米沢のユルキャラ

次回「すきや連」の準備のため、米沢市へ行って来ました。

駅を降りますと、まず歓迎してくれたのは、

「かげっちさま」(米沢市が制定した上杉景勝のマスコットキャラクター)と、

「かねたん」(やはり米沢市が制定した直江兼続のマスコットキャラクター)と、

「おせんちゃん」(これまた米沢市が制定した兼続の正室お船の方のマスコットキャラクター)。

市内巡回バスの車体に大きく描かれていました。

まったく、どこかで既視感のあるユルキャラですな。デザインの独創性は大丈夫なんでしょうか。どこぞのエンブレムみたいなことにならないと良いですねえ・・・

さてさて、こういったものは無視。米沢牛目指して先を急ぎます。

今回お邪魔しましたのは「グルメプラザ金剛閣」さん。

名前が結婚式場みたいなのは、本当に結婚式場だったからです。

元々は肉屋さんだった「米沢牛黄木」さんという会社が事業の多角化で、結婚式場を始めたものの、途中でやはり肉料理専門に回帰した方が良いということになって、現在の形態になりました。

当時名前を牛っぽく変更する案も浮上したそうですが、かつて結婚式をあげた方々が悲しむだろうと名前はそのまま。

「金剛」というのは、米沢藩上杉家の代々の当主が金剛流の能を嗜んだことに因んでいるそうです。なるほど、文化的な屋号じゃないですか。変えなくて良かったですね。ユルキャラ制定より余程米沢のためになるような気がします。

で、当然すき焼きをいただきました。

お肉は、7月の米沢牛枝肉共励会で最優秀賞だった牛さん。肥育期間も熟成期間も充分。結構なものでした。

米沢はすき焼きの作り方が面白くて、野菜類を最初に鍋に入れた後、肉を載せて、割り下をかけます。

その割り下には味噌が溶かし込んであって、「割り下」と言わず「タレ」と言います。

私的には鍋の中でベースストックになるものは「割り下」と称していただきたい所ですが、方言否定は良くありませんから、四の五の言わずに楽しませていただきました。食後もモタレず、大変結構でした。

10月の「すきや連」も楽しみです。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.026日連続更新を達成しました。

 

Filed under: すきや連,すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

浅草の思い出

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「浅草の思い出」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私が小学生のころの話です。私は埼玉県北部に両親、兄妹、父方祖父母と七人で住んでいました。

当時、千駄ヶ谷に一人で暮らしていた母方の祖母。
嫁いできたひとり娘の私の母のところへ月に一度、遊びにきていました。
乗り換えの面倒がなかったため、浅草まで出て、そこから東武線(現在はスカイツリーライン)でやってきていて、その時はいつも浅草駅に隣接する百貨店で、すき焼き用の牛肉をお土産に買ってきてくれました。
祖母が来た日の晩はすき焼きで、そしてそれは母方の祖母が鉄鍋を使って腕を奮って作ってくれ、食べ盛りの私たち3兄妹はその美味しさにペロリと平らげたものです。料理屋で働いていた祖母でしたので、こだわりを持って作っていたのを懐かしく思います。
また、自営の父は、仕入れのためによく浅草問屋街へ出かけていました。いつからかその帰りに買ってきてくれてたのが、ちんや精肉店で販売しているハンバーグです。これもまた絶品で、あふれでる肉汁がたまりません。
今は主人と中高生2人の息子と暮らしていますが、時々、浅草へ行く用があるとちんや精肉店を覗きます。そしてハンバーグを買って帰る。

息子たちも一口食べて、

これはちんやだね?

と言い当てます。
先日立ち寄った時は、臨時の連休中でお目当てのハンバーグは買えず、がっかりして帰宅したました。
次はいつ行こうかな~。

<投稿終わり>

お子さんが「一口で言い当てる」というのは、かなり嬉しいですね。味覚の継承とはこういうことだと思います。

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.025日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

涙でレシートが見えにくい

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「涙でレシートが見えにくい」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私が子供の頃には、家族で食べる特別なメニューが幾つかありました。母が食パンをそのまま使って作る意味不明なハンバーグ、一般の中華料理屋さんで食べるものとはまるで違う、甘くない酢豚、そして自己流のすき焼きでした。
なにぶん子供だったので牛肉が高いことなどは知らず、「豚肉のほうがいいよ」などとうそぶいていた生意気な幼児であった私も、すき焼きは美味しいのだと理解はしていました。
長じて学生になって、やりたいことが全部挫折して、失意の中で会社員になりましたが、入社3年目くらい、たぶん平成3年の6月です。当時はまだ世間の景気も悪くはなく、大掛かりな仕事が終わった打ち上げで、部長が部下をおおぜい引き連れて、有楽町のおおきなお店ですき焼きを奢ってくださいました。中居さんが全部やってくださったのも驚きでしたが、味がまるで母のものとは違うので、大量に食べておおいに満足して、「会社もいいなぁ」などと勝手に思ったものです。
しかし景気も悪くなって、その後はそんなことはなくなりました。もともと「会社勤めなんかいやだ」と思っていたのでうまくいくわけなどありません。あちこち転勤して、東京あたりに戻ってきたのが9年前。父親が死んだ直後です。
身も心もすさんでいた私は、それでも元気になろうと自転車に乗り始め、水戸街道をずっと走り続けました。そのうち長距離も乗れるようになって、浅草へも。すると「ちんや」さんの看板が。
入りたい、でもこんな状態では入れない。いつかは入ろう。
それから更に何年もたったな。確か2013年の冬に接待先として生まれて初めてお邪魔しました。自腹ではないから一人前とは言えません。ですが、「ここに来られるようになったのか」その思いは格別でした。味もサービスも格別なのはもちろんです。
そして昨年、会社の知人がプロジェクトを成功させたお祝いに、プライベートでやっと「ちんや」さんに堂々と行けたのです。行けた、やっと行けた。俺もここまで来れたんだ。
メニューやレシートが涙で見えにくくなった、そんな日でした。

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.024日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

ちんやさんの思い出

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「ちんやさんの思い出」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

ちんやさんとのお付き合いは小生小学校低学年の頃からですので、もう60年近くになります。当時は、両親に連れられて浅草寺へのお参りの際に寄らせてもらっていました。
もちろん、ちんやさんの由来、また味のことなども分かりませんでした。ただ、入り口に下足番の方がおられ(もちろん下足番の方のことなど当時は分かりませんが)、広い入り口から上がって行ったのは今でも鮮明に覚えています。
今、入り口に伺いますと当時の印象からは狭いなと感じますが、昔とは変わりましたでしょうか?あるいは自分が大きくなったので、当時は広く感じたということでしょうか?

その後、就職し居住地が変わったこと、また仕事の関係で外国勤務となったことなどから、ちんやさんとも縁遠くなってしまいましたが、この15年くらいまた通わせていただいています。

ちんやさんの永い歴史を知るにつけ、自分自身のちんやさんとの60年近くに及ぶお付き合いを感慨深く思い出しています。これからも末永いお付き合いをお願いしたいと思います。

<投稿終わり>

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.023日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

父のすき焼

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「父のすき焼」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私が子供の頃、今から50年位前のことだと思う。我が家ですき焼をする時は常に鍋が二つ用意された。

五人家族の我が家は大きめの丸い卓袱台に小さな折り畳みテーブルを付け足した、その小さなテーブルの上では豚肉の入った鍋がぐつぐつと音をたてていた。父の為の鍋だ。

末っ子で、まだ小学生になるかならないかの私にはその肉が牛か豚かなんて事は知るよしもなかった。ただ、ただみんなでおいしい、おいしいと言いながら、みんなでお腹いっぱい食べた。

少し大きくなった頃、父の分だけが豚肉だったと知った。牛肉が苦手だと言っていた。

私が大人になった頃、父の牛肉嫌いは、父が子供の頃可愛がっていた牛が居て、それを思い出すからとか、ただの食べず嫌いとか色々言い訳を聞かされた。

父が亡くなって、もう15年・・・

本当はどっちだったのだろう?なんて、夫と二人「ちんや亭」のカウンターですき焼の牛肉をつつきながら、ふと思い出したりするのだ。

 

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.022日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

川柳「超ウケ賞」に選ばれて想うこと

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

御年81歳の方からです。在り難いですね。

題して「川柳「超ウケ賞」に選ばれて想うこと」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

昨年8月誕生祝と傘寿を祝って老夫婦で参じた折、投句の話が仲居さんからあり即興で詠みました。発句するのはこれが初めてでした。雅号もそのまま「はじめ」と付けた訳です。

そもそも、ご当地に足を運んだのは一寸とした昔の想い出(回想)があったのです。想えば先の戦争が開戦し間もない昭和16年、17年初めの頃に父に連れられた記憶があります。

父は丁度橋場、南千住辺りの石炭の販売会社に勤めていたようで、そんなことで浅草界隈の「ちんや」をはじめ「今半」「駒形どぜう」「川松」辺りに豆炭やコークスを納めていたようで、少し顔馴染みがあったような記憶があります。

「ちんや」の大広間で仲居さんが丁寧にすき焼きを焼いてくれたのをうっすら覚えています(当時は美味しい物がだんだん口にすることが出来なくなってきた頃です)これが初めての縁のようです。

その後、戦災で焼け出され、疎開で東京を離れたりして、足が遠のきました。

終戦後父の勤めていた鋳物工場で造った鉄鍋で家族揃って、七輪を囲んで「すき焼」を食べ、その時大分「ちんや」の味が舌に残っていたのではないかと思います。

然し、その後父と一緒に当地に連れだっていくことは叶わなかったのは残念でした(忙しさと貧しさ故に)。

今此処にやっと妻はじめ家族と共に事ある度に足を運び、舌つづみしたいと思います。

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.021日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

無料ロゴマーク

迷惑メールには毎日ウンザリさせられますが、中には笑ってしまうものも在ります。

2020オリンピックのロゴ問題がやかましかった頃送られてきたメールのタイトルは・・・

【無料でロゴマークを3案提案致します!】納入実績1万社(団体を含む)を達成したロゴマーク制作の専門会社をご存知ですか?

笑!

かなり開けたくなりましたが、そこはプロパテイだけにとどめました。読みたかったなあ。

実にパンチが効いています。

ロゴ制作なんていうソフトは無料で丁度良いんだ!

なんでデザインなんぞ高いカネを獲っているんだ?!という皮肉が込められていて、ブラックです。

だいたいですよ、有名デザイナーの側が画像のコピペーなんてことをしてしまうから、こういうネタに使われてしまうんですよね。

このメールを信じる人もいるかもしれません。自分の会社でロゴ制作を外注していて、その値段の高さにイラっとしている会社さんが飛びつく可能性も無くはないです。

国立競技場に続いてトホホな日本ですね。

それにしても、悪徳な連中はよく頭を使っているなあと思います。善良な方向で他のことを考えられないんだろうか。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.020日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM

地元客お断り

店側の気持ちも分からないではないのですけどね、批判はされてしまいますよね。

韓国・毎日経済新聞は、ソウル中心部に韓国人の立ち入りを禁止するレストランが増えていると報じたそうです。報道によりますと、

「こうした店は景福宮駅周辺だけでも5か所に達する。ランチタイムにはいずれも中国人観光客を乗せたバス3台がレストランに着き、1台当たり約40人の中国人が入店していた。記者もこの店に入ろうとしたが、「韓国人は受け入れていない」とすぐに制止されたという。」

これはですね、韓国だけの現象ではないですよ。

事実上中国人専門に成った店が日本にも在ると聞きます。

何故こんなことをするのか?ですが、

まず値段の問題。

団体の予約客の為に席を長時間空かせておくことは、営業上の損失なので、その分の埋め合わせを、団体客の値段に乗せないといけません。

そうすると地元客との間に値段の差が出来てしまって、それが発覚した時にトラブルになるのです。

地元客がゼロであれば、双方が同時に居合わせることがないので、価格差は発覚しませんね。

それにマナーの問題もあります。現に、この店も、

「記者が「韓国のレストランが韓国人を排除するのはなぜか」と問うと、店員は「たとえ韓国人が来ても、中国人がうるさいので自発的に出て行くだろう」などとごまかした」そうな。

実際問題、誰かの店が外国人の団体を請けねばならないのですから、

「韓国人お断り」ではなくて、「本日満室」にしておく他はないでしょう。

それは、それで良いことかどうか微妙ですけどね。

「差別」とは話しが違いますから、メデイアやネットは騒がないで欲しいです。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.019日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

美味しい夏休み2015

今年も夏休み恒例の食育企画「美味しい夏休み2015」を実施しました。

年々この企画に参加者が増えて、心強い限りです。

参加者が多かったので、半分ずつに分けました。

・すき焼きの歴史の話しを聞いてから⇒精肉体験をするグループ

・精肉体験をしてから⇒すき焼きの歴史の話しを聞くグループ

すき焼きの歴史の話しは小学校低学年のお子さんだと理解しづらいです。ですので、小さ目のお子さんと大き目のお子さんを分けるのは良かったと思います。

やる方は同じことを二回やらないといけないんですけどね・・・

でもやっぱり歴史の話しは、どうしても明治維新とか親御さんの方が面白い話しになってしまいます。質問をどうぞ!と言うと質問するのは皆大人・・・

なおこの企画は「国際観光日本レストラン協会」の主催で、「ちんや」以外にも全国の名店で開催されました。

今年は終わってしまいましたが、来年に向けて内容や参加店名を調べたい方は、こちらをどうぞ。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.018日連続更新を達成しました。

Filed under: 食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

熟成魚ブーム

熟成ブームが肉から魚に波及したそうです。

良いことなのやら、そうでもないのやら。

「肉に続く熟成魚ブーム 衛生管理わきまえない便乗店に懸念も」という記事によりますと、

「一定期間寝かせた肉を食べる「熟成肉」ブームが続いているが、今度は「熟成魚」を提供する寿司屋や海鮮居酒屋が人気となっている。」

「これら熟成魚ブームの高まりによって、「今後懸念されることもある」と話すのは、日本外食新聞編集長の川端隆氏だ。 「肉も魚もそうですが、きちんとした衛生管理の下で魚の旨味を最大限に引き出す熟成技術をわきまえないと、食中毒などのリスクは高まります。今後、ブームに便乗しただけの飲食店が増え、問題を起こせば一気に規制強化されてしまう恐れがあります」

私の知人の魚のプロも心配していました。

牛肉の場合、肉の大きさ自体が大きく表面は脂に覆われていて、食中毒菌が中へ浸透することが少ないですが、魚はなにしろ小さいですからねえ、心配があります。

菌が付いても表面を削って捨てればOKですが、元々大きくないのですから、それを削って廃棄することは経済的にとっても割高な行為です。

ああ、もったいない!と思うあまり削り方が緩くなれば、はい、食中毒です。

事件が起きて、こちらまでトバッチリが来ると困ります。

それからもう1点。

魚を熟成させるということは、これまでの魚の食べ方と相当違う行為だということに、ちゃんと気づいてから食べて欲しいです、というのが私の意見です。

そもそもですが、魚を食べるとは、魚のイノシン酸の旨味を愉しむ行為です。

細胞の核酸が分解して作られるイノシン酸は代表的な旨味物質ですが、長期間は安定せず、やがて分解されて旨くない物資に成ってしまいます。

「ハマチは〆て10時間~12時間たった頃が旨い」というのは、イノシン酸がピークに成る時期をさしている訳で、その後は増えません。

その後で増えるのは、細胞の普通のタンパク質に由来するアミノ酸で、魚を「熟成」させるとは、元々愉しんでいたイノシン酸を放棄してアミノ酸を求めることなわけです。それは肉の場合と同じです。

日本の魚食文化の本質は、そのイノシン酸なのですから、一時の流行りでそれを放棄することに私は賛成できません。

少なくとも、そのことを食べ手に伝えてから、食べさせるべきだと考えています。

ヨロシクです。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.017日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋,色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)