親子丼
雑誌『一燈照隅』に軍鶏鍋「玉ひで」さんが親子丼を値上げした時の話しが書いてあって、面白く拝読しました。
「玉ひで」の当代が若い頃、軍鶏は貴重品でした。
闘鶏に使う軍鶏は、闘鶏が盛んに行われていた時代は確保できていましたが、戦後闘鶏が禁止になってから数が激減してしまいました。いったん途絶しかかったのを、1977年ごろから「玉ひで」の先代と農水省などが復活させたのですが、そういう次第でしたから、一時は貴重品でした。
ちょうどその頃、「玉ひで」さんで売れていたのが親子丼でした。
600円という安価な値段で出していましたから連日長蛇の行列が出来ていましたが、並んでいる人は軍鶏の親子丼と勘違いしていたかもしれません。
が、実は違いました。先代は、軍鶏は高級なものだから親子丼には使わないと決めていたのです。「下町の大衆食堂で良い」とも言っていたそうです。
その仕分けを当代が変えました。
先代の3回忌を待って、親子丼も軍鶏にしたのです。値段も当然上げました。
値上げすれば行列はなくなるかもしれませんから、失敗すれば恥をかいたことでしょう。
しかし、値上げの趣旨を書いた広告を出し、店内も改装・人手も確保してサービスも厚くすることを宣言した結果、値上げ当日以前の倍の人が並んだそうです。
老舗が永く続く間には材料の事情が変わることもあります。
その境目にどう対処するか、当主は見解を問われますね。参考になる記事でした。
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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。