ウィスキー談義、ぼやき話し

 7/9〜7/10浅草は、「ほおずき市」が開かれ賑わいます。最近浴衣ブームで、若い男性も浴衣をお召しになるようです。

 なんだ、住吉の奴、また「浅草の夏の風情」の話しか。それは、7/7に読んだぞ。

 と、見せかけて、今日は違う話しです。昨日よりは緩い話しです。

 ほおずきにゼンゼン関係ありませんが、先日 ウィスキーの営業マン氏が見えました。先日、業界の会合で席が隣になり、お話ししている内に、「ご紹介したいモルトがある」ということになり、その商談で見えました。

 「ちんや」では、ウィスキーは「ニッカ竹鶴17年」を置いていて、その品質に完全に満足しており、他のものを置く予定がないため、「個人的な興味でよろしければ」と申し上げましたら、「それでも結構です」ということでしたので、お越しいただきました。

  そうは言っても、本心では、他の種類を「ちんや」に置かせたいでしょうから、一応のお話しをうかがった後は、話しを他へ脱線させないといけません。

 幸い、私・住吉史彦は、商談しに見えた方の話しを、天才的に上手に、他の話しにすりかえてしまう「天才脱線商談人」として知られております。

 ここで天才芸の一端を披露しますが、相手の方が日頃「ぼやき」たくなるような話しに持ち込むと、わりと楽に脱線します。

  第一のぼやきネタとして、「コンプラ」があります。特に大手企業の方は、日頃「コンプラ」に苦しめられていますから、座持ちが最高です。

 この時話題になったのは、酒と「アル・ハラ」の話しです。なんでも、酒メーカーなのに、採用面接の時、学生に「酒に強いか」「酒が飲めるか」と質問してはいけないのだそうです。「飲めるか」という質問は、「アル・ハラ」に該当するので、「コンプラ」の制約で、NGなのだそうです。

 その結果、新入社員の中に、ウィスキーを飲んだことがない人がいる(!)のだそうです。そんな「コンプラ」ナンボのもんじゃ、ヘンな世の中になったもんだ、と思うのは、私一人ではないハズです。こういう話しは、座持ちが最高です。

  第二のぼやきネタは、食育の後退、に関する話しです。

 食の「中食化」「外食化」が進んで、家庭の中で料理をする機会が、どんどん無くなる傾向にありますが、そこを、学校が子供に食育を一生懸命して補うわけでもないので、若い人の、食に関する知識が、やたらと貧困化しつつあります。

 なんでも、ウィスキーの原料が何か、知らない若い人がたくさんいる(!)そうなのです。ハイボールは喜んで飲むのに、ウィスキーの原料が何か、知らないのだそうです。

 こっちの話しはさすがに、そのメーカーの新入社員の話しではなく、営業マン氏が、キャバクラにウィスキーを売りこむべく、商談しに行ったついでに、お姐ちゃん達から聞き取りした結果だそうです。

 いやいや、こういう話しは、なかなか面白く、座持ちがします。

  やがて、次の来客の時間=タイムUPとなり、営業マン氏は、結構なモルトを「サンプル」として、置いていって下さいました。御ありがとうございます。

 頂戴した酒は大切にゴチになります。また後日自分がバーに行く時は、なるべくその酒を注文します。業界の会合に出た時は、「いやあ、あの酒は旨いですよ!」と吹聴することにしたいと思います。

  ああ、楽しきは、脱線商談。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 あ、そうそう、「浅草」+「朝顔市」とキーワードを入れて検索して、その結果、このブログに入って見える方が、結構おいでのようですが、「朝顔市」は入谷で、「ほおづき市」が浅草ですのでね、ご注意願います。

 *ニッカ竹鶴17年については、こちらです。

浅草ぐるめトランプ

 「浅草ぐるめトランプ」なるものを作るとかで、「コーセンドー」という会社の方が見えました。

 このトランプは、その会社がオリジナル制作するトランプで、成田空港や秋葉原などの土産物店や、ネット通販でも販売するのだとか。

 載せていただくのに、費用がかかるわけでもなし、取材も簡単=商品名、店舗名、英語訳と写真撮りだけなので、お受けしました。

  どういうわけか、ジョーカーは東武鉄道の特急列車の写真だそうですが、それ以外は食べ物です。浅草のいろいろな食べ物の店が、エースからキングまでの全52枚に、ふり当てられるようですが、どの御店の、どの食べ物が、どのマークの何番になるのか気になりますよね。

 どの御店も、「4」とか「2」でなくて、エースとかキングになりたいでしょう、たぶん。

  渡された資料に付けられていた、カラーのデザイン案では、スペードのエースが天丼になっていましたから、そういうイメージのようです、「コーセンドー」さん的には。

  浅草にはスイーツも多いですが、スイーツは、やはり女性のイメージなので、クイーンは甘いものでしょう。「舟和」さんの芋ようかんとか、「西むら」さんの栗むし羊かんとかが、クイーンでしょうかね?

 浅草は、日本一のすき焼き屋の集積地でもありますから、まさか、すき焼きは粗略にはされますまい。キングしかないですよね、すき焼きは。

  うーむ、ということは、いろいろ考えていくと結局、ハートのキングか、オレ様は。

 ハートのエースは、こっ恥ずかしいから、遠慮しといて、「Kバー」のK社長に譲ってやろう。 

 え? おこしの「TW堂」のH社長も、スイートな人だって? 

  もうメンドくさいから、どうぞ勝手に、決めて下さい、その辺は。

   本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

マッコリブーム、にごり酒

 御酒の「菊正宗」の、営業マン氏が見えました。何のご用かと聞けば、新商品「にごり」を買って欲しいとか。

「どぶろく」気分!?の甘酸っぱくて濃厚なお酒です。」とキャッチコピーがついています。

  サンプルを試すと、うーん、本当に甘酸っぱいなあ。「濃厚」と書かれていますが、アルコール度数が7〜8%と低いので、カクテル感覚の飲料ですね。酒の分類としては「リキュール」です。

  どうして、この酒を開発したんですか?と聞けば、「いやあ、マッコリがブームなもんですから・・・」

 そうか、マッコリがブームなら、そいつには「ちんや」も、是非乗らせてもらおう!と、私が思うハズもなく、酸味の強い酒は、すき焼きには合わないので、丁重にお断りしました。

  「そんなことおっしゃらないで下さいよ。これをキッカケに日本酒に入って来てくれる若い人もいると思うんですよ。」

 うーん、そうですかねえ。現存の、他の酒と比べて味の開きが大きいと思いますよ。

 むしろ、そっちよりも期待できるのは、酒に弱いが、宴会には出たい、あるいは出ないといけない、タイプの人じゃないですかね。

  「低アル商材」っていうことですか?

 そうそう、そうですね。そういう売り方なら、有りかもしれませんけど・・・

 「低アル商材」とは、アルミニウムの含有量が少ない酒のこと、では勿論なく、普通の日本酒(度数:15〜17度)に比べて、アルコール度数が低い酒のことです。最近の若者は、酒に弱くなってきたので、メーカーとしても、対応が必要ということです。

 私などは「最近の若者は、酒に弱い」というより、「鍛えられなくなったのでは」と思ったりします。私が20歳代前半のころ、つまり今から20年前には、アル・ハラ全開のハードな飲み会を、数え切れなく経験し、相当飲めるようになりました。

  でも、昨今の若い人は、簡単に「ボク、飲めないんですよ!」などとぬかします。

 なにい、そちは余の下す酒が飲めぬ、と申すか! 腹を切れい!(この行だけ時代劇)

などど言えば、今時訴えられかねません。要注意です。

 そういう場合に、「低アル商材」があれば、弱い人は、そっちを頼めば良いわけで、そもそも、そういう悶着がなくて済みますね、たしかに。

 先日も、とある若手経営者グループの飲み会が開かれた居酒屋に、ハイボールに蜜柑をしぼって入れたドリンクがありました。わざわざ、メニューを1枚、そのドリンクのために別に用意して、「是非売り込みたい」という風情です。

 そのメニューを見て、もともとハイボール懐疑論の、私は叫びました、

  ウイスキーは、それだけで美味いものなのに、炭酸を入れるなんて、如何なもんかと思うね、そこにさらに蜜柑を入れるなんて、アンビリーバブルだよ、誰が飲むんだろう?

  と、わめいていたら、私の隣に座っていた、宗教用具店ご経営の、H恵女史があっさり注文しました、

 「アタシ、これ下さい! 蜜柑の入るハイボール!」

  あ、いいんですよ、もちろん、姫様は。

  兵隊どもは、許さんぞ、ちゃんとした酒を飲めえ!

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

東京人と坂本龍馬

 雑誌「東京人」8月号(7/3発売)に出てほしい、ということで、編集部の人が見えました。

 「いろいろ、お話しを聞かせて下さい」とおっしゃるので、私は、すき焼きの歴史と未来について、さらには浅草の歴史と未来について、取材嬢相手に、小一時間かけて、縦横に語ったのですが、結果、出来てきた校正は、ごく通常の「ご主人紹介記事」でした・・・

 良く考えると、それは当然ではありまして、私が出ますのは、Kビールさんが持っている、広告枠の一部です。つまり、いわゆる「記事広告」の一種でして、しかも、60mm×50mmの寸法に、納めないといけないので、そう変わったことも書けません。

 まあOKでしょう。今回お話ししたことが、いつか将来の、どこかに載る記事に反映されれば、良しとしましょう。

  ところで、私が出るのは「東京人」の8月号ですが、6月号の特集記事は「坂本龍馬の江戸東京を歩く」でした。取材嬢が「これは見本として差し上げます」と下さいました。

 NHKで龍馬のドラマをやっていて、ブームですから、便乗したのでしょう。今まで龍馬に強い関心を持たずに来て、龍馬初心者である私も、乗せられて読んでしまいました。

 読んで再度確認したのですが、どうも龍馬には、うらやましい要素が多すぎて、いまひとつ私は共感できないのです。非業の最期を遂げたことまで、うらやましいくらいです。それで今まで、強く惹かれてこなかったのだと思います。

 司馬遼太郎でも「竜馬がゆく」はまだ読んでいません。同じ司馬作品でも、徳川慶喜を描いた「最後の将軍」や、幕府の最後の典医だった松本良順を描いた「胡蝶の夢」、最後の土佐藩主・山内容堂の「酔って候」などは、繰り返し読んでいるのに、です。

  どうも、私は歴史の負け組に惹かれるのです。特に、龍馬と同じ時代に、同じ土佐藩に生きたのに、龍馬とはほとんど接点のなかった人物・山内容堂には惹かれます。

 容堂は、才気と豪腕を持ち合わせ、ポエジーまであり、しかも稀代のヨッパライ大名でした。幕末の激動の政局の中で、空中分解しそうになる藩を、豪腕をもって統率し、一方、中央政界では、幕府と倒幕勢力が正面衝突しないよう、必死に奔走しました。

 しかし、それだけの才覚をもってしても、歴史の流れには勝てず、結局薩長と幕府は開戦、融和的な政権を造る望みは叶いませんでした。

 歴史を回天させたのは、ご存じの通り、容堂のもとから脱藩した、龍馬と

中岡慎太郎、加えて脱藩してはいないものの、龍馬や慎太郎と通じていた、後藤象二郎、板垣退助などでした。

 容堂は、最終的には、しぶしぶ薩長方に加わりますが、そうせざるを得ないことが確定した日、つまり王政復古の、その日に痛烈な酔態を演じます。天子の御前の会議の席で、ヘベレケとなり、悪態をつきまくった様子が、司馬の「酔って候」に、鮮やかに描かれています。

  痛烈な酔態ー自分が演じる日が来るでしょうか。

  それに比べると、テレビの龍馬は、どうもねえ、という感じです。

 だいたい、役者が福山某じゃあねえ。浅草のすき焼き屋の方が、数段イケてますから。

 ねえ?

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「東京人」について、詳しくはこちらをご覧下さい。8月号は7/3発売です。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (0)

鉄関係の絵=吾妻橋真画

 先日、鉄関係の会社に勤める知人が来店しましたので、部屋へ顔を出しましたところ、

 「いやあ、季節で絵を掛け変えるのは、大変ですよねえ」と褒められ、絶句してしまいました。

  その時掛けていたのは、井上探景の「大日本東京吾妻橋真画」という絵なのですが、この絵の中で、吾妻橋のほとりに描かれている花は、この時期=6月の花ではありません。吾妻橋が架かったのは、明治20年の12月9日のことですから、情景は冬でして、今はと言うと夏・・・ですよね。

  その人は、実際に良く絵を見たわけではなく、

  料理屋=季節で絵を掛け変えるもの⇒それを「大変ですよねえ」と褒めておけば⇒店の人は喜ぶに違いない、と考えたのでないでしょうか。

  「ちんや」で掛けている、明治の開化絵は、美術品というより、ジャーナリステイックな性格の絵ですので、季節の風情がテーマになっていることは、あまり多くはないのです。井上探景という絵師は、そういうこともテーマにしていた数少ない絵師ですが、それ以外の、だいたいの絵師がテーマにしたのは、

 「最近、こんな凄い建物ができたよ!」とか、

 「最近の華族様というのは、こういう服をお召しになるんだよ!」というようなテーマです。

だから、四季をうまくカバーする作品を収集しにくく、結果として、季節外れの絵を掛けている場合があります。

  今回の「吾妻橋真画」にしても、そのお客様が、鉄関係のお仕事の人だったので、掛けていたのです。吾妻橋は隅田川に初めて架かった、鉄の橋だったので、そういう理由で、その方にあわせて掛けていた次第です。

  吾妻橋のたもとに本社がある、アサヒビールの社員の方が見えた場合にも、「吾妻橋真画」を掛けることがあります。今自分の本社がある場所は、明治時代は、こんな景色だったんだ、と知っていただきたい、という趣旨です。

 気づいていただけると、嬉しいです。

  なお、カリスマ受け売り師の、住吉史彦先生によると、

  この吾妻橋は、練鉄製の本体を三連ピントラス形式で支える構造で、一方床面は、馬車や人力車に対応して、木床であった。橋長148.8mと当時としては長大な橋梁で、またスタイルも新しかった為、市中の話題となり、開通式も盛大だった。この橋は関東大震災(1923年)で崩壊し、その後現在の橋に架けかえられた。

 絵師の井上探景(いのうえ たんけい:1864〜1889年)は、浅草の呉服屋の子であったが、幼少より絵を好み、同じ町内の小林清親(きょちか)の門弟となった。風景画にすぐれ、『東京真画名所図解』などの傑作を残したが、26才の若さでこの世を去った。

―っていうことだそうです。ご静聴ご苦労さんでした。

*「ちんや」が所蔵する、開化絵はネットででも覧いただけますので、こちらから是非どうぞ。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:47 AM  Comments (2)

帯祝い

 先週の土曜日、「帯祝い(おびいわい)」のお客様がありました。

 「帯祝い」 について念のため、おさらいしますと、「帯祝い」とは、妊婦さんが、妊娠五ヶ月目にあたる戌(いぬ)の日に、安産を祈願して腹帯を巻く儀式のことです。犬は子だくさんで、安産の象徴と考えられているので、その犬の性質にあやかって、戌の日に、妊婦の安産を祈願する儀式が「帯祝い」です。

 この日に巻く腹帯は「岩田帯」と呼ばれます。五ヶ月目には、妊娠の「安定期」に入るので、この帯で、目立ってきたお腹を保護すると共に、「岩のように丈夫な赤ちゃんを!」という願いも込めるそうです。

 家族が集まり、この腹帯をした妊婦さんと共に、神社に出向き、安産を祈るのが一般的な形です。

 こうして神社に出向いた後、当然何か召し上がるわけですが、そういう流れで、「ちんや」をご利用いただくことがあるようです。

 今回もそういうケースで有り難いことでした。「ちんや」は「狆屋」ですので、犬関係?の方はウェルカムです、もともと。

 別に「帯祝い」のような、あらたまった御席でなくても、妊婦さんが「ちんや」へご来店になることは、実は結構多いです。肉を食べて精をつけよう、という発想は当然のことですが、加えて、こういう時くらい、ちゃんとした食べ物を食べよう、という心理もあるようです。

 これは大変、結構なことと思います。お子さんがお腹の中にいる時は、伝統的で自然な食べ物を是非、召し上がっていただきたいと思います。

 お母さんが妊娠中に、変な食べ物を召し上がることで、お子さんが、生まれる前から、食品添加物を取りこんでしまうのは、実に良くないと思います。精をつけるだけでなく、安全なものを、是非、召し上がっていただきたいですね。

 召し上がっていただきました上、無事出産されたら、もちろん、お子さんと一緒に、「ちんや」へご来店いただきたいと思います。

 ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 お子さんは、きっと「ちんや」の肉を食べたいと思いますよ。なにしろ、生まれた時から、「ちんや」の味を覚えていますから。

 いやあ、それって、商売としては、理想形かもしれませんね。有り難いです。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

立派なビルが建っちゃって

 先日、お取引先の紹介のお客様が見えたので、その部屋へ挨拶にうかがったら、年配の方でした。その方が、おっしゃったことは「いやあ、「ちんや」さん、こんな立派なビルが建っちゃって驚いたよ!」

  こんな立派なビル?

  最近、浅草界隈には、高層マンションがたて続けに建っているので、そういうビルの話しをなさっているのか、と思ったら、違うのです。どうも「ちんや」がビルになったことを言っておいでなのです。と、いうことは、昭和50年以前の(=先代の)建物と、今のビルを比較して「立派」とおっしゃっているわけです。

  先代の建物は、先々代の建物が、太平洋戦争で焼けた後、終戦直後に建てられたもので、およそ30年間使われました。私はそこで生まれ育ったのですが、お世辞にも「立派」とは言い難いものでした。

 昭和50年竣工の、今のビルと比較しても、戦争前の結構立派な先々代と比較しても、見劣りがします。だから、今のが「立派なビル」というのは間違いではないのですが、それにしても、今頃そう言っていただいてもねえ、という感じです。

  現在のビルも、既に築35年が経過して老朽化し、実は、あちこちに不具合が出てきています。メンテナンスに毎年多額のお金を投じているのが実態ですから、今頃「建っちゃって」というのは、当事者としては、かなり違和感があります。

  そう思っていたら、翌日も、店の玄関で、ほとんど同じ趣旨のことを、別のお客様から言われました。

 「40年ぶりに、思い出の「ちんや」さんに来たんだけど、いやあ、この前と随分変わっちゃったねえ。」

 実は、こういう話しは、結構頻繁に聞かされるのです。こちらとしては、「うーん」という感じですが、そういう感覚の方がたくさんおいでなのだと思います。

  ご来店の頻度が、「数十年に一度」という極端に低い頻度でも、思い出の中の印象は、薄いわけではないらしく、良い印象であった場合は鮮明に覚えていただいているようです。その、思い出の中の「ちんや」と現物が違ってしまうと、残念に思って、「変わっちゃったねえ」という御発言につながるようです。現在が「立派」であっても、あまり嬉しくはないようです。

  思いまするに、建物=半永久・人間=はかないもの、ではなく、その逆のようです。人の一生の間に、実際、先代の建物は築30年で取り壊しとなりましたし、築35年で、先代より長生きしている、現在のビルも、維持するのに難儀しています。

 むしろ人間の思い出の中の、「ちんや」が半永久で、現物の「ちんや」の建物の方はと言うと、永久ではないのです。

  先代の建物は取り壊されましたが、お客様の思い出の中に、半永久に生きていることを、つくづく有り難く思います。

  それにしても、そういうお客様には、もう少し頻繁に来ていただけないもんでしょうかねえ。

 毎月来て欲しいとは、申しませんから。

 3年に1度くらいで結構ですから、なんとかひとつ、よろしくお願いします。

 *太平洋戦争前の建物をご覧になりたい方は、いったんこちら(=「ちんや」サイト表紙)を開け、表紙>ちんやへのご案内>外観 の順で開けて下さい。

Filed under: すき焼きフル・トーク,今日のお客様 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (0)

高橋是清

 5/24の新聞各紙に、カードのJCB社が全面広告を出していましたが、その広告の内容に驚いた人もいると思います。文字だけの広告で、その文字は1929年の、宰相・高橋是清(たかはし・これきよ)の言葉の引用でした。長いですが、転載しますと、

 「仮に或る人が待合(まちあい)へ行って、芸者を招(よ)んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を消費したとする。是れは風紀道徳の上から云へば、さうした使方をして貰ひ度くは無いけれども、仮に使ったとして、此の使はれた金はどういふ風に散らばって行くかといふのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部となり、又料理に使はれた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及び其等の運搬費並に商人の稼ぎ料として支払はれる。此の部分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者其の他の生産業者の懐を潤すものである。

 而(しか)して是等の代金を受取たる農業者、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住其の他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、其の一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、其の他の代償として支出せられる。(中略)

 然るに、此の人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。

 故に、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、其の人に取って、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、寧ろ其の方が望ましい訳である。」

 この話しは、経済学部に行ったことのある人は、産業連関の話しだよね、とすぐ分かりましょう。そうでない人も、景気が悪いのは、皆が節約ばかりするからだ、と理解できましょう。

  そして「理解できましょう」程度の話しではないのは、飲食業であるところの「ちんや」で働く、我々のような者です。この話しは、大変身近な話しです。

 時代が違うので、今時の風俗産業の主力は、「待合」ではありませんで、違うタイプの店ですが、是清的な男がそういう店に行く前に、店のお姐さんを誘い出して、少し高級な飲食店で食事をし、その後、男女同伴で出勤する=いわゆる「同伴需要」というものが、我々の業界には、結構有ります。いや、有りました。

  ところが、ご存じのリーマン・ショック以来、そういう行動をする男がめっきり減ったようで、その結果、世の中への金の回りが悪くなっています。お姐さんの店で金を使わなくなったのは勿論、少し高級な飲食店、例えば「ちんや」で食事もしなくなっていますから、経済への波及効果が、ダブルで小さくなっているわけです。

  そんな御時勢に掲載されたのが、この全面広告ですが、それではここで、この広告が利いたか、どうかをご報告したいと思います。結果は=結構、利いたかもしれません、はい。

 この前の金曜の夜、店の玄関に立っていたら、結構ご来店があったのです。「お、同伴だな」「いやあ、ケバいねえ」というタイプの。店の外の、雷門通りを通る人の中にも、そういった方面の方がチラホラと。

  え? なんで、同伴かどうかわかるのか、って?

 まかせて下さい。その鑑定の眼力については天下一の自信があります。私と「ちんや」の下足番Iが二人がかりで、鑑定すれば、まず間違いはありません。

  ひとつだけ、手法をバラしますと、靴に注目することがポイントです。「ちんや」は靴を脱いで入っていただきますが、靴の趣味が、男女で同じか、それともまったく違うかを見ると分かるのです。当たりますよ、これは。

  ちなみに、わが地元・台東区の地場産業である、皮革産業にとっても、お姐さん方は、上得意中の上得意です。何足もの靴を次から次へ、どんどん購入してくれるのは、彼女たちくらいのものです、世の中で。

 そういう意味でも、是清男には、いっそう奮励努力して、散財していただきたいものです。

  料理・サービスとも差は有りませんから、正真正銘のご夫婦でも、同伴でも。

  本日も下らない話しを最後まで読んで下さって、ありがとうございました。カリスマ同伴鑑定士の、住吉史彦でした。

「狆屋」の後継者

 「ちんや」の玄関の、下足番の席にはビーフ・ジャーキーがストックしてあります。人間用ではなく、犬用のビーフ・ジャーキーです。可愛いワンコが散歩で周って来て、「ちんや」の前を通りかかると、下足番のオジサンは、外へ飛び出していって、ワンコにジャーキーを与えています。

  「狆屋」の後継者たる、「ちんや」だから、必須の業務として餌付けを遂行している、わけでは勿論なく、単に彼が犬好きなのです。

 餌付けの最中に、偶然「ちんや」へ入ろうとした、お客様が可愛いワンコに気がつき、一緒になって、そのまわりを囲み、餌付けに飛び入り参加、なんて言うこともたまにあります。

  そのように餌付けをしているワンコの中に、柴犬の夫婦がいました。そして、この春、その夫婦の間に、それはそれは可愛い子犬が5匹生まれ、飼い主の方は、夫婦の柴に加えて、子犬をカートに乗せて周ってくるようになりました。

 やがて、3ヶ月くらいが経過し、子犬たちには里親が決まり、カートの中の子犬の数はだんだんと減っていきました。

  そんなある日、下足のオジサンは、いつもの飼い主さんが、ワンコを連れずにやって来て、「ちんや」の中へ入ろうとするので、驚きました。

 どうしたんですか? と尋ねると、

 イヤ、今日は、すき焼き食べに来たんだよ。入っても良いんでしょ?

 ええ、ええ、それは、いらっしゃませ、どうぞ、お入り下さい!

  というわけで、飼い主さんと一緒に入店された、もう一人の方は、子犬を引き取った、里親さんのようでした。係になった、仲居の話しによると、最初から最後まで、犬の話しで盛り上がっていたとか。なんとも、微笑ましいですね。

 これも、ワンコの取り持つ御縁と言うのか、有り難い話しです。

 今度から、正式に「ワンコ受付」を造って、組織的・徹底的に餌付けするか!

 なんたって、われらは「狆屋」の後継者だし、売上につながりそうだし。

 ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「狆屋」については、いったんこちらを開け、表紙>ちんやへのご案内>沿革の順で開けて下さい。

Filed under: 今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 10:17 AM  Comments (0)

アートアドバイザー会議

 5/20は、私の地元・東京都台東区の、「アートアドバイザー会議」があったので、出席しました。

  「台東区アートアドバイザー会議」は、区の文化施策の方向性や、芸術家の育成支援などについて検討し、区長へ助言を行うため、平成18年度に発足した会議です。

 会議のメンバーは、音楽・美術・舞台など異なる分野の芸術家や専門家であって、かつ台東区にゆかりのある人で構成されていて、活動内容は、主に「台東区芸術文化支援制度」が資金助成をする企画を選び、選ぶだけでなく、助成対象となった企画が、より魅力的に実施できるようサポートを行うことです。

  5/20の会議の内容も、「支援制度」が本年度に資金助成する企画を選ぶための、第一次審査でした。

 参加メンバーは、日経新聞文化部編集委員の池田卓夫さん、女優の観世葉子さん、芸大音楽学部准教授の熊倉純子さん、芸大BiOnの社長・鶴見俊一郎さん、薩摩琵琶の友吉鶴心さん、お能の坂真太郎さん、ヴィオラ・アルタの平野真敏さん、それに私です。

  ほとんどの方が、会議が発足する前の、制度設計の段階からの、おつきあいですから、かれこれ5年になります。お互い、気心知れてきていて、厳格であるべき審査の途中でも、冗談を飛ばしあって、話しが横へ逸れてしまいます。

 「スミマセンけど、そろそろ話しを戻していただけますか! 進めないと、5時までに審査終わりませんよ!」と言われながらの審査です。本年度は、50件の助成申請があり、1件ずつ丁寧に議論しますから、結構骨でした。

  ところで5時までに審査を終わらせたかった理由は、他でもありません。それは、歓送迎会!

  芸大BiOnの鶴見俊一郎さんは、最近アートアドバイザーに就任されたので、その歓迎会です。それから、区役所の方も人事異動があって、4月まで文化振興課長だった、IJ氏が他部署へ異動、代わってID女史が新課長として見えました。またIJ課長の下で、とても熱心に働いて下さった、K女史も他部署へ異動、替わってS氏が来られました。その歓送迎会というわけです。

 そうです、文化振興課長に就任したら、必ず、すき焼きを食べるのが、通過儀礼なのです。

 昼間の会議の進行は、少しだけ押してしまいましたが、なんとか50件の中から有望な8件を選び出し、ほぼ定刻で、歓送迎会の開会に漕ぎつけ(?)ました。

  この会議の特徴(?)は、頻繁に宴会があることです。この御時世なので、もちろん自腹ですが、いつも、会議の日取りが決まると「会議の後で、飲み会もあるんだよね!」という話しになり、自然と私が、そちらのセットの担当となります。だから、歓送迎会の仕切りは、私の当然の任務です。

 そういう次第で宴は始まり、今回も「台東区の文化」を肴に談論風発、楽しい会で、痛快に呑みました。

  おっと、そうだ、IJさん、Kさん、今までありがとうございました。IDさん、Sさん、今後よろしくお願いいたします。そういう趣旨でしたよね、たしか今回は。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台東区アートアドバイザー会議については、こちらです。

Filed under: 今日のお客様,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 10:05 AM  Comments (0)