HRSnews
8月に「ちんや」で開催した食育イベント「親子体験食味学習会」に参加なさった方が、その様子を「HRSnews」(日本ホテル・レストランサービス技能協会の会報誌)に書いて下さいました。
嬉しいことです。
<以下原稿です。是非お読みください>
(タイトル:すき焼が教えてくれたこと)
「問題!日本人が牛肉を食べはじめたのは、いつからでしょ~か?」
小学生の息子が突然こんなクイズを出して来たことには訳がある。それは、浅草老舗
すき焼屋のちんやさんで開かれた夏休み食味体験に参加させて頂いた事に他ならない。
2005年に食育基本法が施行されて約10年。
食育とは「生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるものであり、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること」とあります。
法と聞いてしまうと何だか難しくとらえがちですが、簡単に言えば「食に関心を持ち心身ともに豊かに味わう事」と言ったところでしょうか?個人的には実際に触れ、聞き、味わい興味を持つ事が食育の根幹では?と考えます。それは大人も子供も、現代人も古代人もたぶん変わらない事で、「これは食べられる物」「こうすると美味しくなる」「これを食べると元気になる」「これは特別な時のご馳走」「これは皆にも食べさせたいなあ」なんて事が繰り返され、引き継がれ今の食文化があるのではと思います。
「正解は明治時代でした~」
「でーはー、なぜ牛肉を食べるようになったのでしょ~か?」
雷門の並びに建つ、モダンな総煉瓦造りのちんやさんの創業は明治13年。
のれんをくぐると今では珍しい下足番の方が迎え入れ待合へ案内してくれます。
心配りの行き届いた接客は文明開化の面影ある造作や調度品と相まって、
いつもとはひと味違う特別な雰囲気。これから始まるすき焼への期待感が膨らみます。
「正解は~…。西洋人にも負けないくらい大きくて強い体を作るためでした~」
「では〜、なぜちんやと言う名前なのでしょ〜か?」
クイズは食味体験の冒頭にちんやのご主人が出題してくれた問題の一部。
歴史的な話しを交え食肉の事、すき焼の事を楽しく紹介してくれたそうで、
当日留守番だった私に早速試したという訳です。
クイズの後は作業着に着替え支度場での実習。普段は立ち入れない場所で、
我家ではまず見ることが無いビックリする程大きな和牛肉を切り出す大仕事です。
筋を綺麗に外し成形された大きな肉に、職人さんの手を借りながら入れた包丁は
す~っと落ちて行きその切れ味の良さにも驚いたと言います。
実習の後はいよいよ実食。
自分で切り出した牛肉を使い、仲居さんが「ちんや」伝統のすき焼を教えてくれます。
美味しそうなすき焼を前にすれば当然ですが、文明開化で始まったすき焼について
書き込まれた息子のレポートノートは残念ながらここで終わってしまいます…。
すき焼を通じて食肉の歴史を知り、食材が形を変えて料理になるまでを学び、受け継がれてきた味、技術を体験し、すき焼はノートの記録と一緒に記憶となって息子の特別な料理となりました。
「いただきます」は食材の命を頂く事、食材を育ててくれた人、食事を準備してくれた人の時間を頂いた事への感謝の言葉。家庭で最初に学んだ食育だと思います。海外にはそれに当たる言葉は無いそうで、「いただきます」は最初に覚える日本の食文化であるかもしれませんね。食事を有り難く味わうことは相手を思う気持ちでもあり、テーブルマナーにも繋がる基本的なことです。
青空市や観光農園、職場体験などを通じて生産者や製造者、販売者との交流の場も増えました。地域のお店や学校給食では地元の食材、旬の食材、行事の料理など、食べることに興味が沸くような工夫が伺えますし、楽しい発見もあります。
家庭で家族揃って食事を摂ることさえ難しい多様な現代社会では、外食産業も食育を支える大切な要素であり大切な場です。お客様が心身ともに豊かに食事を楽しむ事は、お客様が食事の記憶や発見を積み重ねて行く事。安心感や信頼感を積み重ねる事でもあるようです。
それは、生産者と消費者を結ぶ外食産業が日々繰り返す大切なミッションのひとつなのでしょう。
「正解は~、すき焼屋さんになる前の江戸時代は、ちんという小犬を売るお店だったからでした~」
クイズに答えながらつまむ今夜のお酒の肴は牛肉のしぐれ煮。
ちんやさんで食べたしぐれ煮を思い出しながら、留守番だった私に作ってくれました。
そして息子は大人になったらちんやさんのすき焼をご馳走してくれると言います。
そのいつの日かを楽しみに、では「いただきます!」
なお、日本ホテル・レストランサービス技能協会については、こちらです。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.696日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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