北新地

大阪北新地の通りは何故曲がっているのかを学びました(笑い)
国際観光日本レストラン協会「第5回青年後継者の集い」が大阪で開催されましたので、私はOBとして参加したのですが、その勉強会の講師だったのは、協会関西支部の小西事務局長でした。昭和40年代から大阪の料理業界に関わっている大ベテランですが、そのお話しの中で、北新地の成立の件が出てきました。
17世紀後半、幕府の命を受けた河村瑞賢が、並行して流れていた堂島川・曽根崎川を改修して新地を造成しました。川にそって街区を造ったので、真っすぐでないのです。今はそれが街の魅力になっていますけどね。
やがて1909年、「キタの大火」で出た瓦礫によって、曽根崎川は埋め立てられ、川の両岸に在った「堂島新地」と「曽根崎新地」が合体して、「北新地」と成った次第です。
つまり、17世紀に幕府の命で造成された色街という点で、北新地は吉原と似ているのです。
北新地は今はクラブ街に成っていますので、東の銀座と比べられることが多いですが、成り立ちは少し違っていたようです。
勉強になりました。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.976連続更新を達成しました。すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

Filed under: 飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM
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