ベルギー人には、同国の複雑な政治や言語圏の話をしようとしてはいけない」

~まあ、これは分かります。

「インド人は愛想が良いが、気が変わりやすい」

「ドイツ人とオーストリア人は総じて遠慮がなく要求が厳しいため、無礼で攻撃的に見えることもある。苦情には迅速に対応すること」

~うーん、ドイツ人が攻撃的っていう印象は無いですけどねえ。

「面識のないフランス人には、ほほ笑みかけたり、目を合わせたりしてはいけない」

~そ、そうでしたっけ?!

御盛んなフランス人に「気が在る」と誤解されると良くないっていう意味ですかね。だとしたら偏見かと。

「香港の迷信深い人には、歴史ある建物や四柱式のベッドで眠るのは幽霊が出そうだと嫌うので、勧めてはいけない。」

へえ。

そして日本人については、

「日本人客にははっきり「ノー」と言わず、もっと感じの良い言い方を考えなければならない。」

まあ、外人さんが断然No,で会話を始めるのに、私も違和感を感じないわけではないですが、そういう言葉なんだから仕方ないですよねえ。

例えば、私がロンドンのホテルで「王宮に行くにはホテルを出て右ですか?」と聞いた時、その方角が間違っていたら、ホテルの人の返答は、私が客でもNo,で始まるでしょう。

Noを使わずに、英語でなんて言うんでしょうか。今度試してみたいです。

「日本人の要望には、たとえ具体的に言われなくても、すべて先回りして対応すること。」

~ほお、それは助かります。日本人って、よほどのことがないとリクエストを出しませんからね。こちらの様子を観てくれて、先回りして下さるのは有り難いです。

考えてみますと、同じことが、外人さんを受け入れる日本の観光業者にも必要ですよね。

観察していて部屋の温度が「寒そう」であれば、言葉が通じなくても、人間同士なら分かりますから、暖房を強くしてあげるべきですね。

実に勉強になりました。

 

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記念講演

弊店の和食調理長・吉田裕一が東京都の「優良調理師」に認定されました。

これはスゴいことです。何がスゴいって、イノセ知事から貰ったんですからね、今となっては貴重です。

で、認定の記念講演をすることになりました。

と、そこまでは良かったのですが、どうも自由に話して良いわけではないらしく、都から御題が出されたのには弱りました。その御題は、

「すき焼き店における食育」しかも「世界遺産の件にも触れるように」との上意。

む、難しいですねえ。

弊店が食育に取り組んでいる点を御評価いただいた点は、まあ、有り難いのですが。

社長、相談に乗って下さいよ!と申しますので、まず整理からしてみることにしました。

さて、まず<子供の食育>ですが、弊店では以下のようなことをしています。

・作業場見学、肉切り体験

⇒国際観光日本レストラン協会の食育プログラム『夏休み親子体験』に参加

⇒台東区役所の『手作り工房マップ』に登録、常時見学を受け入れ。

・具材の栄養学

⇒小冊子『すき焼き百科』を作製・配布。平易に解説。

・外食する際のマナー

⇒これも『すき焼き百科』に掲載。

しかしですね、この位のことで、「食育」が出来ている、とはゼンゼン思えません。自分で言っては仕方ないですが、むしろ、

<大人の食育>の方が子供の食育より必要かも!と思ったりします。 

・明治以降の食文化史を、概略で良いから理解していただき、日本の味覚への愛国心をもっともっと抱いて欲しいところ。勿論、それをお子さんに伝えていただきたい。

⇒『すき焼き百科』の歴史を説明した部分は、実は大人に読んで欲しい。

⇒「すき焼き通検定」試験を実施。

しかししかしですね、それだけでもゼンゼンだめです。

<本当の食育>が必要です。それは、

・日本人の正しい味覚を獲得すること。家族で、その味覚を共有していただくこと。

⇒お爺ちゃんと一緒に、お爺ちゃんが好きなすき焼き屋に行くのが良い。

そう、すき焼き屋の本業そのものが、実は食育なんです。ですので、

⇒三世代揃って御来店いただけるよう、販促努力をしている。

例:「すき焼き思い出ストーリー」投稿サイトを開設

例:「すき焼き川柳コンクール」を実施

例:ハート型牛脂『牛ゅとハート』を商標登録

結局薬局お子さんの味覚がちゃんと育たないと、ダメだと思うんですよね。だから、

<世界遺産登録>は目出度いは目出度いですが、楽観はできないと思いますよ。

・一般家庭の日本人は、どんどん味覚や調理技術を失っている。それを世界から指定されて、果たして本当に大丈夫なのか、と思う。

・素晴らしい料理屋さんの、素晴らしい料理だけを指定して貰った方が良かったのでは・・・とすら思う。

(今回遺産登録されたのは、日本人の四季の暮らしに根差した和食なのであって、料理屋の料理じゃありません、念のため。登録を推進したのが京都の料理屋さん達だったので誤解している人がいるかもしれませんが、違いますのでね。)

・日本人が「安さ」「利便性」(=いつでもいくつでも買えること)という価値を「正しい味覚」より、価値として上位に置いている限り、世界遺産登録されたからと言って、にわかに状況が良くなるとは思えない。

・和食店も多少の努力はしているが、ごくたまに食育プログラムを企画する位では、大勢を変えるに至るとは思えない。小学校の給食に「和食の日」「すき焼きの日」「天麩羅の日」「寿司の日」を強制的に造る位のことが必要と思う。

これが、私の現時点での、食育についての捉え方です。

食育冊子は作りましたし、見学会・体験会もやりますが、どうも、それだけで自慢する気になれないんですよね、私は。

祝賀ムードを盛り下げてスミマセン。

もっとも、以上の内容を講演会で、このまんま話させようというわけではありませんよ。

住吉史彦の『そこまで言って委員会』じゃあ、ないですし、都の主催ですしね。

やしきたかじんさんの御逝去を悼み、心よりお悔み申し上げます。

 

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殿様葱

12月~1月前半にかけ、「変わりザク」として好評だった「大鰐温泉もやし」の後を受け、1月後半~2月用には「下仁田葱」が登場しました。

「下仁田葱」と言うと11月の「葱解禁」が有名ですが、むしろ一番寒いこの季節が一番旨いのです。

「すきや連」で旧知の下仁田葱農家KG沢さんにお願いしますと、有り難いことに毎週1箱分けて貰えることになりました。KG沢さんは、

寒中に葱を!

という習慣を日本人に根付かせようと目論んでおられるようで、喜んで葱を送って下さいました。

さて、待望の葱が届きますと、

箱には「到着次第二日間くらい日光に当て乾燥させ、白い部分(根)を下にして立てかけ、室内に置いて下さい。」

と書いてあります。芸が細かいです。

寝かせておくと、やがて自らの力で起き上がろうとして曲がってしまい、そのとき余分な熱が出たりして、味が変わってしまうため、立てて保存するのだとか。

そう、土から抜いても葱は生きており、食品で在る前に生き物なのです。

さて、ここで「下仁田葱」と、他の葱との違いをおさらいしますが、

・まず、太さ。「殿様葱」と言われる理由は、この存在感ですね。

・辛み=生の状態では最も辛みの強い葱です。火を通せば甘くなります。

・中心部の「トロリ感」

・流通方式=ブランド力維持のため、本当に美味しい冬の間だけ出荷します。夏の間はお休みで11月に「解禁」します。

通常のザクに盛られている「千住葱」との食べ比べをお楽しみいただきたいと思います。

 

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大寒卵

明日1/20は「大寒」ですね。

風水は、大寒の日に産まれた卵を食べることを勧めているとかで、それを「大寒卵」と言うそうです。

これを、あながち迷信と片づけない方が良いと思います。

寒い時期に産まれた卵は栄養価が高いからです。

大寒は一年で最も寒さが厳しくなる頃です。鶏はその寒さで本能的に産卵数が少なくなりますので、その中でも産まれた卵は、必然的に栄養価が高まります。

風水が面白いのは、それを金運と結びつけたところです。

「大寒の日に産まれた卵を食べると金運が上昇する」と言うのだそうです。

ただ「健康に良い」と言うより、そちらの方がそそられますね。上手いことを考えたもんです。

会社の社員さんに一個ずつ配るとかしたら面白いと思います。

さて「ちんや」精肉売店でも、この大寒卵を販売します。

寒い所の卵が良いわけですから、特に寒い所=日本海の風雪を浴びるような所で鶏を育てている養鶏場から卵を取り寄せることにしました。

その養鶏場は、新潟県村上市の「オークリッチ」さん。

今年の分は、まだ届いておりませんので画像をお見せできませんが、パッと見だけで栄養価の高さを感じていていただけると思います。

「ちんや」では1/22より販売開始します。

この企画は売店だけの企画です。「ちんや」のお座敷では、卵の必要量を「大寒」だけで賄えないので、通常のものを扱っていますが、そちらも寒中の卵ですから栄養価は高いと思います。

勿論「どうしてもオークリッチの大寒卵をお座敷でそれを食べたい!」という方がいったん売店で購入して、座敷へ持込みなさることはOKです。

そこまですれば、間違いなく、金運が上昇することでしょう。

大寒卵で、どうぞ、アベノミクスな一年を。

 

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レンタル着物

市場規模が縮小している業界のことは気をつけて観るようにしています。

そうしましたら「成人式の振り袖はレンタルが過半数超え」というニュースが目につきました。

報道によりますと、

「2000年当時の成人式で振り袖着用者のうち、購入者が50%だったのが2013年には20%を切り、2015年には17%まで下降するとみられている。一方でレンタル着用率は2000年に30%だったのが2005年に購入着用率を逆転、2015年には55%に増えると見込まれている」

「レンタル業者さんは昔からありましたが、5年ほど前からものすごく増えたなという印象です。それに伴って販売価格も下がっています。10年前は帯など含めて振り袖一式50万~60万円くらいが相場でした。でも今は、レンタルとの価格差を縮めようと一式30万円くらいが平均です。それでもレンタルを利用される方が今後も増えるのは確実でしょう」

着物を財産として持つ、という考え方が無くなりつつあるのですね。

そう言えば今年の初詣の人波の中にも、着物が実に少なかったです。

着物を買っても着る機会が少ないのですから、ますますレンタルに走る傾向になりましょう。なんとか、

レンタル出来る⇒着る機会が増やせる

という方向には出来ないものなんでしょうか。

レンタルが実売の代替にしかなっていない現状は悲しいです。

だいたい、

振袖=成人式と卒業式だけ

浴衣=花火大会だけ

というのはザンネン過ぎます。

こういう日以外にも、それぞれの人には、それぞれの記念日があるわけで、例えば、

お嬢さんが自分の誕生会で着物を着れば、お父さんも大喜びと思います。

そう、今の状況を改善するには、成人式で着物をレンタルしたお嬢さんと、そこで御縁が切れぬよう、なるべく個人情報を出していただく=言い方を変えれば御縁を作るしかないわけです。

誕生日を記念日として登録していただいて、その日はレンタル料が10%引きになるとか・・・あっ、それじゃ、どこかすき焼き屋の「記念日割引」と同じですな。

ともあれ「レンタルするな」とは私は申しません。合理的ではありますからね。繰り返しレンタルする内に買う気が起こるかもしれませんし。

でも、実売が苦しいからレンタルに、っていうのだけは是非止めていただきたいと思います。

 

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旅游法

ほお、Good Jobですな、中華人民共和国。

そんな法律を成立させていたなんて!Goodな法律じゃないですか!知りませんでした。

その法律とは「旅游法」。

観光業の秩序改善のために既に昨年10月から施行されていたのだそうです。

報道によりますと、

「中国の観光業では、廉価な観光ツアーに参加する客を土産物店に連れて行って買い物をさせ、店からのバックマージンで利益を確保することが一般的に行われてきたが、旅游法はこうした行為を禁止」したのです。

実はですね、このブログに、これまで何度も書きたいと思って、しかし書かなかったこと=それは「中国の観光業者の残念さ」でした。

彼らは顧客目線というものに乏しいと感じ続けていました。

観光客をいったん海外へ送り出してしまえば、後はお客様満足にはまったく無関心で、マージンの獲得ばかりに執着している、というのが、私の彼らに対するイメージです。

私が中国人インバウンドの受け入れに熱心でない理由は、コレです。この際だから、ハッキリ申しますけど。

しかし、この事を書けませんでした。正統な批判をしても、中国人に対する偏見と受け取られかねませんから、書くことを控えて来ました。

書けないことについては正直申してフラストレーションがありましたが、

なんてことはない、

中国自身が「観光業の秩序改善」が必要だと思っていたんですね。

なーんだ!

今日ここに書けて、スッキリです!

この法律を契機に、中国の観光業者の全てが、お客様満足を経営の中心に置くようになる日が来るかもしれません。

「リベートをたくさん払う店」より「本当に美味しい店」に観光客が送り込まれるようになるかもしれません。

 そういう日が来ますように、強く祈念します。

 

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円安か、円高か

外国人入国者数が「初の1000万人突破」だそうです。

報道によりますと、

「法務省入国管理局は9日、昨年の外国人入国者数は約1125万人だったと発表した。統計を取り始めた1950年以降で最も多く、初めて1000万人を超えた。」

「同局は「円安の進行で訪日旅行に割安感が出たことや、東南アジア諸国に対する査証(ビザ)の発給要件の緩和が影響した」と分析している。」

「外国人入国者数は2010年に過去最高の約944万人に達したが、東日本大震災と福島第1原発事故の影響で11年は約714万人に激減。しかし、その後は持ち直し、昨年は10年の記録を超えた。」

増えた要因については、円安やビザ緩和だけでなくて、日本の魅力が世界に伝わったからだと思いたいところです。1985年の「プラザ合意」以前も円安でしたが、観光客は大して来ていませんでしたからね。

でも、この記事では「円安やビザ緩和で・・・」となっています。

これと同時に、日本人は海外旅行しにくくなっています。

円が安いのですから、海外に行って豪遊することができません。年に一度ハワイに行くのが楽しみだ!という方には辛い情勢ですね。

韓国へは、あちらの大統領が反日なこともあって、特に日本人観光客が行かなくなっています。現地で日本人を相手にしていた観光業者が大ピンチとかで気の毒な話しです。

さて果たして、円安が良いのでしょうか、円高が良いのでしょうか。

自分が海外で消費したければ円高が良く、

外人さんに日本で消費してもらいたければ円安が良く、

輸出産業には円安が良く、

金融業には円高が良いですね。

受益者が違うので簡単に判断はつきません。最後は価値観で決める、この国をどういう国にしたいのか、で決めるしかありませんね。

思いおこしますと、「プラザ合意」から「バブル」全盛の頃に私は大学生でしたから、海外に出ると金持ち気分に浸れました。家庭教師のバイトで稼いだ小遣いで楽しく遊べました。

そういう気分に浸れて、では痛快だったかというと、勿論そんなことはなく、身分不相応な感じと申しますか、後ろめたい気分でした。それに、どうせ散財するなら日本国内で散財した方が、その土地の人に喜ばれます。

だから、結局円安派ですね、私は。

散財は、国内で致しましょう、日本人の皆さん。

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年に一度の

成人の日の3連休が過ぎまして、「ちんや」の営業も平常モードに戻りました。今は繁忙期をなんとか乗り切った安堵感があります。毎年のことながら今年も楽はさせてもらえませんでしたが、まずは「やれやれ」です。

思い出しますと、「ちんや」に入ったばかりの頃、私は正月がイヤでイヤで仕方ありませんでした。

何故って、正月はひたすらスタッフに消耗を強いるガテンな現場で、連戦の疲労から生じるミスがとにかく心配でした。

特に、正月は15時とか16時とか半端な時間にもお客様がどんどん入るので、休憩というものがまったく取れないのが辛いところです。

また売り上げが作れるとは言っても、それは観音様の御利益なのであって、自分の力で売り上げた達成感が、ほとんどありません。それもイヤな点でした。

だから、まず「ひたすら」感をなくさないといけませんでした。

で、一組の御客様の食事時間を「2時間半(=150分)」と明確に定め、1日の動き方の見当をあらかじめ立てて行動するように心がけました。

あらためて計算してみますると、

(150分×3組)+(予約と予約の合間の時間30分×2回)=510分=8時間半です。

このように、すき焼き屋の個室1室は、1日にせいぜい3組の御客様が使うだけなのであって、「ひたすら」感は、そもそも在ってはおかしかったのです。

1日の動き方の見当をあらかじめ立てていなかったから、「ひたすら」感を感じていただけだったのです。

休憩の件も、1日の動き方がハッキリ見えていれば、短時間の休憩を取ることができるようになります。決まった時間の2時間半を使い切らずに帰ってしまう方も結構おいでですから、そこから次の予約までの時間に一息いれることが可能になります。

次に「達成感」のことですが、お客様のデータを蓄積してみましたら、かなりモチベーションが上がりました。毎年見えている方が実に多かったのです。

そこで「毎年」の方は赤字で予約帳に書き込み、「毎年ありがとうございます!」と挨拶するようにしました。そうしましたら、

ウチの家族は1月2日にここへ来るのが、年に一度の、何よりの楽しみなんだよ!

と言って下さる方も多く、実に励みになりました。

「観音様の御利益」は勿論在るのですが、弊店の実力もかなり評価されていたのです。

「毎年」がハッキリして来るとさらに嬉しいこともあります。その御家族にお子さんが生まれていたりします。

勿論逆も。去年は見えたお婆ちゃんが亡くなって今年は見えないということもありました。

存じませんで「おめでとうございます!」と言ってしまい、申し訳ない形になってしまいます。

ともあれ、このように「毎年ありがとうございます!」と挨拶する、ただそれだけで見えて来るものがあります=正月の、弊店での食事をいかにその御家族が楽しみになさっているか。

こうして、ひたすらな消耗戦に見えていた風景は違って見えて来ました。

勿論、そうは言ってもキツいものは今でもキツいです。

また繁忙期の間、目の前のことだけに追われて長期的視野にたった仕事は何一つできませんが、そこは諦めるよりないですね。

年に一度の、何より楽しみ~それに貢献するのはキツいものなのです。

 

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