蔵王牛

「蔵王牛」を育てている高橋さんという方にお目にかかりました。

高橋畜産食肉さんについては、先代の頃から牛の育て方について信念をもって取り組んでおいでだと、私は「牛肉のおいしさ総合評価指標開発事業」に取り組んでおられる小林正人先生からも聞いておりましたので、大変在り難くお目にかかりました。

さて「蔵王牛」の特長は、

1. 広大な蔵王山麓で牛が持っている自然の力を最大限に引き出すをコンセプトに澄んだ空気ときれいな水、静かな環境の中ですくすく育っている。

2. ストレスがかからない、のんびりした育て方をしている。

3. 飼料は、必要十分な栄養と品質が一定し、柔らかく融点の低い脂の質になる様な配合割合に設計している。

4. 肥育期間は、長めでゆったりしている。

5. スタッフは、仔牛を選ぶ厳しい目や「牛の言葉がわかるようになる」を合言葉に愛情をもって飼育している。膨大な肥育・出荷データを有する一方、お肉の品質、お客様の声をフィードバックし常に生産に活かしている。

「融点の低い脂」「肥育期間は長め」=具体的

「牛の言葉がわかる」=抽象的

私は、このように具体的なことと抽象的なことが雑居しているのが、とても好きです。

肉は商品であり、技術的なことはとてもとても重要ですが、それだけでは良いものが出来てこない=技術の前に良い社員が必要だと知っておいでなのが、この文だけですぐに分かります。

私は、具体的なことと抽象的なことが雑居しているのが好きです。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.006日連続更新を達成しました。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

和食と和牛

和牛の相場が高いです。

大震災の後に農場を維持できなくなった生産者の方が少なくなく、またTPPで将来を悲観して転業する方も少なくないので、そういう事態に成っているようです。

で、和牛専門の業者さんは皆ヒーヒー。

一方和牛に拘りの無い業者さんはアッサリ海外産にシフトしているようです。タスマニアとかね。

弊店は勿論ヒーヒーの組です。

しかし、ヒーヒーばかり言っているのでは仕方がないです。高い物になってしまっている和牛の良い点をPRしないといけません。それが当面の課題です。

さて、和牛を考えるに当たっては、まずは和牛肉が食されて来た環境を考えてみましょう。

「食されて来た環境」とは「和食」という食文化です。和食には次↓のような特徴がありました。

・通常は牛肉を食べることを避け、滋養強壮の為ときおり「薬」として肉を食う。

所謂「薬喰い」ですね。

江戸時代には彦根藩の味噌漬けが将軍家へも献上されていました、お薬としてです。

明治三年に福沢諭吉先生が『肉食之説』を唱えた時も滋養強壮が主眼でした。

「肉類のみを喰ひ或は五穀草木のみを喰ふときは必ず身心虚弱に陷り、不意の病に罹て斃るゝ歟、又は短命ならざるも生て甲斐なき病身にて、生涯の樂なかるべし」さらには肉食を避ける人達の論は「人の天性を知らず人身の窮理を辨へざる無學文盲の空論なり」とまで言っています。

では、体が弱った人が食べ易い肉とは、どのような肉でしょうか?

私は、脂肪の融点が低い肉が食べ易い肉だと考えます。逆に融点の高い=融けずに固形のままの脂は消化しにくいのです。

そもそも脂肪というものは、胆汁で乳化され、次いで膵臓からのリパーゼで分解されて、腸管から吸収されますが、食後3~4時間してやっと吸収される位消化しにくいものです。このプロセスでとりわけ固体の脂肪が消化されにくいのは当然のことです。「かたい脂は胃もたれする」と言われるのは、これです。

その「かたい脂」が和牛には少ないのです。ここも和牛の一大特長です。世界的に比較して、和牛の脂の融点は低いのです。

牛の脂の融点を「40℃~50℃」などと表示している本があったりしますが、私が店で仕入れている和牛の脂は25℃位の室温でも融け始めます。かたくない脂=不飽和脂肪酸を多く含んでいるからです。こういう脂なら、病身の人やお年寄りでも食べられるのです。

ですので現代においても、年配の方には和牛がお勧めと成ります。

さてさて、そのかたくない脂=不飽和脂肪酸を多く含んでいる肉は、普通の人にとっても食べ易い肉です。

とりわけ、箸で肉を生食する場合に、かたくない脂=不飽和脂肪酸を多く含んでいる肉は食べ易いです。

と、いうわけで「箸で肉を生食する」という、もう一つの和食の特長にも、この話しは関係して行くのですが、そこまで書くと長すぎるので、今日はこの位に致します。

ご機嫌よう。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.005日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

みんな同じ事ばかり

長すぎる役員挨拶に苦言。

「みんな同じ事ばかり言うてる」

「考えたほうがいいとおもう」

はい、まったくそうだと思います。

今回苦言を言っておいでなのは間寛平さん、言われているのは高校野球の開会式ですが、「みんな同じ事ばかり」は私も色々な場面で出くわします。

今回は高校野球が100年目だとかで、目立つ選手が多かったように思いますが、今日はその話ではなくて、開会式の話しです。

100年目で戦後70年で、

開会式が原爆投下の日に重なったので、挨拶する人がそればかり言ってしまったわけですが、我々の業界の会合も煮たようなものです、いや、似たようなものです。

和食が世界遺産に成れば、挨拶する人が全員世界遺産の話し。

オリンピックが決まれば、挨拶する人が全員オリンピックの話し。

しかも全員が主催者代表のような口ぶり。

同じ内容を、同じ口調で何度も繰り返すって、最も効果の薄い方法ですよね。聞いている方はどんどん意識レベルが下がります。

私が挨拶を依頼された場合は前の人と違うことを話します。同じ内容を言わないといけない場合でも視点を変えます。可能なら私事に絡めて語ります。

「巻き物」の読み上げは致しません。

なんだか、場を盛り上げることより、自分の出番が失敗しないことばかりに意識が行っている人が多くないですかね?

しくじっても良いじゃないですか。

ユネスコの世界遺産を「ユニセフの」って言っても意味は通じますよ、実際。

私はいつも「自分はしくじって丁度良い」位に思っています。

同じ事ばかりは、盛り下がりますから。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.004日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

空騒ぎ

近頃一人で「ちんや」に予約を入れて行ってみると、スタッフの様子が腫物に触るような、変な感じに成っているかもしれません。

一人で予約とか怪しいです。

ミ♡ラン社の覆面調査員かもしれません。

先日は一人予約の「変わりバージョン」もありました。

「二人で予約していたのですが、一人都合が悪くなったので一人で伺います!」

たまたま、この電話を私が取りました。

「ひ、一人御都合が悪くなったので独りで見えるのですね、承りました。お待ちしております。」

うーむ、そんなに今日ウチの肉を食べたいのか?

いや、カノジョとは完全に終わったので、この際ケジメとして独りで食べるのか?

いやいや、待てよ、言い方がスゴく自然だったぞ。自然過ぎて怪しいな・・・

私は下足番のふりをして、予約時間の30分前から玄関に立って様子をうかがうことにしました。

で、どうだっのか って?

分かりませんよ。

先方もプロですから、バレるようなことはしません。

ま、空騒ぎです、こういうものは。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.003日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

49年ぶり

加山雄三さん、芸能活動を縮小なさっているようですね。

80歳になる2年後に「エコシップ」で世界を巡る計画に専念するためで、音楽を引退するわけではないと聞きますが、

7日25日の東京NHKホール公演をもって全国ツアーから卒業だそうですし、テレビの「若大将のゆうゆう散歩」も卒業予定だとか。

加山さんはすき焼き業界の広告塔なんですけどねえ。

映画「若大将シリーズ」の中で、「若大将」こと加山さんの実家はすき焼き屋という設定でしたし、ビートルズのメンバーと1966年にすき焼きを食べた話しはもはや伝説です。

ツアー卒業の際のインタビューでも、加山さんはまた、この「ビートルズとすき焼き」のネタを語ってくれたようです。

なんでも、ポール・マッカートニーさんが今年来日した時に楽屋を訪問して、すき焼きを食べて以来49年ぶりに再会したのだそうな。

49年という長い年月を経ても、互いに現役ミュージシャンとして再会できたということは、たしかに驚異的なことで、再会の喜びはひとしおだったろうと存じます。

そういうインタビューの合間に必ずすき焼きを入れて下さるので、在り難いですねえ。

引き続き可能な範囲で露出していただきたく、誠に勝手ながら、お願い申し上げます。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.002日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

三人閑談

『三田評論』の「三人閑談」のコーナーに出演させていただくことになりまして、その収録の為、久しぶりに母校へ行ってきました。

三田キャンパスは、夏休みで閑散としていると思いきや、外国人観光客が重要文化財の図書館の前で記念撮影をしていました。げげっ、こんな所まで!と思いつつ、懐かしい校内を歩いて対談場所へ向かいました。

さて『三田評論』は慶應義塾が発行する雑誌です。

当然おかたい議論もする雑誌ですが、その中でも「三人閑談」は緩めの話題をカバーしておりまして、そのテーマに関わっている卒業生が3人で対談します。

8月号は「魅惑のキューバ」

7月号は「辺境を旅する」

6月号は「オペラに行こう!」

私の父・滋夫(「ちんや」五代目)も2008年5月号の同じコーナーに「明治の食卓」というテーマで出させていただいておりまして、二代続けてとは大変在り難いことです。

内容についてくわしいことはネタバレに成ってしまうので、発行されるまで書けないですが、もちろん肉関係です。

10月号に載りますので、9月末にはお読みいただけると思います。

どうぞ、お楽しみに。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.001日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

洋食思い出ストーリー

平成27年の5月、浅草の街がゴールデン・ウイークで賑やかな頃私の母の転倒事故が頻繁になりました。うちどころが悪い場合は出血する場合があり、病院の外科に何度も世話になる在り様でした。

母が転んだ理由はパーキンソン病でした。

パーキンソン病は、脳内のドーパミン不足を原因とする神経変性疾患の一つですが、治療が困難なことから日本では「特定疾患」つまり難病に指定されています。典型的な症状として、手や足のふるえ・動きの鈍化・筋肉のこわばり・体のバランスの偏りが見られます。

発病から十年ほどで亡くなることが多い病気だそうですが、この頃母もそのステージに入って来たのです。

病気ですから、病院に行かねばなりませんが、ある日診療の為に訪れた日本医大の前で転倒、頭から出血、出勤途上の看護婦さんに案内されて救急救命センターに転がり込みました。センターで怪我の処置だけでなく、ご丁寧にMRIまで撮っていただき実に在り難いことでした。

母と一緒に外食をとったのは、この、救急の日が最後です。

驚かれると思いますが、母は救急治療の後、この日の朝相談した通りに根岸の洋食店「香味屋」さんで昼食を食べたいと言い張ったのでした。

日本医大の在る根津から根岸は近くて、浅草へ帰るルート上に在ることは在るのですが、それにしても大した食への執着です。付き添っていた父はやむなく、その言葉に従ったようでした。

さて母が店にやって来て、待っていた私も嫁も、それからお店の人も驚きました。頭に包帯を巻いていたからです。しかし母は意に介さず、注文をし始めました。

今日は白ワインを飲みたいわ!

この頃には病いの進行とともに母の性格も変容していて、言い出したら極端に強情。ワインを止めることは誰も出来ず、父と私達夫婦はワインのご相伴に預かりました。

やはり病の進行で食事の量も細っていたことから、御店には申し訳ないことながら四人で四人前は頼めず、たしかビーフシチューとメンチカツ、ホタテのソテーを頼んだと思います。

食後に母はバニラアイスまで頼み満足げに店を後にしました。

この日から家族は臨戦体制を敷きました。母を片時も一人に出来なくなったからです。ふらつきながら料理や掃除、洗濯それから趣味の書道をやろうとする母を家族は交代で見守りました。

そんな暮らしがいつまで続くのだろうと思い始めた頃、「その日」は突然やって来ました。

全くもって突然でした。その前日には、頭の傷も少し癒えたことだし、そうだ、また洋食を食べに行こうと母を誘っていたところでした。

母も応じて、そうだね、この前は楽しかったね、また行きたいね!と言っていたのですが、その翌朝母は起き上がれませんでした。全く起き上がらない母を不審に思った父が119番、搬送された病院で極度の低血糖と診断されました。

低血糖に誘発されて心肺機能も低下、十二日間の入院生活の後最終的な死因は肺炎でした。

しかし肺炎という言葉がイメージさせるような激しい闘病はなく、だんだん全身が衰えてきて、上手く申せませんが、体がこの世からの卒業を希望しているように私には見えました。

母が逝ったのは平成二十七年七月九日、浅草寺で「ほおずき市」が開かれている日。七十六歳と一日でした。

 

「四十九日」は遺族が人の死を受け止める為の期間と申しますが、お陰様でその「四十九日」の支度もおおよそ出来ました。

今日たまたまこのブログが連続更新二千日目でありますので、この一文を公表して天国の母に捧げます。

南無観世音菩薩。

 

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

やり手

最近浅草に店を出すと、「やり手の社長」と評価されるらしいです。

目ざとく、人の集まっている所に出店する機動性が「やり手」と言われるのでしょう。

そうと私が気づいたのは、とある展覧会のパーテイーで旧知の人が近づいて来て、

住吉さん、住吉さん、知り合いに素晴らしい社長がいましてね、最近浅草に店を出したから今度是非ご紹介したいです!

と言って来たからです。

正直申して友達に不自由はしていないので、始めはぼんやりと聞いていましたが、あまりに

素晴らしい社長なんです!

素晴らしい方なんです!

と連呼するので、どんな店か聞いてみますと・・・

知ってました、その御店。たしかに浅草に在りまして、ご繁盛のようです。

でも、「なんちゃって」なんですよね。

その御店は伝統工芸方面の御店なんですが、商品のマテリアルは勿論のこと、デザインも「なんちゃって」です。「なんちゃって」を通り越して、ふざけているようにすら見えます。

そういう御店が繁盛しているのを見たら、旧来の製法で頑張っている人が嘆くこと間違いないです。

しかしです、伝統工芸がふざけていけないことは勿論なく、むしろ楽しい方が良いです。

いくら拘りがあっても拘り過ぎて、上から目線になってはいけません。

「ちんや」だって、狆を止めて料理屋に成った時は、「なんちゃって」だったに違いありません。浅草は「なんちゃって」を全否定してはいけないと思います。

でもなあ、御店の前を通りかかると、とにかくヘンなので気になります。

「ご紹介」どうしようかなあ。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.999日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

東京湾クルーズ

大江戸線が開通してから15年だというのに、初めて勝どき駅で降りました。「東都のれん会」の東京湾クルーズに参加するためです。そうしましたら、

うおお、人が多いですな。

ビジネス街の目と鼻の先の場所に在る船着き場にウンカのごとく人が集まって来ます。ほとんどはサラリーマン風。浴衣に着替えたOLさんもいて華やか。

華やかで良いことは良いのですが、船着き場は激込みです。

まあ、船って、この時季しか稼げないので仕方ないところでしょうが、真夏に激込みは辛いですな。

さて激込みの待合で待つことしばし。

やっと船に乗れまして、動き出してしまえば、風を受けて涼しいです。

冷房を持たなかった江戸の町民が船に乗りたがった理由が分かります。

逆に「屋形で宴会」の皆さんは、海上に船を泊めて、窓を閉め切って宴会をしています。お台場近辺などは数メートルおきに船が泊まっています。

なんだかなあ、それじゃあ、陸上の宴会とほぼ同じでは?

陸上と違うのは女子社員が浴衣を着てくれること位でしょうか。

宴会の皆さんを尻目に我が方は、羽田沖まで航走して、発着する飛行機に何度も遭遇。暑さを一時忘れることが出来ました。

ああ、この後地下鉄に乗るのとか、イヤだなあ。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.998日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

米朝さんのすき焼き

うーん、その番組を視たいのに「関西ローカル」ですかあ。

そこで関西方面のすき焼き愛好家の皆さんにお願いです。録画して送ってくれませんか?!

「その番組」と申しますのは、MBSの「水野真紀の魔法のレストラン」の8/17放送分「あなたの知らない桂米朝の真実」で、米朝さんの思い出のすき焼きをテレビで再現するそうです。報道によりますと、

「MBSは15日、同局のグルメ番組「水野真紀の魔法のレストランR」(関西ローカル、午後7時)の17日放送分で、3月19日に肺炎のため89歳で亡くなった落語家で人間国宝・桂米朝さんが生前愛した味を紹介すると発表した。米朝さんが特に好んで食した「すき焼き」などを取り上げる。」

「番組は「あなたの知らない桂米朝の真実」と題し、米朝さんの長男で落語家の桂米團治や桂ざこば、桂南光が米朝さんの愛した味をたどる内容。兵庫県尼崎市の自宅で、米朝さんが他人に仕切らせなかったという「すき焼き」を堪能しながら、思い出話に花を咲かせる。」

米朝さんは、あらためて紹介するまでもなく、「上方落語中興の祖」と言われた方です。亡くなって忘れられるどころか、紹介される回数がむしろ増えているようにすら見えます。

で、今回は米朝さんがすき焼きを大好きでよく食べていたという話しです。

「好きだった」というだけでなく、米朝さんには「天狗さし」という噺があるらしく、これは大阪のすき焼き屋が、天狗を捕まえてすき焼きにすれば珍しがられて繁盛するだろうと企んだことから始まるドタバタ劇らしいのですが、私は残念なことに未だ見たことがありません。

「天狗さし」はまたいずれ、ということにしますが、

17日19時放送の件、よろしくです。京都、滋賀、奈良、和歌山、兵庫でも映るそうです。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.997日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)