100年経営アカデミー⑪
100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、
「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。
「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。
6/11から講演全文を公開しています。長いので16回に分けて少しずつUPしております。
<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>
次に、ここから浅草の先輩方の話しをしようと思います。どうも今日は、自分のことばかり話ししたことを今少し反省しております。
浅草人の共通体験は、関東大震災・太平洋戦争の大空襲・1970年代の衰退の三つですが、70年代の話しからしてみようと思います。当時の浅草をリアル覚えておいでの方は、今日ここにおいでの方の中でも少なかろうと思いますが、それはひどいものでした。
特に浅草六区一帯は、戦前から集積していた映画産業がテレビに敗北した影響で、廃墟のようでした。子供心に怖い感じすらしました。
そんな映画館の一つ・「電気館」の真裏に在った洋食の「ヨシカミ」さんは当然苦境に立たされました。興業街が衰退したのなら「では他の土地に移ろう!」そう考えてもおかしくはなかったと思います。そう考える方がむしろ自然と思います。
しかし、そうはなさいませんでした。そして、ここでラッキーなことに営業品目は洋食でした。それが幸いしたと私は思うのですが、その話を進める前に、ここで日本の洋食のことを一度思い起こしてみたいと思います。
現在「洋食」と言った場合、日本で独自に進化した西洋風の料理のことをさします。それは「進化した」とも言えますが、「以前の形態を保っている」とも言えます。
本家のフランス料理が1970年代にバターや伝統的なソースを使わない「ヌーベルキュイジーヌ」に転じたからです。ポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟といった人達が、そのリーダーでした。
一方日本の街の洋食屋さんは、かつて導入したものを、ひたすら日本人の舌に合うように、ご飯や日本酒に合うようにと念じて改良し続けて来ました。そうこうしている間に洋食は日本人の口になじみ切ってしまい、今やカレーライスやトンカツを和食だと思っている人が増えました。
何故でしょう?懐かしいからではないでしょうか。東京に生まれ下町に生き、田舎を持たない都民二世や三世が懐かく思う料理と言ったら、洋食だったからです。そう、浅草の洋食って、近代東京そのものだと私は思います。それで興業街が衰退しても、洋食を食べようと繰り返し浅草に行く人はいたのです。
くわしくは本をお読みいただきたいのですが、ヨシカミさんではリピート来客を促す方策が成功したので、結局浅草の洋食は残りました。まず、すべてが手作りという努力。そしてご主人いわく「なんとかしなければだらしがない」という精神で生き残ったのです。
次に戦争の時どういうことがあったかを観てみましょう。
仲見世の江戸趣味小玩具の店「助六」さんの先代は、終戦後の闇市の時代、同業者が次々に生活に必要な物資を売る店へと転業する中で、玩具を置き続けました。
物資不足の時代ですから、物資を置けば飛ぶように売れるのですが、「助六」さんが売ったのは、江戸趣味小玩具。闇物資には目もくれず、この最悪の時代には玩具のことばかり考えていたのが「助六」さんの先代でした。
実は、江戸時代から仲見世には玩具の店が何軒もあり、その中で「助六」さんは幕末開業の後発組なのですが、この時期職人さんを手放さなかったことで、現在唯一仲見世に残る玩具店は「助六」さんです。今や完全にオンリーワンの存在と成りました。
その理由を、先代が「不器用で融通が利かなかった」からだと当代は私に語ってくれましたが、不器用もここまですごいと世の中に貢献できるという一つの事例だと思います。
「助六」さんが戦後営業を再開できたのは、もちろん昭和20年3月10日の大空襲を生きのびたからです。東武浅草駅の地下に入って助かったと聞いています。
そして、その体験が「現代浅草の原点」と言えます。皆さんは浅草=江戸時代のイメージの街と思っていたでしょうから、戦争が原点と聞いて、いささか戸惑ったことと思いますが、実際そうなんです。
このように伝統と申しますものは、ずっと連続して継承されるものではなく・・・
<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>
追伸1
6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。
今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、
「世界が恋するWASHOKU」。
旨味とか醗酵とかを採り上げた後、しんがりがWAGYUです。
追伸2
拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。
四六判240頁
価格:本体1600円+税
978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.670日連続更新を達成しました。
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