ホテ・レス・ショー

実は私ホテ・レス・ショーの「企画委員」をしておりまして、この催しの宣伝をするのも仕事です。

業界関係の皆様、是非お出かけいただきたく、お願い申し上げます。

会期は2月17日(火)~2月20日(金)

会場は、いつも通り、東京ビッグサイトです。

飲食業界の方でホテ・レス・ショーを知らない方は、まずいないと思いますが、関係無い方の為にご説明しますと、ホテ・レス・ショーとは正確には、

『第43回 国際ホテル・レストラン・ショー』のことでして、ホテル・旅館・料理店・各種観光施設向けの展示会です。

展示の他に、多数のセミナーやイベントもありまして、同種のものとしては国内最大の催しです。

主催者は日本能率協会+日本ホテル協会+日本旅館協会+国際観光日本レストラン協会+国際観光施設協会。私は、この内の国際観光日本レストラン協会から依頼されて「企画委員会」に入っています。

今年のホテレスは、ハッキリ申して面白いと思います。

って言いますか、セミナーの講師として、私の知人が3人も出ています。

『外国人観光客に日本流のおもてなしを』~「澤の屋旅館」館主の澤功さん。

『天ぷら つな八の外国人観光客へのおもてなしとは』~「綱八」社長の

志村久弥さん。

『料亭のおもてなしと顧客づくり』~「銀座朝川」女将の伊藤朝子さん。

素晴らしい方ばかりで、飲食業界でない人でも必ず参考になると思います。

私の知り合い、というわけではないですが、シズるセミナーは、

『大田区の銭湯における外国人観光客の誘致の取り組み』~大田区浴場連合会・相談役の近藤和幸さん。

是非是非お出かけ下さい。

会期は2月17日(火)~2月20日(金)

会場は東京ビッグサイトです。

追伸①

2月10日は火曜日ですが、祝前日ですので休まず営業致します。どうぞ御利用下さいませ。

追伸②

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』、平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.804日連続更新を達成しました。

 

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繁盛もほどほどに

業界の会合で、大変繁盛なさっている御店のご主人様と隣になりました。

その御店は老舗さんなのですが、最近行った改築がメデイアで話題になり、連日盛況と聞きます。そこで、

ご繁盛で結構ですねえ!

と水を向けますと、

いやいや、結構じゃないんですよ、忙しくて休みが取れないし、手は腱鞘炎に成りそうなんです。

おやおや、嬉しい悲鳴ですねえ!

ホントに嬉しくないんですよ。一番困るのは、お客様が店を出た所でレシートを凝視していることです。

レシートを凝視ですって?

そうです。要するに納得なさっていないんです。以前からのお客様だったら、この店で何を頼むと結局いくら位になるのか、だいたい見当がついていて、レシートを凝視したりしませんでした。ところが、今は話題性で来ている人・情報を食べに来ている人が多く成ってしまったんです。情報を食べる組が行列しているので、以前からのお客様が入れません。そこがとても困るんです。

なるほど、なるほど。そう言えばバブルの頃「ちんや」でも全部屋に予約を入れず、1室お得意様用に空けておいたことがありました。でも、バブル崩壊とともに、そういうやり方はせず、とにかく予約を入れて行くように変わりました。

繁盛もほどほどに、が肝要なようです。

追伸

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』、平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.803日連続更新を達成しました。

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牛っ富くじ

食べると「金運がUPする」という卵を販売しています。

「大寒卵」です。

「金運がUPする」と言うのは風水の方面ですが、あながち根拠がないわけではありません。

「大寒卵」は、大寒の日に、親鳥が寒さに耐えつつ産んだ卵なので当然栄養価が高いわけです。この卵を食べると、その一年健康で過ごせると言う人もいます。

新年に、皆さんの金運上昇の祈念しつつ、この卵の販売をしています。

お手数ですが、数に限りがありますので、大寒の前に予約を入れていただきます。予約販売ですね。

今年は、金運UPのついでに、皆さんの運勢も試していただいてはどうだろう!

ということで、「ちんや」の「大寒卵」には、「ちんや」独自ノリのおみくじ

=名付けて、『牛っ富くじ』をお付けします。貴女の今年の運勢を判定申し上げる次第です。

肉屋らしく、

A5

B4

C3

の3段階で判定し、A5の方にはさらにUPするラッキーアイテムをご紹介。

C3に沈んだ方には、事態を打開する、やはりラッキーアイテムをご紹介いたします。

是非是非。

今年の大寒は1月20日なので、卵と『牛っ富くじ』のお引き渡しは23日~です。

 

追伸①

年始の営業案内です。

1月1日のみ休業し、2日から12日まで休まず営業致します。

どうぞ御利用下さい。

追伸②

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』、平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.773日連続更新を達成しました。

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下り酒

菊正宗酒造さんが女性愛飲者向けに開設している、「和モダン.com」というサイトがあります。

このサイトの趣旨は、

「和モダン.com」は、現代に生きる女性に、和文化の素晴らしさ、日本の伝統文化である日本酒の良さを、さまざまな角度から提案していきます」

ということで、レシピ提案が掲載されていたり、会員向けのイベントが行われたりしています。

そのようなイベントの一つ“老舗名店×菊正宗”が先日「ちんや」で開催されました。

女性向けですから、参加者は50人全員女性。しかも全員日本酒党。これだけ集結すると迫力ありますね。

サイトの会員だというだけが共通項の方々ですが、大量の御酒を召し上がり、初対面で大盛り上がりに盛り上がった宴会でした。GJ。

他人同士ですき焼きということを少し危惧したこちらが不見識でした。今時の飲めない男子に、彼女達の爪の垢を煎じて飲ませたいものです。

この日宴会の前に菊正の若旦那・嘉納さんが縷々御酒の説明をなさっていましたが、その中に「下り酒」の話しがありました。

菊正はじめ、灘・伏見の酒がなぜ東京でたくさん飲まれているのか、特に浅草で灘・伏見の酒をだしている料理屋がなぜ多いのか、その説明が「下り酒」ですので、このブログでも紹介しておきたいと思います。

さて「下り酒」とは江戸時代に上方から江戸へ海路で運ばれて来た酒のことを言います。

現在は東京が首都ですから地方から東京へ向かう電車が「上り」ですが、当時は逆です。それで「下り(くだり)」と言ったわけです。

酒は酒樽に詰められ、輸送には大海原を走ること1週間から2週間かかったそうです。灘は海に面していて船積みに便利だったので、特に大量の酒を移出しました。

酒が運ばれた理由は、勿論醸造技術に格差があったからです。

醸造量石高の面でも上方が圧倒的で、当時日本最大の繁華街であった浅草が消費する酒を供給しました。浅草で灘・伏見の酒を出している料理屋が今でも多い理由は、これです。

明治時代になり、首都が東京に遷っても「下り酒」の優位は続きました。名前は「上り酒」に変えなかったようですね。

「下り」の優位が続いたのは、日本酒の醸造に科学のメスが入ったのが、意外に遅くて明治20年代のことだった、という事情が関係しています。

国立醸造試験所が設置され、付属する技術者の研究団体・日本醸造協会が結成されたのは明治37年。この辺りから新技術が全国に普及し始めますが、それまでは技術も量も上方優位で、関東の酒は「田舎酒」と呼ばれて安値で取引きされたそうです。

要するに、浅草が繁華街として絶頂期にあった頃に、灘・伏見の醸造業も絶頂期にあったと言えるのです。

え? そんな話ししてないで「ちんや」さんもお飲みなさいよ! って?

アタシ、my猪口持って来たから、それで飲んで下さらない? ですって?

おお、粋ですなあ。

って言うか、こっちは仕事中なんですけど、姐さん。

追伸①

年末年始の営業案内です。

年末=11月26日から12月31日まで休まず営業致します。

年始=1月1日のみ休業し、2日から12日まで休まず営業致します。

どうぞ御利用下さい。

追伸②

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.758日連続更新を達成しました。

風邪をひいても、すき焼きは旨い

インフルエンザがもう流行入りしたとか報道されていますが、今シーズンの私の風邪履歴は、今の所11/29から12/2にかけて鼻風邪にかかっただけです。

咳や発熱はなく鼻水だけで終わったのですが、悪いことに、この間に国際観光日本レストラン協会の納会がありました。

会場は新橋の「今朝」さんですから、料理は当然すき焼きです。問題は鼻水だけでしたので、出席しました。

「今朝」の御主人・藤森さんはワインにお詳しい方です。ですので結構なワインが出て来て、それを周りの皆さんが絶賛するのですが、私は、

???

ああ、自分は今風邪をひいているのだなあ、と感じざるを得ませんでした。

しかし、すき焼きが始まると、

!!!

あれ、治ったのかな?

しかし、ワインは美味く感じません。そこが?です。

以前から、

風邪をひいても、すき焼きは旨い

ということは感じておりましたので、この際少し調べてみました。

この現象は、「感冒後味覚障害」の主な原因が、鼻粘膜の腫脹(鼻づまり)や、においを感じる嗅上皮粘膜の炎症がひきおこす、嗅覚低下だから、ということで説明できるようです。そう、味覚でなくて嗅覚の低下が主だということです。

そもそも味と申すものは、五味を感じる基本的な味覚だけでなく、いくつかの感覚で出来上がっています。

1.狭義の味覚=甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の五基本味。

2広義の味覚=辛味、渋味、こく、広がり、厚みなど味覚に皮膚感覚を伴ったもの。

3風味=味覚に嗅覚による香りが加わったもの。(これは香り物質が口の中から鼻腔に抜けた時、嗅覚細胞を刺激して得られます)

4食味=口の中で感じる食感、温度感覚。視覚から入る食物の色・光沢・形。聴覚から入る咀嚼音。

5その他=外部環境(食事をしている場所の状況)や、生体内部環境など(その時の体調・空腹か否かなど)

この内、鼻づまりが起きると3がおかしくなる、という次第です。

もちろん風邪が重篤だと1や2もおかしくなりますが、今回そちらは大したことはありませんでした。3だけやられていたので、ワインの香りは分からなかったものの、健在だった1が甘塩旨=すき焼き三味を感じていたのだと推測されます。ですので、

すき焼き屋の皆さん、

風邪をひいても、すき焼きは旨い!

は都市伝説ではなかったのです。

是非喧伝しましょう。

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.753日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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芽生会

「東京日本料理業芽生会」(めばえかい)の本年最後の例会を、弊店でお引き受けしました。

東京を代表する料亭さん・料理屋さんの、若手経営者が集まる会食ですから、気合いを入れて準備させていただきました。

<献立は、こちら↓です>

先付け①=牛すじサラダ

先付け②=蟹豆乳寄せ

先付け③=雲子みぞれ和え

前菜=牛モモ肉湯霜、同味噌漬け、海老芋牛そぼろ

すき焼き肉=黒毛和種、雌、北海道うらかわ町産「みついし和牛」、個体識別番号:1348651954、平成24年3月9日生まれ⇒26年10月27日と畜(肥育32か月強、熟成6週弱)

ザク=葱(千住葱)、豆腐(「栃木屋」浅草)、白滝(同)、春菊(宮城県)、椎茸(群馬県)、エノキ(千葉県)

変りザク=大鰐(オオワニ)温泉もやし(青森県)

口直し=マイタケのピクルス(消化酵素)

デザート=メロン、柿

日本酒冷酒=末廣酒造(会津若松市)初しぼり純米吟醸生原酒

日本酒お燗=神亀酒造(蓮田市)山廃純米酒ひやおろし(客席内で、土鍋で燗つけ)

日本茶=増田園総本店(浅草)

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.744日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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アルコール度数

台東三田会の忘年会が「ちんや」で開催されました。

今回宴会前の卓話をお願いしましたのは、会津若松の「末廣酒造」七代目・新城猪之吉さんでした。1974年のご卒業で、福島県酒造組合の組合長でもあられます。

色々お話しをうかがう内面白かったのは、江戸時代の酒は今のアルコール度数の半分くらいだった、ということです。

その酒を江戸の人々は大量に飲んでいたそうです。

江戸に運ばれてきた酒の量を江戸の全人口で割ると、1人あたり1日2合の酒を飲んでいたことなるという試算があるそうです。

酒呑みだったのは庶民だけではなく、武士も大量に飲んだそうです。参勤交代があって、独り身ですからねえ。

ある屋敷の、施設管理担当のある武士は、世ごと出入りの畳商から接待を受けていたということなのですが、それが連日一升!

とても信じられませんが、度数が半分なら、やってやれないことはないと思います。

それにつけても話しは逸れますが、江戸時代って汚職天国だったんですね。

このブログを書いている日、NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」が世界汚職ランキングを発表しましたが、その中で日本は15位。

去年より3つ順位を上げたそうですが、さほど良い点でないのは、江戸の汚職文化・接待文化が根をおろしているからでしょうか。

1位デンマーク

2位ニュージーランド

3位フィンランド

と上位10か国のうち7か国をヨーロッパ諸国が占めていますね。

一方、中国は100位となり去年の80位から順位を大幅に下げました。政府が反腐敗キャンペーンを必死で展開しているのに順位が落ちてます。

格好悪いですね。

ここはまず、対策として酒の度数を上げたらどうでしょうか。

中国の酒は度数の低いものが多いから、延々と接待漬けにされてしまうんじゃないですかね。

役人が早々に酔っぱらって帰りたくなるようにしたらどうでしょうか。

ねえ、習近平さん。

 

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.743日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

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平塚良いとこ②

平塚西ロータリークラブさんの、卓話の講師としてお招きいただきました。

平塚の海岸近くにある名店「竹万」の御主人とは、国際観光日本レストラン協会で旧知なのですが、その御主人が今年平塚西RCの会長に成られました。その招集ですので、馳せ参じないわけにはまいりません。

30分以内ですき焼きクイズもやって欲しい、という御要望でしたので、その時間を除くと話すのは20分位ですね。

どんどん行きましょう。

<この話しは昨日から続いていますので、まず昨日の弊ブログをご覧ください。>

次に、後半は手前どもの話しです。

私の祖先が江戸時代から従事してきた狆(ちん)の商いをたたみ、料理屋に衣替えしましたのは明治十三年(1880年)のことでした。それで屋号が「ちんや」なのですが、私は、そこから数えて六代目の当主です。在り難いことに店主が代を重ねるのに合わせ、三世代・四世代・五世代に渡って御利用下さる御客様に恵まれてきました。

その、御利用下さる御客様の舌に馴染んでおりますのは、手前どもの、かなり甘目の割下です。東京下町の人々が好んできた味です。御客様の中には地元で洋食店を経営なさっている方もおいでですが、その御店のビーフシチューは、やはりソースが甘目で、お互いに行き来して食べ合っています。そうした味を「美味しい!」と感じる味覚は、本当に在り難いことに、御客様から、そのお子様へ・お孫さんへと継承され、その家族の中で共有されています。お爺ちゃんが好きなすき焼き屋にお孫さんも一緒に行ける、そして同じ鍋をつつくことが出来る、それこそが、「ちんや」という店の最大の存在意義だと、私は考えています。

浅草には初詣・春のお彼岸・花見・夏祭り・花火大会・秋のお彼岸と、四季の伝統的な行事がありますから、家族揃ってお出かけいただける機会がたくさんあります。そんな折にすき焼きを食べれば、ご家族の思い出・ご家族の歴史を造っていただけると思います。

そのお手伝いをする仕事に、歴代の当主は人生の全てを捧げて来ました。当代の私も全く同じことです。

そう申しますと、御店の味は明治時代と変わらないんですか?!と言われたりします。雑誌やテレビの取材を受けますと、いつもその質問でウンザリします。

彼らは笑顔で、こう↓言って来ます。戦争中に、ご先祖様がタレの甕を持って逃げたとか、そういう面白いエピソードはありませんか?!彼らは「老舗」と言われる店に行く時は、どの店に行っても、この問答で全て済ませているのです。楽なもんです。

いやいや、いやいや、あのですね、すき焼きは現代が一番旨いんですよ!技術も世相も違うのに、味が明治時代と同じなわけはなく、すき焼きが一番旨いのは現代です。本当です。

では、すき焼きが一番旨いのが現代である理由を、少し子難しくなりますが、ご説明します。

その理由は遺伝子レベルで牛を把握しているからです。

なんの遺伝子かと申しますと、例えば、脂肪に関わる遺伝子です。牛の脂には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸がありますが、牛肉の風味や食感は、この内の不飽和脂肪酸の含有量が多いほど良いことが知られています。オレイン酸に代表される不飽和脂肪酸は融点が低くて良く融(と)ける為、胃モタレすることがなく、またその融けた脂に味や旨み成分が溶(と)け込むので、食べた時に全体の味がマイルドになります。「ちんや」さんの脂は甘いねえ、と良く言われるのは、これです。

ここまでダイジョーブですか?次行きますよ・・・

その不飽和脂肪酸を、牛は体内で、飽和脂肪酸を不飽和脂肪酸に造り換えることで合成していますが、実際その合成にかかわるのは酵素の一種です。

その名を「ステアロイル-CoAデサチュラーゼ(SCD)」と申しますが、まあ、そういう名前は忘れましょう。

さてさて、ここからがスゴい所ですが、牛の遺伝子がどういう型であったら、SCDの働きが強いのか、現代の日本人は既に特定しているのです。なんでも遺伝子の、878番目の塩基の違いによって、酵素の働き具合が違うんだそうですが、まあ、ここも忘れましょう。とにかく、牛に旨い脂が付くのか・不味い脂が付くのか、遺伝子型で分かるのです。

畜産技術研究所という所に行きますと、のどかな牧場ではなくて科捜研みたいな所でして、遺伝子の解析をやっているんです。

これでも明治時代と同じ味ですか?あまり言いたくない話しですが、現代に史上かつてなくマズいすき焼きも実は存在する理由についても、まったく同じ理由で説明がつきます。味を良くする遺伝子ではなく、早く牛が増体する遺伝子や早く霜降りが付く遺伝子も特定されていますから、味を度外視して、そういう価値を追い求めれば、味はどんどんマズくなりますね。

これは、技術の使い方の違いの話しで、いずれにせよ、明治時代と同じ味ではありません。

だいだいですね、話しは多少飛躍しますが、伝統産業が、

昔の仕事のコピーをしてしまってる。

原点をすっかり忘れて時代に迎合し切っている。

その、どちらのケースでも伝統産業は滅びて、その国の個性は失われると思います。報道関係者があの調子では、日本もやがて、世界にいくつも在る停滞した先進国の内の、単なる一個と成り下がりましょう。

トホホですなと思いますが、彼らのことは忘れて、当家歴代のすき焼きの中で、自分の代のすき焼きが一番旨いのだ!と威張れるよう、頑張って行けば良いわけでして、技術は進歩しますから、それをフォローして味に反映させて行けば良いのです。

そうそう力まなくても、自分の代の味に成ります。

そのようにして作った肉の味は、実は、手前どもの望む客層にぴったりマッチしてまいります。ご家族の思い出を作っていただく店ですから、消化力の衰えたお爺ちゃんや小さいお子さんが食べても「胃モタレ」しない肉、それを提供することが、手前どもの絶対の使命です。それで脂融けの良い肉、すなわち不飽和脂肪酸が多い肉が必要で、そういう遺伝子を持った牛を買い求めないといけなんです。

口はばったいですが、すき焼き屋という商いに於きましても、望ましい顧客像・望ましい使われ方と、提供する味が合致していることが大事だと信じます。そこを合致させ続ければ、今は小さくて、お爺ちゃんに手を引かれているお子さん達も、やがて日本の下町の味覚をしっかり覚えてくれることでしょう。日々そう期待しつつ仕事をしています。

そうしてお客様の舌の上に形成される味覚こそが、手前どもの本当の資産です。

関東大震災・太平洋戦争と二度の災難を乗り越えた下町の人間は、本当の資産とは金でも土地でも建物でもないことを自然に知っています。その心を継承し、気持ち良く商いが出来る、そのことを私は幸せに思っております。

そしてまた、そのことを今日皆様にお話しできましたことも、またこの上のない幸せと思っています。

本日このような光栄な機会をお与えくださいましたことにつきまして、関口会長様またご臨席の全ての皆に心より感謝申し上げまして、終わりにしたいと存じます。本日は誠に誠にありがとうございました。

 

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.741日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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平塚良いとこ①

平塚西ロータリークラブさんの、卓話の講師としてお招きいただきました。

平塚の海岸近くにある名店「竹万」の御主人とは、国際観光日本レストラン協会で旧知なのですが、その御主人が今年平塚西RCの会長に成られました。その招集ですので、馳せ参じないわけにはまいりません。

30分以内ですき焼きクイズもやって欲しい、という御要望でしたので、その時間を除くと話すのは20分位ですね。

どんどん行きましょう。

前半は、すき焼きの歴史をザックリとお話ししますね。

現代のすき焼きに直結しているのは、江戸の街で密かに営業していた「ももんじ屋」または「ももんじい屋」の料理で、けものの肉を鍋物にして食べさせていたようです。当然、当時表向き肉食はタブーですから、「薬喰い」と称して、アングラで食べていました。

「百獣の屋」がなまって「ももんじ屋」ですね。

獣の産地は江戸郊外で、農民が害獣である猪や鹿を駆除した時、それを利根川で江戸へ運んでいたそうです。牛や馬は害獣でなく役にたつ動物ですから、さらにタブー感が強かったはずですが、それでも牛肉・馬肉を食べさせることがあったようです。ここで食べられていた料理が今日のすき焼きの、直接の原型です。

彦根藩も江戸時代から、将軍家に牛肉を供給していましたが、味噌漬けや塩漬けといった塩乾物の形でして、鍋の祖先は「ももんじ屋」です。

今でも両国で1718年創業の「ももんじや」さんが営業していますね。両国橋を渡ると、すぐ右手のビルの外壁にイノシシが逆さまに吊るしてありますから、行けば「おおっ!」と思うはずですが、あの御店はそうした御店の生き残りです。

で、その「ももんじや」で食べられていた、牛鍋が明治時代になりまして解禁になるのですが、その前に幕末に「プレ解禁」がありました。「プレ解禁」の原因は言うまでもなく、日本に入って来た外国人の影響です。1859年に横浜が開港しますと、居留地の外国人の需要に応えて、肉を調達する必要が生じました。当時は日本に畜産業がなかったため、農耕作業に使った牛を、退役させて潰して食用にするようになりました。

1864年には横浜に屠牛場が開設され、幕府から公認もされたようです。この頃になると牛鍋屋も、もはやアングラではなく、公然と開業し始めます。高橋音吉が「太田なわのれん」を創業しましたのは、そんな中のことでありまして、1868年すなわち明治元年のことでございました。

やがて牛鍋屋の開業ブームは横浜から江戸にも飛び火します。1867年に中川嘉兵衛という人が江戸のはずれ荏原郡今里村に屠牛場を設立しまして、江戸の牛鍋屋にも牛肉が供給されるようになります。

その場所は現在の白金台2丁目です。その辺りは今では、シロガネーゼのお洒落な街ということになっていますけど、当時は田舎だったんですね。

で、この屠牛場は近代的な屠殺場であったようです。当初は外国人向けが主でしたので、衛生的な取扱いには気をつかっていたようで、それで、今日の感覚からすると少し驚く話しですけど、この屠牛場で屠殺した牛がブランド牛になって行きます。どこで飼われていたか、ではなくて、どこで屠殺されたか、がブランドだったんです。今でも「今半」さんとか、「今朝」さんというすき焼き屋さんが在りますが、「今」の字が入っているのは「ウチは今里村屠牛場~後には「東京共有屠牛場」という名前になりますが、そういうチャンとした所から牛を買っている、チャンとした店だ!」ということを主張しているですね。

ももんじや系の店でも牛鍋を出していたわけですが、「同じような料理だけど、私屠殺の牛は使ってないよ!」という意味が店の名前に込められているわけです。トリビアでしょう!次にカノジョと「今半」さんに行ったら話して自慢してみましょう。

さてさて、1872年ついに明治天皇が初めて牛肉を召し上がりました。そのことが報道されて、肉食は完全に解禁。解禁どころか、文明開化のシンボルになります。1877年の東京における牛鍋屋の数は550軒を超えるほどであった、と伝えらえていますから、いかに当時の牛鍋のブームがスゴかったか、お分かりいただけると思います。

今日すき焼き屋を続けている店のほとんどが、この頃に開業した者の生き残りです。ただし、言い方は変わっていますね。関東では大正時代まで「すき焼き」と言わず「牛鍋」と言っていましたから、我々は牛鍋屋の生き残り、というのが正確です。

関東で「牛鍋」という言い方が「すき焼き」に変わったのと、すき焼きが高級化した時期はかぶるようです。当初、具材の内容は野菜がとても寂しくて、ネギのみの場合も多かったようです。ネギは臭み消しのスパイスとして必需品だったので、ネギは必ず入っていたと思われますが、他の具が少なかったようです。それが明治20年代辺りから大正時代にかけて、すき焼きは高級化を始めて具体的にはザクの具が増えます。この頃白滝や豆腐が使われ始めましたが、この皿はザクザクと切ることから「ザク」と通称されるようになりました。

そして高級化では、関西の店の方がやや先行していた模様です。現存してはおりませんが、関東大震災の後に関西から東京へ進出したすき焼き屋があったと聞いています。店が現存していませんので、どういうすき焼きだったか、ハッキリとは分かりませんが、わざわざ東京へ進出する位ですから、創意工夫をこらし、気合いを入れて出て来たと考えて間違いはないと思います。で、この傾向は東京勢つまり関東式の牛鍋屋には相当脅威であったようです。

関東大震災が起きて打撃を受けたところへ高級なライバルが現れたので大変だったと思います。関東の牛鍋屋が「牛鍋」と言うのを止めて、「すき焼き」と言うようになったのは、この頃でして、中には、もう廃業した御店ですが『高等すき焼き』という名前にした店すらありました。ザクの具材も、おそらく「高等」にするために増やしたんだろう、と想像します。この御店は10年位前まで現存していて、最後まで『高等すき焼き』というメニュー名を使っていまいた。「牛屋」と蔑まれているようでは、やっていけない、という恐怖感が、こんな滑稽な名前のメニューを産み出したんですね。

勿論牛鍋という名前に誇りをもって護っておいでの店もありますが、かなりの数の関東の牛鍋屋が名前を変えました。その背景は、そんな感じだったと御理解下さい。

さて、牛の話しよりザクの話しが先になってしまいました。牛のブランド化の話しもしておきましょう。今では全国各地に牛のブランドがありまして、牛と言えば「〇〇ぎゅう」ですが、ブランド化の歴史は、実はそんなに長くありません。

日本初の牛のブランド=神戸ビーフは生産地のブランドではなく、流通経路の途中の集積地の地名でした。神戸の居留地の外国人が肉を求めたことが、神戸ビーフの「そもそも」でありまして、ブランドと言いましても、今とはかなり感覚が違います。「伊万里焼」は伊万里で焼かれておらず、伊万里は積み出し港の地名でしたが、それと似ていますね。

今現在は兵庫県北部の但馬地方の牛のことを「神戸ビーフ」と定義していますが、明治時代には事情が違っていましたので、ご注意願います。

生産地の地名がブランドになるのは、1935年(=昭和10年)以降のことでありまして、松阪牛が『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになりました。しかし、この後すぐに日本は戦争に突入してしまいまして、第一回の松阪肉牛共進会が開始されたのは、戦後の1949年(=昭和24年)のことでした。

この辺りが牛のブランド化のさきがけです。で、肉質も変わって行きまして、今日皆さんが良く目にする所謂「霜降り」の肉が登場するわけです。

以上、すき焼きの歴史をザックリ追ってみました。この辺について詳しく知りたい方は、新刊本『日本のごちそう すき焼き』をお読みください。

次に、手前どもの話しです。

<この話しは、未だ続きますので、明日のこのブログにUPしますね>

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.740日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

外国人と食事をする時にコレだけは知っておこう!

「味博士」のブログが面白いので、私はたまに覗きに行っています。

「味博士」とは慶應義塾大学共同研究員の鈴木隆一博士のこと。味を計測して、それをグラフで「見える化」する技術を開発された方です。『味博士のぜったい太らない食べ方』『日本人の味覚は世界一』といった著書もあります。

元々博士と私は熟成肉の研究を通じて知り合いましたが、その後すき焼きと日本酒のマリアージュ計測を一緒にさせていただきました。

その件は、新刊本『日本のごちこうすき焼き』の中に、私が一文を書かせていただきましたので、是非お読みいただきたいのですが、今回のブログは、

「外国人と食事をする時にコレだけは知っておこう!」という内容でした。博士は、

日本と外国の味覚の違いを知って相手の味覚を思いやることが大切なのです☆

と書いています。

うんうん、それはそうです。

少しコピペーしますと・・・

■外国人と日本人の味覚の違い

□中国人・韓国人の味覚

中国人は韓国人は、炭水化物としてコメを食べる点や豆の発酵食品を好む点は日本人と同じです。

しかし、タンパク質に関しては肉食文化が根強いのと、味付けについても薬味ではなく香辛料に親しみがあります。

このため、魚よりは肉、薄味のものや素材の味を活かすようなタイプのものより、味付けが刺激的なものの方が好まれるでしょう。ダシが効いているものも◎です!

この時期だと、すき焼きはいかがでしょうか♪

・・・おお、ご推奨ありがとうございます!

この後に、ヨーロッパ・アメリカ人の場合、インド人の場合も出て来ますので、是非こちらをご覧ください。

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.736日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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