甲州市

8/10、猛暑で40℃を超えた4地点は、館林市、甲府市、甲州市、四万十市でした。

このニュースを視て、甲州市ってどこ?

と思った方は多いと思います。

馴染みが薄いのは当然で、甲州市は2005年に「平成の大合併」で、塩山市・勝沼町・大和村が合併して発足した市です。そう、要するに、塩山と勝沼が合体したのです。

葡萄の業界・ワインの業界では非常に重要な地域ですが、合併したことで知名度がむしろ下がった感がありますね。この安直な市名は「旧市町村名を含まない公募の形」で決定したそうです。

こういう地名が最近他にも出来ましたね。

前沢牛の産地・前沢は「奥州市」に入ってしまいました。

この市名を聞いた時、私は、

岩手県なんだから「陸中市」だろう!

とツッコミたくなりましたが、歴史的には「陸奥国」という地名が、現在の岩手県や宮城県をも含む広~い地域のことを指していた時代もあるそうで、「奥州市」でもあながち間違いではないのだそうです。けっ。

だいたい、旧国名に州を付けて「〇州」という略し方が良く使われるかどうかは、多分に語感で決まっているような気がします。

『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』考えてみれば分かる通り、

下野国をGe-shuとはあまり言いませんし、飛騨国を Da-shuとも言いませんね。使われるのは語感の良い場合で、その代表がou-shuでしょう。

「長州力」のChou-shuも良く使われますね。

「上州の空っ風」のJou-shuも良く使われます。

江州Gou-shuは東京ではあまり使いませんが、「すきや連」で彦根に行きました時、地元では結構使っていることに気づきました。江戸のことじゃないですよ、近「江」国のことですから、念のため。

街道kai-douが音読みなので、

奥州街道、甲州街道

のように音読みで統一したい場合にも良く使われるようです。

語感がイマイチでも使われているのは、

茶の「石州流」のSeki-shuくらいでしょうか。

自治体の知名度UPのためには、語感が良い地名を使いたくなるの気持ちは分かりますが、ある一部の地域に対して国全体を意味する地名を付けてしまうわけですから、

どこのこと?と言われかねません。

だから私は「なんだかなあ」と思っています。勿論いまさら変えられないでしょうけど、農産物のブランド名として使うのは、さらに「いかがなものか」と思います。

特に青森県・岩手県・宮城県も含む広~い地域の中には、色々な地域があるのですから、同じ作物を植えたって、当然違うものが出来ますよね。

よくよく、そこはお考えいただきたいと思います。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.262日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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水の県

「しゅうすいいき」という言葉を日常的に使う人はあまりいないだろう、と思います。

私も、7/29「すきや連」の翌日にホテルの売店で見つけた、「びわこ検定」の解説本で初めて知りました。

「しゅうすいいき」の漢字は「集水域」でして、降った雨が、その河川や湖沼に流れ込む範囲のことを言います。分水嶺で区切られた範囲のこと、と言っても同じことです。

で、話しは滋賀県のことになりますが、滋賀県の地理的特徴として、琵琶湖の集水域と県の行政域がほぼ一致する、ということがあるそうです。

琵琶湖は近江盆地の中央にあり、周囲は山で囲まれています。

その山々を水源とする川が、一級河川だけで119本も琵琶湖に流れ込みます。この環境が淡海国を形成してきたわけですが、その琵琶湖の集水域が県の領域と同じなのです。

こういう県は、全国に3県しかありません。

山形県=最上川水系

山梨県=富士川水系のみです。

なるほど、たしかに3県とも豊かな農業県で、水を大切にする土地柄ですね。

特に滋賀県民は、琵琶湖研究所の研究員として水環境や農村生活を研究していた、カダさんを知事に当選させることで、「水の県」でありたい、という考え方を強烈に示しました。

カダ知事は、去年の総選挙ですっかりミソをつけてしまいましたが、私は、淡海国の水を護る政策は支持したいと思います。

今滋賀県では、中川畜産さんがボヤいておいででしたが、牛の畜舎すら「汚染水を出す施設」と看做されて、増設が難しいのだそうです。その施設から琵琶湖へ向かう下流域の、全部の町会のOKが出ないと、増設ができない、という規制があるそうです。

うーん。

化学工場と牛舎を一緒にするのは、いかがなものか、と思いますが、水に対する姿勢は評価できますね。

滋賀、山形、山梨。

「水の県」の動向には注目する必要があるようです。

気のせいか、3県とも、チョイ左な感じが・・・

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

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ソーシャルツーリズム

昼も夜中も冷房に当たり続けているせいで、咽喉が痛くなりました。

カラオケのせいじゃないのか って?!

ち、違いますよ!

これは毎夏の恒例行事なんです。去年・一昨年は、カラオケは控えめでしたが、やはり咽喉が痛くなりました。そう、猛暑のせいなんです。

本当に暑くて弱ります。

東京の真ん中に住んでいて特に困りますのは、夜中暑いことです。最低気温が30℃以下に下がらない、と言いますから、実に困ります。

さて、その原因ですけど、地球温暖化のせいもありましょうが、東京に人が集中しているのが、なにしろ良くありません。

休みの取れる人は、東京から出て行って欲しいです。そうすれば東京で冷房をまわす人が減りますから、少しは涼しくなるでしょう。

震災の後、政治家もコメンテイタ―も、日本人の暮らし方を根本から考え直して、使うエネルギーを減らすべきだ!って言っていたと思いますが、もう忘れたんでしょうか。

冗談ぬきに、多くの人が秘書に行けるイヤ避暑に行けるようにしないと、熱中症の患者がどんどん増えるんじゃないでしょうか。

観光庁さんは「休日分散化」「ポジティブ・オフ」で、休みに行こう!と言っていますが、効果はサッパリです。

もっと国を挙げて、国策として「夏は東京から脱出する!」ようにもって行かないとダメだと思います。

今ふたたび「ソーシャルツーリズム」という考え方を見直して、特に年配の方が涼しい所へ行けるように出来ないもんでしょうか。

ソーシャルツーリズム (Social Tourism) とは、

「旅行の機会に恵まれない人々に対して、観光旅行に参加しやすくするための条件整備を行うこと」

「具体的には、身体的事情あるいは経済的理由等により観光旅行に参加できない人を、国や地方自治体が支援の仕組みを整えることによって、参加できる状態にすること。例えば、休暇手当支給、各種割引措置、各種情報提供、廉価な宿泊施設の整備など」です。

日本では、郵政官僚が「かんぽの宿」をすっかり食い物にした結果、ソーシャルツーリズムのイメージがかなり悪くなってしまいましたが、ふるく1950年代には熱心に推進されていたようです。

ああいった宿泊設備は、ヒートアイランドをどうにかするという意味でも重要だ、と考えて⇒見直すべきなんじゃないか、そう思います。

一方、現役の人が休めるようにするには、やはり国民の休日を暑い時期に固めるしかありますまい。

「海の日」とか「敬老の日」とか、そもそもの根拠から離れてしまった休日はもうヤメにして、8月に休みを作りましょう。

8/6とか8/9とか8/15とか忘れてはならない日が在るわけで、歴史を風化させないためにも、そういう日を休日にするべきだと、私は思っています。

追伸①

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肉の大獄

彦根のすき焼き店「千成亭」さんが発行している『近江牛いまむかし』というパンフレットは非常に参考になります。

たいていの肉関係の本には、明治時代以降のことばかりが書いてありますが、この本には江戸時代の彦根藩の肉食文化・肉生産体制のことがくわしく書いてありまして、

へえ~

ということもいくつかありました。

印象に残りましたのは、桜田門の大老・井伊直弼による、牛馬屠殺禁止令のことです。

直弼以前の彦根藩は公然と牛を屠殺して食用にしていた、唯一の藩でした。一応アングラなので、「薬」と称していましたが、アングラにしては売り先が素晴らしくて、将軍さえも、その「薬」を楽しみにしていたほどです。

そういう次第で彦根の「薬」は有名で、全国にファンがたくさんいたのですが、それをイキナリ直弼は禁止してしまい、将軍家への献上も止めてしまったのです。

「烈公」こと、水戸藩主の徳川斉昭も彦根肉の味噌漬けが大好きで、禁令の後も、なにとぞ譲っていただきたい、としつこく催促していたようですが、直弼は頑として応じず、そこから水戸藩との間にしこりが芽生え⇒桜田門外の暗殺につながった、という説があります。それは、まあ、話しの風呂敷を拡げ過ぎでしょうけど。

私の印象に残りましたのは、家代々の産業をズバッと切ってしまい、異論を受け付けない、直弼の強情さです。そして、そういう性格に成った原因=幼少期の不遇時代のことが気になりました。

実は直弼は、第13代藩主・井伊直中の、なんと十四男で、兄弟が多かった上に母が側室だったこともあって、養子の行き先がなくて、17歳から32歳までの15年間を、「埋木舎」と称する質素な屋敷で過ごしました。

7/29の「すきや連」のついでに、私も、この「埋木舎」を見物して来ましたが、たしかに質素で、中級武士の家といった感じです。

この家で、ひたすら兄や甥が死ぬのを待つ、という暮らしを続けながら、直弼は熱心な仏教徒と成り、それが牛馬屠殺禁止につながって行くのです。

司馬遼太郎の『酔って候』を読むと分かりますが、幕末に活躍した人物の内相当人数が、それぞれの家の長男ではなく、養子や傍系親族でした。

徳川慶喜、島津久光、山内容堂、伊達宗城・・・皆長男ではありません。現代でも養子社長が大胆な事業展開をしたりしますから、納得できる傾向ですね。

直弼の場合、こうして出来上がった性格が、政局に大きな影響を与えたように思えます。その要因が、やはり無視できません。

将軍継嗣問題、条約勅許問題、安政の大獄といった直弼の政治行動に感じられる強情さは、「埋木舎」時代に形成され、それが極端に現れたのが肉の一件だ、と私はみています。

 追伸①

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金印カレー

皆さん、馬鹿にしてはいけません。

福岡の、新ご当地グルメ「志賀島金印カレー」を。

「きんじるし」じゃないですよ、「きんいん」です。

開発した当事者は大真面目なのです。

福岡市役所は、志賀島の集客促進プランを策定すべく、大真面目に委託業者「リクルートライフスタイル」と契約、地元住民と共に大真面目に商品開発に取り組んで来たのです。

なんでも、

「食と景観、歴史を3本柱に観光客を集めて地域活性化を図ることとし、プラン第1弾としてご当地グルメを開発することにした。」

「いくつかのアイデアの中からアレンジしやすいカレーを選び、ネーミングは全国的にも有名な金印にちなんで「志賀島金印カレー」に決めた」

のだそうです。

なに? カレーの中から漢委奴国王の金印を発掘できるのか って?!

いやいや。私も、この話しを聞いた瞬間、そう思ったんですけどね。違うそうです。

カレーの色が小金色イヤ黄金色なんだそうです。

まず、

「クミンやターメリックなど数種類の香辛料を調合し、どんな食材や調理法にも合うように辛みを抑えて食欲を刺激する香りを強めた「金印スパイス」を使用」

「旅館や食堂など8店舗が料理研究家のアドバイスを受けてオリジナルカレーを開発した」

・サザエやワカメなど志賀島の食材を使った「カレーさざえ丼」(700円)を出すのは「中西食堂」さん。

・旅館「浜幸家」さんはサザエの釜飯にグリーンカレーを合わせて食べる新感覚の「磯のグリーンカレー御膳」(1500円)で勝負。

・野菜たっぷりの「彩り野菜とレモンのスープカレー」(1100円)を出す割烹旅館「こみね」さんは「夏バテ気味の胃袋にぜひ」と話している、とか。

開発全体のプロデュースを務めた「リクルートライフスタイル」の客員研究員・佐藤真一さんの理論では、

「おいしいだけでは売れないのがご当地グルメ。ストーリーがあって面白く、なおかつおいしければリピーターが生まれる」

「金印カレー」については「金印のイメージにつながる黄金色のスパイスの開発などストーリー性があり、各店舗のメニューも専門家の指導で丁寧に作ることができた」

ストーリーがあって面白く、なおかつおいしくなければ売れない、というのは、私も同感です。その通りでしょう。でも・・・

いや! 馬鹿にしてはいけません、「金印カレー」を。

食べてみれば、古代からの歴史ロマンに浸れるかも・・・しれ・・ません。大真面目です。

(注)志賀島は勿論元々は島でしたが、砂州により福岡本土と陸続きになって、現在は福岡市に属しています。

追伸①

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サバ缶

フード・ファディズム (food faddism) とは、

「食べものや栄養が健康と病気に与える影響を過大に信じること」

「科学が立証した事実に関係なく何らかの食べものや栄養が与える影響を過大評価すること」「科学が立証したことよりもその影響を信じ固執していること」

ですね。この単語を、もうご存知の方も多いと思います。

さて、久しぶりに登場した、フード・ファディズムのスターは、

サバ缶。

今売れまくって、品薄状態が続いているのだそうです。

サバ缶が売れまくる原因になったとされる番組は、

7月30日放送の朝日放送『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』の特集「やせるホルモンで病の元凶【肥満】を解消SP」。

まず、スリムな人が多いという山形県村山市の食生活を紹介し、

「スーパーで買い物をする人の特徴はサバ缶を買うことであり、サバ缶を使った料理を市民はたくさん食べている」

で、スタジオに登場した肥満治療の第一人者、小田原雅人東京医科大学主任教授は、

「どんな人の身体の中にもあるホルモン「GLP―1」がその鍵になる」

「GLP―1」は必要以上の食べ過ぎを抑えて、糖分が腸で緩やかに吸収される働きを持つ「やせるホルモン」であり、小腸を刺激する食べ物を摂ることによって分泌が促進する」

「その食べ物とは、食物繊維と、サバ缶だ」

さらに、この番組は、

「やせる努力をしなくてもやせられる物質が存在する」などと煽っていたそうで、それでダイエットに興味のある人たちが飛びついてしまったようです。

ネットでも、サバ缶の品切れについて話題沸騰のようです。

以前に「納豆ダイエット」で納豆を品切れにした番組『あるある大事典』は、データや大学教授のコメントなどを捏造していたことが発覚して、打ち切りになりましたよね。今回は大丈夫なんでしょうか。

いやはや。

どこかの局で、

「すき焼きを食べればやせる努力をしなくてもやせられる」

と言ってくれないかなあ。

そういう番組ならスポンサーに成りますよ。

追伸①

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開園160周年

浅草の遊園地「花やしき」さんが開園160周年を迎え、記念セレモニーを開いたそうです。

そもそも「花やしき」さんは、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)に、造園師・森田六三郎が牡丹や菊細工を見せるための、文字通り、花やしきとして開園したのが始まりです。

その後、浅草奥山が流行の地になるにつれ、珍獣・猛獣を飼育・展示する動物園のような施設に変貌、五階建てのランドマークタワー「奥山閣」も建設したりして、なかなか華やかだったようです。

「奥山閣」は最上階に鳳凰を載せていたので「鳳凰閣」とも言われ、「ちんや」が所蔵する開化絵で、その姿を見ることができます。

その後、関東大震災や戦争で一時閉園。戦後の昭和24年に娯楽機メーカー経営の遊園地として再開されました。

いったん経営危機に陥りますが、親会社が変って最近はご盛業です。

今の体制になってからは、「夜間貸し切り」といった、斬新な商売のアイデイアが出て来るようになってきました。

これに目をつけたのが茨城県酒造組合さん。

「夜間貸し切り」で「地酒祭り」を開催したのです。

30社以上の酒蔵が出品し、フードも多少ありまして、園内のそこここで、700人もの人々が酔態を繰り広げる、という催しが、既に2回開催されています。今年の10/11にも、その第3回があるというので、私は非常に楽しみにしています。

「花やしき」さんの、ますますの御盛業を記念します。

 追伸①

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使いこみ

「すき焼き思い出ストーリー」に、また投稿がありました。

今回の投稿の主は実は私の知人なのですが、彼が「使いこみ」をしたことがあるとは知りませんでした。

衝撃の過去と、最後はチョット泣ける「すき焼き思い出ストーリー」。傑作です。是非お読みください。

<以下本文>

私の祖父は終戦後に兵庫県芦屋市という地に精肉店を開き、その後美味しいお肉を食べさせる旅館業をはじめ、現在も精肉店とホテルという形態で続いています。私は末娘の長男ということもあり、祖父からとても可愛がってもらいました。
祖父の可愛がり方は、好きな物を買い与えたり、お小遣いを多くくれることもそうなのですが、何よりも質の高い但馬牛をいつも私に食べさせることでした。可愛い孫に美味しい牛肉を食べさせたいという思いと共に、私自身を「肉のエリート」として育成する狙いもあったと思います。
成人する頃には、育成が本格的になり、買付けに同行させられ、その場で牛肉の善し悪しを直接指導されました。しかしながら私自身、継ぐ気が全くなかったので、それはとても迷惑なことではあったのですが、優しくしてくれる祖父にそのことを明確にすることは出来ず、のらりくらりと祖父の「早く継げ!修行しろ!」という言葉をかわし続けていたのでした。

そんなある日、私を呼び出した祖父は、10万円が入った封筒を私に手渡し「三重の松阪牛の名店である和田金さんに行って“すき焼き”を食べて勉強してきなさい」と言いました。
当時20歳、遊びたい盛りの私は、その封筒を受け取り「わかりました!行って参ります!」と言いつつ、当時どうしても欲しかった物等を買い、“すき焼きでは無い食べ物”をお腹いっぱい食べ、文字通りの「散財」を行なってしまいました。
若気の至りでは済まされぬ背任行為。しかし、いつも甘やかされるだけ甘やかされていた当時の私には、さほど反省の気持ちもなく、数日後祖父に平然と「和田金さんに行ってきました!さすが名店の味!でした~」等と調子の良い報告を済ませたのですが・・・。

それから4年後、祖父は胃がんでこの世を去りました。
最後の最後まで私の名前を呼んでくれた祖父。死ぬ間際まで「美味い牛肉が食べたい」と言って亡くなった祖父。私の心の中には、優しくしてくれた多くの思い出と共に、和田金さんに行くように渡されたお金を別の事で使ってしまった後悔がありました。
情けないことに亡くなってわかる祖父の存在の大きさでした。以降、すき焼きを見る度に胸の奥がチクっと痛む、そんな日々が過ぎていきました。

そんな日々の中、私は祖父が我々家族に残してくれたお店で一生懸命すき焼きを売っていました。それが一番の供養であり、祖父への罪滅ぼしだと思ったからです。
お店に来るお客さんが「ここのすき焼きは美味しいねぇ~」と仰ってくださる度に、少しづつ私の心の中の懺悔の思いが軽くなっていくような気がしていました。

そういう私を見ていてくれていたのでしょうか。ある日、フード作家の向笠千恵子先生から取材の電話がかかり、その対応を僕が行なったご縁で「すきや連」という素晴らしい会の一員に加えて頂きました。
「すきや連」では、毎回各地の名店ですき焼きを食べる例会が行なわれるのですが、なんと第十一回目の例会が和田金さんで開かれることになったのです。勿論、私はすぐに参加を表明しました。
和田金さんに向かう道中、私は車窓から空を見上げ、亡き祖父に向かって「ようやく約束を果たすことが出来ます」と呟いていました。

そしてついに、私は和田金さんのすき焼きを口に運ぶことが出来ました。
自分で稼いだお金で祖父との約束を果たせた喜びも大きかったのですが、何よりも祖父が、なぜ私にこのすき焼きを食べて勉強しなさい!と言ったのかが、本当に伝わってきました。一つのすき焼きの味を通して、私は亡き祖父と心を通わせている、そんな感覚が私を包んでいました。
とろけていく霜降り牛の味を噛み締めながら、何度も何度も心の中で「おじいちゃん!ごめんなさい!」と呟きながら、でもいつしかそれは「おじいちゃん!美味しい!」に変わっていました。

子供の頃からいつもすき焼きが身の回りにある生活を送ってきましたが、この日のすき焼き以上の味は無いと思います。
牛肉が大好きだった祖父。その祖父の心が込められたすき焼きという食べ物を私は愛しています。すき焼きを食べるといつも祖父に会えるのですから・・・。

<終わり>

その他の「ストーリー」は、こちらでご覧いただけます。

追伸①

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ハート長官

『牛ゅっとハート』がついに商標に成りました♡

あの、「ちんや」のハート型の、すき焼き用の牛脂に名前がつきました♡

登録第5599742号♡

商品区分♡第29類♡牛脂♡

商標権者♡株式会社ちんや♡

登録日♡平成25年7月19日♡

この商標は♡登録するものと確定し♡商標原簿に登録されたことを証する♡

特許庁長官♡羽藤秀雄♡

と原文のママFBに早速UPしましたら、多数の方から「いいね!」を頂戴しました。皆さん、誠にありがとうございました。

そんな中、

「登録日が29の日でないのが唯一残念ですね(笑)」

というコメントも。

うーん、それでは、7月19日を『牛ゅっとハートの日』に私が認定したいと思います。

続いて同じ方のコメントなのですが、

「よく見ると、特許庁長官がハトーさん!?これは神がかってますね!」

私は、良く調べずにハネフジ氏かと思っていましたが、このコメントを読んで調べましたら、たしかにハトー氏でした。

ハトー秀雄長官は、

昭和56年東大法学部卒。旧・通商産業省入省。読み仮名の予想は外れましたが、ここは予想通りです。

昭和59年フランスENA留学。ほお、スゴいです。

大臣官房審議官、資源エネルギー庁の部長、消費者庁審議官を歴任、いったん外郭団体へ出た後、平成25年に特許庁長官に就任なさったようです。

昭和63年卒の(東大じゃないですが)私と7歳しか違わない人が、もう出向とか経験して、返り咲いて⇒長官にまで成っているのですねえ。

で、返り咲いた、その日付が今年の7月1日。その御陰様で、

ハート牛脂をハトー長官の手で登録していただくことが出来ました。

目出度いです。

たしかに、神がかってますな、通産人事。

追伸①

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皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.254日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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土曜の「うし重」

土曜の「うし重」を、地下1階カジュアルレストラン「ちんや亭」でやっています。

すき焼き用のベストな肉を重箱に入れて、外見はまったく鰻重同然にお出しします。それに「やげん堀」さんの山椒と七味、それから奈良漬けが付いてます。

もちろん親父ギャグですが、食べれば旨いと思いますよ。是非お召し上がり下さい!

・・・と、ふざけてますが、真面目な意図もありまして、

・牛の美味しい食べ方と、鰻の美味しい食べ方には共通点があることを知っていただく。

⇒「鰻好き」の方に「肉好き」にも成っていただく。

・浅草にはスパイスの素晴らしい御店(=「やげん堀」さん)が在ることを知っていただく。

という趣旨です。

まず山椒ですが、

江戸時代、醤油や味醂のタレをつけて焼く蒲焼が流行する以前は、山椒しょうゆや山椒みそによるつけ焼きが主流でした。これは、現在のような風味を味わうというより毒消しの為だったようですが、実際、山椒の香りがうなぎによく合うため、蒲焼になってからも「うなぎ=山椒」が定着しているのです。熟した実を干してすった粉山椒は、その独特の香りによってうなぎの蒲焼の味を引き立たせる役目をしています。

また、山椒には胃酸のPH値を下げる働きがありうなぎの消化を助ける働きがあります。

次に奈良漬けですが、

鰻の蒲焼きに奈良漬けの組み合わせは定番。鰻を食べた後に口に残る脂っこさを奈良漬けが拭い去り、口をさっぱりとさせる効果があります。また胃の働きを活発にし胸焼けを抑えたり、脂肪の分解、ビタミンやミネラルの吸収を助けるなどの効果があるとされています。

そうそう、七味のことを言い忘れました。

七味については、夏場に肉という重いモノを食べる状況にあわせて、少し配合を変えてあります。まず、

山椒を減らし(=シビレを減らし)、それから、

陳皮を増やして(=香りを増やして)あります。

と、いうわけで、「土曜のうし重」は、

8月の土曜日の、丑の刻(1時~3時)にご提供。

限定14個(じゅ・うし)個です!(笑い)

え? 丑の刻は午前1時~午前3時だぞって?

あ~イタい所を突きますねえ。昼の1~3時なんです、ギャグが不徹底で申し訳ないことです。スミマセン。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.253日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

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