断腸亭日乗の中の、すき焼き

 月刊「百味」9月号が届きました。

 今月号には「かぶちゃん」こと鏑木武弥さんと、私の対談記事が載っているので、そこを先に読んでしまいましたが、やはり「百味」に連載されている、向笠千恵子先生の「続すきやきものがたり」も必読です。

 読みますと、終戦前日の昭和20年8月14日、文豪・永井荷風と谷崎潤一郎が一緒にすき焼きを食べるくだりが紹介されています。双方の日記に載っているそうですが、私はウカツにも知りませんでした。

 荷風は、浅草にとても縁のある作家でしたので、一応勉強をしたつもりでしたが、この部分は「戦争で疎開中だから浅草には関係ないな」ということで見逃しました。

 この日の荷風の日記『断腸亭日乗』には「燈刻谷崎氏方より使の人来り 津山の町より牛肉を買ひたれば すぐにお出ありたしと言ふ。」とあり、二人ですき焼きの鍋を囲んだようです。

 「津山の町より」というのは、岡山県津山市のことで、二人とも戦争中は、岡山県に疎開していたのです。その疎開先での出来事です。

 荷風が足しげく通った浅草の店と言えば、蕎麦の「尾張屋」さん、洋食の「アリゾナキッチン」さん、「どぜう飯田屋」さんが代表で、「ちんや」も『日乗』に出ては来ますが、頻度は比較になりません。だから、すき焼きが好きという印象はありませんでした。

 8月14日も、谷崎の方から誘ったようですね。

 それにしても「牛肉を買ひたればすぐにお出ありたし」というのは良いですね!

 今とは肉の貴重さ加減がもちろん違いますが、肉が入ったから⇒会う、という順番がなにやら楽しい感じにさせてくれます。

 現代の文化人の皆さんも「ちんやにて牛肉を買ひたればすぐにお出ありたし」という具合に行っていただきたいですね。

 追伸

  誠に勝手ながら、8/31〜9/2まで店を休んでおります。遅い夏休みです。ご寛容をお願い申し上げます。

 休み中も、ブログは書き溜めがありますので、「予約投稿」でUPする予定ですが、Twitter(http://twitter.com/chinya6th)の方はつぶやかないと思います。よろしくお願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 *「百味」については、こちらです。

*「かぶちゃん」との対談については、こちらこちらをご覧下さい。

 

電気ブランって何ですか?

 8/26、「ちんや」の研修委員会を開きました。

 「お客様に聞かれて困った質問」の収集具合が、このところイマイチなので、気合を入れて集めるように指令を出しました。

 収集具合がイマイチになる理由は、わからないでもありません。「ちんや」の御客様は、すき焼き屋の業務外のことをお尋ねになることが、やたらと多いのですが、そのご質問に答えられなくても、業務上具体的な支障はありません。例えば、

「ほら、何て言ったっけ、吾妻橋のところで、アコーデイオンひいて、昭和歌謡をやってるバンドの名前、何だっけ」

―なんていうご質問が飛んできますが、そのご質問にお答えできず、

 「あー、お姐さんも知らないかあ」で終わってしまっても、業務上支障はありません。すき焼きや肉のことを知らなければ、それはNGですが、バンドの名前は知らなくてもOKといえなくもありません。

 でもやはり、いろいろな話題を常にフォローしていて、そうした会話を小気味良くこなすタイプの人間の方が、接客に向いています。楽しく接客できて、お客様は勿論、自分も愉快です。

 逆に担当の係が自分の話題に全然からめないタイプの人間だった場合は、お客様はガッカリして、「ビール持ってきて!」「酒持ってきて!」といった用件以外のことを言わなくなります。

 それでは、お互いつまりませんよね

 先日「ちんや」へ食事に見えた旧知のT社長が、二次会つきあってくれ、とおっしゃるので、夜の街へお供したところ、そこの店のお姐さんが「デンキブラン」を知りませんでした。

 千葉県松戸市出身の22歳だそうですが、「デンキブラン」というのは、電気メスとか電気ショックとか医療関係の用語だと思った(!)のだそうです。

  「デンキブラン」を知らないと聞いて、同行の浅草関係の3人は絶句。

 昭和歌謡バンドの名前を知らないのは許すとしても、「デンキブラン」を知らないとは!その店は、浅草から2キロ以内にあり、結構散財させる店なのに、です。

 その後は、そのお姐さんと会話するのは止めにして、カラオケに突入しました。妙に盛り上がりましたが、虚しさが残りました。

 お姐さん、「デンキブラン」を知らなくても、給料減らされたりはしないでしょうが、その世界で楽しく働きたいなら、奮励努力をお願いしますよ、今からでも。

追伸

  誠に勝手ながら、8/31〜9/2まで店を休んでおります。遅い夏休みです。ご寛容をお願い申し上げます。

  休み中も、ブログは書き溜めがありますので、「予約投稿」でUPする予定ですが、Twitter(http://twitter.com/chinya6th)の方はつぶやかないと思います。よろしくお願い申し上げます。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「デンキブラン」については、こちらです。

* 「困った質問」については、こちらです。

林家たい平師匠の、落語の会@ちんや

 8/30の夜、「台彪会(たいひょうかい)」の、夏のお楽しみ企画として、

 林家たい平師匠の落語の会を開催しました。会場は「ちんや」でお引き受けしました。

 この企画は、昨年の夏に「台彪会」メンバーのSさん(「万年堂」ご経営)の御尽力で開催したのですが、大好評で「また来年も是非!」ということになり、今年二回目を開催したものです。

 去年を上回る、55人の方が集まり、また「台彪会」の師・二条彪先生にもお越しいただいて、大盛況でした。

 去年今年も、師匠は大熱演ですし、また広くはない空間で、師匠の高座を自分達だけで独占できるところが醍醐味です。公共のホールなどの広い会場でないのが、良いところです。

 高座終了後には、やはり「台彪会」メンバーで、「三益酒店」ご経営のSJさんに、御酒をご手配いただいて、二次会をセットしました。師匠も二次会までおつきあい下さり、メッポウ楽しい夜になりました。

 こういう、底抜けに明るい会が、もっと頻繁にあるといいな、ということで、はやくも来年の話しになりました。

 忘年会の日も、もう決めようと言うし、どうも気が早いです、このメンバー。

 たい平師匠が、この日のことを句にして、ご自身のブログに載せて下さいました。

 「 すき焼きを つつく仲間の 熱いこと  」  

 座布団10枚! 山田君。(旧いかなあ)

追伸

 誠に勝手ながら、8/31〜9/2まで店を休みます。遅い夏休みです。ご寛容をお願い申し上げます。

 休み中も、ブログは書き溜めがありますので、「予約投稿」でUPする予定ですが、Twitter(http://twitter.com/chinya6th)の方はつぶやかないと思います。よろしくお願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

 なお、このブログは本日で6ヶ月連続更新達成です。ご愛読に感謝申し上げます。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「台彪会」については、こちらです。

*たい平師匠のブログは、こちらです。

アド街ック天国、浅草雷門

 テレビ東京の番組『出没!アド街ック天国』が、サンバの日(8/28)の夜に、「浅草雷門」を特集して放送しました。「ちんや」もお採り上げいただきました。

 『アド街』は「地域密着系都市型エンターテイメント」番組で、毎週様々な街にスポットを当てて紹介してゆく、という趣向です。1995年放送開始の老舗番組で、毎週土曜日に放送されているので、ご存じの方も多いと思います。

 その、今週のお題が「浅草雷門」だったのです。

 「ちんや」も出ました、と言っても、正確には系列店の「ちんや亭」が出たのです。ところが、「ちんや亭」は、席数15席だけの小さい店ですので、テレビの視聴者の方が殺到すると、大変です。すぐ行列が出来てしまいます。

 対応するため、8/29は「ちんや」の座敷から「ちんや亭」へ人手を出しました。仕事内容としては、

①行列している方の組数と、各組の人数を把握して、帳面に書き込んだり、

②行列している所へ、さらに行列しようとなさる方に、待ち時間をお知らせしたり、

③冷房のきいていない、暑い所(=地下の廊下)に並ばせていることをお詫びしたり、

④席が空いたら、机の上を清掃⇒次の方を誘導したり、

⑤ 売り切れが出たら、その情報をお客様に伝達したり・・・

とかです。

  私も当然、現場に入って汗をかきました。

 ここで、ブログ読者の方にお願いです。

 今すき焼きを、食べたくなっても、1週間程度我慢して下さい。

 聞けば、テレビの影響は1週間くらいで解消するそうですので、それまでは、ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。敬白。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterも始めました。こちらでつぶやいています。フォローよろしくお願い申し上げます。

熱狂の浅草雷門 暑かった、第30回浅草サンバカーニバル

 8/28は、第30回浅草サンバカーニバルの日でした。

 「浅草サンバ」は、30年前に当時の内山栄一・台東区長と喜劇俳優の伴淳三郎さんが、「浅草の新しいイメージをつくるもの」として提案、その頃は出場チームも多くはなく、盛大とは言いがたかったのですが、いつのまにか30年。

 今や「日本最大のサンバカーニバル」であるのは勿論ですが、なんでも「ブラジル以外の、世界で最大」でもあるそうです。

 サンバ当日は、大変な人出なので、是非「ちんや」のすき焼きを食べたい、という方は、そもそも、サンバの日を避ける傾向があります。

 その辺の事情は、「三社祭」や「隅田川花火大会」の日と同じことです。実は、「ちんや」としてお客様がさほど多い日ではありません。

 でも、やっぱり結構忙しい日でした。

 まずカーニバルのスポンサー会社の、重役さんが「ちんや」で食事をされるので、ここはキッチリ仕事をしないといけません。

 それから、地元のケーブルTV局から、カーニバルの番組を作るので、出演タレントさんの控え室として「ちんや」の個室を貸して欲しい、と依頼されました。これも対応しないわけにいきません。

 その撮影隊が撮った映像を見た方は、いずれ浅草にお越しいただきたいと思います。

 それにしても、暑かったです、この日は。猛暑で元々暑いのに多数の人が集中するので、さらに熱くなりました。

 ブラジルより暑かったかも。

 ところで、8/28の夜9時から、テレビ東京系列の番組『出没!アド街ック天国』が浅草雷門を特集して放送しました。「ちんや」も出ました。ご覧になった方もお出でかもしれません。

 そこで、ブログ読者の方にお願いです。

 今すき焼きを、食べたくなっても、1週間程度我慢して下さい。

 「ちんや」も出ました、と言っても、正確には系列店の「ちんや亭」が出たのです。「ちんや亭」は、席数15席だけの小さい店ですので、テレビの視聴者の方が多数殺到すると、大変です。すぐ行列になってしまいます。

 聞けば、テレビの影響は1週間くらいで解消するそうですので、それまでは、食べたい気持ちを持続!して下さい。よろしくお願い申し上げます。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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熱狂の浅草雷門 第30回浅草サンバカーニバル

 8/28は、第30回浅草サンバカーニバルの日です。

 「浅草サンバ」は、30年前に当時の内山栄一・台東区長と喜劇俳優の伴淳三郎さんが、「浅草の新しいイメージをつくるもの」として提案、その頃は出場チームも多くはなく、盛大とは言いがたかったのですが、いつのまにか30年。

 今や「日本最大のサンバカーニバル」であるのは勿論ですが、なんでも「ブラジル以外の、世界で最大」でもあるそうです。

 今年は、踊り子さんが熱中症になるのが心配される中、予定通り開催されます。

 サンバ当日は、大変な人出なので、是非「ちんや」のすき焼きを食べたい、という方は、そもそも、サンバの日を避ける傾向があります。その辺の事情は、「三社祭」や「隅田川花火大会」の日と同じことです。

 花火の日と同様に、今年はこの日に限り、値段を少し下げてみることにしました。お食事中騒々しいのだけを、我慢していただけば、お安いです。

 はい、それはかなり騒々しいです。でも、まあ、楽しいですよ。

 ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。敬白。

 ところで、8/28の夜9時から、テレビ東京系列の番組『出没!アド街ック天国』が浅草雷門を特集して放送します。「ちんや」も出ます。

 そこで、ブログ読者の方にお願いです。

 この番組を見て、食べたくなっても、1週間程度我慢して下さい。

 「ちんや」も出ます、と言っても、正確には系列店の「ちんや亭」が出るのです。「ちんや亭」は、席数15席だけの小さい店ですので、テレビの視聴者の方が多数殺到すると、大変です。すぐに行列になってしまいます。

 聞けば、テレビの影響は1週間くらいで解消するそうですので、それまでは、食べたい気持ちを持続!して下さい。よろしくお願い申し上げます。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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かぶちゃんグルメ対談

 月刊「百味」9月号が届きました。

 今月号には、「かぶちゃん」こと鏑木武弥さんと、私の対談記事が載っているので、落ち着かない気分で、ページをめくりました。

 「かぶちゃん」については、新聞の広告で見かけたことのある方も多いと思います。青年海外協力隊員として、パラグアイで農業指導をした後、帰国して「かぶちゃん農園」を長野県飯田市に設立、「市田柿」の通信販売が大評判で、ご盛業です。

  「すきや連」とご縁の深い「百味」の同じ誌面で、「かぶちゃん」も対談コーナーを連載し始めたのをキッカケに繋がりができ、今回「対談を」という話しになりました。

 今回対談している内、鏑木さんに共感していただいたのは、「食育」の話し、特に私が日頃思っている「親子孫三世代で、すき焼きを食べていただきたい」という辺りでした。

 私と鏑木さんは、ほぼ同世代ですが、この世代の人間が、都会に生まれた場合、その後田舎や農業を知らずに育ってしまったケースが多いと思います。

 私は浅草に居たまま「食の仕事」を、鏑木さんはと言うと信州へ入っていかれて「食」に関係する仕事をしていますが、そうでもない同世代人は、ネギの旬がいつかとか、なんでネギが白いのか、とかを知る機会のないまま、オトナになっています。

 そういう次第ですので「三世代で、すき焼きを!」と申し上げたいわけです。今からでも遅くはありません、小さい子達に「食育」するフリをして、お父さん方も、「食」の知識を補填していただきたいと思っています。

 鏑木さんは、以前出版社にいたことがあって、お子さん向けの食べ物の本を作ったそうですが、その本もオトナが読んでくれたそうです。

 それにしても、こういう対談記事というのは、文章にまとめるのが大変ですよね。対談している当の本人は、調子に乗ってペラペラ話してしまい、たぶん私の話しも脈絡のついていない部分があったハズなのですが、修整されていて感心しました。

 なにやら、自分の言ったことが、キレいに整えられているのを読むと、他人みたいで微妙な気分ですよね。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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*「かぶちゃん農園」については、こちらです。 

*「百味」については、こちらです。

 (今月の「百味」には、向笠千恵子先生の連載「続すきやきものがたり」や、7/12の「すきや連」(@ちんや)のレポートも載っています。)

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もう30回 浅草サンバカーニバル

 8/28は、第30回浅草サンバカーニバルの日です。

 「浅草サンバ」は、30年前に当時の内山栄一・台東区長と、「アジャパー!」で有名な喜劇俳優の伴淳三郎さんが、「浅草の新しいイメージをつくるもの」として発案したもので、その頃は出場チームも多くはなく、盛大とは言いがたかったのですが、いつのまにか30年。

 今や「日本最大のサンバカーニバル」であるのは勿論ですが、なんでも「ブラジル以外の、世界で最大」だとかで、本場・ブラジルの人たちからも非常に高い評価をいただいているそうです。

 今年のサンバが例年と違いますのは、テレビの撮影・放送が入ることです。この日の浅草が、テレビ東京系列の番組『出没!アド街ック天国』で、すぐその日の夜(21時〜)に放送されるのです。

 『アド街』は「地域密着系都市型エンターテイメント」番組で、毎週様々な街にスポットを当てて紹介してゆく、という趣向です。1995年放送開始の老舗番組で、毎週土曜日に放送されているので、ご存じの方も多いと思います。

 その番組の、今週(8/28放送分)のお題が「浅草雷門」なのです。「ちんや」も出ます。

 そこで、ブログ読者の方にお願いです。

 この番組を見て、食べたくなっても、1週間程度我慢して下さい。

 「ちんや」も出ます、と言っても、正確には系列店の「ちんや亭」が出るのです。「ちんや亭」は、席数15席だけの小さい店ですので、テレビの視聴者の方が多数殺到すると、大変です。

 聞けば、テレビの影響は1週間くらいで解消するそうですので、それまでは、食べたい気持ちを持続!して下さい。よろしくお願い申し上げます。

 ちなみに私は出演しません。肉と鍋だけが出演します。住吉史彦ファンの皆さん、その件での苦情はTV東京へどうぞ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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おいしい夏休みー親子体験食味学習会④

 8/21に、「ちんや」で「おいしい夏休みー親子体験食味学習会」を開催しました。

 昨年に続いて2回目の食育企画ですが、29人の親子にご参加いただき、また地元のヒノデ新聞さんの取材も入って、盛況でした。

 今回は、シュートボクサーでSカップ2006世界チャンピオンの緒形健一さんをお招きして、「強い体づくりと食事」について、お話しいただきました。

 なにしろ、あのアンデイ・サワーを倒した男です。子供たちもチャンピオンの話しを興味津々で聞いていました。

 大変良い御話しでしたので、このブログでも公開しようと思います。ご覧下さい。

<以下、お話しの録音>

 ただ今ご紹介頂いた、シュートボクシング協会の緒形健一です。

 シュートボクシングは、パンチ、キックに加えて、投げ技や立っている状態での関節技が認められた立ち技何でも有りの格闘技です。

 シュートボクシングには日本をはじめ世界各国に色々な選手がいますが、シュートボクシングのS-cupという世界トーナメントで3回、そしてK-1MAXでも2回チャンピオンになっているオランダ支部のアンディ・サワーが、皆さんが一番知っている有名な選手だと思います。

 僕は2006年のS-cupで、そのアンディ・サワーを決勝戦で倒してチャンピオンになりました。

 今後、皆さんにシュートボクシングをより深く知っていただいて、若い頑張っている選手たちを応援していただければと思います。

  今日は「食育」ということですが、あまり長く話しても、今から折角すき焼きが出てきますし、小一時間位ゆっくりと話をさせていただければと(笑)―それは冗談ですが、大体10分くらい、いやいや、それも冗談で5分くらい、5分だけ話しますから集中して聞いて下さい。

 僕たちは格闘技という身体を使うスポーツをやっているので、その必要性から栄養については色々と勉強をしています。まず食べ物には「三大栄養素」というものがあります。

 「三大栄養素」には、まず炭水化物=ご飯や蕎麦、饂飩などのいわゆる主食。2つ目に脂肪=油、マーガリンとかバターなどの脂分があります。そしてタンパク質=お肉やお魚、豆などがあります。

  まず炭水化物というのは、簡単に例えると、車で言うところのガソリンの役目です。そのガソリンを入れなければ車が動かないように、人間も炭水化物を摂取しないと活発に動けません。

 そして脂肪は、そのガソリン=炭水化物が無くなった時に使われるエネルギーで、必要のない時は摂取し過ぎるとお腹の肥満などにつながってしまうのですが、必ずしも悪いものでは無くて、人間が生きていく上では実は重要な成分なのです。でもあくまでも摂り過ぎは禁物です。

 最後にタンパク質は、身体、車でいったらボディーを作る成分で、筋肉になります。より強くたくましい身体を作るためには、効率よくたくさん摂取しなければなりません。

  僕たちは試合前には減量というのがあって体重を10キロぐらい落とすのですが、その時に脂肪をとると太ってしまうとか痩せないんじゃないかと思ってしまわれるお母さん方もいらっしゃると思うんですが、そうじゃなくて、ある程度減量していくと、今度は少し脂肪分を身体に入れてあげないと逆に脂肪が燃焼しないんです。

 炭水化物もタンパク質も脂肪も完全に摂らないようにするのではなく、上手にバランス良く摂取しないと身体の動きが悪くなって代謝が落ちて元気も出なくなってしまいます。

 その中でも減量中に僕たちが一番大切だなあ、と思ったのは肉です。お肉って食べると太ったりするイメージがあると思うんですけど、それは逆で、食べないと脂肪は燃焼しないんです。脂肪燃焼にはお肉に含まれるカルニチンという成分が非常に重要なんです。

  僕たちの練習サイクルは、昼に3時間、夜に3時間の一日約6時間程度で、試合前の減量中などは水も控えた状態で凄くキツい練習をやります。一回の練習で3キロぐらい落ちるので、2回やれば約6キロぐらいの水分が身体から汗となって出て行くんですが、試合前は肉体だけではなく精神的なプレッシャーや不安との闘いで気が滅入りそうになったりすることもあります。

 その時に多少でもお肉を食べると、やっぱりタンパク質は勿論、色々なビタミンも含まれているので凄く元気になれるんです。

 皆さんは、恐らく一日に2回から3回食べたい時に食べる普通の生活をされてるので分かりにくいかもしれないですが、僕たちは約一カ月の減量期間中に10キロぐらい体重を落としていく中で、食べたり飲んだりする口に入れる物に対して「あ!これってこんな効果があるんだ」とか「これはこのタイミングで食べると太るんだ」ということを実体験として体感できるんです。

 感覚が研ぎ澄まされていくので、極端な話、ただの水でも美味しかったり不味かったりを凄く敏感に感じとれるようになります。

  ご飯も美味しいし油を使った料理も美味しい。それぞれ全て身体に必要な栄養分なのですが、その中でもやっぱりテキメンに効果を感じるのはお肉です。さっきも言いましたが、お肉というのはビタミンやミネラル、アミノ酸の成分などが凄くやる気を出させてくれますし、スポーツマンにとって必要不可欠な筋肉も作ってくれるのでとても重要です。

 今日は、小さいお子さんもたくさん来てますけど、皆さん成長期で一番重要な時期ですから、とにかく偏らずにバランス良く栄養を摂ることを心がけてください。例えば、いい大工さんがいてもいい材料がないと家を作れないのと同じで、とにかく成長期にお肉を食べて栄養を摂取してたくさん練習しないと強い体を作れませんからね。

 最期になりますが、僕は山口県というところの出身で、8歳までは下関市という、山口県でも都会に住んでいたのですが、9歳からは海と山しかない、長門市の油谷町というところに引っ越しました。

 それまでは、お父さんお母さんに「食べ物を残しちゃダメ。食べられない人もいるんだから、感謝して食べないとダメだよ」と言われて、「うん、分かった」とは返事しながらも、自分が毎日何不自由なく食べることが出来ていたからそのありがたみを良く理解してなかったんです。

 食べものは、なんでもスーパーで出来て売ってる物だと思っていたし、袋や箱に詰めてあるのが当たり前だと思ってました。

 だけど田舎に越した時に、お父さんお母さんが農業をやり始めたんです。種植えをして、稲穂を育てて稲刈りをして米を作る。みんなで汗かいて、僕も頑張ってお手伝いをしました。最初は疲れるし嫌で嫌でしょうがなかったんですけど、そのうち、自分で植えた種から芽が出てきて、それを育てて獲って精米して苦労して作った米を口にした時に、すごく美味しくて感動したんです。

 その時に「食べ物って本当にありがたいなあ」って心から思ったんです。食べ物って始めから袋やパックに詰められて売ってる物なわけじゃなくて、こうやって色んな人が苦労して育てて作るものなんだな〜って理解して感謝する心が生まれたんです。

  今、シーザージムのキッズ練習生たちにも農業体験を希望する子たちには参加してもらってますけど、年に数回ですが、そういうことを是非学んでほしいなと思ってます。それで食べ物に対して感謝する心を養ってもらえたら最高です。だからみんなも、ご飯を食べる時はいつも感謝の気持ちを持つようにしてください。

 そして好き嫌いなく、色んな食べ物をバランスよく食べて、ジムでたくさん練習して強い身体を作ってほしいと思います。ちょっと短いですけど、以上、終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

 <緒形さんのお話し終わり>

 なお8/21当日は、緒形さんに続いて、私が「すき焼きを、何でみんなが食べるようになったか、いつから食べているか」を、お子様向けにお話ししました。その内容は、このブログの8/22〜8/24号で公開済みです。あわせてご笑覧下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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おいしい夏休みー親子体験食味学習会③

 8/21に、「ちんや」で「おいしい夏休みー親子体験食味学習会」を開催しました。

 昨年に続いて2回目の、食育企画ですが、29人の親子にご参加いただき、また地元のヒノデ新聞さんの取材も入って、盛況でした。

 まず最初に「強い体づくりと食事」について、シュートボクサーでSカップ2006世界チャンピオンの緒形健一さんにお話しいただきました。

 続いて私が「すき焼きを、何でみんなが食べるようになったか、いつから食べているか」を、お子様向けにお話ししました。その後で、すき焼きを食べていただきました。

  私の話しをこのブログでも公開しようと思います。長いので、3回(=3日間)に分けて公開しています。今日は、その第三回です。緒形健一さんのお話しも録音してありますので、後日公開します。

 <以下、講演台本>

 さて、おじさんのやっている、「ちんや」っていう、この店も、そのころにできたお店です。江戸時代には、ペットショップをやっていて、狆(チン)ていう種類の犬を売るお店だったので、それで「ちんや」って言うんですが、明治時代になって、商売の種類を変えました。すき焼きが発明されて、皆が喜んで食べている姿を見て、狆を売るのをやめて、すき焼きを売ることにしたんですね。

 それはなんででしょう?その理由の一つは、関所がなくなったことです。明治時代の前の、江戸時代には、日本人は自由に旅行をできませんでした。関所があって、こわいお侍さんが番をしていて、行き先とか、なんで旅行をしているのか、とかを、そのお侍さんに説明しないと、通れなかったですが、明治時代になって、やっと自由に旅行をできるようになったんですね。

 それで浅草の観音様をお参りするために、日本中からたくさんの人がやってくるようになりました。さらに、そのうちに蒸気で動く船や鉄道もできて、旅行がすごく便利になりました。だから、お参りの人がどんどん増えたんですね。

 旅行してきた人には、泊まるところと、それから食べ物を食べさせてくれるところが必要ですね。そして、どうせ、食べるなら、流行ってる料理、つまり、すき焼を食べてみたい、ってことになったわけです。

 そこで、おじさんのご先祖様は、すき焼屋をはじめたらたぶん、うまくいくだろう、って考えたわけです。そういう考え方を「創業家精神」って言います。つまり世の中の流れを見て、見通しを立てて、この商売はうまくいくだろう、って信じたら、チャレンジしてみる、という考え方の人を「創業家精神のある人」って言います。

 逆に、うまくいくかどうかわからないから、失敗して損するかもしれないし、やめとこう!っていう考え方の人を「創業家精神のない人」って言います。

 おじさんのご先祖が「創業家精神のある人」だったので、ここにこうして、すき焼屋があって、皆さんは、すき焼を食べられるんだって思っていただきたいと思います。はい、これで、皆さんは、いつからこの場所に、すき焼屋があるのか、どうしてあるのか、っていう、そのわけがわかりましたね。

 そういうことを、考えながら、すき焼きを食べると楽しいですよね。

 それでは、最後にポイントをまとめてみしょう!

① 明治時代になって、法律が変わって牛肉を食べて良い、ということになりました。

② 法律が変わった理由は、お肉を食べて、日本人の体が大きくなるように、っていう理由でした。

③ その時、お肉を食べる、っていう西洋の習慣を採り入れたわけですけど、でも食べ方は、頭の良い人が、日本の昔からの料理の方法を応用して、すき焼きを発明しました。それから、

④ その発明された料理(=すき焼き)を使って商売をしてみよう、っていうおじさんのご先祖様のような、「創業家精神のある人」がでてきました。

  この4つがそろって初めて、皆さんが今いる、すき焼屋さんができた、っていうのがポイントです。

  どうです? 勉強になったでしょう! オトナの諸君。

(私の話しは、これで終わりです。明日は王者・緒形健一さんの話しをUPします。)

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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