太神楽

太神楽を、初めて目の前で観ました。

太神楽(だいかぐら)とは傘の上で毬を回したりする、あの曲芸のことですね。

昔は正月のテレビ番組に必ず登場していましたし、浅草で商売しておりますと、正月に街を巡って来たりするのですが、まともに御座敷で観たのは初めてです。

太神楽についてこれまでは、正直、良い印象を持っていたわけではありません。正月の浅草の、殺人的に忙しい営業現場に入って見えると、業務が滞ること甚だしく、かと言って邪険にも出来ず、非常に往生するからです。

しかし、御座敷で酒を飲みながら観るとなると、話しは別儀でなかなか結構なものでした。

今回「料飲三田会」の通人UZHさんが、納涼会に太神楽師をポケットマネーで呼ぶとのこと、しかも女性で美人さんという前評判でしたので、私もノコノコと出かけてみました。

いや訂正。私は会の会計担当なので、欠席できないのです、はい。場所は向島の料亭「きよし」さんでした。

さて、宴も高輪プリンスいや宴もたけなわ、その方=鏡味味千代(かがみ・みちよ)さんが登場しました。

なるほど、クールな感じの美女。

しかし、いきなり「五階茶碗」。

台になる台茶碗を撥で顎の上に立て、その上にさらに板や茶碗、化粧房を積み上げていきます。後で聞きましたが、美神楽師、何か物体をみつけると、顎の上に立つか試してみたくなるそうな。

さらにです、撥をもう一本を付け足し、その撥の上に毬を載せ、そのまた上にさきほどの品物一切をまるごと載せてしまいます。「五階」というほどの、かなりの高さの物が顎の上に載ります。

曲芸!と言って良いと思うのですが、これは入門初期に覚える、若手の基本芸なのだとか。

定番の「傘の曲」も。

傘の上で回すものは毬だけでなく色々あるのですね。「何事も丸く治まる」鞠、「金回りがよくなる」金輪、「ますます繁盛」の枡など、みな縁起の良いものですね。

こういうものは、ホールでやるよりも御座敷で喜ばれそうです。

それから、「一つ鞠」。

またも顔の上に立てた撥の上から別の撥の上へ鞠を移します。派手さはないですが、少しずつ移していく辺りは辛抱が要るでしょうね。難度としては、これが太神楽曲芸の最高難度だそうな。

いやいや、Brava、大したものです。

しかし、皆さんの中の誰かに、傘をやって貰いましょう!

と言われたのには参りました。見惚れていたので、美神楽師と目が合ってしまったのです。

挑戦して、思いきり恥をかかせていただきました。

どうも冷や汗ですっかり涼しくなりました。結構な納涼会でした。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.282日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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疑いの体系

コンプラとは疑うことと見つけたり。

住吉史彦の格言です。

何か不祥事があった時のために、社員やお取引先を、とにかく疑い、

「ちゃんとやることを誓います!」

と、あらかじめ書類に書かせることを、コンプライアンスとかコンプラとか申します。

昨今、「ちんや」にお客様を紹介してくれる、大手の企業さんが、弊社に対して、

役員に暴力団員は入っておりません!

と記載した書類を提出するよう、求めてきています。

江戸時代なら、

無礼者!

で刃傷沙汰ですが、今時はコンプラの世ですから、穏やかに提出する羽目になります。

所謂大手さんと私の間には、人間的な信頼関係は、そもそもありませんから、ドライにつきあいますが、困りますのは、人間的に信頼関係がある浅草の取引先とつきあう場合です。

立場を変えて、弊社に物品を納入してくれる先に対しては、私がコンプラ書類を要求する形になってしまうのです。

日頃は信頼しています、と言っておきながら、その舌も乾かぬ内に、コンプラ書類を要求するわけで、その内容たるや、疑いの体系・疑いのシステムそのものです。

特に衛生の分野は、行政官庁を中心にこの流れが顕著なので、困ったことです。

背景には、普通の消費者が普通にクレーマーに化ける世相があります。しかも、その普通のクレーマーがネットを駆使したりするから始末が悪いですね。

次来る時は気をつけろよ!

というセリフは、もう聞かれなくなりました。

だから「いざ」という時のために、あらかじめ書類で武装する時代です。

近くに住む、小さい頃から見知った関係の取引先が相手でも、書類を要求せねばなりません。困った世の中です。

南無観世音菩薩。

 

追伸①

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追伸②

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皆様も、是非御参加下さい!

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救急です!

その日はサンバカーニバルの日でしたので、店の玄関に出ていました。猛暑が戻って来た日でした。

外を見ていましたら、年配の男性つまりオジサンがよろめいているのが見えました。

おや!と思いましたが、酔っているのかなあ、と思いとりあえずは放置しました。サンバの日は朝から場所取りしながら飲んでいる人が多いからです。

猛暑の中で朝から居続けて、具合が悪くなったんでしょうか。

そうしましたら、

あっ、ああー!

そのオジサンはもう一度よろめき、しかも今回は顎から地面に落ちたのです。しばらくして口から流血が始まり、路面に血だまりが出来始めました。

こうなると、もう119番しかありません。どうやら連れの人はいないようで、私がかけるより他ありませんが、実は私は119には慣れています。

店でたまにお客様が気分を悪くすることがあるからです。「神谷バー」の神谷さんほどではないですが、慣れています。

まず病人の目の前で携帯でかけるのがコツです。状況を説明しないといけないからです。さて、

火事ですか、救急ですか。

はい救急です。店の前で、60歳くらいの男性が倒れて血を吐いています。知らない方です。通行人です。

屋外ですか。

はい、屋外で商店街です。住所言いますね。台東区浅草1-3-4。よろしくお願いします。と、5W1Hを炸裂させました。

救急車は、すぐ来ました。東京消防庁、Good Jobです。

住所を言っただけで、場所は「ちんや」ビルの前ですね!と既に把握しています。Good Jobです。

しかし困ったことに、今はまさに、サンバカーニバルの開始時間直前。

停車している救急車の後ろから、大音響のサンバ隊が接近してきます。

ここでパレードを止めたら大変です。

しかし、そこは流石、東京消防庁。テキパキと処置して救急車は緊急発進。

間一髪でパレード中断を免れました。

皆さんも、猛暑にはお気をつけ下さい。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

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伊勢参り⑤

お伊勢様に参拝して来ました。

参りまして、地元の方と話しておりましたら、

伊勢の人間に「伊勢は観光地なんだ!」という意識が足りない。

という御意見を聞かされ、意外な話しを聞くものだ、と思いました。

「伊勢参り」と言えば、江戸時代には年間200~400万人もの客が訪れた、と聞きますから、間違いなく日本最大級の観光地だったと思うのですが、その繁栄が今日まで続いてきたわけではないのだそうです。

高度経済成長時代を過ぎた頃客数が落ち込み、1970年代後半には20万人にまで落ち込んでしまった、と言います。その後長い低迷期が続き、回復を始めた時期は、意外に最近で、前回の遷宮=1993年だと聞きました。

「観光地なんだ!」という意識が足りなくなったのは、この低迷期があったからでしょう。

回復のキッカケが「おかげ横丁」の開業であることは、既に広く知られているかもしれません。

当時の低迷状況を打開しようと、老舗和菓子店の「赤福」さんが立ち上がり、「おかげ横丁」の建設に着手しました。

建設費用140億円は当時の「赤福」さんの年間売上高とほぼ同額という巨費でしたが、行政から補助金を受けることなく1社の自己資金で賄ったそうです。この話しも有名かと思います。

以降、「横丁」開業前の1992年には年間32万人だった街の往来者数は増加に転じ、2002年には300万人、2007年には400万人、今回の遷宮では800万という数字が話題に上っているそうです。

1970年代と言えば、浅草も最悪の時期でしたから、なんだか、親近感がわきますね。

さて今回の遷宮では、商工会議所を中心にJR伊勢市駅から外宮へ続く一帯が整備されているようでした。以前JR駅の周囲は、

天下のお伊勢さんなのに、なんでこんなにシャビーなの・・・

と思う位寂れていましたが、だいぶ綺麗な街になっていました。

それでも伊勢市内には、まだ魅力的な宿泊施設が少なく、泊まり客は鳥羽・志摩へ流れがちだそうです。実際、私達レストラン協会一行も鳥羽の旅館に泊まりました。

かつて旅籠や遊楼が立ち並んでいた花街一帯が再び賑やかに成った、というわけではないようです。

その昔の「伊勢参り」は、まず外宮に詣で、それから内宮にも詣でましたから時間がかかりました。ですので伊勢に宿泊しますし、宿泊すれば楽しい(=悪い?)こともします。

それで外宮と内宮の間に旅籠や遊楼が在ったわけですが、今時の観光は時間がないので、そんな悠長なことは致しません。

内宮へ直に乗りつけ、「おかげ横丁」で赤福を買って、伊勢参りは終了です。

重ね重ね、どうも浅草に似ています。

客数増を単純に喜べない私は、ヒネクレ者でしょうか。

追伸①

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伊勢参り④

お伊勢様に参拝して参りました。

午前中の参拝でしたので、その前夜は鳥羽の旅館「戸田家」さんの御世話になりました。

「戸田家」さんは、国際観光日本レストラン協会の会員さんなので、遷宮でお忙しい最中なのに、協会の団体旅行を受け入れて下さいました。天保元年ご創業の歴史のある御宿で、お料理もお湯も、おもてなしも大変結構で、感心しながら過ごさせていただきました。

滞在中、色々なことが結構だったのですが、私が楽しかったのことの一つは、伊勢弁の鑑賞です。

特に深い理由はないのですが、私は女性が関西弁を話すのを聞くのが好きです。そう、深い理由は断じて無いのですが、好きなのです。

え、伊勢弁は関西弁なの って?

そうなんです、言葉は関西圏なんです。

伊勢は太平洋に面していて、現在は名古屋市と経済的繋がりが強いため、名古屋圏・中京圏という印象が強いですが、古い時代=名古屋が今ほど強大でなかった時代は関西圏の影響を強く受けていたようです。

「斎宮(いつきのひめみこ)」という女性皇族が伊勢に常駐していた時期もありました。天皇が代わるごとに、未婚の女性皇族の中から斎宮が指名されて伊勢に下っていたのです。

「伊勢弁は三重県北中部の旧伊勢国で話される日本語の方言で、近畿方言(=関西弁)の一種である。」

「伊勢弁は、概ね他の近畿方言と共通した特徴を持っており、発音やアクセントは京阪神のものに近い。」

ですので、みゃあみゃあ言わないのです。

二次会の席で、旅館が手配して下さった、接待係のコンパニオンのお姐さんが、一生懸命標準語を話そうとするので、

伊勢弁は話せないの?

と尋ねますと、

今日はチャンとしないとダメ!って、女将さんからクギ刺されてるんですう~

いいの、いいの、こっちは伊勢弁が聞きたいんだから!

伊勢弁は関西弁と同様に1拍の単語は殆ど無くて、

「蚊」は「かあ」、「毛」は「けえ」、「目」・「芽」は「めえ」と2拍になります。

「いえ」の音が動詞中に現れた場合に「ええ」に変化します。

例えば「見えへん」は「めえへん」に。

ほら、関西弁でしょう!

動詞の打ち消しは、「ん・やん」と「へん」の2種類を併用します。

例えば、書かん、書かへん、見やん、見やへん。

「〜ている」にあたる表現には「〜とる」を用います。

やっぱり、関西弁でしょう!

さて二次会が盛り上がってきました。勿論私は伊勢の食文化に興味があるのですが、こうした場合、ウカツにそういう話題を持ち出すのは気の毒なことになりかねません。今時はザンネンな食生活を送っている若い子が多いからです。

じゃあ、男にデートに誘われて行きたくない場合は、伊勢弁でなんて言うの?

ごめんなあ、やめとくわあ。

うう、気の毒な男。

追伸①

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伊勢参り③

お伊勢さまについて、少しは真面目なことも書きましょう。

「神饌」つまり神様のお食事について、その供給体制については、知っておく方が良いと思うからです。

さて、神様に「神饌」をお供えする儀式のことを「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)」と言うそうです。

毎日朝夕二回厳かに行われるのですが、調製を含めると約4時間ほどかかる儀式です。その儀式が、戦時中や台風による冠水を受けても、約1500年途切れることなく続けられてきた、というから驚きます。

そして、さらに驚きますのは、ご飯、野菜、果物、鰹節、鯛、海草、お酒、お塩といった食材を、神宮が自給してお供えしていることです。

水は境内に浄水が湧きます。

田畑を持っているのは勿論、塩も「御塩浜」で作ります。

塩は、昔ながらの、今となっては非常に珍しい「入浜式」で作られます。伊勢市二見町にある五十鈴川に隣接した場所に、御塩浜はあると聞きます。

さらに!土器(かわらけ)も、すべて三重県明和町蓑村にある「神宮土器調製所」で焼かれる、と言いますから、徹底しています。

魚だけは、さすが領地内では獲れませんが、御縁のある漁師さんが代々その仕事を継いできました。

その昔は、全国に1.000か所以上の神宮領があって、食材を献上して来ましたが、1871年(=明治4年)の「神宮改革」で領地は全廃され、以降原則として神宮自ら御物を賄う、自給自足の制度へと改められたのだそうです。

伊勢の人々の、食への情熱の源泉が、ここに在ります。

食に関するこだわりが並大抵でない理由が、これで分かると思います。

神様にお供えする食事、その食事こそが日本の食の原点と申せましょう。そのことは決して忘れてはなりません。

今回は、そう再認識する機会を得ました。

在り難や。

追伸①

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伊勢参り②

お伊勢様に参拝して来ました。

参りました日は、遷宮が完了する直前でしたので、新本殿の建設がまさに急ピッチ。その作業をチラ見しながら、現本殿の御垣内(みかきうち)に入れさせていただきました。

「入れさせていただきました」と書きましたが、すぐにカンタンには行きません。外宮をパスして内宮から始めても、段取りは2時間ほどかかると覚悟して下さい。

まず、鳥居をくぐる際には必ず一礼します。一礼して、左足から入ります。

すぐに、木製の橋としては最大級で、姿も素晴らしく美しい「宇治橋」を渡ります。この橋も遷宮で当然掛け替えの対象ですが、私達が行った日は、もう架け替えが済んでいて、新しい橋を渡りました。

私たちを引率したガイドさんは、この後私達を直進させず、橋の横に回りこんで、橋を鑑賞するように言ってきました。なるほど、たしかに美しい。日本人以外にこの橋は作れますまい。

橋に萌えたところで、参道を進みます。

参道の中央は、神様がお通りになる所だから、そこは通るな!と言われなくても避けたくなります。

砂利道は暑いですからね。今回は「御垣内参拝」だから、背広・ネクタイを着用して進みます。暑いです。

ヤンキー風の若者が、じんべいさんのような恰好で、参道の中心を進むのが見えました。ギャル共とじゃれ合ってウルサいです。やがて神罰が下ることでしょう。

ここで、わがガイド氏は、有り難いことに、脇道を進むように言ってきました。

脇道には備長炭を原料になる「ウバメカシ」や強い香気を放つ「クスノキ」などの植物が植わっているからです。実に有り難く、清涼です。木々が放つアロマに萌えます。

進みますと「手水舎」に出ますので、柄杓と湧き水で、手と口を浄めます。

間違っても口を柄杓につけて飲んではいけません。だって、その口が穢れているから、浄めるわけですから、口をつけてはNGです。

まあ、これ式で取り除ける我が穢れとは思いませんが、そこは真面目に考えてはいけません。勅使とか正式に神様に参る人は、神宮の境内に泊まって、身をまるごと、体の中まで浄めてから参るそうで、本来私もその位した方が良いのでしょうが、それはわざと忘れて段取りを、とりあえず進めます。

途中、五十鈴川が美しい所がありますから、鑑賞しましょう。

次に神楽殿で御祈祷です。

巫女さんが雅楽にあわせて舞う姿に萌えた後、「お祓い」です。

この日は、笛担当の若い衆が咳をして調子悪そうでした。たぶん、私と同じでアレルギー性気管支炎なのでしょう。大事にしてもらいたいです。

さてさて、これでも略して書いたのですが、長くなりました。この後ようやく本番です

御正宮(=本殿のこと)の御垣内に入れていただき、神主さんと共に進み参拝します。このことを「正式参拝」「特別参拝」とも言うそうです。

その直前、我がガイド氏がアドバイスしてくれました。

お願いごとだけはNGです。まず自分に命をお与え下さったことを神様に感謝して、お願いはそれからして下さい。

なるほど、それは正しい。そう在りたいものです。

では段取りは、

二礼→二拍手→感謝→お願い→一礼ですね。

伊勢の地に鎮座ましますオオミカミ様、この命を頂戴いたしまして、日々充実して働かせていただいております。心より御礼申し上げます。願わくばアレルギー性気管支炎を一刻も早く治し賜え。一礼。

私の、この願いはすぐに叶えられました。

境内の、すがすがしい空気を吸って、咳が本当によくなりました。

有り難や。

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伊勢参り①

お伊勢様に参拝して来ました。

ついでに伊勢牛も食してまいりました。

牛と神様のどっちが「ついで」なんだ って?

そ、それはナイショ♡ということで、今日は伊勢牛(いせうし)の話しをします。

今では伊勢牛というブランド名を聞く機会は少なく、三重県の牛と言えば、なんといっても松阪牛ですが、そういう状況になったのは、昭和35年頃からのことでして、その頃から各地の食肉店で「松阪肉」 という看板掲げる店が増えてきました。

昭和10年に行なわれた「全国肉用牛畜産博覧会」で松阪牛が名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになったのですが、それ以前は、三重県一体の牛を、伊勢牛と言って珍重しておりました。

その伊勢牛の中核部分である、松阪牛の生産者などが独自の組織を作ったので、それ以外の伊勢牛が、どうしても霞んでしまった観があるのですが、伊勢牛は歴史がないどころか、そちらの方が老舗なのです。

松阪牛の生産地域は、松阪市だけでなく、その周囲の旧22市町村を含んでいます。伊勢市も、実はその地域の中に含まれていますから、伊勢市産の牛を「松阪牛」と言うことも可能です、面白いことに。

しかし、その「松阪牛」と名乗ってOKな牛を、あえて「伊勢牛」と名乗って販売している人が、伊勢市においでです。

「すきや連」で御一緒する、「豚捨」のMorさんです。

伊勢牛の歴史に誇りを持って、あえて、知名度で劣る「伊勢牛」と名乗っておいです。

今回は、その方の御店を訪ね、網焼きとすき焼きの両方をいただいて、大満足。

牛を「枝肉」の状態で搬入し、自店内で解体・精肉作業を行う、言いますから、肉のプロですね。そういう御店はやはり、味に違いが出ます。

いやいや、伊勢まで来た甲斐がありました。そろそろ帰るかな。

おっと、そうだ、忘れるところだった、お参りを。

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おいしい夏休み

食育企画「おいしい夏休み~親子体験食味学習会」を開催しました。

この催しは「国際観光日本レストラン協会」が主催して、加盟各店で開催しているものです。弊店でも開催させていただきました。

お子さんと親御さんがやって来て、親御さんに

ブログ拝見しました!

と言われたのには、まず驚きました。ありがたいことです。

で、最初は厨房見学。

白衣、帽子、長靴を用意して、お子さんに厨房に入ってもらいます。

肉をカットして貰い、その肉は、後で自分ですき焼きに入れて食べて貰いました。これは楽しかったようです。

その後、ザクの作業場も見学。

でも、まだ食べられません。

すき焼きの歴史や栄養について、私が30分ほど話してから、すき焼きです。

弊店では以前から「すき焼き百科」という、お子様向けにすき焼きのことを解説したパンフレットを作っていますので、それをテキストにします。

歴史のことも栄養のことも、小学校高学年でないと理解しずらいので、募集方法は「小学校高学年以上」に限定させていただいています。

その分、どうしても参加人数は減るのですが、そうした方がやはり、

勉強になった!

と言っていただけるように思います。

いや、勉強になった!

と喜んで帰るのは、むしろ、親御さんのことが多いです。

質問はありますか?と聞くと、

お子さんより親御さんが多いような・・・

でも、ザンネンながら修了書はお子さんの分しか無いんですよね。

なお、厨房見学は夏休みでなくても随時受けつけていますので、どうぞ気軽に連絡下さい。

 

追伸①

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無形文化財

目出度いニュースです。料理が無形文化財になったそうです。

報道によりますと、

「京都府教育委員会は京都市左京区の老舗料亭「瓢亭」の十四代当主高橋英一さん(74)の「京料理・会席料理」を府指定無形文化財とすることを決めた。高橋さんは無形文化財保持者として認定する。」

「滋賀県や長野県で郷土料理が民俗文化財に指定されている例はあるが、無形文化財指定は全国初。」

瓢亭さんは創業約400年。「ミシュランガイド」関西版で4年連続三つ星を獲得したことが有名です。平成22年には黄綬褒章も受章しています。

高橋さんには、私も国際観光日本レストラン協会の理事会などで、お目にかかったりしますが、大変穏やかな、素晴らしい方です。

高橋さんは取材に応えて、

「季節感を大切にして食材をあまり触らず、素直に表現するのが京料理。今回、文化として認められたことで、日本食文化の世界遺産登録につながれば」と語っておいでです。

今、農林水産省が日本の食文化を世界遺産にしようとプロジェクトを進めていて、なんでも12月のユネスコの委員会で登録の可否が決まる見通しなのだそうですが、今回の京都府の指定は、その登録の条件を整える狙いがあるのだそうです。

まずは目出度いです。

台東区も、すき焼きを無形文化財にしてくれないかなあ。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.273日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)