狭義の洋食
久しぶりに浅草の「ヨシカミ」さんで洋食を食べました。
今日は唐突ではありますが、その洋食について遡ってみようかと思います。
さて明治時代「洋食」という言葉は西洋料理全般を指すものでしたが、近年ではフランス料理・イタリア料理・スペイン料理などと国別に呼びわけるのが普通になっていますね。今では「洋食」と言った場合、日本で独自に進化した西洋風の料理のことをさすことが多いです。全般のことを話している場合を「広義の洋食」と言い、独自の方の話しだけしている場合は「狭義の洋食」と言ったりもします。
今回は勿論その独自の方の話しです。それは「進化した」とも言えますが、「以前の形態を保っている」とも言えます。本家のフランス料理が1970年代にバターや伝統的なソースを使わない「ヌーベルキュイジーヌ」に転じたからです。ポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟といった人達が、そのリーダーでした。
一方日本の街の洋食屋さんは、かつて導入したものを、ひたすら日本人の舌に合うように、ご飯に合うようにと念じて改良し続けて来ました。根本から変えるのではなく、改良して来たのです。
そうこうしている間に洋食は日本人の口に馴染み切ってしまい、今やカレーライスやトンカツを和食だと思っている人が増えました。そして洋食と言えば浅草だろう!と思っている人も多くなりました。
何故でしょう?
懐かしいからではないでしょうか。東京に生まれ下町に生き、田舎を持たない都民二世や三世が懐かしめる料理と言ったら、洋食だったからです。その前にすき焼きも、ですけどね。
そう、浅草の洋食って、近代東京そのものだと私は思います。その第一陣がすき焼きで第二陣が洋食だと言えましょう。
だから本家の料理が変っても、洋食はこの国で未来へ遺して行きたいものです。和食が世界遺産なら洋食も世界遺産だ!そう私は思っています。
追伸
慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。
『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。
『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.070日連続更新を達成しました。
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