贅沢のための贅沢

今は亡き日本社会党は「反対のための反対」を唱える党だと批判されましたが、その点を改めようとした民主党が政権を獲って⇒あえなく下野した今「反対のための反対」という表現もレトロな感じに成ってしまいました。

さて似たような表現で「贅沢のための贅沢」という言葉がありますが、今日は、その「贅沢のための贅沢」について、です。

肉の業界で最近どうしても「贅沢のための贅沢」を見つけてしまうから書くのです。つまり、所謂「希少部位」に過剰にコダわる業者さんのことです。

ここで「部位」と書いていますが、実は正確ではなく、彼ら業者がコダわっているのは、部位の中のまた一部を子割りして、その部分肉を、さも「希少」だと言っているわけです。

マル(半マル)の牛

⇒(パーツ)肩

⇒(部位)肩ロース

⇒(小割り)「ザブトン」

というのが正確な分割方法でして、子割りの「ザブトン」が彼らのコダわりの対象です。

「稀少度」を独自に判定して、サイトに公開している店もあります。なんでも「稀少度」とは「牛一頭から取れる重量と部位に対する人気の度合いとを、その店が独自に勘案している」のだそうですが、「人気度合」という部分がひどく根拠不明瞭です。

それに、ですよ、希少と言われている部分の味が、周りの部分の味に比べて格段に美味しくなければ、希少じゃないですよねえ、そもそも。

「希少希少」と唱えている人には申し訳ないですが、ザブトンが、そのまわりの肩ロースに比べて格段に美味いとは思いませんね、私は。

肩ロースをまるごと、すき焼きにして食べれば良いんじゃないでしょうか、普通に。肩ロースは最初から全体が美味い部位です、特にすき焼きにした場合に。

美味いのに名前が「肩ロース」と今市魅力的でないから売りにくく、それで高く売ろうと邪道な作戦を思いついたんじゃないか、そう勘ぐられても、不自然ではないと思います。

もう一つ、「それに」を言わせていただきますが、いくら「希少部位」を取り出しても、その牛全体が残念だったら、その一部である「希少部位」が美味いはずがありません。

「希少希少」にコダわるヒマがあったら、牛全体のこと、つまり、

肥育期間は長いのか、

気温何度くらいの所で飼われていたのか、

水は、どういう水を使っていたのか、

飼料は、どういう飼料を使っていたのか、

熟成期間は長いのか、

にコダわってみてはいかがでしょう。

ここで断言します。牛全体にコダわるなら、贅沢ですが、

たかが部位にコダわるなら、「贅沢のための贅沢」ですな。ふん。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.302日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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掲載辞退

何かの取材をする場合、段取りとして取材対象に声をかけていくことになろうかと思いますが、その場合、

採り上げることが既に決定しているのか、

あくまで候補に過ぎず、リサーチ段階なのか、

是非ともハッキリさせるべきだと思います。

そこをハッキリさせずに進むと残念なことになってしまうことがあり、先日も、そういうことがありました。

それは、とある公的機関が作成する観光情報サイトだったのですが、担当の人が、

住吉さんのブログを拝見しました!

と連絡を入れてきて、「ちんや」さんを採り上げたいのは勿論、浅草の他のジャンルの料理屋さんも紹介していただきたい、とおっしゃいます。

たしかな身元のサイトで、担当の方も浅草が好きとかで熱心で、無料でしたので、喜んでお引き請けしましたが、しばらくしてビックリな展開が待っていました。

「ちんや」以外の店が不採用になったと言うのです。

で、担当の方は下請けとしてその仕事をしている関係で、版元に意見が言えないようです。

この場合「ちんや」だけ出るわけには行きませんね。紹介した他の御店さんの手前、こちらだけが出るわけには行きません。

断腸の思いながら、「ちんや」も掲載辞退です、とお伝えしました。

良くないのは身勝手な版元なのであって、担当さんには気の毒なことです。実際、ご丁寧にお詫びの手紙などをいただいてしまい、同情いたしましたが、仕方のないことです。

残念なことですが、辞退で仕方のないことでした。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

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皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.301日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

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リニア礼賛

オリンピックに続いて、リニア新幹線の計画が発表されまして、奉祝ムードが高まっています。

技術大国・日本の威信を世界に誇示できる、という点では、たしかに気分が良いですね。

しかし日本国中全面礼賛とはいかないようです。

まず、先日一緒に飲んだ、名古屋の社長さんの御意見。

この方は名古屋が地元ですが東京に支店を置き数人の社員さんを常駐させています。リニアができれば支店を廃止して、その維持経費が削減できますから喜んでおいでかと思いきや、

まあ、たしかにウチの経費は削れるかもしれませんですけどね、その逆もあるわけで、名古屋にある支店が廃止になる方が数としては多いと思うんですよ。

そうするとですね、名古屋経済の一部は支店経済なわけで東京から転勤して来ている人がペイする金が名古屋にたくさん落ちているわけですけど、それがなくなります。そのマイナス分が馬鹿にならないとみてるんですんよ、私は。

なるほど、たしかに、そういうことはあるかもしれません。

一方、私が懸念しますのは、途中の通過県で「一番」とか「高級」とか評価されている料理屋さんのことです。

1時間以内に東京に行けるとなれば、何かの記念日とか美味しい物を食べたい時は、リニアに乗って地方から東京に出て来る人が増えるに違いありません。

食と申しますものは、地方・地方に根差しているからこそ素晴らしいのですが、そういう文化を担う御店に落ちる金が減るのも、また確実でしょう。懸念されます。

政策学の立場から反対を唱えている先生もいます。

千葉商科大大学院客員教授の橋山禮治郎さんは、東京湾アクアラインに必要性や採算性が乏しいことを指摘し、ズバリ当てた方だそうですが、今回も強い懸念を表明しておられます。

この巨大プロジェクトについて、

「夢を見るのもいいが、覚めてしまえば夢は終わる」

「速さだけが夢なのか」

「リニアは確かに速い。だが、優位性はそれだけだ。事業の失敗は目に見えている」

速くて、しかし失敗した事例として「コンコルド」があることを、私も忘れておりましたが、この先生に指摘されて思い出しました。たしかに「速い」は、優位性の一種でしかないことに気づかされます。

作り手の夢というものは浪漫をかきたてますが、芸術作品ではない以上、そこに採算性を付け加えないといけません。

この件で、私は勿論何も出来ませんが、JRさんには、よほど知恵を出していただきたいものだと思います。

 

追伸①

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禅問答

文字にできなければ無いのと一緒です。

チト言いすぎかもしれませんけどね、無いのと、ほぼ一緒です。世間の人に気づいて貰えないからです。

陶芸とか塗り物とか、モノづくりの職人さんなら、自分の仕事について自分で文字に出来なかったとしても、作品そのものが画像として見えますから、その画像が自然に語りだしてくれますね。

ところが食の職人さんの場合、作るものは所謂「消え物」で、目に見えない味こそがポイントですから、そこに非常に難しい問題があります。努力していても、表現が下手なために気づいて貰えないことがあります。

例えば、肉の「目利き」。

どんな肉が良い肉なのか、自分で文字・言葉に出来ない人が多いです。いや、この業界、私も含めて、そんな人ばかりです。

この業界の問答は、こんな↓経過を辿ります。

Q本物の肉って、どんな肉でしょうか。

Aそれは味が良くて、脂が良い肉です。

Qでは良い脂って、どういう味ですか。

Aそれは脂が良い脂に決まってますよ!

ほとんど禅問答ですな。

これではラチがあきませんから、学者さんに頼んで、「良い」とか「美味い」を数値化しようという試みも行われています。

山形県で牛を飼っている方から聞いたのですが、山形県畜産試験場では「優秀」とされている牛の脂を集めて、脂肪酸の組成比を出したり、融点を計測したり、しているそうです。鳥取県ではオレイン酸の含有量を増やそうとしています。

それは勿論素晴らしいことなのですが、学会以外の人間にも、その数値が理解できるよう、文字に表現できないと、最初に申しました「無いのと同じ」状態に成ってしまいます。

それが、なかなか学者さんには難しいんです。

学者さんがクールな表現を考えてくれないので、再度職人さんに表現するよう強要すると、逃げられてしまいます。

「オレ、頭悪いから、そういうの、無理っす!」

それじゃあ、売れないでしょうが!

どうしても、売るためには一般人に分かるように表現しないといけません。文章表現力が要るんです。

詩心をお持ちで、肉が大好きで、マーケテイングのことも勉強している人、いないかなあ。

 

追伸①

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5代目と3代目

河路和香先生の長篇時代小説『どぜう屋助七』は、「駒形どぜう」さんの4代目を主人公にした小説です。文芸雑誌「Jノベル」に連載されてきて、9月号で無事最終回を迎えました。

この小説には、狆を売っていた頃の私の祖先・住吉やすも登場するのですが、やすはあくまで脇筋なので、いつかお話しするとしまして、今日は最終回の、4代目が亡くなる前後の、本筋の部分を読んで気づいたことをお話ししたいと思います。

さて、料理屋の店主としては破天荒な生涯を送った4代目が39歳の若さで亡くなったのは明治4年、明治維新の直後のことでした。

この時点で、「駒形どぜう」さんには、ご隠居すなわち3代目と、修行を終えて戻って来たばかりの若旦那すなわち新5代目がいました。

若旦那はまだ若くて父から充分な事業継承を受けておらず、しかし新時代の新しい発想だけは吸収しています。その5代目と3代目の対話の部分が、事業継承の物語として、興味深く読める部分です。

5代目は、4代目の四十九日を終えると店をぬけることが多くなり、いったい何をしているか、と申しますと、

不動産経営や、米の相場。

当然、その様子を見た3代目が苦情を言いますが5代目は独自の理論で反論します。曰く、

「金儲けは別のところでやって、(どぜう屋は)一種の道楽で、損をしてもいいように、安い値段で続けたい、っていうことなんだよ」

「だからどぜう汁も鍋も値上げはしない。世の中のために、安くてうまい店を続けたいんだ。だから、それを別のところでがっちり手堅く稼ぐんだ」

これには、真面目は3代目は「そんな・・・」と絶句してしまいます。

さらに5代目は、購入した農地で農業を始めてしまいます。「川上との統合」ですね。

材料は出入りの業者から買うもの、と考えている3代目から見たら、おそるべき発想です。

ダメ押しで「おじいさん、もう昔とは時代が違うよ」

「どぜう屋は一種の道楽」というのは、現当主6代目が言っておいでのことに近いですが、こんな昔から言っていたんですね。

もっとも6代目は不動産とか相場ではなく、外食産業を展開することで、利益を出しておられるようです。

さてさて、この5代目と3代目の対話、どちらにも理がありますが、皆さんはどう読まれましたでしょうか。

 追伸①

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200歳

「敬老の日」にFBを見ていて、「すき焼き通検定」に合格している知人の投稿を見つけました。

「祝200歳! 今日は祖父母の合計200歳を祝う集まりがありました。」

へえ、合計200歳とはスゴいの一語です。

正確には103歳+97歳なのだそうで、結婚なさったのは1937年。

「叔父が祖父母の結婚の時の写真をキレイに復元し、素晴らしい記念品として用意してくれました。中には2人からのメッセージなどが書いてあります。」

「現在の祖父の好物は、肉と鰻とビール。今日もお祝いのお重をペロリ。本人曰く、長生きの秘訣は腹八分目とのことでしたが、衰えない食欲こそが力の源泉でしょう。」

そうです、そうです、元気に長生きしている方は、肉を食べておいでです、たいてい。そこで、

「長生きには肉と鰻と酒ですね、やはり。」

と私も書き込みましたら、

「住吉さん、先日は従兄弟が送ったすき焼きを美味しくいただいたそうです。」

で、次なる目標は「オリンピックを見ること。」

スカイツリーが開業した時も「メイドの土産ができた」いや「冥途の土産ができた」と言いながら観覧なさっている方に出会いましたが、その時点ではオリンピックが来るなど想像の外でした。あの方にも次なる目標が出来て、2020年まで死ねなくなってしまいましたねえ。

肉と鰻を食べて頑張っていただきたいです。

ともあれ、200歳とは素晴らしいです。

いつまでも、お元気で!

追伸①

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爆発事故

街の活性化やイベントに関わる立場の方は、福知山市の花火大会の爆発事故の、その後の経過に注目しないといけないと思います。

今回は、3人の方が犠牲になり、発生から1カ月となる今も、重いやけどを負った20人の方が入院し続けている、と聞きます。

そして、この方々への補償が適切に行えるのか、それが大きな問題になっているようです。

大会を主催したのは「実行委員会」ですが、これはいくつかの団体の集まりで、主要な団体は福知山商工会議所。会議所の会頭が実行委員長でした。

しかし会議所の会頭と言っても、そもそも名誉職で、花火やイベントの専門家ではないですね。

会議所の年間予算規模も1億円足らずで、積立金は約6000万円と報じられています。

その小所帯に巨額な補償問題が重くのしかかっています。

保険には入っていたものの、

屋台業者の団体が加入する賠償責任保険は、総額で上限1000万円だけ。

主催者の保険は上限1人5000万円、総額10億円。

人が何人も死ぬ、という事態に対応するには不十分ですね。しかも「保険が適用されるかも含めて保険会社側と協議中」なのだとか。

共催者だった福知山市の市長さんが市議会で「商工会議所と一緒に(責任を)かぶる」と明言したそうですが、税金投入が果たして簡単に出来るのか。

「被害者への見舞いを続ける幹部らは苦悩の色を深めている」とかで気の毒なことです。

こうした事態を受け、今後イベントの保険料は上がるでしょうし、出店業者への審査は格段にきびしくなり、各段に時間がかかるようになっていくことでしょう。

火気の管理が杜撰だったのは、所謂「テキ屋」でしたから、各地のイベントで「テキ屋排除」の方向が鮮明になるかもしれません。

来年は、神社の夏祭りに出かけたら、屋台の軒数がひどく少ない、という状況になることが予想されますね。屋台は、たいてい火を使いますからね。

あるいは、加熱方法は電子レンジでチン、という屋台が増えるかもしれません、冗談ぬきに。

 

追伸①

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大人の感想文

二条彪先生の「台東区若手経営者サポートセミナー」が始まり、宿題が出ました。

それは、小説を読んで気づいたことを書け、というもの。先生は以前から、小説を読んで人間の感情の機微を学ぶことが大事だ、と説いておられます。

以下↓その宿題です。

小説の題名:夜明けのハンター 文明開化物語

著者名:三条杜夫

内容説明:

近代日本の幕開けとともに英国から神戸へ来たE.H.ハンター。牛肉文化、造船、たばこといった事業を展開、国際結婚もして、日本の近代化に大きく貢献。彼のもたらした風は21世紀の今も現在に息吹く。鎖国の長い眠りから覚めた日本が大きく変貌を遂げた文明開化の時代。時の流れに翻弄されながらも、いのちの炎を燃やして産業、文化の道を切り開いた人たち。ハンターの生き様を縦糸に、彼と関わる人々の活躍ぶりを横糸に、現代日本の原点を綾なすエピソードの数々を綴る小説。

気づいたこと:

・とにかく登場人物たちの創業者精神・チャレンジ精神がスゴい。産業化できると思った事業には、次々に手を出す。一見「いい加減」にすら見えるが、勿論失敗した場合の責任は自分が負う。日本で自殺した英国人もいた。現代人にはマネできない行動力。

・登場人物たちは産業化できると思った事業のすべてに着手したわけではなく、社会貢献になると信じるものを選んで着手している。そうすると自然に人が集まってくるので、次々に事業に着手しても、人材が不足しない。応援してくれる外部の人にも恵まれる。

・登場人物たちは、退職者と険悪にならず人間関係を継続している。独立する時に別の商圏に移るなどマナーを守っている。

・「日本人以上に日本人らしい」外国籍の登場人物たち。生まれ出た土地でなくても、深く学べば、その土地の人に成れる。

・本を刊行することについて、地元神戸のスポンサーを募っている。つまり商業出版と自費出版の中間形態の本。本が売れず、本が出しにくい情勢の中で、なんとか刊行する手法として評価できる。

・地域活性化の手法として評価できる。実際、この本は地域活性化を目的として刊行された。現代の、地元の人間が開拓者の精神を学べるので、大変良い。下手にB級グルメを開発するより、よほど良い手法。

(以上)

えっ、その本は御所坊の御主人から貰ったものだろう って?

そ、そうですけど、何か?

「小説を購入して感想を書け」っていう宿題じゃないですからね。ふん。

追伸①

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かっこいいスキヤキ

テレビ東京の「孤独のグルメSeason3」が始まったせいで、久住昌之さんに注目が集まっているようです。

久住昌之さんは漫画の原案作者です。

「孤独のグルメ」では作画担当の谷口ジローさんとコンビを組んでいますが、以前は泉晴紀さんと組んで「泉昌之」と名乗り、数々の異色の作品を発表して来ました。

「泉昌之」さんがデビューしたのは1981年。当時サブカルチャーの総本山的な位置を占めていた漫画雑誌『ガロ』からのデビューで、今でも「ガロ出身の漫画家」と分類されているようです。

泉さんのタッチは暗~い劇画風。で、久住さんの原案は細かいコト、特に食べ物には徹底して過剰にこだわる主義で、その合作がユニークな漫画を産みだしてきました。

「泉昌之」を代表するキャラクターは、ハンフリー・ボガートをモデルにしたハードボイルドな「トレンチコートのおじさん」です。この男が、初期の作品『夜行』では、駅弁の幕の内弁当を美味しく食べる方法にこだわりまくります。

同じ時期の、すき焼きを採り上げた作品『最後の晩餐』も、勿論その路線です。

「トレンチコートのおじさん」が未だ若い頃、男ばかりですき焼きを食べるのですが、すぐに肉の取り合いが始まります。

「俺はそんなに肉ばかりを食べていないよ」と他の男に見せかけるため、シラタキの中に肉を隠して食べる場面は、実に笑えます。

やがて争いは醜さを増し、肉を多く食べる男の出身地をバカにして「このブタ!」と叫ぶなどエスカレートしていきます。

実に下らなくて、私はこういうのが好きです。

ビールを飲む様が非常に上手に描かれているのも良いですね。

この頃の作品が集められて文庫本に成り、『かっこいいスキヤキ』という題で売られていまして、13刷りまで刷られていますから、今でもファンがいるのですねえ。

是非、どうぞ。

 

追伸①

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外国通

9/11の弊ブログで単行本『夜明けのハンター』について触れました。今日は、もう少しその話しを、と思います。

この本では、神戸ビーフを普及させた人物として、キルビー商会のキルビーと、その部下・ハンター、それから初代の兵庫県知事・伊藤博文(=後の総理大臣)が登場します。

ここで誰でも疑問に思うことは、伊藤が何故27歳と若いのに知事に成っているのか、ということです。

少し長くなりますが、説明しますと、明治維新で政権を獲った薩長方には外国通の人物が少なく、伊藤が、その数少ない外国通だったから、というのが、その理由です。兵庫が開港して、外国人居留地が建設されていましたので、外国通が起用されたのです。

なにしろ長州藩と言えば「尊皇攘夷」の総本山でしたから、外国のことを学ぶなんてトンデモなかったわけです。維新の前夜になって薩長同盟が成立して、それでようやく「攘夷」の旗を下した位ですから、外国通なんてほとんど藩内にいません。

そんな中、伊藤と井上馨は密航同然で英国に渡った経験があり、英語が話せたので外交通と看做されていた、という次第です。

薩長=国際的、幕府=守旧的というイメージは間違っておりまして、当時むしろ幕府方に外国通がたくさんいました。福沢諭吉先生がそうですね。

先生は適塾で学んだ後、咸臨丸の艦長・木村摂津守の従者としてアメリカへ渡り、帰国後は摂津守の推薦で、中津藩に籍を置いたまま幕府外国方に出仕することになりました。だから当然幕府方ですね。

徳川慶喜もフランス公使と親密で、フランス式の軍隊を新設したりしました。

このように幕府方には外国通がいましたが、長州藩には少なく、わずかな例外が伊藤・井上、それから大村益次郎でした。

大村は元々武士ではなく医者で、適塾で福沢先生と同門。蘭学を学ぶ内、西洋の兵術・砲術なども学び、その学問を活かして薩長方の実質的な参謀総長になります。

実に人生とは数奇なものです。

さて肉の話しに戻ります。そんな日ノ出の政治家・伊藤とキルビー・ハンターの出会いが、神戸ビーフを有名にした、というのが『夜明けのハンター』の筋です。

伊藤は27歳、ハンターは10代でアイルランドを出奔して来ていますから、伊藤よりも年下。そんな若い面々が神戸ビーフを推進した、というのが、この本が描く情景です。

小説の形態をとっておりまして、描かれていることの全てが史実ではありませんが、有馬温泉「御所坊」の御主人によりますと、

「だいたいは本当です」ということですので、皆さんも、是非どうぞ。

 

追伸①

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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.293日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)