津軽びいどろ

 このブログの4/7の号で、「ちんや」には「お客様に聞かれて困った質問」収集委員という委員がいると書きました。この委員は何をする委員か、と申しますと、お客様から聞かれて、答えられずに困った質問をメモしておき、週に1回月曜日に提出するのが仕事です。今日は、その委員の連中が収集した「困った質問」の第2弾です。

  さて、「ちんや」さんで使っている、冷酒グラス(ぐい呑み)は、どこで造っているグラスですか?」というご質問があったようです。お答えは、「津軽びいどろ」です。

  「津軽びいどろ」は、古くから受け継がれてきた「宙吹き」の技法で作られているのが特徴です。熟練した職人たちが、硝子を灼熱の、どろどろに溶けた状態で吹き竿にすばやく巻き取り、息で膨らませます。そうして硝子のカタチを整えるのが、「宙吹き」の技法です。

 ただ、「宙吹き」自体は、「津軽びいどろ」オリジナルというわけではないので、「津軽びいどろ」を名乗るメーカーは複数あるようです。

  「ちんや」では、「津軽びいどろ」の冷酒グラスを、色違いで用意していて、季節によって、使いわけています。

  初夏は緑

 真夏は青

 秋・冬は茶色

 春はピンク 

 年末・年始は冬ですが、慶祝ムードでピンクにします。

 逆に、ご法事の場合は、春でもピンク以外にします。

  すき焼き自体が1年中ほぼ同じなので、少しでも季節感が出るよう、こういう所で工夫をしています。

  ここで面白くないのは、そもそも日本酒をご注文いただかないと、このグラスを出せないところです。ところが実際は、「とりあえずビール」派の方が圧倒的に多く、「最後までビール」派の方も少なくありません。

  日本酒の売れ行きがショボいのは「日本酒は悪酔いする」という巷説が信じられているせいなのかなあ? 

 チェイサーを注文して、水をしっかりお飲みになればいいんですよ!そうすれば、そんなに悪酔いしないと思いますけど。

  「え? 住吉、アンタにそういうこと言われたくないよ。」

 「アンタが、水をしっかり飲めば、日本酒さんざん呑んでも、悪酔いしないって、言いながら呑んで、結局泥酔してたの見たことあるぞ、観音裏で。」

  おっと、困るなあ。 そういう浅草のインサイダー情報を、勝手に書いてもらっちゃあ。 

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「ちんや」で使っている、「津軽びいどろ」については、こちらです。

* 「困った質問」の第1弾は、こちらです。

Filed under: すき焼きフル・トーク,困った質問 — F.Sumiyoshi 9:55 AM  Comments (0)

納豆と市川海老蔵

 昨日5/10のブログに、ちんやの肉の仕入れ方針について書きましたが、その中に書いてある、「熟成をすると、なぜ肉が旨くなるのか」、が良くわからない、というメールが、「浅草うまいもの会」の、K子会長から届きました。

 そこで熟成すると肉がなぜ旨くなるかの説明ですが、

「熟成すると、牛の体内の酵素の働きで、タンパク質がアミノ酸に変わります。」

「1ヶ月置いておく間に乾燥が進み、相対的に水分が減って、旨味成分が濃縮されます。」

「牛を解体しないで、丸ごと熟成させた方が、乾燥が進むので、解体してパッキングしてから熟成させるより、旨いです。」

 以上がその説明ですが、このご説明でご理解いただけない場合も多いです。先日、雑誌のご取材があって、熟成と肉の旨さについてご質問があったので、上記のようにお答えした時も、そういえば、取材嬢は「?」という感じでした。

  旨さについては、熟成がポイントなのですが、そこがわかりにくいと思う方が多いようです。どうもバケ学用語を口頭で言うと、文系人にはトッツキにくいかもしれません。「そんなことより産地はどこなんですか?」と文系的なことを聞かれると、産地にあまりこだわっていない我々としては、チョッとがっがりしてしまいます。

  そこで! 熟成について、わかりやすく説明する作戦を最近考えついたので、今回のご取材で使ってみました。それは、「熟成させたお肉と、そうでないお肉は、納豆と、生の大豆の違い位の違いがあります。」と例える作戦です。これはわかりやすいようです。

 化学的にも、納豆菌という細菌の作用でタンパク質がアミノ酸に変わるのと、牛の体内の酵素の働きで、タンパク質がアミノ酸に変わるのは、似ていると言えなくもありません。かなりザックリ、ですが。

 以前、「銀座4丁目スエヒロ」のU社長が紹介して下さった、熊本県畜産試験場の先生も、「熟成した肉は、生鮮食品ではなく醗酵食品とみなします。」と言っておいででしたので、あながちハズレた例えでもないでしょう。「納豆と大豆」=「熟成肉と肉」、少し誇張した例えですが、わかりやすいので、まあご勘弁いただいて、使おうと思っています。

 「納豆と大豆」=「熟成肉と肉」 ついでに、もう一つ例えると、「住吉史彦と市川海老蔵」

 おっと、間違えた。最後の例は、完全に同等のケースだった、ですよねえ? 理系の皆さん。 

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

お目出度い絵

 先日、ある御客様から「なんで、毎回同じ絵がかかっているの?」というご質問がありました。通される部屋は違うのに、かかっている絵が毎回、楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)の「上野不忍大競馬之図」だとおっしゃるのです。

 ん? そんなことあるかなあ? と思いましたが、偶然ではありませんでした。そのご家族は、お子さんのお誕生日とか、ご両親の結婚記念日とか、そういうお目出度い場合に「ちんや」をご利用いただいていたのですが、それが、絵が同じになった理由です。

  実は、「ちんや」では、予約の段階で、その日の御用向きがお目出度いとわかると、かける絵もなるべく、お目出度い絵にしているのです。「上野不忍大競馬之図」は、絵柄が一番に賑やかで、お目出度い感じなので、それで、そのお客様の場合毎回「競馬之図」になったという次第です。

  ちなみに、カリスマ受け売り師の住吉史彦先生によりますと、この絵は、明治17年に上野不忍池(しのばずのいけ)畔で開催された、天覧競馬会の模様を描いた作品です。明治政府は軍馬改良の為に、競馬を奨励しており、またご自身も乗馬がお好きだった明治天皇は好んで競馬会に行幸されました。優秀馬には「帝室御章典」が授与されましたが、その金額は当時としては、大変高額なものでした。

 「競馬之図」の画面の、天皇陛下が座す楼閣には、日ノ丸の旗がはためき、空には気球も打ち上げられて、盛大な競馬会の様子がわかります。
 なお絵師の楊洲周延(1838〜1912年)は、歌川国周の門人で、美人画に優れ、洋装貴婦人や女学生など、開化期の女性の風俗を描いた作品が多い絵師です。

  「ちんや」が所蔵する、開化絵はネットでごも覧いただけますので、こちらで是非どうぞ。

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真っ正直?ー牛トレ法検査

「台彪会(たいひょうかい)」で一緒に勉強している、和菓子メーカー「MN堂」のS社長が見えました。最近S社長のお姉さまが結婚され、目出度く華燭の典をあげられたのですが、その後も滞在しておられる、ご親族を浅草案内して⇒その流れで「ちんや」へ、という段取りだったようです。

  そういった機会に「ちんや」をご利用いただき、本当に有り難いことです。ご両家のご多幸を祈念申したいと思います。

 ところが! Sさんが食事されている最中に、農水省安全管理課の、「表示・規格指導官」様がご来訪。ノーアポの立ち入り査察です。

 実は、すき焼き屋・ステーキ屋・焼肉屋などの肉料理を専門にしている料理屋は、「牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法」(=通称「牛トレサビ法」)によって、「特定料理業者」に指定されていまして、時たま、我々の仕入れ・販売の手続きが法に照らして適正か、ノーアポ査察が来るのです。

と、いうわけで五年ぶりの、お代官様の御検分です。

そこの、すき焼屋、不届きである!

へへー、恐れ入ります。

真っ正直に表示いたしておるか?

へへー、勿論でございます。

帳面は、真っ正直につけておるか?

へへー、勿論でございます。今日は何卒、お手柔らかにお願いいたします! へへー。

 やるべきことはやってますけどね、やはり、イヤだなあ、こういうのは。と疲れきっていると、Sさんファミリーが食事を終えて、お帰りです。お見送りしなくては。

 へへー、S様! じゃなかった、間違えた! どうもSさん、今日はありがとう。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法については、こちらです。

南部ってどのあたりですか?

 このブログの4/7の号で、「ちんや」には「お客様に聞かれて困った質問」収集委員という委員がいると書きましたが、その委員の連中が収集した「困った質問」が提出されてきました。

 「ちんや」さんの、すき焼きの鍋は、どこで買えるんですか?

 こういう御質問は結構多いようです。で、答えですが、ザンネンながら、買える店はありません。「ちんや」向けの特別仕様の鍋ですので、よそにはないのです。現在使っているのは、昭和50年に現在の店舗を建てた時に、岩手県の、南部鉄器のメーカーさんに発注したものがほとんどで、それ以降は新規発注せずに、その当時のものを大切に使っています。

 と教えたら、収集委員は「?」という様子。「岩手県の南部ってどのあたりですか?」

 うーん、そうか、「南部」を教える必要があったか。南部というのは、南の部分じゃないんだなあ。

 収集委員は皆、最近入社したメンバーなのです。ゆとり教育では、南部氏が岩手県を永いこと治めてきたことを教えてないのかしら? 困るなあ。伝統工芸の存続にもさし障りますよね・・・

 ところで、ひょっとして、気づいた人もおいでかもしれませんが、この「困った質問」はブログのネタの宝庫なのです。

「やっぱりそうか、住吉、情報の社内共有化とか言っちゃって、実はブログのネタ集めしてたのか!」

 ひひひひ。

 全国のブロガーの皆さん、この方法をマネっ子する時は、ウチに挨拶しに来てくださいね。ついでに、すき焼きも食べてくれると嬉しいなあ。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

困った質問

 私の店「ちんや」の「お客様に聞かれて困った質問」収集委員を任命しました。そういう委員がいるのです。何をする委員か、と申しますと、お客様から聞かれて、答えられずに困った質問をメモしておき、週に1回月曜日に提出するのが仕事です。

 例えば、「浅草に、ほら、電気何とかっていう名前のカクテルを飲ませる店があったよねえ。何ていう店だっけ? 教えてよ!」というご質問には「それは、デンキブランという名前の御酒で、「神谷バー」という御店で出しています。」という回答をつくり、委員本人に答えを出すだけでなく、従業員全員に配布しています。

  委員には、新人を任命しています。ベテランは任命しません。ベテランはお客様の対応に慣れていますから、お客様のご質問に対して、正解を出せなくても大勢に影響のない場合は、一生懸命調べて回答するより、むしろ、誤魔化す技術を使います。それがベテランの味ではあるのですが、良くないところでもあります。

 例えば、「戦争中は「ちんや」さんはどのように営業していたんですか?」というような昔話しに関する、質問が頻繁にあるのですが、これに正確に答えられなくても、大勢に影響はありません。「先々代(=住吉史彦の祖父のこと)が生きていれば、お答えできるんですけど、しばらく前に死にましてねえ。先代(=父のこと)は健在なんですが、戦争中は、学童疎開で、東京に居なかったらしいんですよ。」という風に誤魔化しておけば、とりあえずOKです。ベテランならそうするでしょう。

 それにお客様ご本人も、「戦争中に「ちんや」がどのように営業していたか」ということについて、本当に深刻な関心を持っているかどうかわかりません。75歳〜80歳位の方がそういう質問をされたのなら、深刻な関心をお持ちかもしれません。しかし、毎年3月10日前後になると新聞やテレビで東京大空襲のことが大きく採り上げられますから、それが念頭にあって、ポッとそういう質問が出てきただけの場合もあります。聞くだけ聞いてみよう、くらいの感覚かもしれません。だから、正確に答えられなくても、大勢に影響ないと考えることができる場合が結構あります。

  ベテランになると、その当たりが、自然とすぐ判別できるようになりますから、大勢に影響ない場合は、誤魔化して手間を省きがちです。ところが、新人だと、そういうことは考えず、素直に「聞かれて困った質問」を収集してくれます。そこが良いので、収集委員に任命しています。後輩が入社するまでが任期です。

 「ほお、戦争中に「ちんや」がどのように営業していたか。そりゃ、知らないよりは、知ってた方が良いに決まってるよ。 で、どういう風に営業してたの? 教えてよ!」

  うーん、それはブログに書いてしまうとつまらないので、ご来店になった時のお楽しみ、ナ・イ・ショということで、ヨロシクお願いします。

 「また、書いてしまうとつまらない、かよ。 ホントに住吉は意地が悪いなあ!」

  いやあ、恐縮ですねえ。このブログでは、「意地悪キャラの住吉」が確立しつつありますから、当分の間、このキャラ設定の変更は無しで行こうと思ってるんですよ。ひひひひ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

東京府第一大区

ご夫婦でふらりと見えて、二代目歌川国輝の「東京府下第一大区尾張街通煉化石造商法繁盛之図」という、開化絵がかかった個室をご利用になったお客様から、「この絵の題の、第一大区って何?」とご質問があったのですが、恥ずかしながら不勉強で、その場では即答できませんでした。

代わって、当サイト上でご回答申し上げます。ご予約無しで見えたので、ご芳名がわかりませんが、このサイトをご覧いただけていれば、幸いです。

  明治4年に新政府は、新しい地方制度を定め、各府県の下に大区を置き、大区の下に小区を置きました。例えば「第9大区6小区」などという具合に、数字で行政区域があらわされました。「東京府第一大区」というのは、それです。おおよそ、現在の東京都中央区に相当する地域でした。

 ところが、この制度は評判が悪く、7年間しか続かず、明治11年(1878年)には、新たに「郡区町村編成法」が制定されて、制度が変わってしまいました。年配の方ならご存じの、浅草区、下谷区、日本橋区、京橋区という区割りがそれです。この、明治11年時の区割りが本格的に再編されるのは、太平洋戦争後のことでして、約70年間に渡って使われました。日本橋区、京橋区という呼び方にはなじみがあるのに、「第一大区」にはなじみがないのは、そういうわけです。

 国輝の開化絵は、明治6年の絵ですので、明治4年の区割りである、「第一大区」という言葉を使っているわけです。また、尾張街というのは、銀座の尾張町のことです。

 どうです? 分かりやすかったでしょう!

 本日の解説は、カリスマ受け売り師として有名な、住吉史彦先生でした。ご精読ご苦労さんでした。

 *なお「東京府下第一大区尾張街通煉化石造商法繁盛之図」の画像はこちらで、ご覧いただけます。

Filed under: 今日のお客様,困った質問,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 11:35 AM  Comments (0)

カラオケ・パチンコマップ

 今日は、東京商工会議所台東支部の「したまち台東もてなし向上委員会」に出席しました。この委員会の活動は3年目ですが、1年目は「おもてなしハンドブック」を作成・発行し、2年目は「したまち台東をもっと学び・知るセミナー」や「街なかウオッチングセミナー」を実施しました。

いずれも、会議所加入企業の従業員を対象にした事業でしたので、一般の方の目に触れることはないわけですが、地道な良い活動をしてきたと思っています。この委員会で作成した、「おもてなしハンドブック」を「ちんや」では、毎週の朝礼で朗読しています。

  この委員会で楽しいのは、普段あまり接触のない、上野や谷中の方、鳥越の方とご一緒でき、議論のあい間に、それぞれの街のウンチクばなしを聞けることです。皆さん、自分の街を愛していらして、街の歴史を勉強しておいでだなーと感心します。

  委員の中には、谷中在住の外国出身作家として、有名な桐谷エリザベスさんもおいでなのですが、いま外国人観光客が喜ぶのは、むしろ、カラオケ・パチンコ・赤ちょうちん・銭湯だとか。そういうのが載っている地図が欲しいのに、無いから困る、とおっしゃいます。

  これを聞いた、日本出身の委員一同、「うーーん、そういうマップは無いですねえ。」

そりゃ、そうですよ。日本人向けにも、そういう地図はないですからねえ!

 外人の皆さん、すき焼きにもご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*東京商工会議所台東支部については、こちらのサイトをご覧下さい。

 

 

Filed under: 困った質問,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 5:39 PM  Comments (0)

浅草とエンコ

先週のことですが、スタジオdpの、U社長が芦屋から上京して見えました。U社長は、このブログや、「すきや連」のサイトを担当してくれている方です。また、「すきや連」の事務的なこともお手伝いいただけるので、私としては頼りにしています。

 打合せに使った部屋には、楊洲周延の「浅草公園遊覧之図」という開化絵がかけられていました。今は埋め立てられて無くなってしまった浅草の、「ひょうたん池」のほとりに茶店が立ち並び、着物に洋傘をさした美女が遊んでいる画です。背景には、当時「十二階」の通称で知られ、東京一の展望台だった、「凌雲閣」がそびえています。「凌雲閣」は、今ならさしずめ、東京スカイツリーのような存在で、随一の観光名所だったそうです。

 Uさんは、その画に興味を持たれたようで、「浅草公園ってどこですか?」というご質問。はい、では答えですが、明治6年に浅草寺の境内の相当部分と周辺が、「公園」に指定されたのです。現在の本堂・五重塔・伝法院だけではなくて、仲見世も、「花やしき」近辺も、「浅草演芸ホール」近辺も含む広大な敷地でした。

  Uさんは関西の方なので、ご存じないかもしれませんが、その昔、浅草のことを隠語で「エンコ」と言ったでしょう?「公園」をひっくり返して「エンコ」。「浅草へ遊びに行こう」と言うところを「エンコ行こうよ」と言ったわけです。

 周延の画に描かれた当時の様子なら、風情があって、たしかに「公園」という感じがするのですが、その後「凌雲閣」は関東大震災で倒れ、また「ひょうたん池」は埋め立てられてしまい、現在は、「浅草公園町会」という町会の名前に、その名残を留めています。自然と「エンコ行こうよ」とは言わなくなりました。

 と、いう話しをUさんにしたら、「その話し、絶対ブログに書くべきですよ!個人的に会話してるだけじゃ、もったいないですよ!」とおっしゃるので、書いてみました。

  なお、「ちんや」の所蔵している開化絵は、こちらでご覧いただけるのですが、今日書いた、「浅草公園遊覧之図」は新しく、手に入れたので、まだUPしておりません。悪しからず。是非、見に来て下さい。

  「え?意地悪してるんだろう?わざとUPしないんだな。住吉の性格悪いのは知っているぞ!」

⇒濡れ衣です!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます。浅草「ちんや」六代目、住吉史彦でした。

 *「スタジオdp」さんのホームページは、こちらです。 

*Uさんが作った、「すきや連」のホームページは、こちらです。