文字で味を探る

友吉鶴心さんと対談した件は、このブログの10/24号に書きました。

鶴心さんは琵琶奏者で、NHK大河ドラマの邦楽監修もしている売れっ子ですが、今回の対談は邦楽の話しはちょっとだけ、でした。

実は、鶴心さんは私の浅草小学校の同級生です。住吉・友吉ですから席も近くでした。ですので「鶴心さん」と言うと変な感じです。なにしろ集団登校で一緒に登下校した仲ですのでね。

そういうわけで、今回は浅草食べ物放談。

まず私が収集した「すき焼き思い出ストーリー」を読んでいただいて、その中から浅草らしいもの、面白いものを選んでいただきました。

友吉さんのコメントは、弊社が創業135年を記念して刊行する『読みつぎたい~すき焼き思い出ストーリーの本』に収録します。

それからが、いよいよ浅草食べ物放談です。

その内容は、チラリとご紹介しますと、

まず友吉さんは、肉の厚みが重要なこと、それから香りが重要なことを力説した後、こう言います・・・

「ここからはオフレコだけど(笑い)、味が分かる人って今あんまりいないでしょう。口コミサイトに「おまえ文字で味を探るな」「自分の舌で探れ」って書き込んでいる人がいて、そうそうって思いました。味は自分で美味しいって決めればいい。自分に合うか合わないかでいいんです。自分で探しなさいよってことです。」

そうそう、本当にそうだと思います。今は何しろ産地から入る人、情報を食っている人、目で食っている人が多いと私も思いますよ。

そう思うと同時に、そういう入り方で失敗した人を、我々の店のお客様として迎える準備をした方が良いんだろうな~とも思いました。

具体的には私と同世代くらいの人です。

20歳代後半~30歳ごろにネットに接し、面白くて仕方なく、日々ネットの進化を追って来て、情報の海で日々サーフィンして来て、さて、本当に自分の気にいったものに巡り会ったのか?

そろそろネットも飽きて、情報漁りをほどほどにしたい人、自分に本当に合うものに出会いたい人、そういう方々に、私も店の側として巡り会いたいと、真剣に思う今日この頃です。

 

追伸、

肉の情報ポータルサイト「肉メディア」で、11/11から私の連載が始まります。

題して、「大人のすき焼き教科書」。

弊店でリアルなイベントも企画しています。

こちらから、どうぞ、ご覧下さい。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.078連続更新を達成しました。

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狭義の洋食

久しぶりに浅草の「ヨシカミ」さんで洋食を食べました。

今日は唐突ではありますが、その洋食について遡ってみようかと思います。

さて明治時代「洋食」という言葉は西洋料理全般を指すものでしたが、近年ではフランス料理・イタリア料理・スペイン料理などと国別に呼びわけるのが普通になっていますね。今では「洋食」と言った場合、日本で独自に進化した西洋風の料理のことをさすことが多いです。全般のことを話している場合を「広義の洋食」と言い、独自の方の話しだけしている場合は「狭義の洋食」と言ったりもします。

今回は勿論その独自の方の話しです。それは「進化した」とも言えますが、「以前の形態を保っている」とも言えます。本家のフランス料理が1970年代にバターや伝統的なソースを使わない「ヌーベルキュイジーヌ」に転じたからです。ポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟といった人達が、そのリーダーでした。

一方日本の街の洋食屋さんは、かつて導入したものを、ひたすら日本人の舌に合うように、ご飯に合うようにと念じて改良し続けて来ました。根本から変えるのではなく、改良して来たのです。

そうこうしている間に洋食は日本人の口に馴染み切ってしまい、今やカレーライスやトンカツを和食だと思っている人が増えました。そして洋食と言えば浅草だろう!と思っている人も多くなりました。

何故でしょう?

懐かしいからではないでしょうか。東京に生まれ下町に生き、田舎を持たない都民二世や三世が懐かしめる料理と言ったら、洋食だったからです。その前にすき焼きも、ですけどね。

そう、浅草の洋食って、近代東京そのものだと私は思います。その第一陣がすき焼きで第二陣が洋食だと言えましょう。

だから本家の料理が変っても、洋食はこの国で未来へ遺して行きたいものです。和食が世界遺産なら洋食も世界遺産だ!そう私は思っています。

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

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じんじんの野点

山谷(台東区清川)の玉姫稲荷神社に行ってまいりました。

台東区芸術文化支援制度の平成27年度の対象企画の1つである、

「きむらとしろうじんじんの野点 in 山谷」が開催されたからです。

「きむらとしろうじんじん」というのは陶芸家さんの芸名です。

その、じんじんさんがリヤカーに陶芸窯一式を積んで、様々な場所に乗りこみ、近隣住民を巻き込んで、焼物づくりを体験させ、さらに出来あがった茶碗を使って抹茶を楽しんでもらうというのが「じんじんの野点」です。

今回はそれを山谷でやろうというのです。

うーむ。

で、私は台東区アートアドバイザーですので、この企画のお手伝いをさせていただくことになったという次第です。

最初の企画会議で、会場はもう決まっているのですか?とお尋ねしましたら、いやいや未定です、住吉さん、どこか良い場所ないですか?というご返事。

そこで私は玉姫稲垣神社をお勧めしました。

こうした屋外開放型の催しには近隣住民の方のご理解とご協力が必須ですが、その点玉姫稲荷さまでは「こんこん靴市」といって、靴・ハンドバッグ・ベルトなど革製品のイベントが毎年開催されていますので、ある程度の騒音に近隣の方が慣れておいでです。それに神社の許可を得てしまえば、近隣の方も「神社がOKしたなら・・・」と協力してくれるのが、普通の公園と違う点です。

さて、当日は神社に参りますと、日本晴れ。

まずもってお稲荷さんに場所をお借りするご挨拶と、催事の無事をお願い致しました。

陽気に誘われて、近隣のおっちゃん、お子さんも集まって来てくれて良かったと思います。ご加護に感謝申し上げる次第です。

なお玉姫稲荷さまは、奈良時代に京都の伏見稲荷さまの分霊を祀ったのが、そもそも。

新田義貞が鎌倉の執権・北条高時を討たんと挙兵した時に戦勝祈願の為参詣したと伝えられています。

在りがたや。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

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浅草食べ物放談

友吉鶴心さんと対談しました。

鶴心さんは琵琶奏者で、NHK大河ドラマの邦楽監修もしている売れっ子ですが、今回の対談は邦楽の話しはちょっとだけ、でした。

実は、鶴心さんは私の浅草小学校の同級生です。住吉・友吉ですから席も近くでした。ですので「鶴心さん」と言うと変な感じです。なにしろ集団登校で一緒に登下校した仲ですのでね。

そういうわけで、今回は浅草食べ物放談。

まず私が収集した「すき焼き思い出ストーリー」を読んでいただいて、その中から浅草らしいもの、面白いものを選んでいただきました。

友吉さんのコメントは、弊社が創業135年を記念して刊行する『読みつぎたい~すき焼き思い出ストーリーの本』に収録します。

それから、いよいよ浅草食べ物放談。

友吉君は、いや、鶴心さんは甘いものに目が無いんですよね。とにかく餡子にはお詳しい。なかなか面白い対談になりました。放談部分も『すき焼き思い出ストーリーの本』に収録します。

この本は、上手く行けば年内に刊行予定。

非売品ですが、ご希望の方には実費でお分けします。お楽しみに。

 

追伸、

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

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神輿大全

浅草の神輿・神具製作店の店主・宮本卯之助さんが書かれた御本『神輿大全』を読んでいます。

「宮本卯之助商店」さんについてはあまりに有名ですが、念のため説明しますと、ご創業は文久元年(1861年)。当初は太鼓を作り、やがて神輿も作るようになって百四十余年になります。当代の卯之助さんは、その七代目です。

大正天皇御大葬用楽器一式を納めて以来、宮内庁御用業者と成り、太平洋戦争で浅草神社(三社様)の神輿が焼失した時は、もちろん、その再建に従事しました。

さて、この御本は、神輿の基礎知識はもちろん、その種類や見方、制作過程、飾り紐のかけ方、選び方、手入れ・保管方法、修理などを網羅したものです。『大全』と言うのに相応しい内容で、神輿が日本の工芸技術の結晶であることが分かります。

拝読して私が気になったのは、宮本さんが実際に体験して来られた戦後の、日本の祭の変遷です。

戦災で都内の神輿の大多数が焼失したため、戦後は猛烈な忙しさだったそうです。浅草神社も戦後復興は祭りから!と昭和27年(1952年)までに神輿3基を再建しています。

しかし、戦後復興が一服し、高度成長が盛んになると祭りは人々の興味から外れて行きます。

やがてモータリゼーションが盛んになると、車の通行を妨げる祭りは、もう邪魔者です。三社祭も本来ご縁日の5月18日に行うものですが、平日に車を止めるのが難しいので、昭和38年(1963年)から「5月18日に一番近い金曜・土曜・日曜」に開催されています。

この時代に神輿製作に関わっていた皆さんが、どんなお気持ちで仕事に従事していたか、いつか聞いてみたいものです。

それから、もう1点。神輿製作の技術が素晴らし過ぎるのも気になります。

パーツは3.000点以上、工期は最低まる一年となると、値がはります。

それを買うのは神社の氏子なわけですが、地域コミュニテイーが弱っているような場合は、どうするんでしょうか。

とても気になるんですけど、ゲスですかねえ、そういう質問は。

 

追伸、

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

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お披露目会

浅草観音裏の老舗料亭「草津亭」さんは、移転・新装の為しばらくお休みされておりましたが、このたびめでたく新装オープンなさいました。

お披露目会にお招きいただきましたので、お訪ねしてまいりました。

移転前の草津さんには大広間があり、80人とか100人とかでも宴会が出来ました。和の宴会場としては都内最大級だったのですが、生活の洋風化や高齢化で畳に座れない方が増え、せっかくの設備があまり稼働しない状況になっていたと聞きます。

弊店も和の宴会場を持っていて、宴会はゼッタイ和が楽しいと思うのですが、一人でも「座れない」と言われてしまうとどうにもならず、情けない思いをすることがしばしばです。

そうこうする内、草津さんは建物の老朽化が進み、小幅に改装するよりは思い切って、移転・新装しよう!となった模様です。

店の規模は小ぶりになりましたが、お料理が結構なことは従来通り、芸者衆も従来通り来てくれて賑やかな夜になりました。

ご繁盛を祈念します。

 

追伸、

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.063日連続更新を達成しました。

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屋台のおでん

浅草のおでん屋「大多福」のご主人・船大工安行さんが書いた本『おでん屋さんが書いたおでんの本』を読んでいます。

この御本は「〇〇屋さんの書いた〇〇の本」シリーズの中で「名著」の呼び声が高い本です。昔の浅草の様子と屋台料理の関係のことが良く分かって面白い御本です。

寿司、蕎麦、天麩羅、おでんと言った屋台発祥の料理は、最も浅草らしい料理と申せましょう。

初期投資が少なくて済む屋台あるいは床店(とこみせ)と言った形態の店は、東京オリンピックの前に「不衛生」ということで追放されましたが、それまでは「ちんや」の在る浅草広小路にもたくさんの屋台が出ていたと言います。

昭和初期の恐慌の頃それまで高級料理を食べていた人達が食べられなくなって、そういう人達が気軽に憂さを晴らすのにおでん屋がちょうど良いという話しになり、それまで数軒しかなかった浅草のおでん屋さんが一気に二十数軒に増えたと書かれています。

「大多福」さんも大正4年に開業した時は床店でした。

床店とは商品を売るだけで人が住まない店のことです。当時たいてい商店には主の家族や奉公人が住んでいましたが、船大工さんのご先祖は土地の持ち主から、そのごく一部だけを借りて小さい店にしたそうです。

戦争も、戦後の浅草が寂しかった時代も乗り越えて、今は立派な店を構えておいでですが、ご主人は、これからのおでん屋は「屋台のおでんに戻って行く」と書いておられます。大量調理の時代になったからこそ、「屋台のおでん」だとおっしゃいます。

今日でもおでん屋とは「憂さを晴らす」為のもの=料理業としての経営理念がそのようにハッキリしているのはとても素晴らしいことと思います。

そう言えば弊店も「思い出をつくる、すき焼き店」。

そこを忘れないようにしたいものです。

追伸、

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

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写真帳

浅草観音裏の老舗料亭「一直」(いちなお)のご主人江原さんに、昔の写真帳を見せていただきました。

江原さんは昭和9年のお生まれ。東京都料理業組合の副組合長もなさった料理業界の重鎮です。今は公職は退いておいでですが、元気にお店のカウンターに立っておいでです。

さて、写真帳には戦前の写真がたくさん収められていました。関東大震災後に再建された「一直」さんの建物は実に立派です。

この頃ホテルは未だ少なく結婚披露宴はたいてい料亭でやっていたとかで、それに応えて座敷は広大です。お庭も結構。芸者衆の、妙に盛り上げた髪型は「203高地」と言われていたそうです。あんまり笑えませんな。

戦時色が濃くなると軍人さんが登場します。小磯大将と言ったら総理大臣に成った人ですよね。この頃が日本の花柳界が一番盛大だった時代だと思います。

やがて戦争が長期化すると花柳界は「不要不急の仕事」と呼ばれるようになり、芸者衆は勤労動員に従事させられます。昭和20年3月10日を迎える以前から営業できない在り様だったようです。

そのような状況で早めに疎開したため人命は助かりましたが、店はもちろん丸焼け。

「浅草の花柳界を復興させるために、出てきてください」と、先に戻って営業を再開した料亭さんに呼び出される形で浅草に戻ったのは、昭和26年だったそうです。

この時江原さんのお爺さんは「これからは自分の納得できる仕事をしたい。それには30~40人くらいの客で充分だ」と、店の規模を縮小しました。

その店舗の写真もアルバムに在りましたが、戦前と比べてかなり小ぶりです。

それが結果的には幸いしました。

戦後花柳界が時流に合わないと言われ逆風に苦しむ中でも「一直」さんは堅実な道を歩んで来られました。

特に平成に入ってから、日本人の接待の習慣が批判に曝されるようになり、さらに政治資金の規制強化でかつての上客だった政治家が花柳界から消えてしまい、打撃を受けた店は少なくありませんが、「一直」さんが生き残って今も盛況なのは実に結構なことです。

写真帳、大変勉強になりました。

追伸

デパートの催事に出店して精肉の販売をさせていただきます。

どうぞ、お立ち寄り下さい。

催事名:dancyuフェスティバル~dancyu×髙島屋グルメの祭典~

会期:平成27年10月14日(水曜日)~19日(月曜日)

会場:玉川髙島屋 6階催し会場

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.058日連続更新を達成しました。

 

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歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた

「浅草演芸ホール」を運営する「東洋興業」の松倉久幸会長が書いた本『歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた』を読んでいます。

戦前は「三友館」と控えめな名前だった、浅草公園第六区の映画館が、戦後はお笑いとストリップ・ショウの「フランス座」になり、やがて寄席の「演芸ホール」へと変転しつつ今も繁盛しています。「鈴本演芸場」「新宿末廣亭」「池袋演芸場」とならぶ東京の落語定席の一つですね。

戦前から浅草に残っているのは、ここと「木馬館」の2館だけで、何故か名前が地味なのが共通項です。六区には他に「金龍館」「電気館」「帝国館」「大勝館」などと大層な名前の劇場がいくつも在りましたが、テレビ全盛の時代に消滅しました。

そう、テレビの時代=六区の暗黒時代に、興業浅草の灯を燈し続けて来たのが、松倉さん=「東洋興業」さんだったのです。

『歌った、踊った、』は、その「フランス座」時代を描いた本です。

戦後の芸能史に残るようなお笑いのスター達~渥美清、由利徹、三波伸介、伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし~を「フランス座」(東洋興業さん)が輩出しています。

彼らはストリップ・ショウの合間の時間に出演して芸を磨いていたのです。

清濁併せ飲む、そこがポイントだったのですね。実に面白い御本でした。

追伸

デパートの催事に出店して精肉の販売をさせていただきます。

どうぞ、お立ち寄り下さい。

催事名:dancyuフェスティバル~dancyu×髙島屋グルメの祭典~

会期:平成27年10月14日(水曜日)~19日(月曜日)

会場:玉川髙島屋 6階催し会場

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.057日連続更新を達成しました。

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5年目の宴

「茨城地酒まつりin花やしき2015」が今年も開かれ、私は浅草料理飲食業組合・組合長の代理で乾杯の発声を致しました。

会場には700人ほどの人が集まっていましたが、皆さんにより楽しく乾杯をしていただくのが私の役割と思い頑張って務めました。

この催事は、茨城県酒造組合が主催していますが、夜の遊園地で日本酒を飲みまくる、という、なかなかエキサイテイングなイベントです。おカタい組合の行事とは思えません。

今年で5回目。

地震の年の春に第一回が予定されていたのが、いったん延期となり、その年の秋に第一回が開催されました。以来応援させていただいております。

皆さーっん!

元気ですかーっ?!

飲んでますかーっ?!

・・・

飲んでないの?

(やっと)いえー!

今夜は飲まない人は退場ですよ!

中途半端に飲んでる人も退場ですよ!

今日はこんなに良いお天気だし、

明日からは3連休だし、

それに皆さん、先日の鬼怒川の大水害で被災なさった、常総市の蔵元さんも元気に出店しておられます。そういう蔵が茨城へお酒を積んで帰るようでは、お集まりの皆さんがダメー!ということに成ってしまうと思いますよ。

是非是非、飲み尽くしていただくことを固くお約束いただいた上で、杯を上げたいと思います。

御唱和願います。

乾杯!!

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.054日連続更新を達成しました。

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