生卵

最近テレビで、日本人が気づいていない日本を紹介する!みたいな番組が多いですね。

先日そういう感じの番組を視ていたら、日本の卵の特集をやっていました。外国人が日本の卵の生産現場・流通の現場を訪ねるという趣向でした。

さて、世界的には卵を生食する民族が少ないことは皆さんもご存知と思います。その番組に登場していたイギリス人とメキシコ人も基本的に食べません。

しかし、その二人の内一人は結局番組の中で生卵を食べました。日本の卵のバックヤードがいかに衛生的かを視た上、案内役の日本人女性に、

生卵を食べてみませんか♡

と勧められて、メキシコ人は卵の丸飲みを敢行しました。偉いです。

そして、それを横で見ていたイギリス人のリアクションが面白かったです。

顔をしかめるだけでなく、90度横に背け、そして顔を背けながらもデジカメで卵を飲むメキシコ人を撮影していました。

ははは、そんなに生卵って、恐ろしい存在なんでしょうか。

私は、すき焼き屋をやっていますので、

いつからすき焼きに生卵が付いているのですか?

どうしてすき焼きに生卵が付いているのですか?

と質問されることが多いのですが、それ以前に、

いつから日本人は生卵を食べているですか?

という疑問も調べないと行けません・・・が・・・

どうも、分からないようです。

江戸時代に鶏と卵を食べるようになったころ、1700年代の終わりごろ、日本人は既に卵を生で食べていたのではないか、と考えている方もいるようです。

証拠になる文献があるわけではないらしく、刺身という食文化を持っている日本人なら、当時は貴重な食材であった卵も生食しようとした筈だ、という推測のようですが、私は基本的に賛成ですね。

明治のはじめ、日本人は肉をも生食しようとしたからです。牛鍋屋でそういう注文が出来たことについては文献に残っています。

貴重な食材であれば、とにかく生食したがる日本人。

不思議ですね。

本当は、肉も卵も魚も生食したら危険です。

現代では冷蔵技術その他で、ある程度生食を実現していますが、それでも肉の生食は止めた方が良いと思います。

そんな危険なことを日本人は、何故やるのか?!

とてつもなくグルメなのか。

災害大国で常に危険に曝されているから、食中毒くらい危険と思わないのか。

実に不思議です。

 

追伸

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.984日連続更新を達成しました。

 

凄い親戚関係

私の先祖・住吉忠次郎に関する資料が菩提寺から出てきた件は、7/22の弊ブログに書きましたが、同じ内容をFBにもUPしましたら多数のコメントが書き込まれました。

まずは料理屋同士が親戚という点に興味を持たれた方々・・・

「中清様と江知勝様が御親戚とは、存じ上げませんでした。いずれにしても貴重な資料ですね」

「中清と、江知勝に、ちんやさん。凄い親戚関係ですね!」

「すごい興味深く拝見しました〜!江知勝さんとも中清さんとも御親戚なんですね(^^)」

「人に歴史あり。江知勝と親戚なんだ」

「周辺の銘店が姻戚関係とよく解りました」

ちなみにですが、湯島のすき焼き店「江知勝」さんからは、日本橋小伝馬町のすき焼き店「伊勢重」さんへも婿さんが入っていますから、

「江知勝」さん、「伊勢重」さん、「ちんや」という3軒のすき焼き屋と、天麩羅の「中清」さんが親戚です。

次に、婿を取ったという点に興味を持たれた方々・・・

「参考になります。古い因習とは違った意味で、日本の伝統を守る方法なんでしょうね。酒蔵などでもある話のようです。」

「すご〜い!NHKのファミリーヒストリーに取材してもらったら更に色々出てきそうですね!」

多数のコメントをありがとうございました。

ところでこのコメントを読みながら、私は弊店に家訓がない理由を考えていました。

まったく想像ですが、当主が二代続けて婿さんであったからかもしれません。私は父から、お爺ちゃんは自分が婿だということを結構気にしていたようだと聞かされたことがあります。

祖父は浅草料理飲食業組合の組合長を務めるなど浅草の要職を歴任したのですが、それでも婿意識というのは消えないものだったようです。

プラス、時代があまりに激動の時代で、家訓などというもっともらしいものを遺す気にならなかった、ということもあるような気もします。

「ちんや」の歴史では、

1868年の明治維新で狆が売れなくなったのが第一のショック。

1923年の関東大震災が第二のショック。

1945年の東京大空襲が第三のショック。

で、家訓など整頓する場合ではなかったような気がします。

こういう時代を、他家から迎えた優秀な婿さんが凌いで「ちんや」は生き残りました。しかし、家訓を創ろうという気にはならなかったのだと想像できます。あくまで想像ですけどね。

私の代になってからも、BSE問題、口蹄疫問題、リーマンショック、東日本大震災などがあって、まったくゆとりというものが在りません。

そろそろ後世のことを意識した動きをしないといけないのでしょうが、

いやあ、どうも忙しくて。

そう、忙しくて、飲むのが(笑い)

追伸

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山崎豊子とすき焼き

「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」など社会派小説で知られる山崎豊子は、大阪大空襲の直前すき焼きを食べていたそうです。

山﨑が2013年に亡くなって遺品の整理が行われていましたが、今回1945年元日から3月27日までの3か月分の日記が見つかったそうです。大阪出身の山崎が毎日新聞大阪本社に勤め始めたばかりの、20歳から21歳ころのものです。

その3月に大阪は大空襲に遭います。

日記は報道によりますと、

「三月十三日、この日は自分の生涯を通じ、又、自分の家の後代に至るも忘れる事の出来ない日だろう」

「すき焼きとお酒の贅沢な夕食を楽しみ、寝ついた後、その時が訪れる。「夜の巷、突如として騒然たり」慌てる家族、ラジオ、怒鳴り声、拡声器。防空壕へ入ってから聞く焼夷弾落下の音、飛び出して見てみると、自宅にまで迫り来る火の手・・・」

山﨑は、この頃既に作家に成りたいという願望を持っていたそうですが、記述はさすがの臨場感です。

3月13日までの大阪には、まだすき焼きを食べる余裕がありましたが、この後6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日と繰り返し空襲が行なわれ、一般市民1万人以上が死亡したと言われています。

「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」のいわゆる戦争三部作をはじめ、作家・山﨑豊子は戦争を描くことをライフワークとしましたが、その原点がここに在ったのですね。

山﨑作品には、すき焼きを食べるシーンがあまりないような気がするのですが、辛い体験と結びついていたからでしょうか。

すき焼きは国民食なだけに、色々な人の、色々な思い出と結びついています。

追伸

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地代値上”絶対反対”

私の先祖・住吉忠次郎に関する資料が菩提寺から出てきた件は、昨日の弊ブログに書きましたが、この機会にネットで「住吉忠次郎」と検索してみたら、面白い記事が発見できました。

面白い記事というのは、時事新報の 1935年(昭和10年)5月25日号の記事で、

「浅草目抜の場所 地代値上”絶対反対” 「ちんや」等百七名市と抗争」

というものです。

「抗争」とは穏やかではないですね。

記事によりますと

「東京市では昨年八月一日浅草公園を中心にした浅草区雷門一丁目、二丁目の市有地借地人五百余名に対し一斉に一割八分以上五割方の地代値上げを通告したのに対し借地人側は此値上げを不当として市と折衝を重ねていたが、遂に談判決裂、雷門二丁目の借地人、牛肉商「ちんや」こと住吉忠次郎氏等百七名の借地人は結束、弁護士真下伊藤両弁護人を代理人として牛塚市長を対手取り二十三日東京民事地方裁判所に借地料確認請求の訴訟を起した」

・・・ということだそうです。

この時代に御上にタテつくとは、良い根性です。

忠次郎は、昭和4年に結成された、現在の「雷門通り商店街」の前身「浅草広小路昭広会」の初代会長で、この記事は昭和10年のものですから、まだ在任していたのでしょうか、それで値上げ反対運動の中心人物に成ってしまったのかもしれません。

これに対して東京市側は、

「市有地なるが故に安く貸さねばならぬ理由はなくまた「市有地貸渡し規則」に依れば地代更改は五年以内でも時と場合では出来ることになって居り市財政の増収を計るため、充分附近の土地との振り合いを考えて値上げしたもの」と反論して争ったそうな。

現在も、この土地は都有地なんですが、都がザハ・ハディド競技場の建設費を賄う為に地代を値上げしてきたら、私は反対運動を起こさないといけないんでしょうか・・・

まずいな。

そうならない内に、今からあのデザインに反対しなきゃ。

追伸

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弔辞

私から四代前の人物が亡くなった時の弔辞が出て来ました。

菩提寺のご住職様が見つけて、お盆でお経をあげに来て下さった時に持って来て下さいました。

原文はカタカナですが、平仮名で書きますと・・・

本会名誉会員住吉忠次郎氏の母堂やす子殿逝去の訃に接し惋惜に堪えず茲に恭しく弔詞を呈し哀悼の意を表す。

大正十年一月二十日 帝国在郷軍人会浅草区分会

住吉やす子~生前は「やす」で通していたようですが~は「ちんや」の歴史では大活躍した人として知られています。

夫もいたようですが、そちらは活躍した形跡がなく、おそらく遊んでいたのでしょう。良い話しではないので詳しいことは伝わっていません。

さて、その「やす」までを私から遡ってみましょう。

私の父は滋夫。昭和十年(1935年)生まれで現在は弊社会長。つまり元気です。

滋夫の父は清。清は浅草の天麩羅屋「中清」の子として生まれ、住吉八重子と結婚して、婿に入りました。

清の父が忠次郎。忠次郎は湯島のすき焼き屋「江知勝」の子として生まれ、住吉まつと結婚して、婿に入りました。

その「まつ」の母が「やす」という次第です。

狆屋から料理屋に転業し、やがて牛鍋に特化していった期間を「やす」が担ったと伝えられています。

ちなみにですが、「訃に接し」は間違いではありません。

訃(ふ)は一文字で「死亡の知らせ」という意味があります。現在では「訃報に接し」と言いますが、あれは実は冗長です。

「訃報のお知らせ」はさらに冗長ですが、結構使われていますよね。

まあ、言葉は変転するので仕方ありません。蛇足ながらお伝えしました。

ブログネタとしては縁起でもないですが、お盆の話しということでお赦し下さい。

追伸

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自店紹介

今年の秋に料理業組合「芽生会」(=青年部)の全国大会が東京でありますので、東京の会員店が自店紹介の一文を書くことになりました。

当然、屋号の由来や創業譚などが必要ですが、同業同士ですので、公式サイトに載せている様な「通り一遍」の情報ではなく、もう少し突っこんだものが欲しいね!ということになりました。

しかしながら、これって意外と難しいんです。

とても立派な創業譚が在る御店さんと、そうでない所に分離する懸念がありますね。前者はたくさん資料が出てきて、後者は乏しい感じに成るでしょう。

ウチにしてからが、明治維新になって狆の商売が傾いてきたのが、そもそも料理屋にシフトした理由です。当時浅草という場所で、何か儲かる生業がないかと探して、安直にそうしたのだと思われます。

そういう次第なので、ウチは縁起とか家訓とか理念とかがまったく無いです。

創業者もハッキリ特定できない位です。

「住吉やす」という人物(女性)が重要らしく、その夫もいたはずですが、夫はあまり活躍した形跡がなく、とにかく良くわかりません。まあ、あまり良い話しではないのでしょう。

私は、若い頃、その辺りの事情を潔く認めるまで間、店の過去を聞かれるのが非常に苦痛でした。

今はもちろん開き直って、この話しも面白おかしく語ることにしていますけどね。

要するに、生業として仕方なく料理屋を始めたのであって、世間の皆さんが思っているように、所謂「老舗」店には、漏れなく素晴らしい創業譚が在るわけではないんです。

芽生会・記録部会の部会長NY川さんも、御店の屋号の由来について、先代から教えられていないと言います。どうやら、あまり良いイメージではないらしいのです。

なるほど、そういうこともありますよ。

老舗というと、とにかく立派なお話しが無いと気に入らないという人が世間には多いですけど、それって「老舗」のことをゼンゼン分かってない方々ですね。

生まれた時から立派なのは御釈迦様だけで、老舗は御釈迦様ではありません。

そういう共通認識があった方が良いんだよね~

と思いながら、自店紹介の文章をただ今書いています。

追伸

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開催しました~第21回「すきや連」②

第21回「すきや連」を開催しました。

浅草新仲見世の「今半本店」さん。

今回も50人以上の、全国のすき焼き関係者が集結して大盛況。老舗の味と風情を堪能させていただきました。

<参加者の皆さんが書いて下さった寄せ書きを、昨日から公開しています。今日は、その②です。ご覧ください。>

・七夕の夜に浅草今半本店さんのおいしいすき焼きを「すきや連」メンバーと楽しく食せること、とでも幸せです。(中川晶成)

・浅草の歴史に乾杯!美味しいすき焼を食べ、七夕に願いを込めて(尾崎仁)

・老舗の味を スキヤキソングを口ずさみ、愉しい浅草の夜(吉澤彰浩)

・七夕に願いを込めて おいしいすき焼きありがとう。(林邦宣)

・創業120年今半本店の昔ながらのすき焼き最高。(黄木修太郎)

・創業120年今半本店さん楽しみにして参りました。やっぱりスキヤキ最高です!!

(荒井順子)

・七夕の日に浅草で老舗のすきやきを味わう、もう幸せです!(荒井亮一)

・七夕にすき焼!浅草の老舗で舌つづみ 黒毛和牛最高(吉澤直樹)

・老舗の味を堪能させていただきました!!(吉澤裕介)

・牛肉と白菜美味しい今半流(柴田伸太郎)

・初めての参加勉強になりました。(森嶋利成)

・本日は科学で解明出来ないおいしさを勉強しに来ました(佐々木整輝)

・浅草の老舗今半本店さん、文明開化の味を楽しみました(森大亮)

・美味しいすき焼き頂きました。今半本店さんに感謝(松浦保)

・今半本店で七夕すき焼き。歴史を感じる味でした。(小金沢章文)

・創業120年老舗のすき焼き美味です(島崎進)

・浅草神社に参拝し歴史ある今半本店さんの美味しいすき焼きに感謝です。(和田政司)

・同じ「今」の付くすき焼き屋として初めて訪問し、とても美味しく頂きました。お野菜に白菜が入り、椎茸が入らなかったり、とても勉強になりました。(藤森朗)

・新幹線に乗って北陸金沢に能登牛のすき焼き食べに来まっし!日帰りはダメよ!!今日はごちそう様でした(中田二郎)

・今半さんの歴史を勉強させて頂きました。すき焼きに感動!!ありがとうございました。(西居基晴)

・美しい神代杉、吉野杉の木目。明治時代のお洒落で美しい電灯 心豊かの中で今半本店のすき焼き頂戴できて感謝です。伝統の美しさいつまでも(羽鳥裕子)

・浅草神社の参拝で牛肉がお供物とされているのは感激でした。底深い今半さんたちの歴史にまだまだ届かない私共が学ぶこと大でした(加藤英子)

・味の年輪は素晴らしい。おいしくいただきました(加藤政義)

・老舗の歴史は継続の力です。これからもずっと続けていかれる事を切に願います。これからもよろしくお願い致します(星南子)

<以上>

追伸

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開催しました~第21回「すきや連」①

第21回「すきや連」を開催しました。

浅草新仲見世の「今半本店」さん。

今回も50人以上の、全国のすき焼き関係者が集結して大盛況。老舗の味と風情を堪能させていただきました。

<まずは、参加者の皆さんが書いて下さった寄せ書きをご覧ください>

・七夕や牛にひかれて仲見世へ(向笠千恵子)

・浅草に彦星牛女つどひけり(向笠千恵子)

・すき焼きの香り立ちたる星逢ふ夜(向笠千恵子)

・相澤さん、美味しいすきやきありがとうございます。私の知らない今半の歴史を知りました(高岡修一)

・「あさがお」と「すき焼」楽しむ浅草最高。(高岡慎一郎)

・盛夏にて盛会なりやすき焼のクーラなごむあつかんの宵花(高岡哲郎)

・すきや連久しぶりですが最高です。すきやきソングの由来が今半とは!(高村善雄)

・七夕夜に今半本店のおもてなしと最高のすき焼きを味わえて幸せ!!(森脇政子)

・すき焼きは芸術だ!(手塚雄二・生子)

・モットモットすき焼きを食べて和牛文化を拡めて下さい。飼育頭数が減っていることが気になります。(天井国康)

・すきや連三田会最高!!(山口辰幸)

・今半本店さん、浅草今半さん、人形町今半さんとありますが、どこが本家とか言うことなく、お揃いで笑って見えるのを拝見し嬉しく思いました。「柿安」も三つに分かれています。何代も代が替わり今は冠婚葬祭でしか会いませんが、それぞれの良さをいかしお互い頑張っています。すき焼きは和の象徴。3軒ともよろしくお願いします。(赤塚直子)

・とろける肉おいしくいただきました。(九鬼紋七)

・バリアフリー!のすき焼き屋さんが増えることを願っております。(川井秀晃)

・縁があるような無いような浅草でしたが、浅草神社お参りでつながりました。(伊藤祐嗣)

・掛軸にある「夢」の字の迫力。このようなエネルギーのある字をかけるようになりたい!です。(鏑木武弥)

・向笠さん。住吉さん夫夫有難い御縁に感謝!今半さん美味しく頂きました。(井出民生)

・鬼灯の夜店こがれる赤い爪(松井純)

・久しぶりの浅草嬉しいです。すき焼きの原点浅草にあり!(土居秀夫)

・第21回すきや連開催おめでとうございます!「日本のごちそうすき焼き」も増刷するよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします!(水野良美)

・(七夕の願い)重版できますように!(清田康晃)

・地元浅草開催でお着物きてすき焼き~美味しく頂きました。浅草神社も成人式以来の社殿参拝で禰宜さんに「ご結婚は?」とツッコまれました(笑)。(清水祐子)

<寄せ書きはまだ在りますので、残りは明日のこのブログでUPします>

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200年

「ワーテルローの戦い」から200年を記念して、ベルギー中部の戦場跡で式典が開催され、ベルギーのフィリップ国王やオランダのウィレム・アレクサンダー国王などが参列されたそうです。

1815年6月18日の、この戦いではイギリスやプロイセンなど君主政派の連合軍がフランスのナポレオンを破りました。これにより1789年の大革命以来ヨーロッパを席巻してきたフランスは勢力を失い、ナポレオンは孤島・セントヘレナ島に幽閉されました。

その後フランスで共和派がふたたび政権を奪還したのは1830年。その時ですら共和派が王族を担ぐ形で政権を造りました。

民主政治の老舗フランスの歴史は、同時に幾多の戦いの歴史であったのだなあと、少し気が遠くなってきます。

200年と言えば、日本には200年以上事業を継続している、所謂「老舗」が3.000社以上あるそうです。

これは世界一の多さだそうで、約800社で第2位のドイツを大きく引き離してします。

地震・噴火・台風と災害大国である日本が同時に世界一の老舗大国でもあるということは、とても考えさせられることです。

2位がドイツというのも意外です。

ドイツは、たしかに歴史のある国ですが、中世以来統一国家が出来ずに政治は不安定。諸侯の間でしょっちゅう戦さをやってきました。

ようやくドイツ帝国が出来たのは日本の明治維新より後のことで、その帝国も第一次大戦で負けて、すぐに崩壊してしまいます。

その後今度はヒトラーが出てきて第二次大戦を始め、原爆こそ落とされませんでしたが、さんざんに負けて、全土が焦土と化します。

それだけやられたのにドイツには老舗がたくさん在るんですね。

イメージとしては多そうなイギリスより多いのだから不思議です。

そう、さんざんにやられた方が、むしろ老舗が出来るのかもしれません。

事業を継続していくのに、本当に大切なものは、

ノウハウ(そして、それを体現する人)

信用

なのであって、土地や建物といった有形のものは二番手です。

しかし、有形な物は目の前に存在するとたしかに立派ですから、そういう物ばかりを見ていると本来大切なものを軽視するようになってしまうのかもしれません。

逆に、有形の物が壊れてしまうと、無形のものの大切さが身に沁みるのかもしれません。とても考えさせられます。

そう言えば、浅草の街も、関東大震災と戦争で二度丸焼けに成っています。ドイツに似てますね。

本当に大切なもの=無形の資産を大切にする心だけは、この土地で継承していきたいものです。

追伸

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ささやかな楽しみ

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに、新着ストーリーの投稿がありました。

御年90歳の方から、昭和のはじめ頃の「ちんや」の想い出話しをいただきました。とても在り難いです。

題して、

「ささやかな楽しみ浅草「ちんや」の想出」

<以下を是非お読み下さい>

私卒寿のお婆さんと成り、戦後七十年何とか元気で生活して居ります。

昭和のはじめ、菩提寺が浅草河童橋にございますので春秋のお彼岸にはかならず父に連れられ墓参に行きました。先ずお寺参りをすませ、花屋敷で遊び仲見世を抜けて表通りの「ちんや」で牛鍋の夕食と言うのが何よりの楽しみでございました。

堂々たる構えの玄関で下足番の小父さんが「いらっしゃい」と迎えてくれたのをおぼえて居ます。

幼い頃お座敷で食べたすき焼の美味なること。親兄弟もほとんど他界致しました現在、生き残った私にとって良き時代と「ちんや」の牛鍋の味は忘れることが出来ません。

お土産に留守番の母へ必ずお肉を沢山買って帰りました。

<終わり>

その他にも50話以上のストーリーがありまして、こちらでご覧いただけます。

追伸

『日本のごちそう すき焼き』は、平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.932日連続更新を達成しました。

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