三体の観音様

三社祭の日の朝、テレビの情報番組では、

三社様とは三体の観音様のことである、と放送していました。

間違っていますね、完全に。

そこで今日は、三社様(正式名称は「浅草神社」)の公式サイトをコピペーしつつ正確な情報をお届けしたいと思います。さて、

「推古天皇の三十六年三月十八日のことでした~漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置しました。」

(えんじゅ)というのはマメ科エンジュ属の、木の名前です。

駒形(こまがた)というのは浅草のすぐ南の地名で、現在は「駒形堂」という御堂が立っています。さて、

「そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。」

「兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた二人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。」

うーん、チト図々しいなあ、現世利益から入るのねえ、と思いますが、それはさて置いて先に参ります。

「土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。」

そう、最初の浅草寺は個人の家だったのです。壮大に成るのは後に徳川家光の祈願寺に成ってからと言われています。

「土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。」

はい、ここでやっと三社様の祭神が分かりましたね。

桧前浜成(ひのくまのはまなり)(漁師)

桧前竹成(ひのくまのたけなり)(漁師)

土師真中知(はじのまつち)(郷土の文化人)

の3人の人間が神様なのです。

この3人(=三社様)が観音様を祀って浅草寺を創ったわけですから、三社様が観音様である、というのは違っていますね。明確に訂正しておきます。

さて、ここまでは浅草寺の縁起(=寺の起源を記した書物)を根拠にしていますが、本当に年代は推古天皇の頃なの?と思った方も多いと思います。

それについては三社様の公式サイト自体が疑問を呈していて、以下もコピペーですが、

「これによると創建は今を去る千三百五十年程の昔ということになりますが、これは少々無理のようで、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されます。」

太平洋戦争で浅草寺が焼失した時に、遺構の考古学的な調査をしましたら、奈良時代と思われる柱の跡が見つかったと報告されています。

また土師氏は古代に古墳を造っていた技術者の一族で、「鳴くよウグイス平安京」の桓武天皇によって貴族に昇格させられた、と言います。

ですので、本当の年代は、その辺りと考えるのが妥当なようです。

次に浅草寺と浅草神社の、その後の関係ですが、もちろん長らく一体のものでした、しかし、

「奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。」

「奇しくも」という表現に、一体であった寺と社を無理やり分離しようという、この政策への反感が込められています。

神仏分離とは権現思想を完全否定するドラステイックなものでしたが、当時の浅草寺はどちらかと言うと新政府方より佐幕方で弱い立場でしたから、時勢の勢いには勝てず、受け入れさせられたのだと思います。

この体制は、無理筋とも見えましたが、結局現在まで続き、同じ敷地に在りながら一方は仏教界・隣は神道界という体制が維持されています。

一体だった頃は寺から神社へ職員が派遣されていましたが、現在神職の方は国学院とかの神道学科を出て、余所の神社で修業した後に奉職するようです・・・

・・・テレビのレポーターさんは、こんな話しより、その後やっていたメンチやカレーのレポートに一生懸命なようでした。

その店は、ごく最近、スカイツリーが出来てから出来た店なんですけどねえ。

追伸

日本橋三越の催事に出店します。詳細はこちらです。

「EDO style展」

日時:5月21日(水)~26日(月)

会場:日本橋三越本店・本館7階催事場

精肉の販売をいたします。どうぞお出かけ下さい。

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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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強力な噴射力

「強力!」「噴射!」「浅草!」

って、なんで「浅草!」が入ってるんですかねえ。

ユニークなことでお馴染みなKINCHO社のテレビコマーシャルのことです。

ラテンでマッチョな外国人女性3人が登場して、「ハエ・蚊ハンター」を強力に噴射してみせるCMです。

3人のユニットの名前は「ハンタートリオ」というのだそうな。それぞれが漢字で「強力!」「噴射!」「浅草!」と大書されたTシャツを着ています。

画面右の「浅草」Tシャツを着ている方はアナスタシア・グラコバさんという方なのだそうですが、どこのお国の方なんでしょうか。

すぐに遠くへ逃げるハエや蚊に ブシュー!ブシュー!

すぐに遠くへ逃げるハエや蚊に ブシュー!

遠くのハエや蚊も素早く退治

ヤブ蚊にも効く!

ということで、「強力な噴射力を表現」しています。

どうも見覚えがあると思ったら、かつて2012年に放映したCMで、そのCMに「あの強力感がたまらない」という声が多数寄せられたため、今年のハエのシーズンにも再度放映と相成ったそうです。

浅草としては微妙なところで、抗議した人もいたようですが、世間では好評なのですね。

実際、朝のテレビを視ていると、この時季ずーと、KINCHO社のCMが続きます。繁忙期なのです。

そう言えば、先日も巨大なハエが帳場に飛び込んできてビックリしました。

五月蠅いなあ!

勿論だからと言って、あのCMからの連想で、「浅草はハエが多い」と考えるのは偏見ですよ。衛生には気を遣っています。

やっぱり抗議した方が良いのかなあ。

でも、面白いものにケチをつけるのは野暮ですよね。困ったな。

追伸

ムック本『江戸っ子に学ぶ! 浅草本』に載せていただきました。ありがとうございます。

 「枻(えい)出版社」刊行、エイムック2855。

<内容>浅草寺を中心に発展してきた“浅草”は、江戸の文化と今が混在する街で、歴史とグルメと情緒を肌で感じる場所がそこかしこにあります。100年、200年と続く老舗のうなぎ、どぜう、そば、天ぷら、すき焼など和のお店をはじめ、絶妙の味を伝える洋食屋さんや女性にとって嬉しい甘味処など目白押しです。いっぽう、かっぱ橋周辺に足を伸ばせば、木札や手ぬぐい、櫛といった職人の技が織りなす伝統の工芸品に出会うことができます。そこで本書は、浅草をまるごと楽しむために「食・技・遊・祭」の4つを徹底的に紹介しました。また巻頭では、浅草在住のたいとう観光大使をつとめる、なぎら健壱さんといとうせいこうさんに登場をいただき、浅草の魅力を語っていただきました。

お求めは、こちらです。

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持続可能な観光経済

観光名所を創るって、そんなに簡単ではないですよ。

「世界文化遺産」への登録が確実となった富岡製糸場に観光客が殺到しているそうですが、「文化遺産」がイキナリ名所に成ってしまって大丈夫なのか、私は心配ですね。

報道によりますと、観光客は「普通に歩いてるつもりでも、車をよけなくちゃいけないから、ちょっと危ないなと思いますよね」

また駐車場は午前10時には満車になるところが見られるとかで、観光バスの運転手は

「昔ながらの道に入ってくると。道路自体は狭い。駐車場をきちっと整備してくれれば」と話しているそうな。

で、富岡市役所は早速対策に乗り出す方針だとか。

観光客が増えれば、市が豊かになるから、対策費用や施設の維持費用も出せるようになる、と市や関係者は期待しているだろうと思いますが、そんなに簡単ではないですよ。

上手く行っていない例として「日本のマチュピチュ」「天空の城」こと竹田城があります。観光客がちっとも金を使ってくれず、城を荒らすばっかりだからです。

竹田城は非常に不便な場所だから、商店街が創りにくく、観光客が金を使うところがないのです。市内には団体客が泊まれる旅館もほとんど無いのだとか。

客は観光バスでやって来て、城を見たらチョッキいや直帰してしまうようです。

富岡がそうならないことを願います。

観光客が確実に金を使い、その金が施設維持へ廻る仕組みを構築すべきです。それが上手く出来ないのなら、むしろ観光客なんて、受け入れないことです。

浅草寺だって元々は観光名所ではなく、信仰の対象でした。

しかし結局は観光名所と成りました。そして観光客に確実に金を使わせています。

寺は周辺の、かつて塔頭(たっちゅう)が在った土地を民間の商人に貸し付けて、土地代を徴収していて、その経済が寺の文化財の維持費に充当されています。

おお、そうか、商店街を創れば良いのか、ですって?!

甘いですな、富岡の皆さん。

立派に商店街が出来ても、売られている商品のセンスが悪く、売られている料理がマズければ×ですよ。

観光客とは、そんなに甘いものではなく、タダで観られる所には喜んでいきますが、有料の所やマズい所には入りません。金を使わずに地元民に迷惑だけかけて帰って行く人が多数なのです。

そういう迷惑をいかにミニマムにして、逆に金を使わせるかこそ、最大の課題です。今時はそれを「持続可能な観光経済の構築」と言うそうです。

浅草にだって、ただゴミだけが多く残され、観光客が買うのはコンビニ弁当ばかり、という催事があります。その催事については「持続可能な観光経済」が構築できていないのです。

これから苦労しますよ、富岡の皆さん。

追伸

ムック本『江戸っ子に学ぶ! 浅草本』に載せていただきました。ありがとうございます。

 「枻(えい)出版社」刊行、エイムック2855。

<内容>浅草寺を中心に発展してきた“浅草”は、江戸の文化と今が混在する街で、歴史とグルメと情緒を肌で感じる場所がそこかしこにあります。100年、200年と続く老舗のうなぎ、どぜう、そば、天ぷら、すき焼など和のお店をはじめ、絶妙の味を伝える洋食屋さんや女性にとって嬉しい甘味処など目白押しです。いっぽう、かっぱ橋周辺に足を伸ばせば、木札や手ぬぐい、櫛といった職人の技が織りなす伝統の工芸品に出会うことができます。そこで本書は、浅草をまるごと楽しむために「食・技・遊・祭」の4つを徹底的に紹介しました。また巻頭では、浅草在住のたいとう観光大使をつとめる、なぎら健壱さんといとうせいこうさんに登場をいただき、浅草の魅力を語っていただきました。

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排除の理由②

昨日の話しを続けたいと思います。正直多少エキサイトしております。

朝日新聞が4/28号の1面と社会面を大きく割いて掲載した「排除の理由」という記事は差別的な記事だった、と私は思います。

浅草の飲食店が外国人を差別した、という意味ではなく、新聞発行業者が飲食業者を差別したという意味です。

そもそも飲食業というものは、どんなことがあってもお客様を断るなどもっての他!という思想が、この記事のベースに在ったので、

外人を一律に断る=即「差別!」

となってしまったのだろう、と想像されます。

この記者さんは「お客様は神様です」という、あのフレーズを曲解している可能性があります。

「三波春夫公式サイト」が明確に否定していますが、

「三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのです。」

「しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう感じ。店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。」

「俗に言う“クレーマー”の恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。元の意味とかけ離れた使われ方ですから私が言う段ではありませんけれど、大体クレーマーたるや、「お客様」と「様」を付けて呼んで貰えるような人たちではないと思います。サービスする側を見下すような人たちには、様は付かないでしょう。」

と私が読みましても至極もっともなことがサイトに書かれています。

飲食店も客も人間ですので、人間同士の常識的交際をすれば良いのです。場合によっては、自称「お客様」を客扱いしなくてもOKというのは、このサイトの指摘している通りと思います。

マナーが悪い外国人は、外国人だという理由で断るのはマズくても、マナーが悪いという理由で断ってもOKなのです。だって神様ではないのだから。

話しは、ここで多少逸れますが、三波さんの真意を紹介しておきましょう。

「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」

つまり、芸事というものは、絶対者の存在をハッキリとイメージして、その神前に恥ずかしくない芸を披露しよう!という強い決意がなければ、決して上達しないものだ、ということを言っているわけです。

実は私も以前「お客様は神様」を曲解したことがあり、三波さんのことを残念に思っていましたが、この説明を読んで三波さんを尊敬する気持ちが持てました。

朝日の記者さんに申します、記者稼業も芸事ですよね。

あなたの神前に恥ずかしくない記事を披露しましょうよ。

追伸

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排除の理由

朝日新聞が「排除の理由」という記事を連載し始めました。第一回の4/28号は、1面と社会面を大きく割いて論じていました。

私は、この記事に賛成できません。

浦和レッズのサポーター「ウラワボーイズ・スネーク」の人種差別的貼り紙と、「浅草の老舗天麩羅屋」を同列に「差別」と断定しているからです。

私は勿論人種差別に反対しますが、「浅草の老舗天麩羅屋」が入り口に「Japanese Only」と貼り紙していた意図は全く違います。

表現はたしかにマズかったと思いますが、店主の真の意図は、

マナーが悪い客は店に入らないで貰いたい、

ということです。

あるアジアの大国から来る団体客のマナーが悪いことは間違いない事実で、浅草で飲食店主が集まれば、必ずこの話題になります。

彼らに悪気があるわけではなく、自分の国で振る舞っているのと同じに振る舞っているだけなのですが、それが日本人の常識とは合わないのです。

私達は他所の土地に行けば、この場所には、この場所のルールが在るに違いないと考えて、なんとか合わせようと努力しますが、彼の国には、そう考えない人が多いようです。

実際に先に待っている人を勝手に追い抜いてしまったりします。

団体がイヤなら、最初からそういう予約は断れば良いのでは?と思う方もおいででしょう。しかし彼らは予約を断ってもフリーで大勢でやって来ます。ツアコンの一人だけが順番獲りをして、「18ニンね!おネガイシマス!」と言って来ます。

いきなり18人は困りますよ。それに18人なら18人全員が並んでくれないとダメですよ、とこちらが申しますと、日本語が分からないフリをして、

18ニンね!18ニン!

ですから店側としては実に困るわけです。

店にはマナーの悪い客を断る権利があります。これは基本的人権のごときものです。

しかし、まあ、その表現が

Japanese Onlyだったのは、なんともマズかったですねえ。

ご主人は、今度から「Japanese Language Only」にするよ。差別のつもりはないよ、と新聞記者に語ったそうですが、これではマナーの良い多数の外人さんを断る結果になってしまいます。

誰かに相談すれば良いのに!

と思います。

マナーの悪い客を断るのは差別ではありません。

大変面倒ですが店内のルールを書いた紙を用意し、さらにそこに、もし違反したら出て行って貰うぞと明記して配るとか、商店連合会や料飲組合に相談してくれれば、既に色々ノウハウは在ったのですけど、天麩羅屋さんは怒りにまかせて、やってしまったのでしょう。

そして、それをおそらく内心百も承知でありながら、大手新聞の1面に載せた、というところに私は「違う意図」を感じるのです。天麩羅屋の件を利用してやろう、という意図を感じます。

だいたい、朝日さんという750万部を発行する大手メデイアが、一商店主に攻撃を仕掛ける、ということは公平性の観点でも良くありません。相手は力を持った政治家や官僚ではないのです。

闘う相手を全く間違えていて、不公平だと思います。

今後はこうした悪意の応酬が浅草に及んで来ませんように。

南無観世音菩薩。

 

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根津権現

4月の後半って、もったいないなあ、と思います。

何がもったいないって、この時期の良い天気が、です。

花見の時期はまだ肌寒いですが、この頃にはだんだんと温かくなり、のどかな陽気なのです。でも世間は花見とGW連休の谷間で、また入学・入社などでなにかと忙しい時期でもあるので、観光に出かける方が少なくなる時期です。もったいないです。

この頃の浅草を満喫している人はというと、外人さんですね。

外人さんはGW連休とか関係ないので、純粋に日本の良い時期を目指してやってきます。で、やたらと外人さんが目立つのが、この季節でもあります。

この時期は観光の仕事が一段落する季節ですので、少し私達が風流なことをさせていただいても、よろしかろうと存じます。

でも桜は終わっています。

そこで、今春「東都のれん会」は例年開催している桜の花見会を変更して、つつじの花見を開催しました。

場所は根津の根津神社。

浅草から言問通りを西にどんどん行くと上野の山のすぐ向こう側が根津で、都内有数のつつじの名所です。

昇殿参拝させていただいた後、鑑賞いたしました。桜と違って酔客がいないのが良いですね。

お天気は残念でしたが、雨とつつじもまた良い組み合わせです。充分満足な春の一日でした。

ありがたや、根津の権現様。

追伸

JALさんの機内誌『SKYWARD』の4月号

「JAPAN PROJECT 東京ようこそ、おもてなしの首都へ」に載せていただきました。在り難いことです。ご搭乗のおりにご覧ください。

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橋の名前

今年の早慶レガッタは慶應の勝利に終わり、これにて慶應は13年ぶりの3連覇という快挙を成し遂げた次第です。

私は、大会プログラムの協賛企業だということと、当日の応援に行った以外は何のご協力もしていないOBですが、やはり地元で母校が勝つのは嬉しいことです。

さて、敗者の傷に塩を塗るようで気がひけますが、今年の慶應は広告でも勝っていました。

大会プログラムには、弊社のようなOB企業が協賛広告を出していますが、その他に元選手からのメッセージ広告も出稿されています。

出漕する後輩に向けて、

完全勝利を祈る!とか、

全身全霊で漕ぎ切れ!

といったメッセージを贈るのが通例ですが、そんな広告をペラペラとめくっていた私は、一つの毛色の違う広告を見つけました。

広告主は慶應義塾平成16年卒業生一同。

1ページの全面を隅田川の橋の遠景写真が占めています。

で、その写真の端に付けられたメッセージは、

「橋の名前、覚えた?」

勿論、メッセージの真意は橋の名前を覚えてないようでは勝てないぞ、という忠告です。

レガッタのコースは3.750メートル。

両国橋の少し下流でスタートして、「橋の博覧会」とも言われる多数の橋をくぐりながらボートは走ります。

両国橋

蔵前橋

厩橋

駒形橋

吾妻橋

東武鉄道の橋

言問橋

東武以外は「東京都選定歴史的建造物」です。

そして言問橋の次の「桜橋」を過ぎたところでゴールです。

「桜橋」は1985年に完成した新しい橋ですが、隅田川唯一の歩行者専用橋で、上から見るとX字形の面白い形をしています。

歩行者専用の橋ですから、レガッタ当日は両校の応援団や群衆で溢れかえっていて、その群衆の歓声の先にゴールが在ります。

ボートレースはペース配分が何より大事ですから、こうした橋の名前と形状、ゴールまでの距離、川の曲がり加減を完全に記憶しないといけません。

それも、この大会は事前にリハーサルが全く出来ないので、選手は別途現地調査をして地理を頭に叩き込む必要があるのです。

本当は、それぞれの橋の歴史的経緯までも覚えていただけると嬉しいですが、それは、まあ、卒業してからでも良いでしょう。

「橋の名前、覚えた?」

という、この広告は内容でも、それから表現の軽やかさでも、早稲田に完全勝利していたと思います。

いいぞ、水の王者、慶應。

追伸

JALさんの機内誌『SKYWARD』の4月号

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佃煮最中

佃煮最中を作って食べてみました。

河治和香先生が「駒形どぜう」さんの三代目をモデルにした小説『どぜう屋助七』を書かれましたが、その小説ベースにした、「どぜう講談」を聞く会が開かれることになり、当然どぜう料理も付いているのですが、その講談を聞きにくるのは、以前からのどぜうファンばかりで、さんざん召し上がった経験がおありなので、何か新企画が欲しいね、それも小説の登場人物に関係する企画がいいね!

と、いうことで、この小説に登場する最中の皮屋の「種亀」さんと「ちんや」がコラボすることに成った次第です。

三代目の当時「ちんや」は未だ「狆屋」で、牛鍋屋に転進していないのですが、まあ、そういう細かいことを言うのは止めましょう。

禅は急げイヤ善は急げ、で試してみますと、結構旨いのです。

しぐれ煮とそぼろ煮のどちらが良いか、両方試してみましたが、両方ともまずまずでした。

良く考えましたら、最中の皮は元々米粉ですから、合わない理屈がないですね。やってみるもんです。

結局そぼろの方が甘いので、会にはそぼろ最中を出しましたが、しぐれ最中もいけると思います。

皆さんもお試しあれ。

あ、そう言っても、最中の皮だけはあんまり市販されていない・・・か・・

追伸

JALさんの機内誌『SKYWARD』の4月号

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隅田公園のタリーズコーヒー

花見の時季、隅田公園のタリーズコーヒーさんは大盛況でした。

え? 花見の時季の公園と言ったら、テキ屋の屋台じゃないの って?

それがですね、今はタリーズさんなんです。在るんですよ、公園の中にタリーズさんが。

最近台東区役所が区画を造成して⇒入札を募り、タリーズさんが入札に勝って入居した次第です。

たぶん皆さんは、花見をしようと公園に出かけて、そこにスタバとかタリーズとかが在るより、テキ屋の屋台が出ていた方が楽しい!と思っておいでだと思います。

その感覚が普通だと私も思いますが、行政的には違います。

テキ屋は、食品衛生とか、火気の取り扱いとか心配だ、というのが行政の立場です。福知山の花火の爆発事件が記憶に新しいですしね。

それに一部のテキ屋が未だに反社勢力と手を切れていない、という話しも聞きます。

商標権も軽く無視していて、「B1」で優勝した、なんとか焼きソバの幟を堂々と立てて売っているテキ屋もあるようです。

で、結局薬局タリーズさんになったわけです。

行政が業者を誘致するとなると入札をしないといけません。しかし採算の見込みはどうでしょうか。

公園の中というのは人が通る時間帯がごく限られていて、雨など降ろうものなら、すっかり閑散としてしまいますから、採算はとてもとてもきびしいと思います。

入札するっていう計画を聞いた時、私は、

これは大手しか入れないよなあ、たぶん。

と思いましたが、果たして外資の大手さんでした。せめて日本資本のお茶とかなら良かったと思うのですが、

結局薬局、アメリカのコーヒーです。うーん。

タリーズさんに恨みは全くないのですが、

外人さんが寛いでいる様子を見かけると、

ここはいつからシアトルに成ったんだ!と思ってしまいます。

なお、隅田公園の東岸つまり墨田区側に屋台を出している業者さんは、テキ屋ではなく、

茶店は向嶋墨堤組合さん、つまり芸者衆の組合。

焼きソバや焼き鳥を売っているのは、なんと向島の町会さんです。テキ屋を排除したい墨田区役所の意向を受けて、町会つまり町の住民の皆さんが屋台を運営しているのです。

へええ!でしょう?

この件では墨田区に負けていると言わざるを得ません。

ザンネン。

追伸

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大きな熊手

へえ、知りませんでした。浅草に長いこと住んでいますが、知りませんでした。

熊手というものは、そういう資金で買うものだったんですねえ。

たしかに鷲神社の「酉の市」に参りますと、政治家の方が大きな大きな熊手を買って行くのを目撃します。

政治資金規制法にしたがって政治資金で買っているとは思えませんから、死罪で買っている、イヤ私財で買っているのだろう、と思っておりましたが、D♡Cさんから貰ったお金で買っていたのですねえ。

ワタナベヨシミ先生が買った、8億円もする熊手というものを是非見てみたかったです。「酉の市」では買い物が済んだら、景気良く手締めをする習慣がありますが、8億円ともなれば、さぞ盛り上がるのでしょうねえ。

来年も買っていただきたいですが、無理でしょうか。

もう一つ、へええ!だったのは、サプリって、そんなに儲かるのね!ということです。錬金術って存在したのですね。

まあ、「錬金術でリッチに」という夢が芽生えるのは良いことかもしれませんが、それはさて置きまして、

今年の鷲神社の「酉の市」は、

11月10日(月)と、

11月22日(土)の2回です。

是非是非お出かけ下さい&大きな熊手をお買い上げ下さい。

追伸、

4/1は火曜日で通常なら休業日ですが、春休み中ですし、隅田公園桜祭りも開催されますし、臨時営業いたします。行楽のお帰りなどに、どうぞ御利用下さい。

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