老舗の生き抜き方

 福島県酒造組合さんが運営する学校「県清酒アカデミー」で1時間ほどの講演をすることになりました。

 震災以来応援している「福島の酒」ですし、聞き手は醸造を志している若い方ばかりだそうですので、一生懸命お話ししてきたいと思っています。 

 その原稿が準備できましたので、弊ブログで先行公開して行きたいと思います。長いので8回に分けてUPします。本日は、その第一回です。おつきあいいただけましたら、幸いです。

<以下講話本文>

 皆さん、こんにちは。私がすき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦です。本日はお招きいただき、有り難うございます。今回福島県酒造組合の新城会長から清酒アカデミーで話しをして欲しい、というお話しがありました時、私「これは必ず行かねばならない!」と思いました。

 その理由は勿論、今晩東山温泉の芸者さんが接待してくれるから、であります。

 「・・・」

 あ、スミマセン、ここは笑っていただくところだったんですけどね、まあ、いいでしょう、早速始めますね、そういう次第で浅草から会津へやって参りました。

 本日は、老舗の生き抜き方というものをお話しせよ、という御題でございますので、そういう方面の話しをさせていただきます。本来自分で「老舗」と自称するのは僭越な話しではあるのですが、他に適当な日本語がありませんので、使うことにいたしまして、つまりは浅草の、すき焼き屋ですとか、天麩羅屋ですとか、鰻屋ですとか、蕎麦屋ですとか、そういう仕事を永年して来た店が、時代の変化や危機をどのように乗り切ってきたか、をお話ししてみたいと思います。御参考になれば嬉しいです。

 さて、この話しをお聞きいただくに当たって、以前の浅草がどれほど繁栄していたか、それから20世紀の前半に、どれだけ手ひどく被災したかを、まずお話ししておきます。それを知っていただかないと、本編の話しにリアリテイーが持てないと思いますので、まずはそこから始めますが、おつきあいいただきたいと存じます。

(予備知識①=江戸時代までの浅草)

 さて浅草という街は、太田道灌が日比谷の辺りに江戸城を築くかなり前から存在していました。浅草寺の縁起によりますと、推古天皇の時代に浅草寺が建てられた、ということになっています。推古天皇と言えば7世紀ですね。

 この話しは歴史としては確認できていませんが、奈良時代に大きな建物があったことは考古学的に確実だそうです。ですので、なにしろ江戸の街が出来る遥か昔から、浅草が在ったのは確実で、つまりは街の成り立ちが違います。この段階では、まだ浅草は浅草寺の門前町という位の街でしたが、そういう街が江戸とは別にあった、ということを、まずはご記憶下さい。

 その浅草の南西に江戸城が出きまして、そこへ今度は徳川幕府がやってきます。話しが長くなるので、細かい話しは割愛しますが、この位置関係が、この後の浅草の歴史を決定づけてきます。

 まず江戸幕府は、浅草と江戸城の間つまり浅草の少し南に米蔵を建設します。武士の給料である米を蓄えるためですね。最初の江戸市街は、現在の千代田区と中央区を合わせた位の広さしかなく、その北の土地は空いていました。

 AKBの秋葉原なんて、文字通り原っぱだったわけです。はい、サシ子さんねえ、残念でしたけどねえ。え~何でしたっけ?

 そうそう、江戸と浅草の間に土地がありまして、なおかつそこは隅田川から荷卸しをしやすい場所でした。今の地名で「蔵前」と言っているところですね。ですので、そこへ蔵を建設したわけです。場所は、お分かりになりますか?都営地下鉄浅草線で、浅草から日本橋方面つまり南方向に乗りますと1個目の駅、それが蔵前です。

 さて、この時イキナリ浅草のすぐ南に大きな大きな経済力がやって来ました。この蔵の米を商う「札差」という商人たちは、大層な金持ちだったと歴史に出てきます。皆さん、歴史にくわしいとこういう時に自慢できますね。

 やがて幕府は浅草の北方の田圃の中に吉原を造営しました。公認の遊郭ですね。遊郭は風紀を乱すので、江戸市街から追放して、鬼門である北の方へ、ということです。北の皆さんには申し訳ないですけどね。

 そして続いてさらに、浅草と吉原の間に歌舞伎町を建設しました。歌舞伎町って言っても、キャバクラやお姐の店が在る街じゃないですからね、「暫」とか「助六」とか、そういうお芝居を演る街です。当時の歌舞伎は芸術ではありませんで、ショー・ビジネスでしたから風紀を乱しますね、それで江戸の中心からどけたわけです。 

 この場所に今行ってみますと、吉原は戦後に売春禁止になりましたので、ソープ街に変わっていまして、かつての文化度はありませんね。かつての吉原は、当時の工芸美術・服飾美術の粋を凝らしたものだったわけですから、現状はやはり残念としか申す他ありません。

 歌舞伎座のあった所はごく普通の街になっています。明治時代に銀座へ移転したからですが、まあ、そういうことは後の話しです。今は、この時点=1850年頃の浅草の状況を想像してみて下さい。

 さあ、どうなっていたでしょう。

①浅草の中心には浅草寺(=宗教)があり、その北に、

②猿若町(=歌舞伎エンターテインメント産業)があり、さらにその北に、

③吉原(=セックス産業)が並んでいました。そして、

④浅草の南には米蔵(=経済力)が集中していました。

 どうです、バチカンとラスベガスとウオール街が同居してるようなもんですね。これほどのラッキーさの中で、天下一の盛り場・浅草は成立したのだ、ということを、是非把握しておいていただきたいです。この状況に比べると、スカイツリーくらいは大したことがないということが、すぐわかります。

 さて明治時代です・・・

<この話しは、長いので8回に分けてUPします。本日は、その第一回でした>

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は262人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて856日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

こだわりのどぜう会

 「駒形どぜう」さんの「こだわりのどぜう会」という会がありました。

 「駒形」の大旦那さんには、日頃御指導いただいており、若旦那とも御一緒することが多く、そんなことで、お招きいただきましたので行ってきました。この会は第18回目とかで大した継続ぶりです。

 さて参りますと、この日の目玉は、大分県宇佐の「ほたるどじょう」です。頂戴しましたら、実に淡泊で上品な御味でした。

 その昔は日本の田圃のどこにでも居たと言うどじょうも、今や多くが養殖です。食べる人口が多くはなく、そう高い値段で売れるものでもないので、自然と国内ではあまり生産されなくなって、海外での養殖が多くなっているようです。「駒形」の大旦那さんも、どじょう料理を護るため、台湾に養殖池を開拓したりしています。

 そんな中でも、国内の養殖場もあって、その一つが宇佐です。

 宇佐の養殖方法は特別で、大分県が2002年に開発した「無泥養殖」という方法を採用しているそうです。屋内のいけすを使い、採卵とふ化、成育を地下水で行う技術だそうで、「大分のんきどじょう」というの愛称でも売り出しているそうです。

 どおりで泥臭さがありません。しかも肉厚で骨も軟らかいどじょうです。

  味が淡泊なだけに、お代わりして食べ続けていると濃い味に飽きてきてしまいますが、そこは反則も可能です。この夜、「江戸町奥山風景」の出店に「駒形どぜう」代表として手伝いに来てくれていたMY嬢が、私のテーブルの担当になってくれたので、彼女に頼み込んで、生卵を貰いました。

 そう、「どせうすき焼き」作戦です。うん、これなら、マイルド。

 ところで、聞くところによりますと、このどじょうは特別天然記念物のトキの餌としても重宝がられているそうです。佐渡トキ保護センターで飼育されているトキに、海外産と大分産を同時に与えると、なぜか大分産を好んで食べるんだそうな。

 う~む、流石は記念物。鶏のクセに、どじょうの味にこだわるとは。

 「どじょうはどうも・・・」という人間もトキを見習った方が良さそうですな。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて850日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 

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ハタノ・オーケストラ

 ハタノ・オーケストラを聞きました。

 この楽団のことを教えてくれたのは、「音のヨーロー堂」の四代目松永さんです。松永さんとは、最近出版された単行本『浅草旦那のランチ』の中でランチ対談して、「ヨーロー堂発の浅草的音楽」を精力的に広めている御様子に、とても感心していました。

 御本の出版記念パーテイーでも隣の席だったので、いろいろお話しする内、おススメいただいたのが「ハタノ」でした。

 ライナー・ノートによりますと、

「昭和年代の日本ジャズ音楽の目ざましい発展、即ち昭和モダニズム音楽は、大正時代のサロン音楽から進化したダンス音楽楽団から始まった!」

ということなのだそうで、ダンス音楽楽団のさけがけである「ハタノ」は、日本ジャズ音楽史において大変重要な楽団なのだそうです。

「ハタノ・オーケストラは、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)の第1回卒業生の波多野福太郎(トランペット奏者)が、東洋汽船(現在の日本郵船)地洋丸の船上バンドの一員となり、アメリカとの間を往復しながら船上でポピュラー音楽の演奏を始めた事に由来します。」

 その後「ハタノ」は船を降りて活動します。

「波多野福太郎は、弟の波多野次郎(ヴァイオリン奏者)と共にハタノ・オーケストラを組織し、活動写真上映館の間奏音楽の演奏や、ダンスホールの専属バンドの演奏に従事し、大正年代の最も著名なポピュラー・オーケストラとなりました。」

 録音方式が、電気吹込以前のラッパ吹込によるものなので、当然良い音とは言いがたいですし、演奏の方も、

 お、音程が違うよなあ?!という所があったりするのですが、そこがまたオツです。

 今ならヘクっても、後で修正をかければ良いですが、昔の人は、そうはいかないから大変です。

 同時代も他バンドの演奏も入っていて、全21曲。「オリエンタルダンス」「スパニッシュセレナーデ」「ジプシーダンス」など御機嫌でした。

 CDの体裁もレトロでオツです。当時の客船のデイナーのメニューが載っていますが、昔はメニューの体裁もハイカラだったのね!と感心します。

 ご購入は「音のヨーロー堂」へ。雷門から8軒目、「ちんや」のすぐ先です。

 『浅草旦那のランチ』のご購入は、こちらです。結構売れてはいるらしいのですが、まだレビューが1件も無くて寂しいので、どなたかよろしくお願いします。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて846日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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難業編集

 私も出演している『浅草老舗旦那のランチ』という御本が、目出度く刊行のはこびとなり、関係者の記念パーテイーがありました。

 この御本は、所謂「有名店」だけでなく、食の激戦区・浅草で、知る人ぞ知るランチの名店を紹介していきます。

 ご紹介するのは、地元を代表する老舗店主の皆さん。商売のかたわら外で昼食をとることが多く、当然ながら行きつけの店が何軒もあります。

 伝統を重んじ、仕事にうるさく、コストパフォーマンスにも厳しい旦那衆のお眼鏡にかなうランチとは・・・

と、いうことで旦那達のリレー対談形式で、とっておきのランチ店を推薦していきます。

 この中に、不肖・住吉史彦も「旦那」の一員として登場し、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談しています。

 こうした内容ですので、この御本はパンパカ売れるような本ではないと思いますが、私の知人を含めて、浅草関係者が結構買って下さっているようです。

 その、独語のイヤ読後の反応がFBでいただけるのですが、面白いことに、

「じっくり読みました。いい本ですね。編集の方がたいへん​だつたとおもいますが……。」

などと、編集についてコメントしてあるのです。珍しいですよね。

 この御本の編集は、それ​は、もうメチャ大変そうでした。

 ・まず登場する「旦那」の推薦状を集めた上で選定。

 ・どの旦那と、どの旦那を対談させるか選定。(これは難​業)

 ・今度は、その旦那たちからランチしたい店の推薦状を集​めて⇒選定。

 ・次に対談スケジュールをアレンジ。旦那Aと旦那Bと受​け入れ店とカメラマンと自分(=著者の藤井さん)の5者のスケジュールをあわ​せないといけませんから、これも難業。

 ・ここまででも大変ですが、ここからさらに対談内容を編​集しないといけません。皆さん、放談ですから、​脈絡の無い発言多数で、そこに論理を持たせないといけま​せん。

 ・この作業に着手したのは、今年に入ってからで、しかも​本の発行をスカイツリー開業に間に合わせないといけませ​ん・・・

  よく、まあ、間に合ったもんです。関係者の皆さんお疲れ様でした。

 ご購入は、こちらです。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

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 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は178人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて843日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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ゴミ箱掃除

 スカイツリーが出来まして、

 浅草で儲けられそう!

と考えた方々が進出してきています。業種としてはチェーン展開の飲食店が多いですね。そのせいか、旧知の友人から、

 浅草に久しぶりに来たけど、街が綺麗になったね!

と言われたりしますが、そう言われると、こちらは、

 ?!?!?!

と思ってしまいます。

 某大手寿司チェーンのビカビカ看板が「綺麗」ですかね?まあ確かに新しいから、汚れていない、という意味では綺麗ですけどね。

 困りますのは、こうした皆さんが、街に同化して下さらないことです。

 カリスマ経営者として知られる、某社長さんが経営する、某大手飲食チェーンは、町会費を支払わないことでも知られています。複数の他区の知人が、そう言っていましたので、この辺りだけのことではないようです。

 「夢の重要性」とかを雄弁に語っておいでですけどね、テレビでは。

 大手飲食チェーンに共通するのは、ゴミ箱やダストBOXを清潔に出来ないことです。

 ゴミ箱を、自分の店の中に置いておくなら、まあ、勝手ですよ、臭くても。でも店の裏に出してますよね。そこは外ですから、街ですね、完全に。

 そのゴミ箱が不潔なら、悪臭が発生したり、ゴキブリが集まってきたりします。つまりは浅草を、ゴキブリが棲む街にしようとなさっているわけです。ネコが棲む街、なら結構在りますけどね。

 そうならないようにするのは、さして難しいことではなくて、日に1回、デッキブラシでゴシゴシやるだけで済む話しです。

 でも、それが御出来にならないんですよね。大手チェーンの現場って、その程度の時間が無いくらいキビシいんでしょうか。

 ふと見れば、その店の定員さんが雷門でチラシ配りをしています。声を枯らして、必死の形相です。

 そういう定員さんの為に、浅草雷門横丁振興会では「一斉清掃」の際に、そうしたゴミ箱を勝手に掃除しています。ゴミ箱は勿論、他人の所有物ですが、無断で掃除します。

 掃除が終わったら、ゴミ箱の蓋に嫌味をたっぷり込めたメッセージを貼り付けてやりますけどね。ついでにブログでも暴露してやります。

 ああ、良い気分。ひひひひ。

 追伸①

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新式披露宴

 知人の結婚披露宴に出席しました。

と申しましても、「知人」というのは完全には正確でありません。親しいのは、親御さんの方でして、新郎とは式の前には2度しかお目にかかったことがなく、その2回の内の1回は、今回の式に出席して欲しい、という用件を言いに見えた時ですから、実質は1回でして、つまりは「親の知り合い」という立場です。

 実は、昭和40年生まれの私にとって、「親の知り合い」という立場での出席は、今回が初めてです。これまでは、皆、新郎か神父イヤ新婦の知り合い、という立場でした。

 さらにもう一つ「初めて」がありました。

 それは、ウエデイング・プランナーなる人が仕切る、新手ウエデイング産業の会場での、初めての式でした、私にとりましては。

 浅草人は慶弔ごとに関しては、基本的に保守的でして、会場は浅草ビューホテルか、帝国ホテルか、ニュー・オータニですることが多いんです。それで私は新しい会場では初めてでした。

 さて、そういうわけで、ウエデイング・プランナーによる披露宴が始まりました。

 最初の挨拶は御本人。

 仲人は無し。御両人の経歴説明は司会者がします。

 両家のゲスト代表が話して、その後乾杯、という辺りは普通ですが、乾杯した後も、次々にゲストが話します。中には歌を歌う人もいます。

 先生や友達は勿論ですが、ご親戚の方もどんどん登場しました。旧式の披露宴だと、親戚はまず出てきませんね。表には出ずにゲストに酌して回るのが御約束ですが、この披露宴は違いまして、どんどん登場します。

 へええ、披露宴も変わって来たんですね。

 まあ、でも良いことと思います。新郎・新婦を長年見守ってきたのは御親戚ですから、その方々が嬉しい気持ちを表現するのは、正しいことで、旧式の御義理スピーチ主体の披露宴より共感できます。実際、新郎・新婦がスピーチに感激して涙ぐむ場面が続きました。

 で、やがて途中で気づきましたが、「ご歓談」がないのです、この宴会には。

 「ご歓談」が無いとどうなるか、と申しますと、メインテーブルの人間は忙しいのです。

 この日私はメインテーブルに座らされてしまったのですが、その真横で、色々な催しが行われるので、無視して飲み食いするわけに行かず、出番の人に注目していないといけません。食べられません。

 催しが終わったら即食べます、当然。しかし、すぐに司会者が、

 次のステキなゲストにご登壇いただきたいと思います!!

 ええ、もう?!

 私は料理屋で、どうしても料理中心に考えてしまうので、・・・と思いましたが、やはり新式披露宴が初体験だった、私の隣の「お偉いさん」は、この方式に感激したらしく、

 いいねえ、このやり方! 葬式もさあ、こういう風に改革すれば良いんだよ!

 いやあ、先輩、婚礼も葬式も両方フレンドリーにしたら、義理の世界がなくなっちゃいますよ!

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

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サシコ

 今年もやってましたね、「総選挙」。

 私も、フジTVによる実況中継をしっかり視た、ハズは勿論なく、翌朝の情報番組で適当に視ただけですが、二つのことが気になりました。

 一つめは、5位当選で最年長メンバーの、篠田麻里子さまのコメント。

 二つ目は、大分市長の熱狂ぶり、です。

 麻里子さまは、後輩に「席を譲る」ことを拒否した上で、コメントのマイクを通じて、後輩メンバーを挑発しました、

「潰すつもりで来て下さい。私はいつでも待ってます。」

 今時は、学校の運動会で順位を示さない、という位の競争忌避社会です。だからこそ、こうした露骨な競争心が面白がられるのだと思います。

 まさにアキモト先生の、想うツボですね。

 それから大分ですが・・・この夜、市中心部に設けられた特設パブリックビューイング会場に、約600人の人が集まり、釘宮市長も駆け付けて、「刺子」ことイヤ「サシコ」こと指原莉乃さんを応援したそうです。

 集まった人々はモニターで「総選挙」の様子を見守り、市の「観光大使」を務めるサシコさんの順位が発表されると大歓声が沸き起こりました。その様子がTV中継されていましたね。

 釘宮市長は「みんなの思いが4位という素晴らしい結果につながった。感動した」と語った、というから随分気合いが入っていたようです。

 でも、なんだかなあ、ですよね。

 芸能人を「観光大使」に任命してPRさせる、っていうのは、古典的手法ですねえ。

 この他に、地道な観光マーケテイングの方もやっておられるのなら、まあ結構ですが、どうなんでしょうね、大分市。

 驚いたことに、この市長さん、「総選挙」より前のことですが、AKB関連のイベントに出るため、地元の公務をキャンセルしたことがあるそうで、しかも、その件を、

「いまの市長というのはトップセールスマン。こういうことが最大の公務なのです。」

と雑誌のインタビューの中で正当化しておいでです。

 どうやら、やってなさそうですね、地道なマーケテイングは。

 どうも政治家という人達は、選ばれた任期中に観光客を一気に増やそうとするので、こうした手法を好みますが、もしこの「トップセールス」で観光客が増えたとしても、それは一過性ですよね、当然。

 さらに申せば、市役所や区役所の役人さんも、人事異動の一環で、2年や3年しか観光課に在任しなかったりします。市長より在任期間が短かったりしますし、しかも、まったくの「畑違い」の部署から異動して来たりすることが多いです。

 先日開催された、台東区の「新観光ビジョン戦略会議専門部会」でも、そのことが話題になり、委員の皆さんが、異動して来た新任課長さんに向かって、

「素人さんが入れかわり立ちかわり異動して来て、観光業をナメてる!」

と責めていました。ご本人の意志で来たわけではないので、気の毒な話しですが、まあ、その通りと言えましょう。

 大分市の場合も、

「市長!ここまで来たら、もう徹底的に乗って下さい。」とけしかけているのは、むしろ観光課の担当さんだというから、トホホです。

 しかし観光振興とは地道なものです。

 どのような御客様が、管内のどのような観光資源を好み、いくら位お金を使って下さるのか、またそれがリピートされているのか、ちゃんと把握しないと、ダメなのです、本当に。

 それに、売っているものが工業製品でなく、微妙な味わいや雰囲気の違いを問うものばかりですから、ある程度の期間は、その業界にいないと、ものの良し悪しが評価できるようになりません。年季がいるのです。

 今回の市長さんの様子を拝見していると、観光振興とは地道なもの、という正論を蹴飛ばしているように見えます。

 まあ、大分の客が減って、浅草が増えれば、それは目出度いですけどね、はい。

追伸①

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みんな本店!

 浅草料理飲食業組合の総会がありました。

 私の出番は「事業計画」の発表でしたが、すぐ終わらせました。

 だって、まったく去年と同じ事業ですので、いちいち読み上げていたら、

 引っ込め!

と言われてしまいますからね。

 ただ1点、組合長が「事業計画」に今回新規に1行書き加えましたのが、

「親睦。楽しい組合にして参りましょう!」

ということでしたので、

「要するにですね、皆さん、同じことをやって行きますが、やり方は工夫して、楽しくやりましょう、ということですね。はい、それでは、御後がよろしいようですので、この辺で失礼いたします。」

と終えました。

 ここで「御後が」と申しましたのは、勿論、総会後の親睦会のことでしたが、その前に、もう一つ「よろしい」ものがありました。

 それは御来賓のスピーチの中の一言でした。

 浅草観光連盟のF士会長が、ソラマチを見てきた感想を話されたのですが、

「まあ、綺麗にできていて、スタッフの若い子達も元気で、それは結構と思いましたが、皆さん、ソラマチは、みんな支店ですよね。一方浅草は、みんな本店です。その違いが、わからない日本人ではないと思いますよ!」

 これは「よろしい」ことを言っていただいたものです。

 ソラマチが立派なのを見て、ややシュンと成っていた、この日の出席者も、少し元気に成ったようでした。目出度し、目出度し、と終わりたい所ですが、ここで、1点皆さんに御注意があります。

 浅草にまったく関係なく、最近突然開業した店なのに、

 「浅草〇〇」とか「浅草××」という屋号で営業している店があるのです。〇〇××には商品名が入ります。例えば、

 浅草ジャム

 浅草リゾット

 浅草シュークリーム

 浅草マーマレード

 浅草テイラミス

 え~、ここに挙げたのはですね、実在する店の名前に似た、架空の名前ですので、念のため。実在するのは、ここに書けませんのでね。

 こういう感じの店が出来てくるのです。勿論、浅草と何の関係もなく、浅草で造ってはおらず、製法的にも、浅草独特のオリジナリテイーは、ないです、ハッキリ申して。でも「浅草」と付いているのです。

 浅草の店は、みんな本店!と言い切りたいところですが、こうした店にだけは、お気を付け下さい。よろしくお願い申し上げます。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

 有り難いことです。ご購読はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は142人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて831日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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浅草海苔の危機

 絶滅寸前だった、アサクサノリを復活させた人に会いました。

 まず浅草海苔の由来から申しますが、その名の通り、江戸時代に海苔の養殖が始まった頃、浅草あたりでも海苔が採れていたので、この名がついた、と言われています。

 その後、明治時代になり、日本でも西洋式の生物分類学の研究が始まり、「日本の海藻学の祖」と呼ばれる学者さんが、当時養殖されていた「浅草海苔」を調べ、これが分類上の一つの種であることを確かめて、この種に「アサクサノリ」という学名を与えたそうです。

 そう、アサクサノリは品種の名でもあるのです。「千住葱」が品種の名でもあるのと似ていますね。

 さて、そのアサクサノリは、浅草近辺ではもうあまり育てられなくなったものの、全国各地で養殖されていました。

 ところが、第2次大戦後になると、増え続ける海苔需要に応えるべく、色や味が良く、成長も速く、収穫量も多いスサビノリという品種が養殖好適種として導入されました。国と業界が、スサビノリの生産を推奨したそうです。今、皆さんが食べているのは、ほとんど、これです。

 さらに、工業化でアサクサノリが棲むのに適した内湾の干潟などが埋め立てられ、アサクサノリはどんどん棲む場所を失っていきました。こうして、棲む場所を失い、養殖もされなくなったアサクサノリはどんどん減少していったそうです。

 で、1990年代には、海藻を研究者している学者さんの間でも、アサクサノリがどこに生えているのか知っている人がほとんどいない状況になってしまったそうです。「絶滅危惧種」にまで指定されました。

 「絶滅危惧」になったため、ようやく今世紀に入る直前に、水産庁と日本水産資源保護協会、千葉県立中央博物館分館「海の博物館」などが、アサクサノリの再調査に乗り出したそうです。

 全国各地を調べ歩き、アサクサノリに適した環境を調べ、種を保存し、そして、やがて千葉県木更津市の盤州干潟(ばんずひがた)でアサクサノリの養殖を復活させることに成功しました。

 盤州干潟は、東京湾に残った最後の大きい干潟です。そこで、今は約70人の漁師さんが、海苔の養殖に取り組んでいるそうです。

 今回お目にかかったのは、そんな中の御一人・金萬さんという方でした。アサクサノリの佃煮を生産している「遠忠食品」さんのパーテイーでお目にかかることができました。

 養殖をするだけでなく、干潟の貴重さを知ってもらおうと、「里海」観光にも力を入れておいでとかで、素晴らしいことです。

 トキやイリオモテヤマネコのように有名な生きものであれば注目されますが、目につきにくい生物は注目されることもなく、ひっそりと絶滅していくことがあるそうで、アサクサノリのように、名の知られた生きものですら、絶滅の危機が訪れていたのです。

 当時世にそのことを知る人は少なく、私自身もアサクサノリの危機のことを知りませんでした。恥ずかしいことです。

 でも、そんな絶滅危惧種の保存を志した、学者さんと漁師さんの力で、また環境浄化に協力した近隣の方々の力で、今私は「浅草海苔」を売ることが出来ます。

 思えば、品種の正式な学名に「浅草」と付いている食べものは、他に在りません。

 私は肉屋ですが、この品物は売って行こう、と考えています。以前の不明を少しでも雪ぐために。

追伸①

 『浅草 老舗旦那のランチ』という単行本に出していただきました。

 私が、「浅草演芸ホール」席亭さんや、「音のヨーロー堂」の御主人とランチしながら、浅草について対談する、という趣向です。
 私なんぞ、「旦那」というよりは、「お兄ちゃん」ですけどね、浅草では。

 ご購入はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は142人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて823日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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メンチカツの会

 台東区根岸の老舗洋食店「レストラン香味屋」さんの、「メンチカツの会」にお誘いをいただきましたので、出席しました。タイトルの通り、メンチカツを存分に食酢いや食す会です。

 マダムのK恵さんは旧知ですし、私は「日本の洋食」特に「下町の洋食」の応援団を自称しておりますので、こうした会を欠席するわけには参りません。

 メンチカツについては「明治時代に浅草の洋食店が「ミンスミートカツレツ」として販売したのが起源とされている」という説もある位ですので、もはや下町の食遺産と言えましょう。

 あいにく、この日は「アートアドバイザー」の審査会の日でしたが、区役所を猛ダッシュで出て、なんとか間にあわせました。

 着きますと、つくば市「ホテルグランド東雲」のIC川さん、浅草の「雷おこし」常盤堂のH刈さん、もんじゃ「おすぎ」のU子さん、浅草演芸ホールのMT倉さんなど、旧知の面々が集まって、和やかなムード。

 マダムのお知り合いの出版関係の方などもいらしていて、大宴会です。

 のっけからシャンパンや「隠し玉」のマグナムボトルも開けられて、大盤振る舞いですね。

 オードヴル、ヴシソワーズに続いてメンチカツが登場しました。「香味屋」さんは肉のチョイスが上手く、肉に旨みがあります。

 そして「香味屋」さんは何と言っても、ソースが最高。下町人向きの、やや甘みのある感じが良いですね。御飯に合う味と言っても良いと思います。

 日本人だから食べられる御味ですね。

 口福。

 この日はマダムの誕生日でもあったので、サプライズでケーキ消灯もあって楽しい会でした。

 そして盛り上がった面々は、根岸が誇る天下の「迷店」=「ようかんちゃん」での二次会へ・・・

 いやあ、あいかわらず「ようかんちゃん」の歌と踊りはおもしろかった!

 流石は、入口に掲示されている通り、「宮内庁御用無」の店。

 うーい、ひっく。

追伸①

 『浅草 老舗旦那のランチ』という単行本に出していただきました。

 私が、「浅草演芸ホール」席亭さんや、「音のヨーロー堂」の御主人とランチしながら、浅草について対談する、という趣向です。
 私なんぞ、「旦那」というよりは、「お兄ちゃん」ですけどね、浅草では。

 ご購入はこちらです。
 

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は142人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて821日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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