SUKIYAKA

3/18の新聞が坂本九ちゃんの『上を向いて歩こう』を特集していました。

そう、英語のタイトルが『SUKIYAKI』の曲ですね。

この曲がアメリカ「ビルボード」誌のシングルレコード・ヒットチャートで1位になってから今年が50年目で、その後日本人が1位になったことは一度もない、ということで特集していたようです。

正確には、この曲が1位だったのは1963年6月15日から29日までの3週ですから、少々フライングなのですが、まあ、細かいことはどうでも良いでしょう。

そんなことより、なんでこの曲がSUKIYAKIなのか?歌詞の内容とは全く関係ないのに何故なんだろう?ということを皆さんはお知りになりたいでしょうから、ここに一応書きますが、残念ながら深い理由はないようです。

最初に命名されたのはイギリスのようです。

実は、この曲はアメリカでヒットする前に1962年にイギリスでヒットしています。

イギリスのレコード会社の社長が来日した際、土産として貰った数枚の日本のレコードの中に『上を向いて歩こう』があって、それを大変気に入り、帰国後リリースすることが決まったのですが、その際に、何か短いタイトルにしよう!と考えたそうです。

別に『上を向いて歩こう』をそのまま英訳しても大して長くはないと思うんですけどね。

ともあれ、この社長さんは、何か短いタイトルにしよう、それも日本語で!と考えたのですが、知っている日本語と言えば、接待で会食した「SUKIYAKI」と、「SAYONARA」ぐらいしかなく、結局、「SUKIYAKI」になったらしいです。

トホホですね。

さらに、です。この曲を全米にヒットさせたキャピトル・レコードのデイヴ・デクスターという人は、もっと融通の利く人だったらしく、「SUKIYAKA」というタイトルで発売しようとしたそうです。

誤入力ではなくワザとです。ラジオでDJが曲紹介をする際に、歌手名の「KYU SAKA-MOTO」と韻を踏めるように意図的に-YAKAにしようとしたのです。いやあ融通利いています。

さすがに、これだけは日本側が説得し、発売時には「SUKIYAKI」に戻されたそうな。目出度し、目出度し。

お陰さまで、私もカラオケに行った時に「SUKIYAKA」をリクエストせずに済みます。

♪上を向いて歩こう~涙がこぼれないように~♪

皆様も御一緒にどうぞ!

<春の臨時営業(火曜営業)のお知らせ>

春の観光シーズンをむかえ、下記の日は火曜日ですが、営業いたします。

どうぞ御利用下さいませ。

平成25年3月26日(火)隅田公園桜まつり

平成25年4月 2日(火)隅田公園桜まつり

平成25年4月30日(火)GW連休

*個人的には3/13-4/8まで28連投ですが、頑張ります!

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は336人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.112日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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ソメイヨシノ

本日弊ブログは、1.111日連続更新を達成しました。

目出度いので、ネタも目出度く桜の話しで参りましょう。墨堤の桜も開花しましたのでね。

さて、他のサクラを圧倒する人気種、と言えばソメイヨシノですね。

ところが、そのソメイヨシノの樹は全てクローンで、接ぎ木で増やしたものなのだそうです。

ご存知でしたか?

ソメイヨシノは「自家不和合性」が強い品種、つまりソメイヨシノ同士を両親とする種が発芽に至ることがない品種なのだそうです。

結果ソメイヨシノの純粋な子孫はありえない、のです。

ソメイヨシノ以外の桜との間で交配することは可能で、それが実をつけ、種が発芽することはあるものの、それはソメイヨシノとは別種になってしまう、とか。

うーむ、ですね。

このようにソメイヨシノは種では増やせないので、各地にある樹はすべて、人の手で接ぎ木した樹=要するにクローンなのだそうです。

クローンばかりであるので、それを密集させて植えれば、集団が一斉に咲き・一斉に散らす結果になるわけです。

この特質が、桜に対する日本人のイメージを形成する素になっているのは間違いないでしょう。

しかし、一方でクローンであるがために、特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い体質になっているそうです。

ここで、いきなり話しは、桜からワインに飛びますが、ワイン専門家の方で、「自根・古木」のブドウの樹から獲れたワインを推奨する方がおいでのようです。

自根とは、接ぎ木に対する言葉です。

古木とは、読んだママ。

接ぎ木されていない、種から育ったブドウで、しかも長生きしたブドウから獲れたワインが素晴らしく、特に、それが肉に合う、と言いますから注目せざるを得ませんね。

長期間肥育させた牛を推奨している立場の者としては、合わせる酒も、長生きした原料から獲りたくなりますが、日本酒の場合は樹でないので、こういう議論が出来ない所がチト寂しいですね。

うーん、今日は目出度いはずが今市なオチになってしまいました。

明日は出直します。御機嫌よう。

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空から日本を見てみよう②

<この話しは長いので、昨日から続いています。>

BSジャパンの『空から日本を見てみようplus』という番組に出演させていただきました。

この番組は、雲に乗った気分で各地を見てまわる、「新感覚空撮地理バラエティー!番組」でして、今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。

私がインタビューされましたのは、

・浅草にすき焼き屋が増えた理由

・狆屋からすき焼き屋へ事業転換した理由

結構長時間のインタビューでしたが、例によって大幅カット。ごく短時間の出演でした。

そこで今日は、その内容つまり放送されなかった、『空から見てみよう』をここで公開いたします。

さて、狆屋からすき焼き屋へ事業転換したのは、幕末・明治に浅草が繁華街として全盛時代を迎えたからですが、その経緯は・・・

それは、浅草が完全に江戸の下町に成ったからだと思います。

その「下町」の範囲ですが、実はそれは時代によって違います。

江戸時代初期に浅草は、江戸の「下町」ではなく、この頃浅草はまだ江戸の外に独立していました。

浅草は太田道灌よりずっと前から存在していまして、江戸という都市が後から出来て⇒成長・拡大する内に吸収されたのです。

江戸と浅草の往来が頻繁になったのには、3つのキッカケがありまして、

1蔵前(=浅草のすぐ南方)に米蔵が建設された

2吉原遊郭が現在地(=浅草の北方)に移転した

3歌舞伎座が、現在の浅草7丁目(=言問通りの北。浅草駅より徒歩8-10分)に移転した。

の3つです。

2も3も、初期の「下町」つまり日本橋・京橋から浅草の北方へ移転したわけです。

吉原はその場所に現存し、その後歌舞伎座は明治20年代に東京の中心部に戻りました。

この内、3は実は天保時代のことで江戸時代も後期です。これで多くの江戸の人が浅草へ出かけるようになりました。

当時地下鉄はありませんから、日帰りの歌舞伎見物です。

これにより、浅草は完全に江戸に吸収され、江戸の下町、江戸随一の繁華街に成ったと言えると思います。

その繁華街で、弊店の祖先は牛鍋屋を始めたわけです。めでたし、めでたし。

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空から日本を見てみよう

BSジャパンの『空から日本を見てみようplus』という番組に出演させていただきました。

この番組は、雲に乗った気分で各地を見てまわる、「新感覚空撮地理バラエティー!番組」でして、今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。

私がインタビューされましたのは、

・浅草にすき焼き屋が増えた理由

・狆屋からすき焼き屋へ事業転換した理由

結構長時間のインタビューでしたが、例によって大幅カット。ごく短時間の出演でした。

そこで今日は、その内容つまり放送されなかった、『空から見てみよう』をここで公開いたします。

さて、浅草にすき焼き屋が増えた理由ですが、

これは特に深い理由はなく、結果的にそうなっただけと思われます。

明治5年~15年頃に、牛鍋屋の流行がありまして多数の店が開業しました。 既に明治10年には東京府下に488軒もの牛鍋屋があった、と言いますから、かなりすさまじいブームだったようです。

この時期が、浅草の繁華街としての全盛期に当たっていて、浅草は日本随一の繁華街でしたので、店を開業しようとする者は、場所として浅草を選んだと思われます。

すき焼きとか洋食は、その時代の新文化・新ビジネスですから、ビジネスとして成立させるために、経済力のありそうな土地へ出るのは当然のことで、幕末から江戸随一の盛り場だった浅草に店が出来たのは、当然の成り行きと思います。

例えば、今半さんと米久さんは、地方から上京して来て、浅草を選んで開業しています。

逆に弊店のように、以前から浅草で商売をしていたのが、牛鍋の大ブームを見て、商売がえした者もいます。

浅草が栄えていたので、狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのでしょう。

そう、手前どもの御先祖は、江戸時代に浅草で狆屋をしておりました。犬の狆(ちん)ですね。

当時の大名家や豪商などは、ペットとして狆を飼う習慣がありました。

現代でも犬を可愛がる方がおいでですが、狆もたいそう可愛がられたそうで、狆の墓があったりする位です。

その狆の、良い血統を、手前どもの御先祖が押さえていたようでして、現代風に言えば、狆のブリーダーですね。そして、売った狆の具合が悪くなれば獣医として治療したりもしていたようです。

それで「狆屋」だったのです。

その狆屋を、手前どもの御先祖は江戸時代から浅草でしておりましたが、明治時代になりまして、すき焼き屋(牛鍋屋)に商売変えしました。

理由を書いた書類はありませんので、想像するのみですが、犬の趣味が変わったことが大きいのでは、と私は思っています。

添加泰平イヤ天下泰平の江戸時代には可愛いペットが愛されました。特に狆を飼うのはお旗本の奥方とかでしたから、狆は女性イメージの犬でした。

ところが、続く幕末・明治は戦争や政争が続く騒乱の時代ですから、世の中の犬の趣味が変わりました。

上野の西郷さんは犬を連れていますが、狆ですか?違いますね。

西郷さんは猟犬を連れて、野山を歩き回るのが趣味だったようですが、そういうワイルドな世相の時代に狆は可愛い過ぎで、かつ旧時代のイメージに見られたと思います。

要するに、時代が変わって、商売としての「狆屋」の将来性が脅かされましたから、手前どもの御先祖は、狆を捨てて、牛鍋に走ったものと思います。

明治時代に入り、往来が自由になり、鉄道や汽船も出来て、浅草は栄えていました。江戸時代から栄えていましたが、一層栄えるようになり、全盛時代を迎えます。

その浅草に店を構えているのですから、狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのでしょう。

あくまで想像ですが。

ところで幕末・明治に浅草が全盛時代を迎えた理由ですが・・・

え~この話しはだいぶ長くなって来たので、明日に続きます。

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結局やっちゃいましたね、馬肉ユッケも。

大丈夫なのかねえ? やっちゃうんじゃないかねえ?

と思っていたら、結局やっちゃいましたね、食中毒を。

馬肉ユッケの、o-157事件のことです。

牛肉ユッケの衛生基準がきびしくなり、困った焼き肉業者が、雪崩をうって馬肉ユッケに走りましたが、全ての馬肉ユッケが安全というわけではありません。

牛よりはo-157がいる確率が低いことは低いのですが、そもそも馬だって生身の生き物ですから、無菌ではないです。

それを生で食べるためには、肉の表面部分を加熱殺菌して除去し、中心部だけを切り出さなければなりません。

しかも、その過程を全て無菌に近い空間・無菌に近い道具でやらねばなりません。

その全ての作業を格安でやるなんて、無理なんです。

ところが格安の生馬肉を用意することを、焼き肉業者から要求された、長野県の「大成」という会社が、加熱用の馬肉つまり、上に書いたような処理をしていない馬肉を「生食用」と偽装表示して売ってしまったのです。

あーあ、ですね。

この馬肉は輸入の馬肉だったそうです。

きびしい衛生管理が必要なんですから、自分の眼の届く近くの会社から仕入れないといけないのに、外国から輸入する、という発想が、第一にアンビリーバボーです。

結局、この業者の馬肉を生食した人がo-157に罹り、それで保健所が「大成」を調べたら、自社の在庫の中からはo-157は出なかったものの、ちょうど防疫検査にかけられていた肉から、大腸菌が出たそうです。

恐るべきことに、この業者はその後も保健所には「加熱用として売っています」と嘘の報告をしてさらに売り続けた、というから、かなりの度胸です。

と、申しますか、完全に価値観が逆転しています。

業者間の競争が厳しい、とか

自社の業績が厳しい、とかより、

人の命を危険に曝してはいけない、とか

「長野の馬肉食」という地域の食文化にダメージを与えてはいけない、

ということが優先されるはずですね、普通は。

今回は、その順位が完全にさかさまになっていたようです。

企業は「ゴーイング・コンサーン」だって良く言いますが、

そんなにまでして、続けるべき会社なんて無いと思いますよ、私は。

怒り新党 イヤ怒り神道 イヤイヤ怒り心頭。

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杓子定規

ある土曜日にスイカを忘れて外出してしまいました。

浅草駅に着いて、ビックリ。

券売機が半分に減らされています。8台在ったのが4台撤去されていて、しかもその内2台には「定期券」「カード」と書かれていて、実は普通の切符も買えるのですが、なんか、複雑そうな機械ですので、残りの2台に人が集中しています。

なんで、こんなに減らしてしまうんでしょう!

なんとか切符を買って、入場しようとして、二度ビックリ。

改札機が西瓜専用いやスイカ専用の機械になっていて、入れないのです。慌てて進路を変更、切符を入れられる機械を探しました。

なんで、こんなに減らしてしまうんでしょう!

理由の見当は勿論つきます。

紙の切符の処理は大変ですから、なるべくスイカに移行したいのは分かります。

券売機を動かせば、小銭を詰めないといけませんから、大変ですよね。それも分かります。節電になるのかもしれません。

しかし、ですよ、浅草は観光地です。

スイカを持っていない人がたくさん見えます。

たしかに浅草駅の乗降客数はさして多くないでしょう。毎日サラリーマンがウンカのごとく乗降する大手町や丸の内に比べれば少ないでしょう。

だから客数に比例させて、浅草の台数は減らしちまえ!

という発想なのでしょう、おおかた。

でも機械を撤去してしまわずに、土日だけ稼働させる、という発想は無かったのでしょうか。

私は、何が嫌いって、杓子定規で工夫の無い人が嫌いです。

ついでに申せば、現場に足を運ばない経営者も嫌いです。

悪しからず。

(明日はスイート住吉に戻りますので、安心してお読みください。)

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イームズの すき焼き

ツイッター検索でネタが拾えることがあります。

ですので、なるべく日に一度ツイッターに「すき焼き」と入れて検索をかけています。

ある日、デザイン関係の方とおぼしきアカウントの、こんなツイートを見つけました・・・

「60~70年代のモダンデザインのパイオニアとして活躍したチャールズ&レイ・イームズ。夫妻が自宅で使うことを目的にデザインしたと言われるローテーブルLTR。イサム・ノグチ、山口淑子を招いた際にこのテーブルですき焼きを振舞ったという話は有名です。」

有名です、だって?

有名じゃないよねえ、だって私が今日まで知らなかったんだから!

と思いながら、少し調べますと・・・

たしかに、このLTRという机は、生前のイームズ夫妻がノグチや山口淑子を招いたホームパーティで、すき焼きを振舞った時に使用されたテーブルなのだそうです。

へええ、ですね。

そのデザインは、今日の目から見てもシャープです。

その美しい足は鉄橋に用いられるトラス構造のよう。細い足で高い強度を確保しているのが特徴なのだそうです。

そして、その後イームズが良く使用するようになる「ワイヤーベース」構造へと発展したそうです。勿論受け売りですが。

そして興味深いことに、この机は日本の「お膳」を意識したものなのだそうです。今は料亭さんでしか見かけない、一人用のお膳のことです。

イームズには、料亭の膳が「もてなし」というの「コト」の具現化に見えたらしく、そうした「コト」「イベント」をデザインに盛り込んだアイテムとして、このデザインは先進的なのだそうな。

この、イームズの机を使った、すき焼き宴会、やってみたくなりました。

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日曜の夜は浅草のバーへ

第二回「浅草オーセンテイック・バー探検ツアー」を開催しました。

意外と知られていませんが、浅草はバーの宝庫です。素敵なバーテンさん達がシェーカーを振っておいでです。

でも「一見」だと入りにくい店が多いのも事実と思います。そんな御店へ、皆さんを御案内いたしました。

このツアーは、バーテンダー協会・浅草支部長のOGRさん(=「オグラ・イズ・バー」店主)に監修していただきましたので、まさに鬼に金棒、と申すものです。

駆け足で一気に4軒巡りました。

全店で、それぞれの御店のマスターがイチオシのカクテルを作って下さり、また御店の特徴を説明して下さり、良い思いをさせていただきました。

と、いう所までは、第一回と同じです。

今回が違うのは、日曜日の夕方から開催した、という所です。

そう、「夜が早い」と指摘される浅草の、しかも日曜の夜でもバーはやっているのです。

銀座のバーはたいてい日曜定休ですが、浅草のバーはやっています。

浅草=観光地=日曜の夜に行く所ではない

というイメージに囚われていただくと困るのです。

今回は、そのイメージを崩すのが目的でした。

むしろ、そういう菅さん時間帯イヤ閑散時間帯に店を訪ねた方が、バーテンさんとも話しが出来て、親しくなれます。

親しくなっておけば、次回カノジョをエスコートする場合に、どれだけ心強いか。

店の閑散時間帯に訪ねる=店主と親しくなれる=これも立派なヴァリューなわけです。私の店でも取り組んでみたいと思っています。

皆さん、日曜の夜は浅草のバーへ。是非。

追伸①

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ありがとう・また逢う日まで

上野公園に在る「旧東京音楽学校奏楽堂」は、耐震補強工事に入るため、3/28-3/31の「ありがとう・また逢う日までコンサート」を最後に、当分の間休館します。

「奏楽堂」は、昭和62年に台東区の手で現在地に移築保存されたのですが、その時の用談に弊店がしばしば使われました。その経緯については、弊ブログの2012年1月5日号・6日号をお読み願いたいのですが、その経緯がありますもので、弊店は長年協賛広告を出して来ました。

それで、今回のコンサートにも招待していただけることになり、館長さんが見えました。

聞けば「奏楽堂」は、2011.3.11の時は、細いクラックが壁に入った程度だったそうですから、外壁の剥離があった「ちんや」よりマシなのですが、重要文化財ですので、補強が必要と判断されたそうです。

工法は未だ決定してないそうですが、解体再建となると工事に3年とか、かかってしまう模様です。

お名残り惜しいことです。

今後も「日本歌曲コンクール」「木曜コンサート」は、合羽橋の「ミレニアム・ホール」で続けて行くそうですが、建物の趣がまったく違いますので、オールドファンにご満足いただけるか、心配されるところです。

ともあれ、日本最古の洋式コンサート・ホールである、この楽堂で音楽を聴けるのは、今月いっぱいです。

皆様も是非お出かけ下さい。

追伸①

BSジャパンの、『空から日本を見てみようplus』に出演させていただくことになりました。
雲に乗った気分で見てまわる「新感覚空撮地理バラエティー!番組」です。
今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。
本日3月12日(火曜)20:00~オン・エア予定。
是非ご覧ください。
http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は336人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.104日連続更新を達成しました。あと7日で1.111日連続更新です。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: 今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

牛肉誰のおかげで

西友の、すき焼きのテレビCMをご覧になりましたか?

「牛肉 誰のおかげで篇」というバージョンが、この所しきりと流されていますよね。

このCMは、夫婦・息子・娘の4人家族がすき焼きを囲んでいる所から始まります。

父が直箸で鍋をかき回すと、残りの3人が、

何やってんだよ!

やめてよ!

と文句を言います。

それを聞いた父は「誰のおかげで、こんな肉を食べられるんだ!」と机をたたいて怒りますが、

西友のおかげでしょう!

という娘の反論に父も納得してしまう、という筋です。

最後に「国産黒毛和牛切り落とし100g297円」と価格が提示されて終わりです。

ここに描かれている、

・家族内なのに直箸を忌み嫌う子の態度

・父親の労働に敬意を表さない子の態度

を不快に思う方もおいででしょう。

しかし、まあ、これは諷刺なわけで、CMの本意はむしろ裏返しの、

・家族の中では直箸で行こうよ。

・父親の労働に敬意を表そうよ。

というメッセージです。子の役にわざと可愛くない男女がキャステイングされていますから、そうと分かります。

ですので、これを視てすぐ怒り出すのは野暮と申すものです。

それ以前に、家族揃ってすき焼きというイメージが、しっかり今でも現存していることを、私は嬉しく思います。

ここで現代の食の風景を眺めてみましょう。

親は残業や共働き、子供は塾通いやお稽古事と、親子の生活サイクルが噛み合わなくなるのと並行して、外食産業・中食(なかしょく)産業が発展しましたので、子供がコンビニ弁当やおにぎり、ファーストフードのハンバーガーなど出来合いの食べもので済ませる傾向が強まっています。

所謂「個食」「孤食」という現象ですね。

その傾向を歓迎している人などいないでしょう。しかしサービス残業を断れない労働環境の中で、団欒を諦めてしまっている人が多いのだと思います。

たまに親子が揃う場面ではなんとか幸せな食事をしたい、すき焼きを諦めたくない、という願望が映像に表現されるのなら、それは嬉しいことと申せましょう。

残る問題は、価格が安すぎること。

デフレ脱却も諦めたくはないですね。

ところで今日は当然3.11の日であるので、ブログを続けている者としては、何かコメントした方が良いのだとは思います。

でも、今残っている課題は、あまりに重くて、私が建設的なことを書ける気がしません。

ただ思いますことは、二つ。

一つは、放射能で家を追われた方への対処が薄情過ぎないか、ということです。

「家の周りは国費で除染するので帰りなさい」では帰れないですよ。山林は除染しないんですから。

こうした方々には除染だけでなく、近くの別の地域にも家を用意して差し上げる、つまり家2軒が必要と思います。

もう一つは、なんだか、活きた金の使い方がされている感じがしない、ということです。

活きた金とは、金だけでなくて、それに能力・意欲がある人が付いている金のことです。

除染をするにしても、世界的な除染技術の研究センターを作って、そこに世界中から技術者を集める、とかできないんでしょうか。

そうでもしないと、この事故を「世界の教訓」にすることが出来ないと思うんです。

とにかく除染・とりあえず除染、みたいな除染だけが行われている現実に失望を覚えている人は私だけではないと思います。

結局残念ながら、このくらいしか書けないので、終わりますね。お粗末様でした。

追伸①

BSジャパンの、『空から日本を見てみようplus』に出演させていただくことになりました。
雲に乗った気分で見てまわる「新感覚空撮地理バラエティー!番組」です。
今回は「空から見る東京の下町」というテーマで、下町のおこり・変遷・現在を歴史的・地理的観点から紹介する、という内容です。
3月12日(火曜)20:00~オン・エア予定。
是非ご覧ください。
http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は336人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.103日連続更新を達成しました。あと8日で1.111日連続更新です。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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