勘違い

昨日(7月15日)のこと。

ウチの最終営業日だと思って、焦って訪ねて見えた方が2人おいででした。

2人も間違えたのは今週火曜日13日に出た朝日新聞記事の影響と思いますが、

間違いです。

8月15日までですので、よろしくお願いいたします。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.157本目の投稿でした。

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浅草Kageチャンネル

私のFacebookページを見たことのある方は、カバー写真に私自身のカリカチュアが使われているのをご存じかと思います。

そのカリカチュアを書いてくれた会社「カリカチュアジャパン」の代表取締役兼代表アーティストkageさんは、なかなかの有名人です。

最初は格闘家を志して渡米→格闘技の道を挫折し目標を見失っていた時、カリカチュアと運命的な出会いをする→カリカチュアの世界大会で勝ちまくり→帰国して「カリカチュアジャパン」を起業→その際一号店を浅草に開設→立派な会社に成長させました。

Newsweek誌が選ぶ『世界が尊敬する日本人100』にも選出。その人生がかなり面白いので、TV番組『激レアさんを連れてきた。』に登場したこともありました。

で、そのkageさんは浅草を愛する人でもあります。

地元浅草にある名店と、そこに生きる人たちの魅力を伝えるチャンネル

「浅草Kageチャンネル」

をやっておられます。

今回のウチの件が伝わると、真っ先にやって来て、出て欲しいとおっしゃいます。

「まもなく休業なので」と謝して辞退しましたが、それでも是非に、ウチの会社もコロナでは本当に苦労したので、なおさら是非にと言って下さったので、ずうずうしくも採り上げていただくことにしました。誠にありがとうございます。

こちらで、今晩20時にUPされますので、よろしかったら、ご視聴下さいませ。

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マスメデイア

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

それが朝日新聞さんの知るところとなり、記事は昨日の夕方に出ました。

そして、それがYahoo!のヘッドラインに転載されました。人生で2回あそこに載るとは思わなかったです。

その後電話が鳴り止まない状況になりました。その内20時になったので、留守電に切り替えちゃいました(笑)

で、私の携帯番号を知っている方にお願いです。マスコミの人(特にテレビの人)に番号を教えないで下さいね。2017年の「適サシ宣言」の時、早朝・深夜にかけられて辟易したもので。

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家族で囲んだ鍋の思い出

久しぶりに「すき焼き思い出ストーリー」にご投稿がありました。グスタフさん(千葉県 56歳 )から頂いた投稿は、こちら↓です。

<以下ご投稿>

ちんや閉店・長期休業のことを話すと「また行きたい」と妻。六代目とは高校からの長い付き合いですが、妻にとってもちんやは思い出深い場所。それは20年程前に遡ります。


私にはアメリカ在住の歳の離れた実姉がいました。私が8歳の時まで同居していましたが、大学卒業後就職し、直後にサンフランシスコ支店に転勤となり、そのまま向こうで結婚したので、25年もの間でほんの数回しか会えていませんでした。その姉が私の結婚前にみんなに会いに来てくれるというので、私はすぐちんやでの食事会を用意しました。


久しぶりの日本、すき焼きでの会食は喜んでくれるはずです。家族だけの気楽な集まりでしたが、母と兄夫婦と、私と婚約者と、アメリカ文化の姉。はじめは全員が変に緊張した雰囲気でした。


ちんやのすき焼きは見ても楽しめます。鍋に火をつけ、葱を並べ入れて肉を焼き、割下を回し入れ、卵を溶き、最初の肉を取り分けるお世話係の方の手際の良さ。みんなでその箸さばきを見ていると、葱が焼けて香ばしくなるうちに、肉がほどよく煮えてくるほどに、だんだんよそいきの顔がくだけてきて、さあとにかく食べよう、ということになります。

親しくなるには、やっぱり鍋。丁寧に肉を焼いてくれる様子も姉はとても興味深そうに観察していたし、久しぶりのオール日本語の会話に、姉は時々「これは日本語ではなんというのかしら?」と質問しながらも楽しそうな様子でした。

結婚式に姉は出席できなかったので、妻にとっての姉の思い出はこの時の記憶が全て。姉はこの2年後の2002年、アメリカで他界しました。
その時とは違う個室でしたが、数少ない姉の記憶が蘇り、しみじみとちんやの味を満喫しました。ご馳走さま。ありがとう。

<その他のストーリーは、こちらです。>

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取引先

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

公表以来たくさんのご予約をうかがっております。ご予約は全てありがたく存じますが、その中でも「!!」と思ったご予約がありました。

それは現在取引している肉の問屋さんのご予約。

8月16日以降はウチの売り上げはなくなるにも関わらず、食べに来て下さるのは嬉しいことですね。誠にありがとうございます。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.152本目の投稿でした。

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笑顔をつくる

オリンピックの日本選手団の壮行会にスガ総理が動画メッセージを寄せているのを視て、

この御方は笑顔メイクがお得意でないのかあと思いました。

が、その件では私は人様のことは申せません。私もはなはだ苦手だからです。

今回の休業の件でもご取材があり、自分の写真も撮られることになったりしますが、ご指定のタイミングで笑うことができません。

2001年に社長に成ってから、数え切れぬ回数の撮影を経験しましたが、ダメでしたねえ。笑顔を請求されるとさらにダメです。

連写で撮っていただきながら、雑談して、その間に笑顔が出たら、それを選んで下されば良いのです。慣れたカメラマンさんだとそうしてくれるのですが、最近は記者さん一人がやって来て、画像も撮っていかれることが多く、その場合は難儀します。

ご請求のタイミングで笑わないといけないからですね。とほほ。

私は暫時この仕事からは逃れられますが、スガさんの苦難は続きそうですね。お疲れ様です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.149本目の投稿でした。

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良い笑顔

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

そのことでお客様からお手紙をいただいています。

今回は家族の新年会が毎年「ちんや」だったという方。

そして、そのご家族のお婆様が亡くなった時遺影に使った写真が、その新年会の時のものだったとか。良い笑顔だったので使いました、と。

良い笑顔の撮れる店であったなら嬉しいです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.148本目の投稿でした。

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ちんやさんと祖父、そして私

久しぶりに「すき焼き思い出ストーリー」にご投稿がありました。M-IKE さん(埼玉県 50歳 )から頂いた投稿は、こちら↓です。

<以下ご投稿>

私は、ちんやさんへは、一度しか行ったことがありません。しかしそれは、とても大切な思い出です。
私の祖父は、陸軍中野学校の一期生でした。陸軍中野学校というのは、諜報員を養成していた学校です。
祖父は徴兵で軍隊に入り、軍の命令で中野学校に入りました。その後海外に派遣され、終戦時は参謀本部勤務、対英情報を担当していました。最終階級は少佐です。
戦後は公職追放を受け、小さな会社を転々と、入ってはつぶれ、入ってはつぶれ。新潟県出身の祖父は、最終的に愛知県の小さな会社に落着きました。一時は陸軍の中枢で戦争の根幹、国家の方針を決める場所の近くにいた祖父は、戦後、愛知県の小さな会社で経理を担当していたのでした。

その愛知県で生まれたのが私です。孫の私からすると、かつては兵隊から少佐にまでなった「たたき上げの出世頭」だった祖父が、戦後は「パッとしない」仕事に就いているのが不思議でした。
「おじいちゃん、何で自衛隊に入らなかったの?」このように私は祖父に聞いたものです。すると祖父は、「私は参謀本部の情報担当だった。私には、日本が戦争に負けた責任がある。だからもう制服は着られない。」と答えるのでした。幼い私には、その意味がよく解りませんでしたが、「格好良い」との印象を受けたのでした。
その祖父は、私が高校を卒業し、浪人生だった頃に亡くなりました。思春期の頃は反抗したこともありますが、尊敬していましたので、大学に入ったら、祖父から中野学校のことを色々聞こう、そう思っていました。そう思っていた、そして何も行動に移さなかった時に、祖父は他界したのでした。

その後、私は大学に入学し、中野学校のことを卒業論文に書きました。
祖父は中野学校時代の日記を残しています。その中に「ちんや」さんに行った旨の記載があります。1939年のことです。
「所長と浅草に向ふ。『ちんや』にてすき焼きを食し聚楽にてフルーツ」(この「所長」とは秋草俊さんのことです。)

大学卒業後、愛知県の小さな会社に入った私は、その後転職し、今は東京の事務所に勤務しています。
上京した私は、折角地方から東京に来たのだから、一度祖父の日記にある「ちんや」さんに行ってみたい、そう思い足を延ばしたのでした。
祖父の話をご紹介した上で予約をし「ちんや」さんに行くと、ご主人がいらしてくれました。「ご縁のある人に来ていただけて嬉しい」と歓迎してくださいました。
1939年と2000年代が繋がった瞬間でした。「ちんや」さんへは、私自身が来たわけではありません。祖父が昭和14年に来ただけです。しかし、でも、確実に、その時の私と祖父は、「ちんや」さんを通じて繋がっていたのでした。同一な存在になっていたのでした。

亡き祖父と共に、美味しいすき焼きを頂いた思い出は忘れることができません。「ちんや」さん、ありがとうございました。

<その他のストーリーは、こちらです。>

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お客様からのお手紙

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

そのことでお客様からお手紙をいただいています。

「正月恩師の墓参りをし、女友達4人でその後「ちんや」で昼食をするのが恒例でした」

「押上にある父の会社を手伝っておりましたので、昼休み、自転車で吾妻橋を渡って、よく肉を買いに行きました」

大勢の方の人生の一幕に関わらせていただいたことを、あらためて在り難く思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.146本目の投稿でした。

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一番印象的

このたびの東海地方の水害で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。さて、

8月15日をもちまして、「ちんや」の店をいったん閉め、休業することを先月末の弊ブログで公表しました。

大勢の方に伝わったようで、ご取材も入ってきます。別に悪いことをしたわけではないので、お受けしますと、

今まで一番印象的なお客様を教えて下さい!

というご質問がありました。

うーん、難しいご質問ですね。しばし黙考。これ(↓)にしました。

「最後の正月」のお客様にしました。

正月になりますと思い出しますのは、とある会社のOB会のことです。

毎年正月3日の昼11時半から「ちんや」で開かれていました。

しかし、です。そのOB会の予約が弊店に入ったことはありませんでした。そう、毎回予約無しで「フリーで」集合して見えるのです。人数は12~13人ほどでした。

この方式は店側としては、実に困る方式でした。何故って、正月の浅草で13人ものまとまった席を確保するなんて至難の業だからです。

え? 人数? 集まってみないと分からないけど、そうねえ、たぶん12~3人じゃないのかあ。

と簡単におっしゃるので、私は、

予約無しで、そんなに簡単に13人の席なんか造れませんよ!

とキレないよう堪えるのに必死でした。

しかし年を経るにしたがい、席を確保するのは楽に成っていきました。

13人⇒10人⇒7人⇒5人⇒3人と人数が減っていったからです。

そして、ある年ついに、お一人に成ってしまいました。

最後のお一人様は、「ちんや」の前の路上で、11時半から1時間ほど立ち尽くしておいででしたが、やがて諦め、

誰も来ないから帰るね・・・

とおっしゃいました。私は、

お一人でも結構ですから、召し上がったらいかがですか?

と申しましたが、

いやあ、悪いから帰るよ。

と言って帰っていかれました。こんな忙しい日に一人で席を使っては悪い、という意味でしょう。「お一人様ブーム」が起こるだいぶ前のことでしたから。

だんだん人数が減っていたのは、こちらも分かっていました。事前に出欠を採らなかったのは、御病気とかお互いの事情を知るのが辛かったからでしょう。

だから、あの時もっと強くお勧めすれば良かった、強引にでも店の中へ入れてしまえば良かった、そう思います。

結局、その方との御縁は、その日が最後でした。

あれは、1999年か2000年のことだったと思います。毎年正月が来ると思い出します。

<その他の、すき焼き思い出ストーリーは、こちらです。>

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