離れですき焼き

「塩爺」こと故・塩川正十郎さんに、私は何の御縁も接点もございませんでしたが、勝手に好感を持たせていただいておりました。

トボけた口調の「塩爺節」が愉快だったというだけでなく、肉好きな方でもありました。

報道によりますと、「健啖家で肉が大好き。亡くなる直前までお元気でした。」

「母屋(一般会計)でお粥をすすっているのに、離れ(特別会計)ですき焼きを食っている」という、あの名言も肉好きだからこその発言だったのですねえ。

亡くなった後に報道されたエピソードもなかなか良い話しですねえ。例えば、

・小選挙区制初の96年衆院選で落選。過去にガンを患っていたこともあり、「復活は絶望的」とみられていた。ところが次回戦で徹底的なドブ板選挙を展開。支持者の主婦に『おばちゃん、知り合い集めといてくれ』と声をかけ、主婦が『せんせ、3人しか来えへんわ。ごめんな』とあやまると『ありがとう、ほな行くわ』と駆けつけた。

・塩川氏は安倍晋太郎氏が死去する際に「小泉の面倒を見てやってくれ」と託されていた。後見役を務めてくれた塩川氏の恩に報いるために、小泉氏は首相になると財務相という要職を用意した。サプライズ人事のひとつと言われたが、大阪弁ととぼけたキャラクターで若い世代にも人気を博し、知名度は一躍全国区に。

 

ご冥福をお祈り致します。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.046日連続更新を達成しました。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

良いとこ獲り

浅草は「なんちゃって」な店を何時だって許容してきました、と以前にこのブログで書きました。

しかし浅草は「利殖家」「良いとこ獲り屋」には手厳しい街です。

「利殖家」またの名を「良いとこ獲り屋」とは、業界の情勢が良い時に進出して来て、風向きが変ったら撤退して行く人達のことです。

例えば、私が今大キラいなのは「民泊」。

個人の持ち家を「旅館業法」の営業許可を得ることなく、外国人観光客に貸し出す事業のことです。平成26年辺りからインバウンド観光客が増えているとみて、事業を開始した輩が多いですが、連中は、普通の下宿人に貸すよりそうした方が利幅が大きいと思うからやっているだけで、旅館業が好きなわけではありません。

本当にリアルに私が見た話しですが、浅草のマンションの一室の所有者が中国人に部屋を貸してしまいました。キーロックで守られている筈のマンションに外国人が自由に出入りしています。アンビリーバボーなことです。

「民泊」の施設は国土交通省、厚生労働省、消防庁、警視庁の御指導をうけていません。

衛生状態や火災時の安全を確保するには、それなりの設備投資が必要ですが、「民泊」の施設は、そういうことをしません。

一方、これまでずーっと、国の御指導に従順に従って来た老舗の宿泊業の皆さんは、あんな連中に客を奪われて、本当にお気の毒なことです。

なのに政界の大勢は、「民泊」を規制緩和して「成長戦略」の一つにしよう!という方向なのだとか。オリンピアなる、いっときの狂騒のために、永年国の指導に従って来た人たちが利益を得る、わずかの機会を取り上げるとは。

「良いとこ獲り屋」が罷り通る国に成ってしまったらいけません。このような為政者の下に居ることが、私は気分悪くて仕方ありません。

南無観世音菩薩。

話しを戻しますが、「なんちゃって商人」と「良いとこ獲り屋」は違います、断じて。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.045日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

シルバー・ウイーク

少し前の話しになりますが、9月の「シルバー・ウイーク」に弊店はお陰様にて忙しく営業させていただきました。

FBで「今日は大入り!」などとUPしたので、私がさぞ喜んでいるだろうと思っておいでの方がいるかもしれませんが、

違いますのでね。

店の中に入れないお客さまを断り倒すのって、愉快な作業ではありませんよ。中には怒り出す人もいますしね。

普段は大して忙しくないのに、こういう時だけ忙しいのって、本当に良くないことですが、日本人って、本当に、正月とかGWとかお盆しか観光してくれないなんですよね。

店としてこういう忙しい時期に儲けよう!と思えば、結局基礎体力以上の仕事をすることになり、、サービス品質の低下を招きます。この構造を是正しない限り、日本の観光産業の未来は暗いと言えましょう。

観光の分散化・休暇の分散化を妨げているのは、ハッキリ申して財界です。

新しい祝日「山の日」を制定するに当たっても、当初案の6月に反対し続けたと聞きます。

6月には祝日が一個もなく自殺の季節だから、ということで「山の日」の話しは始まったのに、結局8月のお盆の近所が「山の日」になったは、休暇を集中させたいが為です。

今までは、人々はお盆の前と後にわかれて休んでいたのに、来年からは「山の日」が在る「お盆前」に、全国民の休みが集中することでしょう。桑原。桑原。

この構造を是正しない限り、日本の観光産業の未来は暗いと言えましょう。

だいたいお尋ねしますが、ホンの少しの能率低下が差し障る会社って、日本に何社位在るんでしょう。

グローバルに戦っちゃっている会社の経営者の人は、0.1%の能率低下が気になるかもしれませんが、それはごくごく少数派ですよね。

ほとんどの中小企業は、ひどい非効率を内に抱え込みながら、なんとか頑張っているんです。

休みくらい、自分の会社に合った休みにすれば良いと私は思うんですよね。

全国の、小さい会社の社長さんに申し上げますが、

正月とかGWとかお盆とか、シルバー・ウイークとか、観光地は込むんですよ。出来ればそういう日を避けて休みましょう。

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.044日連続更新を達成しました。

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

既読無視

せっかく美味しいすきやきをご用意したというのに、お客様が部屋を抜け出て来て携帯電話で揉めています。

あんまり御声が大きいので、内容が丸分かりなのですが、要するにはラインの既読無視の件。大の大人と申しますか、初老の殿方ですが、内容は中高生と同じですな。

同窓会でラインを始めたらしいのですが、私はラインをしないので、そういう気持ちがさっぱり分かりません。

おや、不審に思ったご家族が呼びに来ました。

何いつまでも話してるのよ?!と烏賊リング・モード、いや、間違えた、怒りング・モード。当然です。かれこれ30分は揉めてますからねえ。

そうそう、戻りましょう。浅草まで見えたんですから、すきやきを食べましょうよ。はい、ちゃんちゃん。

・・・と、思いきや、また抜け出て来て携帯取り出して、さっきの話しを再開するの?!

アイツは昔からそういうヤツだった!

アイツが来る同窓会ならオレは行かないからな、絶対に!

世も末ですな。

南無観世音菩薩。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.043日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

全国民の慶事

オリンピック!と唱えれば泣く子も黙る御時勢です。

しかし浅草の過去を知っている人にとっては微妙な感じがします。

1964年のオリンピックで痛い目に遭っているからです。

ここで最初に、戦前の浅草公園六区の写真を画像検索で探してみて下さい。その壮大さにびっくりさせられることと思います。

興業街には立派な建物がひしめくように並んでいます。そのほとんどが劇場・映画館・寄席・見せ物小屋といったエンタメ関係の建物です。

名前も「金龍館」「電気館」「帝国館」「富士館」とご大層。どの館も幟を沢山たてて賑々しい感じです。夜間も電灯を煌々と点けて営業し「不夜城」と形容されたそうです。

しかし、その栄光を一つの技術があっと言う間に過去のものにしました。テレビジョンの登場です。

1959年に皇太子明仁親王様(=今の天皇陛下)の御成婚が決まると、その中継を視ようと、一般人がテレビを争って買い求めるようになりました。この時点では白黒でしたが1960年にはカラーに。

そして1964年の東京オリンピック。

わざわざ浅草などへ出かけなくても、茶の間で世界一流の競技が視られるのですから、従来からの、出かけて行くタイプの興業街・興業界に与えた影響は甚大でした。

六区からは大きい資本が潮が退くように退いて行きました。特に私が子供の頃=70年代がひどかったように思います。六区の劇場は軒並み閉館していてまさに廃墟。

今だから言えますが、「ちんや」が在る「浅草中央町会」辺りの子供達は「なるべくあっちへは行かないように」と言われていました。

全国民の慶事のように見えて、実はそうでもないってコトがあるんです。本当の話しです。

それと同時に、私は今、この浅草の暗黒時代=テレビの全盛時代を生き抜いて来た先人に興味を持っています。

テレビの影響で、浅草から大きい資本が手を引いて行く中で、小資本が街を支えられるのか?

それをやった人がいたんですね。

そうした先人のやったことに今私はとても興味を持っています。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.042日連続更新を達成しました。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

「おもてなし」の「お」

おもてなし!と唱えれば泣く子も黙る御時勢です。

地頭よりクリステルさんの方が偉いとは、私も今回知りました。

ところで、ですが、「おもてなし」の「お」って何ですか?

「おもてなし」という言葉は、人様にしていただいた「もてなし」に「お」を付けて敬語化したものですね。

使い方としては、

本日は懇切丁寧なる「おもてなし」をいただきまして、誠にありがとうございました・・・

・・・という感じです。

一方、自分が行う接遇行為(=「もてなし」)に「お」を付けて「おもてなし」にするのはヘンなんじゃないか、私はそう感じるんですよね。

おもてなし致します!

とか宣言しちゃうのは尚更ヘンです。

しかし、そこは、まあ、言語は遷ろうものです。今では丁寧な接遇行為なら、なんでもかんでも「おもてなし」と言うようになりました。

なんだかなあ。

日本語が退化したような気がするのは、私が昭和の住人だからでしょうか。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.041日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

やさしかった仲居さん 亡き父はスキヤキ奉行

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「やさしかった仲居さん 亡き父はスキヤキ奉行」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

65歳で亡くなった父は子ぼんのうで口数は少なかったが、やさしい父だった。この話しは今から85年も前の話しで亡き両親の楽しかった想い出です。私は7人兄妹の5番目で、この話しの中ではまだ生まれていない。この経験をしたのは一番上の姉と3人の兄達です。

住まいは、今は港区ですが当時は麻布区と言ったそうで芝区と合併して港区となったそうです。網代町と言い、現二の橋に近い所だった。

一年に何回か父は母と子供4人を連れ浅草迄すきやきを食べに行ったそうです。

都電に乗り浅草寺にお参りをし、すきやきを食べる、楽しい時間だったのでしょう。

食事中は下の子供はいつも仲居さんが抱いて下さり、母もおいしく食事をしたと嬉しそうに話していました。良い仲居さんだったよと聞いています。

その母も亡くなり26年たちました。

私達はそのなつかしい想い出だけですが、足を運び浅草へ出かけて食事が出来る、そんな幸せを感じ、たのしくなります。

そして父の想い出は、私達子供の頃は夕食がすきやきの時は父が奉行になり、おいしいナベを作ってくれました。

どんなに時がたっても、親切にされたことは人は忘れないものです。

文章を書くことがなく、とりとめもないことになっていますが、やさしい仲居さんの話しと両親のことになってしまいました。

貴店の益々のご発展をお祈りいたします。

ちなみに私の兄は「俺はいつもだっこだったよ」と言っておりました。

 

追伸、

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.040日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

親子五代

ちんやさん、創業135周年おめでとうございます。この記念すべき年の某月某日、私達家族は、ちんやさんに集合しました。

娘が発案し、私達を招待してくれたのです。まず次男の誕生日祝、主人のための「父の日」感謝祝、娘の誕生日前夜祭、私の誕生日祝、そして私達夫婦の結婚31周年祝。何と一石五鳥?!

それをお伝えした処、サプライズでお赤飯を出して戴き、そのお心遣いに感激致しました。御馳走様でした。

これを遡る31年前、私達の結納の儀を執り行わせて戴きました。昨日のことのように思い出されます。お陰様で三人の子供達に恵まれ、皆まじめな社会人に育ってくれました。有難いことです。

更に遡る事今から70数年前、母達四姉妹は、当時のグルメであった?らしい祖母と曾祖母に連れられて、ちんやさんに時折おじゃましていたそうです。

二人がすき焼きに舌鼓を打っている側で、まだ幼かった母達は、畳の上をぐるぐる追いかけっこ。二人から行儀が良くないと大目玉をもらったそうです。

移動手段は人力車。上野駅までは電車で、そして浅草のちんやさんまでは人力車に乗っていたそうです。そんな思い出を母は聞かせてくれます。・・・ちなみに、現代の観光人力車ではなく、当時の交通機関の一つでありました人力車で。

祖母は明治35年生まれ。時代の流れはともかく、少なくとも当家の中は平和だった良い時代を、ちんやさんと共に曾祖母、祖母、母達はすごしていたようです。幸せな母娘像が目に浮かびます。

135周年の歴史の中のほんのひとコマ。親子五代にわたっての、ちんやさんとわが家の、ささやかで不思議なご縁の思い出エピソードです。

最後になりましたが、ちんやさんのますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

追伸、

このように、すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.039日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 6:33 PM  Comments (0)

親父のスキヤキ

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「親父のスキヤキ」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

ボクにとってのスキヤキは赤い顔をした親父とワンセットの思い出になります。

多感な時期であった昭和30年代、スキヤキはハレの日の御馳走でした。僕が生まれ育った山形では何故か肉と言えば豚肉ではなく牛肉だったのです。後でわかったのですが、関東以北はほとんど豚肉だったようです。

やっぱりスキヤキは特別なものでした。特に正月元旦の夜は上等な牛肉が用意され、親父は焼き始める頃既に酒を飲んでおりました。

そしてご機嫌な赤い顔で酒の勢いを借りて、いつも鍋奉行を引き受けていました。この時ばかりは自分が飲んでいる上等な酒を惜し気もなく鍋に入れておりました。兄と僕は脇目もふらずにひたすら肉を喰っていたものです。

親父になり、孫を持つ身になった今僕の家ではやはり同じようにハレの日はスキヤキになっているのです。

そしてやはり親父の血を継いでスキヤキの時は手が動き鍋奉行をしているのです。本当におかしなものです。

スキヤキの時は以前の親父と同じように日本酒を飲みながら、手が動いてしまうのです。

そんな訳で、スキヤキの時はいつも嬉しげに赤い顔をして酔っぱらっている親父が目に浮かぶのです。

追伸、

このように、すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.038日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

婚約時代からの「ちんや」さんを想って

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「婚約時代からの「ちんや」さんを想って」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私の家内は埼玉県越谷市の出身で、酒類卸業を営んでおり、浅草へ来ることも多く、家内も父に同行することもあり、「ちんや」さんと「どぜう屋」さんによく来たことがあったそうです。

私は戦後まもなく父を亡くし、とても「ちんや」さんに行くような事は夢でした。幸いにも家内と知り合い、初回のデートは「ちんや」さんでした。

まもなく婚約し、思い出はいつでも「ちんや」さんです。あの時の味は忘れる事はないと、味と共に心の中に残る、一つです。

本格的なすき焼きは、友人と行った横浜の、名は忘れてしまいましたが、この二つが、いつまでも思い出される本来のすきやきの味だったと考えています。つまり二つしか知らないという事になってしまいます。

結婚後は子供三人、年寄り一人の六人でしたが、家内が若い頃学んだ料理教室の技術を活かし、「ちんや」さんに近い味を出せるようになりました。

停年後は「ちんや」さんの店頭売りの材料を買わせていただき、すき焼き用、ビーフシチュー用、この味は格別だんとつのものです。勿論ハンバーグも最高、何をとっても逸品だなと味あわせていただいています。

本日は強い雨でしたが、家の者の要望と、また私達の期待を埋めてくれるものと、帰宅するのを待っている次第です。

ベストちんや・ワンダフルちんやと一生楽しませて下さると感謝する次第です。

今後共貴店が益々ご繁栄下さることを願って、乱筆乱文乍ら、先ずは御礼迄。従業員の皆々様にも宜敷く。

追伸、

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.037日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)