すき焼きと牛鍋はどこか違うのか
『村野武範の馳走百景』というケーブルTVの番組に出演させていただきました。
J:COMより11月20日に初回放送がありまして、27日夜22時から再訪放送予定です。
この番組は、村野さんが食事を召し上がりながら、私とすき焼きについて対談する、という趣向でした。
村野さんは、今まさに食べているすき焼きについてコメントしつつ、同時にすき焼きの歴史について私と問答しないといけないので、難しい役の筈でしたが、そこは、元『くいしん坊!万才』のレポーターさんです、難なくこなしておいででした。流石です。
で、この日のトークのメイン・テーマですが、
すき焼きと牛鍋はどこか違うのか、という御題でした。
この御題は、頻繁にいただくのですが、苦手なんですよね、ハッキリした答えができないので。
一応一般的な回答は以下↓の通りです。
・牛鍋=幕末から明治時代前半にかけて関東地方で食べられていた、牛肉と葱を割り下で煮る料理を、牛鍋と呼んでいた。味噌煮にする店もあった。
・すき焼き=幕末から明治時代前半にかけて関西地方で食べられていた、牛肉と葱を、醤油とザラメで焼く料理を、すき焼きと呼んでいた。
・ザクの品ぞろえ=関東地方より先に関西地方でザクの品ぞろえが豊かに成った。明治20年頃までに、葱以外の野菜、白滝や豆腐などが加えられるようになった。
・その関西風のザクの品ぞろえが、大正時代までに関東地方に移入された。
・この頃、関東の牛鍋店で「牛鍋」と言っていたものを「すき焼き」と言い替える店が出始めた。
・しかし、ザクの品ぞろえが豊かにした後も、「すき焼き」と言わずに「牛鍋」と言っている御店も関東にある。例えば、浅草の「米久」さん、横浜曙町の「荒井屋」さん。
・横浜末吉町の「太田縄のれん」さんが「牛鍋元祖」と称しているが、この御店は、肉の仕込み方が他の店とは違い、サイコロ状にカットした肉を使う。創業者が当初牛肉の串焼きを売っていた頃の名残りを今日に伝えている。
ですので結局、関東の「米久」さん、「荒井屋」さんの「牛鍋」は、その他の関東の店の「すき焼き」とそう変わらない携帯イヤ形態ですが、「牛鍋元祖」を称する「太田縄のれん」さんのは、かなり違う、ということになります。しかも「縄のれん」さんは味噌を鍋に入れる、という習慣をも残しているので、かなり「別物感」があります。
という経緯を、テレビの短時間のトークで説明するのが、簡単でないのです。そこが困るところです。
もう一つ困るのは、「牛鍋」と言っていたものを「すき焼き」と言い替える店が出た理由が分からない点です。
私の推測ですがGYUという音が下品イメージを誘ったからだと思います。当時「ぎゅう屋の女中」と言うと、どうも、荒っぽい女というニュアンスで語られたようです。
音韻研究の黒川伊保子先生の『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』という本を読めば、GYA、GYU、GYOといった音が幼児を刺激する理由が分かります。GYUという音では上品イメージは醸せないのです。
もう廃業してしまった関東の御店ですが、「牛鍋」という言い方をやめて「高等すき焼き」と称した店すらあったようです。
この頃に店を継いだ二代目店主達が下品路線を継承せずに、イメージ転換を図ったのでは?と想像します。
でも、あくまでそれは想像です。
だから、結局理由が明らかにできません。
そして現時点の「牛鍋」の定義もハッキリしません。店ごとにお考えが違うからです。
それでこの御題が来ると、どうしても歯切れの悪いトークに成ってしまうのです。
本日22時から再放送がありますが、その辺りに御留意いただきつつ視ていただけると嬉しいです。敬白。
追伸①
ケーブルTV局J:COMの、「村野武範の馳走百景」に出演させていただきます。
是非ご覧ください。放送日は以下の通りです。
11/27(火)夜10時~
11/28(水)深夜0時30分~
この番組と視聴方法について詳しくはこちらです。
追伸②
ワイン専門誌『wi-not?』vol.3の「浅草老舗七人衆 「冬泡」を啜る」というコーナーに私が出演しています。
是非ご購読下さい!
この本について詳しくはこちらです。
ご購入はこちらです。
追伸③
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は327人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.002日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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