野菜すき焼き

「東京会館」の鈴木直登・調理長が野菜の食事会を開催なさる、で、そのメインの料理は野菜すき焼きだと聞きまして、出かけてまいりました。

いつもの「すきや連」の有志が集まり、それに江戸東京野菜に関わっておいでの方が入り、それから板長の知人で、紀州の棕櫚を使ったタワシを作っておいでの方が加わって、面白いメンツの食事会に成りました。

さて、前菜から吸い物から、お料理は毎度の手のかかった仕事ぶりです。厨房の皆さん、お疲れ様です。

この日は「すきや連」メンバーで「月の井酒造店」のK子女史も見えていて、オーガニックの日本酒「和の月」が出て来ました。良い加減ですな。

そして、やがて野菜すき焼き。

と思いましたが、

おや、肉が載ってるじゃないですか。

これはねえ、住吉さん、出汁なんです、出汁!と板長。

やっぱり多少は旨みがないとねえ、っていうことで肉も結局入れたんですよ。

なるほど。

これは「お揚げ」ですかね。おや、麩が生麩と乾きの麩と2種類あるんですね。

これはモヤシですか。板長、「ちんや」でも冬場に「大鰐温泉もやし」を「変わりザク」として売ったことがあるんですけど、結構売れましたよ。

この茄子は可愛いですね。あっ、これが江戸野菜の固有種「寺島茄子」ですか。すき焼きに入れるのは初めてです。

タマゴがないですね、持って来ていただけませんか。

え? タマゴじゃなくて、これを使うんですか。何でしょう、これは。

あ、黄身おろしですか、以前「柿安」さんで食べたことがありますけど、旨いもんですよね。辛みが抑えてあって良いですね。

これとこれは何ですか、え?トマトおろしとミルクおろしですか。へええ、板長、いろいろお考えになりましたねえ。流石です。

どの具を、どれにつけたら良いんですか。

え? そこまで考えてなかったから、住吉さんが考えてくれ って?

あ、そうなんですね、了解です。

乾物とか、割り下を良く吸う具は甘味が濃くなりますから、黄身ですかねえ、あ、ミルクおろしも良いかもしれませんね。シラタキも良いですね。

トマトは、むしろ肉ですかねえ。

いやあ、それにしても、何だか、満腹になってきました。

野菜は、肉より満腹するかもしれませんね。

御馳走様でした。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.283日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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伊勢参り①

お伊勢様に参拝して来ました。

ついでに伊勢牛も食してまいりました。

牛と神様のどっちが「ついで」なんだ って?

そ、それはナイショ♡ということで、今日は伊勢牛(いせうし)の話しをします。

今では伊勢牛というブランド名を聞く機会は少なく、三重県の牛と言えば、なんといっても松阪牛ですが、そういう状況になったのは、昭和35年頃からのことでして、その頃から各地の食肉店で「松阪肉」 という看板掲げる店が増えてきました。

昭和10年に行なわれた「全国肉用牛畜産博覧会」で松阪牛が名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになったのですが、それ以前は、三重県一体の牛を、伊勢牛と言って珍重しておりました。

その伊勢牛の中核部分である、松阪牛の生産者などが独自の組織を作ったので、それ以外の伊勢牛が、どうしても霞んでしまった観があるのですが、伊勢牛は歴史がないどころか、そちらの方が老舗なのです。

松阪牛の生産地域は、松阪市だけでなく、その周囲の旧22市町村を含んでいます。伊勢市も、実はその地域の中に含まれていますから、伊勢市産の牛を「松阪牛」と言うことも可能です、面白いことに。

しかし、その「松阪牛」と名乗ってOKな牛を、あえて「伊勢牛」と名乗って販売している人が、伊勢市においでです。

「すきや連」で御一緒する、「豚捨」のMorさんです。

伊勢牛の歴史に誇りを持って、あえて、知名度で劣る「伊勢牛」と名乗っておいです。

今回は、その方の御店を訪ね、網焼きとすき焼きの両方をいただいて、大満足。

牛を「枝肉」の状態で搬入し、自店内で解体・精肉作業を行う、言いますから、肉のプロですね。そういう御店はやはり、味に違いが出ます。

いやいや、伊勢まで来た甲斐がありました。そろそろ帰るかな。

おっと、そうだ、忘れるところだった、お参りを。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.275日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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記念日商法

「〇×の日」を勝手に制定して、その日にあわせて販促をかける「記念日商法」が盛んですね。

まさか、終戦の日の8/15を使っている人はおるまい、と思いましたが、なんと、いました。

「日本記念日協会」のサイトによりますと、

8/15は「森のたまごの日」なのだとか。

で、その根拠ですが、

「コクとうまみ、鮮度と栄養価で人気の鶏卵「森のたまご」を製造販売するイセ食品株式会社が11月18日と毎月第3木曜日に制定。ブランドたまごの定番と称される「森のたまご」の素晴らしさを多くの人に知ってもらうのが目的。」

「日付は11月で「いい」、18日を「森のたまご」の「森」と読むことからで、「森」の字にある「木」を分解すると「十」と「八」となるため18日とし、また「森のたまご」の「森」の字には「木」が3つあることから、あわせて毎月第3木曜日も記念日としたもの。」

???

8/15が「森のたまごの日」なのではなくて、今年の8月の第3木曜日が8/15だから、結果的に「森のたまごの日」に成ったのですね。

こういう日でも、何か販促をかけたのでしょうか・・・

さてさて、私も実は「記念日協会」さんに記念日を登録しています。

正確には、私の記念日ではなく「すきや連」の記念日なのですが、

毎年10月15日が「すき焼き通の日」です。

根拠は在るのか って? 失礼な、在りますよ!

「すき焼きに関する本『すき焼き通』(向笠千恵子著・平凡社新書)が刊行されたことをきっかけに、すき焼き店とすき焼き愛好家で結成された「すきや連」が誕生。すき焼きの美味しさと楽しさをアピールする日にと『すき焼き通』の刊行日(2008年10月15日)を記念日とした」のです。レッキとして史実です。

この刊行記念会の会場が「ちんや」だったので、私が記念日の登録手続きをした次第です。

以来5年間、「すきや連」は連続15回を数えるほど続いておりまして、すき焼き屋同士もだいぶ仲良くなりました。

その御縁の記念日が「すき焼き通の日」なのです。

今のところ、この日を獲っているのは私だけですが、10/15が第三木曜に当たれば、例のたまごと同居するハメになりそうです・・・

それは、まあ、さて置き、記念日がすき焼きの販売促進に寄与しているのか、ですが、その度合いは、正直、イマイチ感があります。

でも良いんです。自分が楽しいので。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

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追伸②

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この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

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水の県

「しゅうすいいき」という言葉を日常的に使う人はあまりいないだろう、と思います。

私も、7/29「すきや連」の翌日にホテルの売店で見つけた、「びわこ検定」の解説本で初めて知りました。

「しゅうすいいき」の漢字は「集水域」でして、降った雨が、その河川や湖沼に流れ込む範囲のことを言います。分水嶺で区切られた範囲のこと、と言っても同じことです。

で、話しは滋賀県のことになりますが、滋賀県の地理的特徴として、琵琶湖の集水域と県の行政域がほぼ一致する、ということがあるそうです。

琵琶湖は近江盆地の中央にあり、周囲は山で囲まれています。

その山々を水源とする川が、一級河川だけで119本も琵琶湖に流れ込みます。この環境が淡海国を形成してきたわけですが、その琵琶湖の集水域が県の領域と同じなのです。

こういう県は、全国に3県しかありません。

山形県=最上川水系

山梨県=富士川水系のみです。

なるほど、たしかに3県とも豊かな農業県で、水を大切にする土地柄ですね。

特に滋賀県民は、琵琶湖研究所の研究員として水環境や農村生活を研究していた、カダさんを知事に当選させることで、「水の県」でありたい、という考え方を強烈に示しました。

カダ知事は、去年の総選挙ですっかりミソをつけてしまいましたが、私は、淡海国の水を護る政策は支持したいと思います。

今滋賀県では、中川畜産さんがボヤいておいででしたが、牛の畜舎すら「汚染水を出す施設」と看做されて、増設が難しいのだそうです。その施設から琵琶湖へ向かう下流域の、全部の町会のOKが出ないと、増設ができない、という規制があるそうです。

うーん。

化学工場と牛舎を一緒にするのは、いかがなものか、と思いますが、水に対する姿勢は評価できますね。

滋賀、山形、山梨。

「水の県」の動向には注目する必要があるようです。

気のせいか、3県とも、チョイ左な感じが・・・

追伸①

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肉の大獄

彦根のすき焼き店「千成亭」さんが発行している『近江牛いまむかし』というパンフレットは非常に参考になります。

たいていの肉関係の本には、明治時代以降のことばかりが書いてありますが、この本には江戸時代の彦根藩の肉食文化・肉生産体制のことがくわしく書いてありまして、

へえ~

ということもいくつかありました。

印象に残りましたのは、桜田門の大老・井伊直弼による、牛馬屠殺禁止令のことです。

直弼以前の彦根藩は公然と牛を屠殺して食用にしていた、唯一の藩でした。一応アングラなので、「薬」と称していましたが、アングラにしては売り先が素晴らしくて、将軍さえも、その「薬」を楽しみにしていたほどです。

そういう次第で彦根の「薬」は有名で、全国にファンがたくさんいたのですが、それをイキナリ直弼は禁止してしまい、将軍家への献上も止めてしまったのです。

「烈公」こと、水戸藩主の徳川斉昭も彦根肉の味噌漬けが大好きで、禁令の後も、なにとぞ譲っていただきたい、としつこく催促していたようですが、直弼は頑として応じず、そこから水戸藩との間にしこりが芽生え⇒桜田門外の暗殺につながった、という説があります。それは、まあ、話しの風呂敷を拡げ過ぎでしょうけど。

私の印象に残りましたのは、家代々の産業をズバッと切ってしまい、異論を受け付けない、直弼の強情さです。そして、そういう性格に成った原因=幼少期の不遇時代のことが気になりました。

実は直弼は、第13代藩主・井伊直中の、なんと十四男で、兄弟が多かった上に母が側室だったこともあって、養子の行き先がなくて、17歳から32歳までの15年間を、「埋木舎」と称する質素な屋敷で過ごしました。

7/29の「すきや連」のついでに、私も、この「埋木舎」を見物して来ましたが、たしかに質素で、中級武士の家といった感じです。

この家で、ひたすら兄や甥が死ぬのを待つ、という暮らしを続けながら、直弼は熱心な仏教徒と成り、それが牛馬屠殺禁止につながって行くのです。

司馬遼太郎の『酔って候』を読むと分かりますが、幕末に活躍した人物の内相当人数が、それぞれの家の長男ではなく、養子や傍系親族でした。

徳川慶喜、島津久光、山内容堂、伊達宗城・・・皆長男ではありません。現代でも養子社長が大胆な事業展開をしたりしますから、納得できる傾向ですね。

直弼の場合、こうして出来上がった性格が、政局に大きな影響を与えたように思えます。その要因が、やはり無視できません。

将軍継嗣問題、条約勅許問題、安政の大獄といった直弼の政治行動に感じられる強情さは、「埋木舎」時代に形成され、それが極端に現れたのが肉の一件だ、と私はみています。

 追伸①

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古民家再生

第15回「すきや連」のプログラムの一環で、滋賀県豊郷町の酒蔵「岡村本家」さんを訪ねました。

豊郷町と申しましても、明治時代になって彦根から分離されたのであって、元々は彦根藩。

岡村家は井伊家に酒を納めていた、という由緒を誇る蔵です。

メインの銘柄名は「金亀」。この名前も彦根城の別名「金亀城」にちなんでいます。

さて、お訪ねしまして、酒造りの説明も勿論していただきましたが、私の印象に残りましたのは、蔵の再生・古民家の再生のことでした。

NPO「とよさとまちづくり委員会」の副会長でもある御主人は廃屋と化している古民家を再利用するプロジェクトの中心人物なのです。

まず岡村さんの蔵自身、酒の製法が変ったりした関係で、空きスペースが相当あったとのことでした。それを見学コースにしたり、コレクションの展示スペースにしたり、イベントスペースにしたりなさっています。

イベントスペースの名前は「蔵しっく館ホール」。

改装に着手した当時御父上の御理解が得られず、父上が出張で留守にしたスキにやってしまったというからスゴいです。

さらに、岡村さんは近隣に多数在る、空き家の再生にも取り組みます。

まず「まちづくり委員会」が、町内にある100戸近い古民家のなかから条件に合うものを所有者に交渉して借り受け、

滋賀県立大学の、「とよさと快蔵プロジェクト」メンバーの学生達十数名が、古い荷物の運び出しから、掃除、庭の手入れ、床の張り替えまで行って、ほぼ1年がかりでリニューアルしていく、と聞きます。

延べ500人にも及ぶ人件費は全くかかっておらず、補助金も受けていない、とかで御立派です。

再生された民家の画像を、実際に見てみると、とても素人が作ったとは思えない出来ばえで、古い旅館を思わせるような佇まいも魅力的です。

作業に携わった学生達も大満足で「とても愛着があり、自分が住みたいくらい。」と話している、とか。

うーん、古くて不便な物は簡単に壊してしまう関東者とは違いますね。関東では、古い物に対して、こういう気迫や情熱がないです。

やはり、日本人をやっているキャリアが長いですからね、関西人は。

夜の宴会の後の二次会で行った彦根の色街「袋町」にも風情が残っていました。

こういう物こそが「オンリーワン」だと思うのですが、関東には少ないですね。震災・戦災で元々少ないのですから仕方ない部分もありますけどね・・・

せめて関西では、頑張って遺していって欲しいと願います。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

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伏流水

第15回「すきや連」を開催するため、彦根市に行ってまいりました。

激しい雨の降る日でしたが、

・中川畜産さんの牛舎見学

⇒岡村本家さんの酒蔵見学

⇒彦根の江戸時代の牛肉文化についてのレクチャー

⇒全国のすき焼き屋さんが集結しての大宴会@「千成亭」さん

⇒袋町に移動して、歌いまくりの二次会

⇒ホテルの部屋の冷蔵庫の振動がうるさくて、ほとんど仮眠のような睡眠

⇒朝食を摂りながら、次回以降についての打ち合わせ

と、ここまで怒涛の日程を済ませ、意識がボンヤリした私は、自分の部屋に帰ろうとして道を誤り、ホテルの売店に入り込んでしまいました。

そこで見つけましたのが、

「びわこ検定」の解説本。受験参考問題&解説100問収録!という本です。

そう言えば滋賀県のことも琵琶湖のことも良く存じませんし、「すき焼き通検定」の主催者としては、パスできない本です。

で、その本を購入して帰りの新幹線で読んでみますと、結構面白いネタが満載です。

なかでも、私の興味をひきましたので「水系」でした。

前日の宴会の最中にも、中川畜産さんから、

水系によって牛の肉質に違いが出て来る、

という話しを聞いていたからです。

中川さんが力説するのは、

鈴鹿山脈を水源とする川の流域で育った牛は、肉質が良い

ということです。

たしかに、

・愛知川(愛知郡、東近江市)

・宇曽川(愛知郡、彦根市)

・日野川(蒲生郡、近江八幡市)

・野洲川(甲賀市、湖南市、野洲市、栗東市、守山市)

の流域が「近江牛」の本場と重なりますね。

大きな川にはたいてい「伏流水」が在るので、中川さんの牛舎でも井戸を掘ってそれを牛に与えています。

うーむ、これは牛の見方に、新しい視点が出来ました。早速、中川さんに連絡をとって、今後の研究テーマに加えることにしました。

だいたいですよ、昨今は行政主導で農産物のブランドを造ることが多いですが、行政域と、こうした天然の地質とは合致しないことが多いので、そこに、そもそもの無理が在る、と私は見ています。

それだから苦し紛れに「ゆるキャラ」を造って宣伝しようとかしてしまうのです。無駄ですなあ。

実は「松阪牛」も元々は「雲出川以南、宮川以北の地域」という流域のブランドでした。松阪市役所の行政のブランドだと信じていた方! その知識はアバウト過ぎます。

たしかに「松阪肉牛協会」の会長職は、充て職のように松阪市長が兼任するのが慣例ですが、松阪市以外からも牛を出して来たのです。

ところが「平成の大合併」の結果、「雲出川以南、宮川以北の地域」の小さい町村が松阪市以外の市と合併してしまったりして、現在はヒジョーに分かりにくく成っています。

「松阪牛」とは、ただ「松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう」としか定義できないのが現況です。流域ブランド・水系ブランドとしての特色が、行政の都合で歪められないか、私は心配しています。

逆に、近江に関して申せば、エリアが広すぎて特色が出しにくい所を私は心配しています。

農産物を考え・取り扱う場合は、もっと水系とか、自然の地質に則して考えていただきたい、そこを強く要望したいと、私は思います。

追伸①

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開催しました! 第15回「すきや連」

<7/29に彦根市の「せんなり亭・伽羅」さんにて、第15回「すきや連」を開催しました。以下は会場で、参加者の皆さんに書いていただいた寄せ書きです。当日の雰囲気が分かりますから、是非お読みください。>

・時雨るるや炭の香高き鍋囲む(向笠千恵子)

・ようこそ彦根へ このご縁が満開になりますように!(上田健一郎)

・ようこそ彦根へ 出会いに感謝(上田勝之)

・オレが育て上げた近江牛サイコー!!(中川晶成)

・彦根の歴史・文化をご紹介できて光栄です。奥深い彦根をお楽しみ下さい。(野田浩子)

・牛飼えず鋤で田起こす春起こす~50年前の母を思いて(中村昇)

・美味しい近江牛が食べられてうれしい。中川さん、上田さん、ありがとう。(松田武朗)

・今日はありがとうございました。すき焼囲んで至福のひととき(木村泰造)

・「件」という文字と妖怪について考えた夜でした。ありがとうございました。(杉原正樹)

・歴史ある近江牛・千成亭さんとても美味しかったです。すき焼・黒毛和牛の文化を世界に広めたいですね!(吉澤直樹)

・日本の牛肉文化の原点ともいうべき彦根で食す近江牛最高です。「すき焼き大全」も楽しみです。(吉澤裕介)

・すきや連の本をみんなでつくりましょう。(土居秀夫)

・好きな一句を~柳くくる猪牙のへさきや夏の雪(松井純)

・77歳の中川さん、これからも良い牛を育てて下さい。(柴田進吉)

・はじめて参加させていただきました。楽しく美味しい素敵な会です。ありがとうございました(近澤秀安・摩弓)

・中川さんの熱意と努力、岡村さんの創意工夫、上田さんのおもてなし、近江牛の醍醐味を堪能させていただきました。(藤森朗)

・向笠先生に招かれてニューオータニ岡半さんのご縁で近江牛をいただきにまいりました。(大竹道茂)

・これからも頑張ります。(田仲寿夫)

・歴史深い近江牛・彦根・日本酒嬉しいすきや連でした。(星野見左子)

・近江牛の聖地、やっぱり現地で食べると美味しいね!(清水祐子)

・いつもありがとうございます。(梅田雄一)

・おやじのふるさとで「すきや連」の会が出来たことに感謝します(島崎進)

・近江の会~「すき焼き大全」新たなスタート 36か月の美味しい肉、ごちそうさまでした!!(川井秀晃)

・彦根が牛肉の食文化のルーツ とても美味しくいただきました。千成亭さん、中川さん、ありがとうございました。(藤井紀美江)

・ひこにゃん、近江牛すき焼きにカンゲキ いっしょにミラノにいきましょう(相沢二郎)

・千成亭さんの美味しいすき焼に感動しました!新しい向笠先生の「すき焼き大全」とても楽しみです。ありがとうございました。(相沢ヒロミ)

・先日梅原猛先生の講演を聞く機会があり、縄文土器は鍋物に使われていた!スキヤキ好きは日本人なら当然と言われていました。

(高橋万太郎)

・近江牛バンザイ!(小林甲児)

・近江牛の歴史が分かり勉強になりました。そして、美味しいお肉ありがとうございました。また参加したいです。すきやき最高!(小林由佳)

・江戸時代の牛肉文化素敵です。彦根城の近くですきやきを頂戴できて感激でした。(西村委代)

・中川牧場で愛情いっぱい育った雌牛らんchan美味しくいただきました。近江牛を堪能させていただきました。(鈴木拓将)

・中川さんの牛舎で生まれ育てられた、美味しい美味しいお肉、大切に育てられたお肉はとても美しく綺麗でした。丁子麩も美味しい優しいお味、永源寺こんにゃく、滋賀県の食材とても美味しい。(羽鳥裕子)

・牛肉の歴史、再度勉強します。日本のすき焼きのために。(森大亮)

<以上>

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

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彦根から広まった江戸時代の牛肉文化

次回「すきや連」例会は彦根市の「せんなり亭」さんで御世話になることに決まっています。

その彦根の「彦根城博物館」学芸員・野田浩子さんが、以前雑誌『食生活』2011年5月号に「彦根から広まった江戸時代の牛肉文化」と題して寄稿されていたのを思い出しましたので、探し出して読んでみました。

彦根が江戸時代には牛肉文化の先進地であったことは、広く知られています。その経緯のポイントを整理しますと、

・軍需産業としての皮革産業が中世から湖東地帯に発達していて、やがて井伊家がそれを傘下に収めた。

・皮を獲る為に牛を屠殺した時に出る肉を、薬として食した。医師が管理していた。

・食べ方は、干し肉・味噌漬け・酒煎り肉であった。

・干し肉の効能が評判になり、将軍家から請求されて献上した。水戸家にも献上した。

・江戸後期には大名や医師だけでなく、藩士や豪商も肉を食べるようになった。

・幕末には店舗をかまえて肉を売る店が登場した。

という感じです。

この文中にある、

「安政年間(1854-60年)には彦根城下の町人が江戸で「彦根牛肉」の看板を掲げて商売していたという。」

という一文には、へええ!と思いました。

この一文に証拠は添付されていませんが、文久3年(1863年)に来日したアメリカ人が撮影した厚木宿の写真には、彦根牛肉を商う店が写っていて、それが掲載されているのです。

この頃には、一般人が街で普通に肉を購入できるようになっていたのですね。

その肉は、どんな肉だったのでしょう。

興味が湧きますね。

彦根行きが楽しみです。

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.196日連続更新を達成しました。

1.200日が近づいてまいりました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すきや連,すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

本場の本物

ある朝、新聞の写真を見ていて、

あっ、向笠先生だ!

と気づきました。

キャプションにも記事本文にも先生の名前は書いてないのですが、それは新聞側の手落ちで、

「本場の本物」と大書された半纏を着こんだ、向笠千恵子先生が、なにやら外人さん相手に、食材の説明している写真が掲載されていました。

「本場の本物」というのは、農水省管轄の「食品産業センター」が全国各地の優れた地場産品を認定する事業の名前です。「すきや連」でお世話になっている向笠先生は、センターから依頼を受けて、地方の良心的に作られた食品の推薦をなさっています。

そして、さらに今回は「第19回フランス食の祭典」というイベントに、その「本場の本物」を出品するのに合わせて渡仏なさったのです。ご渡航前に、

「祭典」の会場には半纏を着て出たいのだけど、「本場の本物」に相応しいメーカーさんはないかしら?

と先生からお尋ねがありましたので、旧知の花巻市の「伊藤染工場」さんをご紹介しました。

上出来の半纏が出来たようで、その写真が新聞に載って、私も嬉しく感じました。

日本の「本物」食品はフランスでも好意的に迎えられたそうで、「世界進出への大きな手応えを感じた」というメーカーさんもあったようです。

日本国内で本物が売り切れていれば何の問題もないのですが、日本人が本物を軽視しているのが実態ですから、海外に目を向けるのは当然のことです。

実際に輸出するには、先方の規制にあわせる必要があって簡単ではないらしいのですが、こういう試みは続けてもらいたいと思います。

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.183日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すきや連,色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)