肥前の妖怪

今年の台東区若手経営者サポートセミナーには「宿題」があり、読書感想文を提出することになっていますが、その提出日は1/14でした。

この時期は仕事上一年中で最悪に疲労している時期で、困りました。

お恥ずかしい話しではありますが、今回は短編で勘弁してもらいましょう。そうそう、読み残しの短編がありました。

司馬遼太郎の連作短編集『酔って候』に四作の短編小説が収録されていますが、その内の二作だけを読んで、二作を読み残しているのを思い出しました。それにさせていたくことに致しました。

その四作は、いずれも幕末の大名の生涯を描いたもので、

『酔って候』は土佐藩主の山内容堂の話し、

『きつね馬』は薩摩藩の島津久光の話しですが、この2作を読んで、そこで止まっていました。残りは、

『伊達の黒船』は宇和島藩主の伊達宗城の話し、

『肥前の妖怪』は佐賀藩主の鍋島閑叟の話しです。

で、今回感想を書きますのは鍋島閑叟(かんそう)の『肥前の妖怪』ですが、まずそのことを書く前に、話しは飛びますが、上野の彰義隊戦争のことに触れないといけません。

明治維新で江戸は「無血開城した」と言われていますが、上野の山だけは、そうは行かず、彰義隊と新政府方の銭湯がありました、イヤ戦闘がありました。

この戦いについて、私たちのような江戸の人間は彰義隊側から視ることがほとんどです。例えば上野近辺の老舗さん、例えば「羽二重団子」さんには彰義隊ゆかりの遺品があります。上野から敗走する隊士が店に乱入、刀や槍を縁の下に隠し、百姓の野良着に変装して北へ落ちのびた、と聞きます。

浅草は上野にごく近く、私個人も「羽二重」の御主人SW田さんと面識があったりしますから、どうしても、この戦いのことは彰義隊側から視ますが、今回『肥前の妖怪』を読んで、新政府方の視点を持つことが出来ました。

さて、ここでやっと上野と佐賀藩とがつながりますが、彰義隊を負かしたのは、実質的には鍋島閑叟だったと言えなくもないのです。

当時の錦絵を見ますると、戦災で寛永寺の伽藍が炎上する様子が描かれていますが、この火災を引き起こしたのは、佐賀藩が行った砲撃でした。

佐賀藩は本郷台の加賀藩邸つまり現在の東大構内に、アームストロング砲を引っ張り上げ、なんと不忍池を越えて砲弾を撃ち込みました。彰義隊がこの長距離攻撃に対抗し得るはずもなく、戦いは一日で終結。寛永寺は壊滅的被害を蒙りました。

へええ、そうだったの!

で終わってしまっては、しかし感想文に成りません。

本当に面白いのは、この戦いの経緯ではなく、そうした近代兵器を持つに至った、閑叟の生涯・閑叟の藩経営です。佐賀藩は幕府には秘密で兵器を開発し、銃や玉を生産していたのです。

その為に閑叟は、まず一代で藩財政を好転させ、その財力で軍需産業を築きました。小説の中の閑叟は、こう語ります、

「わしは襲封以来、商人のごとく厘耗の費えも惜しみ、銃砲陣、海軍をつくりあげてきた。半生のうち、庶人がするほどの贅沢もしたことがない。」

このように司馬遼は閑叟のことを、軍事力と経済力を信奉する異様な合理主義者=妖怪として描いています。そして、そういう人格が出来上がった理由として、若き日の2つのトラウマを挙げています。

・浪費家の父の遊興で藩財政が悪化し、借金取りの商人達によって、動き出した大名行列が止められてしまった事件。

・長崎湾にイギリスの軍艦が侵入した時、当時長崎守衛を任さていた佐賀の兵がまったく役にたたなかった事件。

この悔しさから閑叟は出発し、ついには薩長両藩をも恐れさせる軍事力を得たのです。

しかも、その全行程を幕府にはナイショで、藩内整然と成し遂げます。

自分は合理主義者なのに、藩士には『葉隠』武士道を強制し、後に早稲田を創立する大隈重信なども押さえつけます。下級武士が活躍できた薩長の雰囲気とはゼンゼン違うのです。

結局、幕末の動乱期に薩摩では西郷隆盛・大久保利通、長州では木戸孝允といった志士が活躍して時代を旋回させましたが、肥前においては、異様な人格の殿様がいて、その殿様が営々と築いた軍事力が大きな力を発揮しました。

一個の殿様の人格が、どの程度世の中を変えたのか、私は勿論正確なところは分かりません。でも小説なのですから、やはり面白い方が良いですね。

そこを司馬遼ですから、面白く納得的に筋を進めます。ここには書き切れませんが、閑叟の変わり者ぶりを描写するのに、きつね顔であるとか、癇病持ちとか、極度の潔癖家で性行為の後に何十回も手を洗ったとか書いています。

ともあれ、このようにして彰義隊は壊滅し、新政府は薩長土肥の四藩によって占められる結果となりました。

歴史というものは、色んなタイプの人物に登場の機会を与えるものですね。

明治維新は、カッコ良い人物のカッコ良い物語として描かれる場合が多いですが、この小説のおかげで他の捉え方もできました。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.421日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: 台彪会,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM
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