福澤先生と肉食③

タイトルは「福澤先生と肉食」ですが、今日は肉の話しは出ませんで、その余談です。

昨今話題の嗅覚障害に福澤先生もなっていた!という件です。

先生が明治3年にチフスにかかって、18日間人事不省という重態となり、病後の栄養補給に牛乳を飲んだ件は昨日の弊ブログに書きました。

そのくだりを『福翁自伝』で確認しようと読んでみましたら、以下のように書かれていました。

「慶應義塾が芝の新銭座を去って三田のただ今の処に移ったのは明治四年、是れも塾の一大改革ですから一通り語りましょう。その前年五月私が酷い熱病にかかり、病後神経が過敏になったせいか、新銭座の地所が何か臭いように鼻に感じる。また事実湿地でもあるからどこかに引き移りたいと思い・・・」

残念ながら牛乳の件は書かれていないのですが、久しぶりに読み返して「!」と思いました。チフスで嗅覚が変わり、転居したくなったと言うのです。

芝の新銭座(しんせんざ)というのは、現在の浜離宮庭園の近く。海っぺりの湿地だった所に銭の鋳造所が出来て、後に町屋になったところですが、そこを先生は臭いと思うようになってしまったとか。

福澤塾が「慶應義塾」と命名されたのは、新銭座にあった時代なんですけどね。

「地所が何か臭いように鼻に感じる」という所を私は以前スルーしていました。転居の理由としては何だか変だなあ・・・くらいに思っておりましたが、コロナの時代に読み返して、そういうことか!と思った次第です。

以来義塾は現在地の三田山上にあります。

山の上に移ったのは低地がイヤだったから。授業に遅刻しそうな時に教室まで駆け上がるのは私も苦痛でしたが、学生がそういうハメになったのは、そういうわけです。

その発端はチフスで嗅覚が変わったから。

チフスがキッカケで先生は牛肉・牛乳を推奨する文を書き、義塾は現在地に移転した。

塾員の皆さん、ご存知でしたか?

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。この動画は、今年3月にNHK-BSで放送された「新日本風土記」を再編集した動画です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.827目の投稿でした。引き続きご愛読を。

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福澤先生と肉食②

今日の話しは昨日の弊ブログから続いています。昨日は「適塾」時代の福澤諭吉先生が牛鍋屋に行っていた件でした。

牛鍋屋は悪所にある下等な店でしたが、安かったので、飲みたい願望・食への好奇心が強かった当時の先生はかまわず行っていました。「不潔に頓着せず」だったのです。

その後先生は江戸へ出て蘭学塾を開きます。咸臨丸で渡米、文久遣欧使節に同行して渡欧、海外の見聞を広めます。

塾もだんだんに発展しますが、そんなおり、明治3年に先生はチフスにかかります。人事不省の状態が18日間に及んだというから、大変でした。

その時に栄養補給に重宝したのが、「築地牛馬会社」から手にいれた牛乳でした。

「築地牛馬会社」は御一新後に官営で設立された会社です。築地にリアルに牛がいて、乳をしぼったり、屠畜をしていたのだから驚きです。

先生は、その牛馬会社に助けられたので、肉食や牛乳、バターなどを推奨する一文を書きました。それが『肉食之説』(明治3年)です。

文の調子は、けっこう激烈です。

日本には、みだりに肉を嫌う者が多いが、それは、

人の天性を知らず人身の理をわきまえない「無学文盲の空論なり」と切り捨てています。

このころの先生は旧習に対する批判精神が高揚していた時期でした。四年後の『学問のすすめ』第六編「国法の貴きを論ず」では有名な「赤穂不義士論」を出します。

歌舞伎や講談で有名な赤穂義士の死に方は無益な死で、お使いの金を落として首をつった手代の権助(ごんすけ)と、無益という意味では変わらないと論じたのですから、大炎上しました。

ここに先生の、もう一つの気質が現れていますね。「炎上に頓着せず」です。昨日は「不潔に」でしたが、今日は「炎上に」です(笑)

法を施行できるのは政府のみで赤穂義士の敵討は私裁だと批判するのは議論として分かりますが、そこに権助を持ち出すのは、言い過ぎ感があります。それでも先生は権助を持ち出して世論を刺激しました。

『肉食之説』でも先生は結構刺激的なことを言っています。

当時世間には、肉はきたないものだと思う人が多かったのですが、その人達がありがたがって食べている食品を先生はコキ下ろします。

「日本橋の蒲鉾は溺死人を喰ひし鱶の肉にて製したるなり」

「春の青菜香しといえども、一昨日かけし小便は深く其葉に浸込たらん」

「先祖傳來の糠味噌樽へ螂蛆うじと一処にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何」

うじ虫が漬物の糠床に入り込んで死んだ場合、糠床にいる微生物がそれを分解してしまうので、人体に影響は少ないです。うじ虫に腐敗菌が付いていたとしても糠床の中では常在の乳酸菌の勢力が圧倒的で、腐敗菌は駆逐されるのです。

が、気分として不潔感はどうしても、ありますね。そういう漬物を喜んで食べているのだから、諸君は肉だって食えるはずだというわけです。

肉は滋養や体力向上に良いのだから、是非食べるべきだと言うだけで済ませず、他の食品をあれこれ批判しているのは、これも言い過ぎ感がありますが、私は個人的には好きです。

旧習を止めさせ、肉食を普及させたいという情熱が、炎上しそうな表現に向かわせたのでしょうから、私は好ましく感じますが、蒲鉾屋さんや漬物屋さんは、さぞ不愉快だったでしょう。

このくだりが個人的にかなり好きなので、赤穂義士が炎上したのに、肉食がさほど炎上した形跡がなく見えるのは、私としてはむしろ不満に思っています。

(『肉食之説』が炎上していないかは、突き詰めて確認したわけではないです。今後どなたか史料にあたって確認して欲しいです) 以上、昨日・今日と福澤先生を肉食推奨に向かわせた、二つのエピソードをご紹介しました。暴論・雑感ですから、どなた様も真面目に読まないようにお願い申し上げます。

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。この動画は、今年3月にNHK-BSで放送された「新日本風土記」を再編集した動画です。

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福澤先生と肉食①

福澤諭吉先生と明治の食文化について考えるという、ステキな研究をしている方が訪ねて来られたので、私の知っている限りで「福澤先生と肉食」についてお話ししました。

以下は論文には到底ならない私の暴論・雑感ですが、「先生と肉」で重要だと私が思うのは、

『肉食之説』(明治3年)と

『福翁自伝』(明治32年)の「緒方の塾風」(適塾のくだり)です。

出版年代としては『肉食』が先ですが、中身の年代では『福翁』が先なので、そちらから行きますと、先生は安政2年(1855年)から緒方洪庵の「適塾」で学びました。『福翁』には、その頃牛鍋屋に通っていたと書いてあります。

幕末の大阪には牛鍋屋が2軒。内1軒の難波橋のたもとに在った店は「最下等の店」で「ゴロツキと緒方の書生ばかりが得意の定客」の店。

「何処どこから取寄せた肉だか、殺した牛やら、病死した牛やら、そんな事には頓着なし」「牛は随分硬くて臭かった」とか。

ゴロツキばかりと言うのですから、その場所は所謂「悪所」です。現代大阪にも飛田とかに風俗街が在りますが、牛鍋店の場所はそちらの方角ではなく、北浜の証券取引所が今ある所の近くにありました。今ではもちろん金融街です。ビックリですね。北浜には18世紀半ばから金相場会所や俵物会所があって、大阪の経済の中心だったわけですが、そのすぐ傍に遊郭があったとは意外なことです。

「適塾」は淀屋橋にありましたから、そこから北浜の方向(東)に向かうと、難波橋に牛鍋店。ゴロツキが関係していた蟹島遊郭は、牛鍋店の場所からさらに1ブロック東にあったようですが、明治後半から寂れて1911年に消滅しました。

先生が牛鍋屋に行ったのは、滋養強壮というよりズバリ安く飲めたからです。「便利なのは牛肉屋だ」と言っています。当時の先生は「少しでも手許てもとに金があれば直すぐに飲むことを考える」「酒を飲むことでは随分塾風を荒らした事もあろうと思う」といった調子であったようです。

後に先生は『肉食之説』で「今より大に牧牛羊の法を開き、其肉を用ひ其乳汁を飮み滋養の缺を補ふべき」と推奨しますが、この頃はそういうことより飲むのがお好きだったようです。

ここで気づくことは、先生には清潔でない環境に対する免疫があったようだということです。先生だけでなく緒方の塾生は皆「不潔に頓着せず」という風で、暑い時季は全裸で過ごしたりしていたそうですが、この環境から多くの偉人が育ちました。

いくら酒好きで安く飲みたいと思っていても、不潔な店を我慢できなければ行けませんよね。コロナ恐怖症の現代日本人は、この牛鍋屋に行けません、ゼッタイ(笑)

先生が平気だったのは、幼い頃貧乏したからか、病人に接する医者を志していたからか。

ともあれ「不潔に頓着せず」という気質があったので平気で安い肉を食えたのです。

だいたい一般に食への好奇心が強い人は清潔にこだわらない人が多いです。不潔への懸念を食への好奇心が凌駕していて、なんでも食べてしまう人がグルマンになることが多いです。『福翁』には「私は大阪に居るとき颯々と河豚も喰えば河豚の肝も喰って居た」とも書かれていて、いくらグルマンでもこれは危険ですね。先生が河豚の肝で亡くなっていたら、日本の近代化はだいぶ遅れたことでしょう。

先生は、そうしたグルマンの一人で、その気質が先生を肉食へ向かわせたと私は思っています。

やがて先生は肉食に「滋養」という理屈を付けるようになりますが、それは明日の弊ブログで。

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。この動画は、今年3月にNHK-BSで放送された「新日本風土記」を再編集した動画です。

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きくらげ

きくらげのサンプル品をいただいたので、どんな食べ方にしようかと検索していたら、

米沢の老舗すき焼き店「登起波牛肉店」さんの、すき焼きレシピが出て来ました。

「登起波(ときわ)牛肉店」さんは1894年(明治27年)のご創業。2012年に第十二回「すきや連」を開催させていただいたことがあります。

そうでした、そうでした、あの時も、おや、きくらげが入ってる!と思ったのですが、忘れておりました。

きくらげを入れるのは、登起波さん創業の頃から長年に渡り親しまれてきたレシピなんだとか。

コリコリとした食感は、柔らかい口当たりの食材が多い中、とても新鮮です。

資料によりますと、きくらげの食物繊維の量はごぼうの9倍だとかで、肉と一緒に食べるのは合理的ですね。

やはりネット情報ですが、肉よりきくらげをメインにして、すき焼きをする人もいるらしく、それが2017年11月にNHKテレビ「所さん!大変ですよ」に採り上げられたとか。

おお、所さんの番組、ウチも出ましたよ、2017年に。

「霜降り牛肉に異変!?おいしい牛肉の謎」というテーマで、2017年4月に採り上げていただいたことがありました。

すき焼きできくらげ、悪くないようです。

*すき焼き・しゃぶしゃぶは、鍋でウイルスを加熱殺菌してすぐ食べるので、非常に安全な食べ方です。安心してお召し上がり下さいませ。
こちらで通信販売もしています。
よろしくお願い申し上げます。

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ヒゲ

『三田評論』8-9月合併号の「社中交歓」のコーナーに浅草の「駒形どぜう」の六代目渡辺孝之さんの投稿が載っていました。六代目は1962年卒業の先輩なのです。

今号のテーマは「髭」。

で、六代目の文は、どじょうの髭に関するものでした。

「社中交歓」は一つのテーマで四人の卒業生が投稿する体裁で、他の方は髭を医学的に説明したり、文学に登場する髭のことを書いたりしています。

そこに加えて人間以外の髭のことを書く人を配置するのは当然の配慮ではありますが、猫の髭ではなく、どじょうの髭のことを書く人は配置するとは、編集部のトリック・プレーと言えます。東京下町出身の方が担当しているのでしょうか。

さて、どじょうの髭が人間の髭とかなり違うのは、それが食物を探すための大事なものだという点です。血管が通っていて、味蕾まであるとか。どじょうは主に蚊の幼虫を食べるのですが、濁った水の中で幼虫を探すのに、この髭を使うのです。

どじょうをそのままの形で煮て食べる「丸なべ」は苦手という方もおいでですが、どじょうは今が旬ですから、「丸」を頼んで髭と対面するのも一興と思います。

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8月12日

8月12日は日航ジャンボ機事故の日ですから、坂本九ちゃんの命日でもあります。今年の慰霊式は規模縮小して開催したそうですが、鎮魂曲として慰霊式で奏でられてきた「上を向いて歩こう」は今年も演奏されたのでしょうか。

「上を向いて歩こう」(SUKIYAKI)ほど大きな影響を及ぼした曲は、あまりないだろうと思います。

SUKIYAKIはBBC電子版が2013年に発表した「世界を変えた20曲」に選ばれていますが、この時は日米関係に与えた影響が評価されました。

「1963年当時のアメリカ人にとって戦争で敵対した日本人が謎めいた民族ではなく、自分達と同じく美しく繊細な感情を表現できる人達と気付かせてくれた曲」と評されました。

1963年とはSUKIYAKIがアメリカのビルボード・チャートで1位になった年ですが、真珠湾から22年、終戦から18年しか経っていません。

それなのに、この曲がヒットし、またアメリカを訪問した九ちゃんが空港で熱烈な歓迎を受けていたのは本当に信じられないことです。

この曲が持つ不思議な力は、この時既に現れていました。その後世界中で大変多くの歌手にカバーされます。

九ちゃんが悲劇的な死を遂げた後は、苦境に陥った人達の間で鎮魂曲として歌われる機会が増えました。2011年の大震災の時もそうでした。

この曲が、そもそもエレジーで、しかし悲しいばかりでなく、美しさも持っている点が、多くの人の心を掴んだ原因と思いますが、それだけでは言い尽くせない不思議な力が、この曲にはあると思います。稀有な曲と言って良いでしょう。

坂本九さんのご冥福をお祈りします。

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。

この動画は、今年3月にNHK-BSで放送された「新日本風土記」を再編集した動画なのですが、最初からこの尺だったかのように編集されていて、流石素晴らしいと思いました。かなり旨そうに煮えてますので、是非ご覧ください。

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デマ

その脈絡の中ですき焼きを登場させるとは面白なあと思いました。

ツイ主さんが頭が良すぎるからか。あるいは大阪人だからか。

「デマを流すなら、せめて医療現場を混乱させないようにしてほしいですね。「メンソレータム」を推奨するとか、すき焼きが免疫力を高めるとか、被災地や赤十字に寄付すると予防になるとか、将棋を観戦していると指手の意味が分からなくても感染しないとか。(デマでもないか。観戦中は話さないし。)」

ここで「デマ」とは、コロナにイソジンが効くという大阪知事の発言のこと。

ツイ主さんは、東大教授で弁護士で知財に詳しく、大阪人でワンコ党という方でした。

すき焼きが免疫力を高めるというのは、あながちデマでもないですよ。

すき焼きの肉以外の材料は、ほとんど食物繊維が豊富なもので腸活に有益です。

葱、春菊、椎茸、シラタキ、みな繊維質です。これらは、日本人が肉を食べるのに慣れていない頃に一緒に摂ることにした食材たちで、自然の知恵ですから、結局合理的です。

人間の免疫細胞の70%は腸にありますから、腸がスッキリすれば免疫は騰がると思いますけどねえ。

皆さん、すき焼き食べて、イソジン使って(笑)頑張りましょう!(あ、これはデマか?)

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。

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世界最古の企業

「100年経営研究機構」さんのオンライン研究会に参加しました。

今回のテーマは、

『日本が誇る世界最古の企業、金剛組』

578年創業で、現存する世界最古の企業である、金剛組の刀根健一代表取締役会長ご本人が参加されるトークセッションでした。

金剛組さんは、四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である金剛重光が創業したと伝えられます。

神社仏閣専門に設計・施工・復元・修理等を主に手がけている会社つまり宮大工の会社です。

金剛組さんは明治維新までは四天王寺の、おかかえ大工であり続けましたが、近代に入って、いくつかの危機を経験します。

まず明治維新の時の廃仏毀釈。四天王寺が寺領を大幅に減らされ、金剛組の仕事も激減します。そこで、この時慣れない「営業」というものを始め、外の仕事を受注するようになります。

次が昭和の空襲。1945年(昭和20年)3月13日~14日の大阪大空襲で四天王寺の多くの伽藍が消失。戦後再建する時に鉄筋コンクリートで再建することになりました。金剛組には、近代建築のノウハウがなかった為ゼネコンの大林組の支援を受けて、新金堂を鉄筋コンクリートで再建しました。

最近の危機は平成の経営危機でした。三十九代目が寺社以外の分野に事業拡大を試みたことにより、大手ゼネコンとの価格競争に巻き込まれて、不採算の受注が多くなりました。

高松建設が支援企業として現れ、銀行の支援も受けて再生しました。

現在は仕事の領域を寺社建築に再びしぼり込み、高松建設出身の社長と創業家の四十一代目が棟梁として組んで、堅実な経営に努めておられます。

事業領域を、どの範囲までと考えるか、企業にとって重要で難しいテーマだと思いました。

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王位戦

その手のニュースが流れるたびに私はイラっとしていました。それは些末な話題であって、肝心なところがお留守と感じていたからです。

「肝心」とは将棋の藤井棋聖が何故勝てるのか分かり易く解説して欲しいという点であり、「些末」とは藤井棋聖の、その日の昼メシが何だったか、です。

テレビは昼メシのことばかり騒ぎ過ぎですよね。オリンピック選手の「おやつ」の話題もそうです。

が、その昼メシがすき焼きとなると話しは別です。もっと騒いでいただきたい(笑)

王位戦第三局初日のお昼休みのこと。 木村王位はうな重で藤井棋聖はすき焼き御膳だったとか。

さすが、有馬温泉。

この日の会場は有馬温泉の旅館でしたが、有馬温泉街は以前からすき焼きを熱心に出してくれています。

毎年夏場に有馬親水公園で開催される「有馬涼風川座敷」のメニューはすき焼きですし、旅館組合の新年会でも毎年皆ですき焼きを食べると、旅館経営者の知人から聞いたことがあります。

その熱意が藤井棋聖にも通じたようで、実に結構ですし、棋聖がすき焼きを好むと判明したことも結構でした。

結果の方も勝利でお目出たいことでした。

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NHKアーカイブス

「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。

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かなり旨そうに煮えてますので、是非ご覧ください。

この動画がUPされたのと同じタイミングで、

「よみがえる江戸野菜」江戸庶民や武将が愛した、あの味をもういちど

という動画もUPされていました。

こちらは、私は見逃していましたが、2019年に放送されたもののようです。

拝見していると、向笠千恵子先生と私でやっている「すきや連」に参加して下さる、大竹道茂さんが登場しました。

大竹さんは「江戸・東京野菜」の運動をリードしてきた方で、大竹さんのおかげで、「寺島ナス」や「真桑ウリ」などが、保存され、また注目されるようにもなりました。

ご一緒できて在り難いことでした。

*すき焼き・しゃぶしゃぶは、鍋でウイルスを加熱殺菌してすぐ食べるので、非常に安全な食べ方です。安心してお召し上がり下さいませ。
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