けいだんれん

在り難いことに『月刊経団連』にエッセイを投稿させていただきました。
それを丸々転載するのは、ネタバレなのでしょうけど、発行からもう20日経ちましたし、私の文が読みたくて購入する人は、ごくごく少数でしょうから、誠に勝手ながらここに転載しちゃいます。
以下お読みください。なお「ですます調」でなくて「である調」なのは編集部からのご指定です。

私 は「けいだんれん」の 代 表 幹 事 に な っ た こと が あ る ― ― と 書 け ば 、 そ ん な ば か な ! 財 界 総 理に ど う し て ? あ り 得 な い ! っ て 。
待 て 待 て そ れ は
「経 団 連」 。
私 の 場 合 は
「 継 旦 連」 。 旦 那 を 継 ぐ 連中 の 意 味 で 、 浅 草 料 理 飲 食 業 組 合 の 青 年 部 の 通 称だ 。
「 継 旦 連」 が 発 足 し た の は 1988 年(昭 和 63年)のこと、 う な ぎ「 川 松」 の 先 代 ・ 松 沢 欣 一 氏 ( 故人) が 組 合 長 だ っ た 時 。 将 来 の 浅 草 を 考 え て の こと だ っ た 。
初 代「 継 旦 連」 代 表 は「 ど ぜ う 飯 田 屋」の 飯 田 龍 生 氏 。 現 組 合 長 だ 。 以 来 、 現 代 表 の 清 水祐 子 氏 ( も ん じ ゃ 焼 き「 雷 門 お す ぎ」)ま で 活 動 は継 続 さ れ て い て 、 私 は そ の 途 中 の 2 年 間 を お 預 かり し た 。
た い て い の 浅 草 の 料 理 屋 は 世 襲 経 営 で 、 親 子 間の 味 の 伝 承 は素 晴 ら し い 日 本 の 伝 統 だ と お 褒 め にあ ず か っ た り も す る が 、 現 実 は も ち ろ ん そ う 簡 単で は な い 。
ご 経 験 の あ る 諸 兄 も 多 い と 思 う が 、 親子 と い う の は素 直 に な れ な い も の 。 没 コ ミ ュ ニ ケー シ ョ ン に 陥 る こ と も あ る 。
そ こ で「 継 旦 連」 であ る 。 街 の 先 輩 が 斜 め上 か ら 、 親 父 の 気 持 ち ・ 考え を 伝 え て 、 子得 心 さ せ る こ と がで き る と い う の が 、こ の 場 の素 晴 ら しい と こ ろ だ と 思 う 。
「上か ら 目 線」は 嫌 わ れ る が 、斜 め上 か ら 目 線」 は 嫌 わ れ な い の だ 。
ほ お 、 な る ほ ど 結 構 、 し か し 技 術 の 流 出 は 大 丈夫 な の ? も し す き 焼 き 屋 が 2 軒 入 会 し た ら 、同 業者 に 秘 伝 の 味 を 盗 ま れ る じ ゃ な い か ! っ て 、 そ う考 え が ち か も し れ な い 。
し か し 今 少 し 考 え て み てい た だ き た い 。 も と も と 飲 食 業 界 に お い て は同 じ料 理 の 店 は 競 合 し て い る よ う で 競 合 し て い な い こと が 結 構 、 あ る 。 甘 め の 割下 の す き 焼 き が 好 き なお 客 様 は 、 辛 め の 割下 の す き 焼 き 屋 に 決 し て 行 かな い か ら で あ る 。 そ の 逆 も同 じ 。
し た が っ て 1 つの 繁 華 街 に 複 数 の す き 焼 き 屋 が あ って 、 そ れ ぞ れの 特 徴 を 活 か し て 繁 盛 す る こ と は 、 む し ろ そ の 街の 強 み と と ら え る の が 実 は 正 し い 。 他 の 繁 華 街 との 競 合 に 勝 つ こ と が 重 要 な の だ 。 他 地 区 の同 業 店に 対 し て も同 様 だ 。
他 の 料 理 、 他 の レ ジ ャ ー と の競 合 に 勝 つ た め 、 す き 焼 き 屋同 士 が 連 携 し て 業 界を 盛 り 立 て る こ と が 期 待 さ れ る 。
そ う 考 え て 私 は2008 年 に「 す き や 連」 と い う 、 全 国 の す き 焼き 屋 と 関 係 業 者 ・ メ デ ィ ア 関 係 者 の 団 体 を 設 立 し 、年 3 回 の 会 合 を 主 催 し て い る 。 そ の「 す き や 連」は 今 秋 発 足 10 年 を 迎 え る 予 定 で 感 慨 深 い・・
・・・ と 、本 稿 で は「 継 旦 連」 を 題 材 に 、「 時 の 調 べ」 読 者の 諸 兄 が 、 日 ご ろ あ ま り 触 れ て お ら れ な い で あ ろう 、 地 域 社 会 の 一 景 を ご 紹 介 し た 次 第 。 と ざ い 東〜 西 。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.065日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

梅雨明け宣言

西日本の水害で関東の梅雨明けもどこへやらですが、
観測史上始めて6月に梅雨明け宣言が出された、その日に、
忘年会のご予約を頂戴しました。
この暑い最中に、また西方は水害の最中に在り難いことだと思いました。
もしかして「暑くなったら忘年会を予約する」と決めておられたのか。
思えば、暑いと思っても、いつまでも暑いわけではないですね。
今日を乗り切るのも大変ですが、先のことも考えないとですねえ。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.056連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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チキン南蛮

7月8日は「チキン南蛮の日」だそうです。
が、7月8日という日の設定については、私はあまり書きたくありません。7=なん→8=ばん、という単なる語呂合わせだからです。宮崎県延岡市が、この料理を街興しのネタとして押し出し行く過程で、語呂合わせで設定したようです。
「すき焼き通の日」(10月15日)は、2008年に平凡社新書「すき焼き通」が刊行された日で、
「適サシ肉の日」(1月15日)は、私が2017年にこのブログで「適サシ肉宣言」をした日ですが、7月8日の方は語呂合わせに過ぎず、なんか他に知恵は無かったのかなあ・・・と思ってしまいますが、延岡観光協会さんは本気のようで、7月8日を「土用の丑」の日のようにしたいんだとか。
まあ、頑張ってみて下さいませ。
話しを戻します。記念日の話しをしたいわけではありません。
延岡の「チキン南蛮」については、私も少しだけご協力申しました、青木ゆり子さんの『日本の洋食』という本にも「南蛮漬けが進化した宮崎のチキン南蛮」という項で登場します。
考案されたのは、昭和30年代のようです。発祥は、大衆食堂の店「直ちゃん」の創業者・後藤直(なおし)さんが、修行中に食べていたこの料理をヒントに、お店のメニューに加えたという説が採られています。
思えば、ポルトガル人が種子島に漂着したのが1543年。そこからおよそ400年近い年月が経過しているというのに、日本人が南蛮人の味を受け継いでいて、さらに新展開を起こした、という事実は驚嘆するほかありません。こういう点を発掘しているのが、青木さんの本の面白いところで、実は22日(日曜)に弊店で、青木さんと私のトークショーを予定しているのですが、宣伝はそのくらいにして、延岡観光協会さんにおかれましては、そういう歴史を大切にした取り組みを考えて欲しいものだと思います。
もう1点、交通整理が必要かと思いますのは、タルタルソースを加えた「チキン南蛮」の存在です。どうも、そちらの方がウケているようです。
タルタルとは当然ながらタタール族あるいは韃靼族のこと。ヨーロッパへロシアから、つまり北西方向から入ってきたものでして、スペイン・ポルトガルを意味する「南蛮」の「南」の字を充てるのは、大きな違和感があります。
揚げ物に、酸味と辛みを加えるという点では似ていますし、実際美味しいので、押し出して行く方向性自体に異論はないのですが、北のものを南と言い募るのは文化的態度とは言えないと思います。
もう1種類の、別のものとして設定し直して、食べ比べするのが楽しいと思いますよ。
名前は、そう、
北南蛮!

追伸1、青木ゆり子さんと私のトークショー(7/22)にご興味ある方は、コメント欄にご芳名とメルアドをお書き込み下さい。ご案内致します。

追伸2、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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陸軍御用

不勉強なことに、そういうすき焼き屋さんがあったことを存じませんでした。
報道で初めて、その旧店舗が取り壊されたことを知りました。
取り壊されたのは、老舗すき焼き料亭「信田(のぶた)」さんの店舗です。
所在地は、以前は群馬県内有数の花街として知られた高崎市柳川町。2010年に営業終了した後も姿をとどめていたそうですが、この6月に解体・撤去されたそうです。
「信田」さんは明治20年代の創業と言われています。西洋料理もやっていて、すき焼き専門というわけではなく、戦前は陸軍の将校たちが通う社交場という感じだったようです。
新潟県の新発田には料亭風のすき焼き店「八木」さんがあり、かつては陸軍歩兵第16連隊に愛され、今でも自衛隊の人たちに愛されていますが、高崎も事情が似ていて、ここには第15連隊がありました。
こういう土地には、大勢で宴会を出来て芸者衆を呼べる店が自然と出来ました。で、メインの料理がすき焼きだったということだろうと思います。
戦前の「信田」さんの広告を見ると、「陸軍御用」「牛肉」「西洋御料理」と書かれていて、仲居さんはエプロンを付けています。
今回の報道を受けて、群馬の肉方面の知人から「群馬のすき焼きを語る折には欠かせぬ店」だったと惜しむ声が届きました。
廃業なさった2010年は、私が「すきや連」を始めた2008年の少し後で、その時は営業されていたのですから、丁寧に調べて、ご縁を創っておけばよかったと悔やまれます。
今回、建物を残して古民家再生することも出来なかったようです。残しておけば「かつてすき焼き屋だった」ということが記憶されるはずですが、完全取り壊しなので、それも叶わないようです。残念ですね。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

生衛組合

日本橋小伝馬町のすき焼き店「伊勢重」(いせじゅう)さんのご主人が、
東京都食肉生活衛生同業組合の理事長に就かれました。
私は遠い親戚でもありますし、2010年に第七回「すきや連」の会場をお引き受けいただいたこともありましたので、お祝い言上に行って来ました。
「生活衛生同業組合」という言葉は、部外者には???かと思いますが、
肉屋、料理屋、美容院、銭湯、旅館といった生活衛生にかかわる事業分野ごとに組織されている、厚生労働省監督下の団体でして、要するに、お上が発する衛生行政上の指導を、街中の店に伝達・徹底させる為の団体です。
ですので、言い換えますと、もっともオフィシャル度・シリアス度が高い団体と申せます。生衛組合の理事長が、その分野の代表者だと言っても良いでしょう。
随分な大役を請けられたものだと、頭が下がります。
お芽出とうございます&ご活躍を祈念致します。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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ビートルズとすき焼き

6月29日は「ビートルズすき焼き記念日」です。
ビートルズが来日公演を行ったのは1966年。日本芸能史上の重大事件として、いまだに語りつがれていますね。
その到着日が6月29日でした。
公演は、日本武道館で翌30日から7月2日まで計5回開催されましたが、その前夜ビートルズは、宿泊先の東京ヒルトンホテルですき焼きを食べたのです。
ご相伴にあずかったのは、わが加山雄三さん。ビートルズと同じEMIミュージックからレコードを出していたご縁だそうです。
今では日本の代表する食べ物は寿司で、すき焼きはすっかり劣勢ですが、この頃はすき焼きと天婦羅が外人さんに好まれていました。
もう一回ビートルズが来ないかなあ(笑)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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味で楽しむ会

「適サシ肉」と「ライスィな酒」の会を、磯蔵酒造さんと開催しました。
その趣旨は以前に書きましたので、そちらをご覧いただくとして、今日は、その日のお酒のラインナップです。
<まず乾杯には>
・「窖」一周年記念酒(純米吟醸原酒)
これは磯蔵さんの浅草売店「窖」(あなぐら)の開店一周年を記念したお酒で、「冷やして飲む」がコンセプトの純米吟醸原酒です。
基本的に磯蔵さんは、あまり冷やして飲むことを勧めしておられないようですが、今回は梅雨の時季でもありますし、まずは飲み易い冷酒で乾杯していただこう!ということでした。
ただし!これは、一筋なわでは行かないお酒です。吟醸づくりではあるものの、醗酵程度が中度の段階で醗酵を止めて甘味を残し、それを加水せずに原酒のまま飲もうというのが、このお酒。米は酒造好適米「愛山」ですから、糖質が多くて酸味・苦味は少ないので、「完全ライスィ」とは申せませんが、甘味をたくさん残しているので、「準ライスィ」でしょうか。甘いから冷やすのです。「愛山」を使って酔狂な造りをなさるものです。
<続いて前菜には>
・「稲里」純米大吟醸 山田錦
これは「山田」の大吟なので、「ノン・ライスィ」です。後に出て来る「ライスィ」と比べてもらうという趣旨です。
では前菜に合わないかと言うと、そうでもなく、「山田の大吟」ではあっても香りを付け過ぎずに醸造したタイプなので、味のインパクトが小さい和食の前菜となら相性悪くはないだろうということです。「なにげなくも、だからこそ美味しい」というのが狙いですね。
そういう次第で、「大吟」ですが、冷やさず常温で行きました。
<すき焼きには>
・「稲里」 純米 熟成出荷
この辺から「ライスィ」が登場です。吟醸造りではない原酒を常温で熟成したものです。しっかりした旨味が、お燗することでさらに華開き、肉や卵の旨味は勿論、割り下の甘味ともバランスするだろうという算段です。
当日は土鍋で燗をつけてお出ししました。土鍋で湯煎すると酒質がマイルドに感じるのです。うーい。
<続けて>
・「稲里」純米しぼったまんまの出荷(無濾過生原酒)
これも「ライスィ」ですね。原酒の熟成酒に続けて、今度は「ライスィ」な「生原」。文字どおり「しぼったまんま」です。
生酒は冷やして飲む事が多いと思いますが、冷やすのは品質管理上の都合でして、飲むことだけを考えたら常温もかなり良いものです。「すき焼き」と合わせるのであれば、なおさら常温ですね。
今回は、その「ライスィ」な「生原」を常温で「適サシ肉」にバランスさせようという作戦でした。うっ、うーい。
ここまでで絶好調に御機嫌になった方も多かったですが、
<飲み足りない人用に>
・「稲里」 純米 日本晴
これは穏やかな「ライスィ」です。低精米だからこその苦味・渋味・酸味のバランスが、呑み飽きしない味を実現しています。長時間の飲み会には、こういうのが良いですねえ。常温でもお燗でも行けます。意識の確かな方は、どうぞ・・・・
いやあ、飲んだなあ、ひっく。
最後に今更ですが、ここでこの日のコンセプトです。
「すき焼きと日本酒の相乗効果を、「こだわり」でなく「味」でお楽しみください。」
マーケットで目立つための過剰な「こだわり」を忘れてみたら、お酒の魅力がストレートに感じられると私は思います。それを磯蔵式に言えば「味で楽しむ」になるんだろうと思います。楽しい会でした。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

電話

不勉強で存じませんでした。
『電話』が面白いことを。
学校の同期でオペラ歌手になっている富永美樹さんが個人コンサートで、ミニオペラ『電話』(1947年)を上演すると言うので、
随分コ難しい演目を演るんだなあ、
と思いながら会場に参りますと、
1学年先輩で、音楽評論家に成っている山田治生さんが来ていて、
住吉君、『電話』、面白いよ、かなり。
とおっしゃいます。
え、そうですか? たしか『電話』って、観たことないんですけど、戦後の不条理オペラでしたよね。そんなの演るなんて美樹さんもシリアスなんだなあ、と思ってたんですよ。
違うよ、違うよ、面白いから、まあ、観てよ。
・・・ということで観ましたら、
はい、面白かったです。
この文章に作曲家名を書いていなかったことに今気づいたのですが、『電話または三角関係』はジャン=カルロ・メノッティ(1911年-2007年)の、上演時間も短く・登場人物も少ないミニオペラです。
カレ氏がカノ女(美樹さん)の家へプロポーズを申し込みに行き、話しを切り出そうとすると、次々に電話が着信して、親戚の消息やら・友人間のもめごとなどで、長電話になり、ついにカレ氏はカノ女の家を飛び出して、外から電話でプロポーズするという内容です。
不条理でしょう。
でも音楽も、同期生をチョイ役に使った芝居の演出も愉快で、とても楽しい気分になれました。
プログラムの前半ではシリアスなオペラの曲を熱烈に歌っておられましたが、後半の喜劇『電話』も上手く演じておられて、結構の一語でした。
コメディエンヌ富永美樹 Bravo!

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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ちょい食べ亭

まだ時期と詳細が未確定なので「予告」段階ですが、今夏をめどに、
「ちんや」直営レストラン「ちんや亭」を、
「肉の食べくらべレストラン」として再出発させようと思っています。
<すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(=ハーフサイズのこと)をご用意することに致します>
これにより1種類の肉だけでなく、あれもこれも「ちょい食べ」していただくことが可能になります。例えば「適サシ肉」のサーロイン・ステーキだけでなく、赤身肉のモモステーキも、それぞれハーフずつ食べるということができます。あるいはハンバーグを「ちょい」、すき焼きを「ちょい」も、もちろんできます。
肉の食べくらべを楽しんでいただければと思います。

<「ちょい食べ」は「ちょうど良いガッツリ」も可能にします>
お肉をガッツリ食べたいけど、1人で2人前食べるのはさすがに多過ぎるなあ・・・とお思いの方にも「ちょい食べ」は朗報です。レギュラーサイズに加えて「ちょい食べサイズ」もご注文いただけば、1.5人前の「ちょうど良いガッツリ」が実現できます。どうぞ、挑戦なさって下さい。
名前もその内「ちょい食べ亭」にしようかな。商標確認しなきゃ(笑い)
請う御期待です。

<ごはん・みそわんは>これに伴いまして肉メニューの本体価格から分離して、別途ご注文いただく形にする予定です。
<従来と同じ食べ方をなさりたい方もご安心下さい>
レギュラーサイズの肉メニューに加えて「ごはん・みそわんセット」をご注文いただければ、従来とほぼ同じ内容を、ほぼ同じ値段でご用意できるように致します。
<食材は現在と同じです>
*全てのメニューに、充分な肥育期間で育てた、黒毛和種のメス牛のお肉を使ってまいります。
<店舗設備、営業時間も現在と同じです>
設備:ちんやビル地下1階、カウンター席16席
定休日:火曜日と水曜日(浅草の催事日には営業)
営業時間:11時30分~15時(ラスト・オーダー)
ご予約:承らず、先着順にてお席へご案内いたします。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.034日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

浪速の味

先日の第29回すきや連の記事が産経新聞大阪版に載りました。東京の方は読めませんので以下に転載しますね。
「すき焼きには難波葱」
全国各地のすき焼き料理店や農畜産関係者でつくる「すきや連」の例会が大正8年創業の「はり重」(大阪市中央区道頓堀)で開かれ、昨年「なにわの伝統野菜」に認証された、「難波葱」を使ったすき焼きが会員ら約60人に振舞われた。
すきや連は平成20年に東京在住のフードジャーナリスト、向笠千恵子さんが『すき焼き通』(平凡社新書)を刊行したのを機に、「すき焼き文化をもっと広めよう」と設立。東京や熊本など各地で年3回、例会を開催している。
今回の会場は、かつて難波葱の産地だった大阪・ミナミ。「なにわ伝統野菜復活の会」の難波りんご事務局長(63)が
「明治初期の難波駅周辺には広大な難波葱の畑が広がり、鴨なんばの由来になったとされている。強いぬめりと香り、濃厚な甘みが特徴」などと紹介した後、参加者は「浪速の味」を堪能した。(終わり)
この記事に掲載された写真には私も写っていましたが、このブログは「字だけブログ」なので悪しからず。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.033日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。