老舗の生き抜き方

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をすることになりました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりだそうですので、一生懸命お話ししてきたいと思っています。 

 その原稿が準備できましたので、弊ブログで先行公開して行きたいと思います。長いので8回に分けてUPします。本日は、その第一回です。おつきあいいただけましたら、幸いです。

<以下講話本文>

 皆さん、こんにちは。私がすき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦です。本日はお招きいただき、有り難うございます。今回福島県酒造組合の新城会長から清酒アカデミーで話しをして欲しい、というお話しがありました時、私「これは必ず行かねばならない!」と思いました。

 その理由は勿論、今晩東山温泉の芸者さんが接待してくれるから、であります。

 「・・・」

 あ、スミマセン、ここは笑っていただくところだったんですけどね、まあ、いいでしょう、早速始めますね、そういう次第で浅草から会津へやって参りました。

 本日は、老舗の生き抜き方というものをお話しせよ、という御題でございますので、そういう方面の話しをさせていただきます。本来自分で「老舗」と自称するのは僭越な話しではあるのですが、他に適当な日本語がありませんので、使うことにいたしまして、つまりは浅草の、すき焼き屋ですとか、天麩羅屋ですとか、鰻屋ですとか、蕎麦屋ですとか、そういう仕事を永年して来た店が、時代の変化や危機をどのように乗り切ってきたか、をお話ししてみたいと思います。御参考になれば嬉しいです。

 さて、この話しをお聞きいただくに当たって、以前の浅草がどれほど繁栄していたか、それから20世紀の前半に、どれだけ手ひどく被災したかを、まずお話ししておきます。それを知っていただかないと、本編の話しにリアリテイーが持てないと思いますので、まずはそこから始めますが、おつきあいいただきたいと存じます。

(予備知識①=江戸時代までの浅草)

 さて浅草という街は、太田道灌が日比谷の辺りに江戸城を築くかなり前から存在していました。浅草寺の縁起によりますと、推古天皇の時代に浅草寺が建てられた、ということになっています。推古天皇と言えば7世紀ですね。

 この話しは歴史としては確認できていませんが、奈良時代に大きな建物があったことは考古学的に確実だそうです。ですので、なにしろ江戸の街が出来る遥か昔から、浅草が在ったのは確実で、つまりは街の成り立ちが違います。この段階では、まだ浅草は浅草寺の門前町という位の街でしたが、そういう街が江戸とは別にあった、ということを、まずはご記憶下さい。

 その浅草の南西に江戸城が出きまして、そこへ今度は徳川幕府がやってきます。話しが長くなるので、細かい話しは割愛しますが、この位置関係が、この後の浅草の歴史を決定づけてきます。

 まず江戸幕府は、浅草と江戸城の間つまり浅草の少し南に米蔵を建設します。武士の給料である米を蓄えるためですね。最初の江戸市街は、現在の千代田区と中央区を合わせた位の広さしかなく、その北の土地は空いていました。

 AKBの秋葉原なんて、文字通り原っぱだったわけです。はい、サシ子さんねえ、残念でしたけどねえ。え~何でしたっけ?

 そうそう、江戸と浅草の間に土地がありまして、なおかつそこは隅田川から荷卸しをしやすい場所でした。今の地名で「蔵前」と言っているところですね。ですので、そこへ蔵を建設したわけです。場所は、お分かりになりますか?都営地下鉄浅草線で、浅草から日本橋方面つまり南方向に乗りますと1個目の駅、それが蔵前です。

 さて、この時イキナリ浅草のすぐ南に大きな大きな経済力がやって来ました。この蔵の米を商う「札差」という商人たちは、大層な金持ちだったと歴史に出てきます。皆さん、歴史にくわしいとこういう時に自慢できますね。

 やがて幕府は浅草の北方の田圃の中に吉原を造営しました。公認の遊郭ですね。遊郭は風紀を乱すので、江戸市街から追放して、鬼門である北の方へ、ということです。北の皆さんには申し訳ないですけどね。

 そして続いてさらに、浅草と吉原の間に歌舞伎町を建設しました。歌舞伎町って言っても、キャバクラやお姐の店が在る街じゃないですからね、「暫」とか「助六」とか、そういうお芝居を演る街です。当時の歌舞伎は芸術ではありませんで、ショー・ビジネスでしたから風紀を乱しますね、それで江戸の中心からどけたわけです。 

 この場所に今行ってみますと、吉原は戦後に売春禁止になりましたので、ソープ街に変わっていまして、かつての文化度はありませんね。かつての吉原は、当時の工芸美術・服飾美術の粋を凝らしたものだったわけですから、現状はやはり残念としか申す他ありません。

 歌舞伎座のあった所はごく普通の街になっています。明治時代に銀座へ移転したからですが、まあ、そういうことは後の話しです。今は、この時点=1850年頃の浅草の状況を想像してみて下さい。

 さあ、どうなっていたでしょう。

①浅草の中心には浅草寺(=宗教)があり、その北に、

②猿若町(=歌舞伎エンターテインメント産業)があり、さらにその北に、

③吉原(=セックス産業)が並んでいました。そして、

④浅草の南には米蔵(=経済力)が集中していました。

 どうです、バチカンとラスベガスとウオール街が同居してるようなもんですね。これほどのラッキーさの中で、天下一の盛り場・浅草は成立したのだ、ということを、是非把握しておいていただきたいです。この状況に比べると、スカイツリーくらいは大したことがないということが、すぐわかります。

 さて明治時代です・・・

<この話しは、長いので8回に分けてUPします。本日は、その第一回でした>

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は262人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて856日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

生レバ食文化

 7/1よりスタートした「生レバー」禁止には、賛否両論あるようですね。

 提供してきた焼き肉屋さんが反発しているのは分かりますが、一般消費者の方からも「生レバー」擁護論が根強いようです。放射線を照射すれば食える、という論まであるそうで驚きます。

 この件で私が気にしますのは、一般消費者の方が食中毒に関する情報に日頃充分接しているかどうか、です。

 「生レバー」による食中毒は1998~2010年の間に116件も発生しています。普通の生牛肉の場合は、同じ期間に5件です。

 肉の場合は組織の内部に食中毒菌が入りこむことは、ほとんどないので、こういう結果になります。それに「肉が5件」と言っても、多分挽き肉か成型肉でしょう。挽き肉は、練り込む時に内部に菌が入ってしまいやすいので、たまに食中毒が起きます。それでもレバーに比べると、相当安全であることが、すぐ分かります

 このような食中毒のニュースって、ハッキリ申して面白いニュースではありませんから、一般の方があまり接していないのでは?思います。だから、

 みんな食べているし、おいしいのに何で禁止するの?

という意見が出てきます。

 民主主義を否定する気はありませんが、こういう問題では、専門家の指導に従った方が良いように思います。

 レバーの中のO-157を減らす研究もなされているようですが、なにしろO-157は数個存在するだけで食中毒を引き起こしますから、安全にするのは、相当ハードルが高いと思われます。

 それから、もう一言。「食文化」を、こういう形で規制するのはオカシいという御意見もあるようですが、私辺りの感覚では、「生レバー」は「食文化」と称して良いほど成熟した食べ方ではないように思います。 

 日本には、もっとデンジャラスなものを食す文化があります。それは・・・

「河豚の卵巣の糠漬け」です。

 石川県のごく一部の地方で作られている郷土料理=珍味です。

  ご存じの通り、河豚の卵巣には肝などと同様に、致死性の高い「テトロドトキシン」という毒素が多く含まれているため、そのままでは食用にできません。しかし、その卵巣を2年以上にもわたって塩漬け⇒さらに糠漬けにする事で、毒素を消失させ珍味として食しているのです。

 日本の「食品衛生法」は、河豚の卵巣を食用することを禁止していますが、全国で石川県の美川・金石・大野地区で作られた、この漬物だけは、許可されているのです。これは、大変な食文化です。

 出来上がった漬物は、石川県予防医学協会による毒性検査を受け、毒素が消失したことを確認した後に出荷されている、と言いますから、ここまでの体制を組んでいれば、文化と称しても、許されましょう。

 以前河豚の肝を食べて亡くなった歌舞伎役者さんがいたそうですが、その行為が食文化なのでは決してなく、無毒化して安全に食べられる体制を組んでいることが、食文化なのです。

 2005年に輪島の朝市で、一件食中毒事件があったそうですが、それは無免許業者によるもので、漬け込み期間も浅く、勿論、すぐに追放されたそうです。

 これに比べると、生の牛肝を何の工夫も無く、そのまま提供して、事故を起こし続けている「生レバ食文化」って、本当に文化なの?っていう疑問が湧いて来ますよね。

 「・・・」な「食文化」を、私は文化と認定したくありませんね。

って、今日はチト辛口でしたかね。

 スイート住吉に戻さなきゃ。

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は237人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて855日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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豆腐屋さんの笑顔計画

 先日Team Soy Yes の皆さんが見えました。

 皆さんが、豆腐とか納豆とか、豆関係の御職業の方、というメンバーです。

 しかも48名様と大勢で、弊店が実行中の「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」に参加して下さいました。有り難いです。

 このTeamのリーダーで、「すきや連」のメンバーでもある、「下仁田納豆」のNn都さんから、挨拶をして欲しい、という御要望がありましたので、勿論喜んでお引き請けしました。以下が全文です・・・

 皆さん、こんばんは、「ちんや」六代目の住吉史彦でございます。

 Nn都さんから「1千人の笑顔計画」の説明をして欲しい、というご要望がありましたので、致しますが、お配りした資料の通り、ややこしい所は一つもありません。

 まず、東北の牛を食べていただき、食後に飛びっきりの笑顔を撮影させていただき、その笑顔画像を「ちんや」のサイトにUPします。

 また皆さんが「ちんや」においでの間にプリントアウトも致しまして、その紙焼き写真を、次回持って来ていただくと、そのままクーポンに成って優待がある、という簡単なシステムです。

 今日全員が参加して下されば、参加者の数は230人になりますが、それを1千人まで続けよう、という試みです。

 さて、この企画は大震災という事態を受けまして、東北で牛を飼っている人達のためにやっているわけですが、それだけではありません。手前ども「ちんや」と御客様の間にも、損得勘定だけでない、もう一段深い関係を作って行きたい、そういう願いも込めて推進しています。

 写真のクーポンは、我々サイドからしますと、優待させられて嬉しいクーポンです。普通のクーポンは優待させられて腹立たしいですから、違います。嬉しいという感情が産まれる所がかなり違うと思います。

 ちょっと思い出していただきたいのですが、地震の後に、家族の絆・友人の絆・地域社会の絆というものが語られることが多いと思いますが、店と客の絆は、ほとんど語られませんね。皆さんも、ほとんどが御商売の方と思いますが、残念じゃありませんか?

 私は、実は数年前から、手前ども「ちんや」と御客様の間にも、損得勘定だけでない、もう一段深い関係を作って行きたい、そう考えて「すき焼き思い出ストーリー」とか「すき焼き川柳onツイッター」とか「記念日割引」とか、いろいろやって参ったのですが、地震の後に、店と客の絆のことが、ほとんど語られないのを視まして、これは残念だ、もう一段頑張ろう!と思って始めましたのが、この「笑顔計画」であります。

 だいたい「地域社会の絆」とか申しますが、その主役は、街の米屋さんや、肉屋さん、酒屋さんや、八百屋さんや、魚屋さん、それから味噌屋さん、豆腐屋さん、納豆屋さんですよね。商売をする中で、住民の顔と名前を覚え、性格や家庭状況を覚えている人が地域の主役であって、ただ住んでいるだけの人は、脇役です。

 でも、商売している=営利企業=儲けているという、枠組みの中に居るので、絆話しには成りにくいんだと思います。 これは実に残念な話しでして、実際問題、〇〇屋の皆さんは、知り合い相手の商売ですから、大して儲けてはおらず、所謂「三方良し」の関係の御店ばかりと思います。

 ですので、店と客の間にも、損得だけで無い一段上の、信頼関係を作ることは、必ず出来る話しだと思って続けています。この「笑顔計画」も、その一環です。

 ですので、皆様にご協力いただけますことを、本当に嬉しく思っています。本日は御来店、誠に有り難うございました。

 この日の笑顔画像をこちらのサイトにUPしましたので、ご覧ください。

追伸

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
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 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて854日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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元祖すき焼きキャラ

 「サシコ」嬢が異性問題で左遷されるまで、HKTの存在を知らず、興味も勿論無かった私ですが、HKTに「元祖すき焼きキャラ」なる人物がいることを知り、

 へええ!

と思いました。

 彼女の名前は中西智代梨さん。HKT48チームHの所属で、相性イヤ愛称は「ちょり」だそうな。

 聞けば、「ちょり」さんの「朝からすき焼き大丈夫」というキャッチフレーズは既にすっかり定着しているらしく、さらにもう一人の別の方=阿比留李帆さんも対抗して、「政見放送」の終わりに唐突に「朝からすき焼き食べれます」と表明した、というから熱が入っています。

 公演中にも「フレッシュすき焼きになりたいの~♡」と叫んでいるらしいのです。

 そういうことで「ちょり」さんは、「生誕祭」~誕生日のことですが~にファンからすき焼きを贈られて、その喜びをブログに書いておられます・・・

 「今日は「ちょり」の生誕際でした(^^)

 凄くいい思い出になりました♪

 サプライズでケーキが出てきたと思ったら、まさかのすき焼きという…♡

 公演の後、美味しくいただきました*ε☆」

 え? だから、どうなんだって?

 いや、どうでもいいんですけどね、勿論。だいだい、生誕際の際の漢字が違ってますけど。

 でも、御蔭様で弊ブログが1日分稼げました。

 「ちょり」さん、福岡は遠いから、私は行けないけど、頑張ってね♡♡♡

 来年は1票買おうかな。

 追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は237人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて853日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:02 PM  Comments (0)

塩タマネギ

 おいしいタマネギを見つけましたので、変わりザクに使っています。

 それは、海水塩タマネギ。 

 佐賀県杵島郡白石町の農業法人「稲富ファーム」さん達が、海水塩を利用する珍しい栽培法でタマネギを育てています。

 以前から台風時に塩害(=潮風害)を受けた農地から品質の良い作物ができるケースがあり、稲富ファームはそれをヒントに農法の研究を重ねてきたそうです。7年前ほどからタマネギ栽培に、それを採用し、日本海の天然塩を水で薄めて定期的に葉面に散布しているそうです。

 甘さを引き出すとともに、減農薬栽培もできると聞きます。

 食しますと、甘みが濃く、ミネラルも濃いような気がします。

 佐賀県では、甘みのある食感を前面に打ち出し、「全国有数のタマネギ産地」をアピールしてきたいそうな。

 大いに結構と思います。

 先日のTeam Soy Yes の皆さんのご宴会でも使ってみました。

 皆さまも、是非弊店でお召し上がり下さい。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は230人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて852日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

Team Soy Yes 

 Team Soy Yes の皆さんが見えました。

 皆さんが、豆腐とか納豆とか、豆関係の御職業の方、というメンバーです。

 しかも48様と大勢で、弊店が実行中の「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」に参加して下さいました。当然、東北・北関東の牛を食べていただき、そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただき、その笑顔画像を「ちんや」サイトにUPします。(請う、御期待)

 さて、このTeamのリーダーは、「すきや連」のメンバーでもある、「下仁田納豆」のNn都さんです。

 で、こういう知り合いが見えた時、私は料理の実験台に成ってもらうことにしています。

 今回お出ししてみましたのは、チンゲンサイ。それを春菊の代わりに、ザクとして、すき焼きの鍋に入れて食べるのです。

 なんでまた、チンゲンサイなのかって?

 そりゃあ、「ちんや」だかからですよ。

 そう、オヤジギャグですね、つまりは。

 しかしですね、チンゲンサイを入れたのは、ギャグばかりではありません。合うのです、結構、すき焼きに。

 そもそもチンゲンサイは「中国野菜」のカテゴリーに入っていますが、アブラナ科アブラナ属の野菜で、白菜・野沢菜・水菜の仲間です。

 中華料理と一緒に日本に入って来たので、中華イメージに成っていますが、食べてみると特段、中国っぽい香りはありませんね。そこが香菜とは違います。香菜はセリの仲間ですからね。

 実際、チンゲンサイはアクが無く、煮崩れないため、スープや煮込み料理に向いています。また、中華料理に合うだけに、油と相性が良く、当然すき焼きにも良さそうです。白菜の仲間ですが、白菜ほど水は出ません。

 炒めても茹でても、あまり量が変わらず、しゃきっとした歯触りが楽しめます。春菊が哀れにも縮むのに対して、鍋の中で堂々としています。

 だから、今後すき焼きの常連の具に出来ないか、真剣に考えています。

 いたみが速いという問題もあるようですが、最近は「50℃洗い」という方法もあるので、少し工夫してみたい思っています。

 Team Soy Yes の皆さん、実験台有り難うございました!

 追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

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追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は230人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて851日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: すきや連,すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

こだわりのどぜう会

 「駒形どぜう」さんの「こだわりのどぜう会」という会がありました。

 「駒形」の大旦那さんには、日頃御指導いただいており、若旦那とも御一緒することが多く、そんなことで、お招きいただきましたので行ってきました。この会は第18回目とかで大した継続ぶりです。

 さて参りますと、この日の目玉は、大分県宇佐の「ほたるどじょう」です。頂戴しましたら、実に淡泊で上品な御味でした。

 その昔は日本の田圃のどこにでも居たと言うどじょうも、今や多くが養殖です。食べる人口が多くはなく、そう高い値段で売れるものでもないので、自然と国内ではあまり生産されなくなって、海外での養殖が多くなっているようです。「駒形」の大旦那さんも、どじょう料理を護るため、台湾に養殖池を開拓したりしています。

 そんな中でも、国内の養殖場もあって、その一つが宇佐です。

 宇佐の養殖方法は特別で、大分県が2002年に開発した「無泥養殖」という方法を採用しているそうです。屋内のいけすを使い、採卵とふ化、成育を地下水で行う技術だそうで、「大分のんきどじょう」というの愛称でも売り出しているそうです。

 どおりで泥臭さがありません。しかも肉厚で骨も軟らかいどじょうです。

  味が淡泊なだけに、お代わりして食べ続けていると濃い味に飽きてきてしまいますが、そこは反則も可能です。この夜、「江戸町奥山風景」の出店に「駒形どぜう」代表として手伝いに来てくれていたMY嬢が、私のテーブルの担当になってくれたので、彼女に頼み込んで、生卵を貰いました。

 そう、「どせうすき焼き」作戦です。うん、これなら、マイルド。

 ところで、聞くところによりますと、このどじょうは特別天然記念物のトキの餌としても重宝がられているそうです。佐渡トキ保護センターで飼育されているトキに、海外産と大分産を同時に与えると、なぜか大分産を好んで食べるんだそうな。

 う~む、流石は記念物。鶏のクセに、どじょうの味にこだわるとは。

 「どじょうはどうも・・・」という人間もトキを見習った方が良さそうですな。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

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追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

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Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

うな牛丼

 そういう知恵があるのなら、頼むから、他の産業分野で使って欲しい、

近頃私が、そう思いますのは「うな牛丼」です。テレビでさかんにCMしていますから、皆さん多分ご存知ですよね。

 弊ブログの6/15号でも書きましたように、鰻の稚魚の不漁が続いていて、鰻の相場は高騰、資源の枯渇~ニホンウナギが「絶滅危惧種」に指定される~可能性すらあります。

 そんな中、

 相場が高いのなら、その具の分量を減らして、他の具を入れて埋めればいいじゃん!

ということで、出来上がったのが「うな牛丼」、という次第です。

 流石は、店に何回も強盗に入られて⇒警察から「防犯対策をしっかりやれ!」と指導されても、抵抗を示すような会社です。発想が柔軟ですね。

 一方そういうことが出来ないのは、伝統的な鰻専門の皆さんです。

 鰻ひとすじですから、他の具を入れる、という発想がありません。ひたすら苦労しておられます。

 皆さんは、この知恵の無さを笑いますか?こういう作戦は、他の産業分野なら、在り得る話しですから、「その位のアイデアは出せて当然」と思う方も多いと思います。

 でも私は笑うことができません。

 鰻というものに、さして愛情も無い人が、一片のアイデアで、専門の皆さんより上手く商売する様子を見るのは辛いです。

 日頃私は、所謂「外食産業」と専門店は、まったく別の産業と思っています。でも希少な動物資源を奪い合うような状況となると、安穏と「棲み分けましょう」と言ってもおれませんね。

 アイデアが出るのなら、ステキな製品を作って、海外に売り、この国全体が富むような産業に出してもらえないもんでしょうか。鰻を奪い合って、誰が幸せになりましょうか?

 皆さんは、本当に心底から美味しく食べることが出来ますか、「うな牛丼」。

追伸①

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 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

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 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

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広報

 以前のことですが、大学で経営学を専攻している学生さんが、

 老舗の御店の経営者の方の話しを聞きたい、

ということでやって来ました。その中で、

 どうやって店のスタッフのモチベーションを上げるか?

という議論になって、彼らが提案したのは、

 店の広報を、現場の仕事と兼任でやらせたら良い。

という案でした。

 なるほど広報をやってみたいんですね、要するに。

 でも、大変ですよお。

 だって、取材に来た人が聞くことは・・・

 明治時代のザクの具は、今と同じですか?とか、

 大正時代には、仲居さんを何人ぐらい雇っていたんですか?とか、

 太平洋戦争後の物の無い時代には、どうしていたんですか?とか、

そういうことを聞いてきます。

 本題の取材内容は、ごく定型の「お店紹介」だけの雑誌なのに、あんまり本題と関係ない昔のことに興味が湧くらしく、そういう質問が飛んできます。

 だから出版された雑誌の記事だけ見ると、広報と言っても、そんなに難しいことはなさそうだ、と思うかもしれませんが、実は違うのです。

 結局、弊店は専業のPRマネージャーとかを雇わず、私が自分で取材対応をやってます。

 忙しい中に、単なるデータのやりとりとか、校正とかの単純仕事をやるのは、ハッキリ申して、イラっとしますが、結局私が自分でやってます。

 いつかは「お店紹介」以上の、内容の濃い記事につながって行く、と信じてやってます。

 でも、そういうことが少ないんですよねえ、実際。

 編集者の皆さんに申します。ライターさんに、もう少し自由に書かせては、どうなのでしょう?

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

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 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

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地元志向

 気になる記事を見つけました。

 年々減り続ける早大志願者数 その理由は受験生の「地元志向」

という記事です。

・・・「地元志向」のあおりを受けている代表校が、全国から学生を集める早稲田大だ。早大の一般入試の志願者数の推移をみると、志願者数は過去5年間で約1万人弱減少しており、その内訳をみると、減った分の大半が関東以外のエリアからの志願者だ(代ゼミ調べ)。」

 5年間で約1万人弱減少とは、厳しいですね。

「受験生が慎重になり、早稲田を記念受験する層も減っている」(近藤氏)という事情も相まって、減少に歯止めがかからない。」

  受験生が地元志向化する背景については・・・

 「遠くの大学に行くお金がないというより、その先の就職を考えたとき、コストをかけた分を回収できるか、パフォーマンスが見合うかを考えた結果ではないか」(坂口氏)

 「地方から首都圏の大学に出てくるのは次男、三男、長女、次女が主流だったが、少子化でその流れが止まった」(石原氏)

 「一人っ子は親のそばにいたいという気持ちも強い。本当は首都圏の大学に行きたいと思っている受験生も、親に気を使って地元に進学する子が多い」(近藤氏)

 最近、日本酒の出荷量が10年で半分になり、パンの出荷量が米を抜きました。

 今度は、地方の若者が早稲田に入ろうとしないとは・・・

 これまで、地方から早稲田に入った人達が、間違いなく日本を支えてきました。

 どうも、おかしくないですかね、ニッポン。

 頑張って欲しいです、ワセダ。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて847日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)