すき焼き三昧

変なニュースを見つけました。

「医師は粥すすり、薬剤師はすき焼き三昧」

というニュースです。

「医療経済社」によりますと、

「日医・鈴木常任理事 “敵陣”日薬学術大会で分業批判の大立ち回り」

「日本医師会の鈴木邦彦常任理事は22日、大阪市で開催された日本薬剤師会学術大会で「医薬分業のあり方」をテーマに講演。“敵陣”に乗り込んで、分業、調剤報酬、薬剤師会をばっさばっさと切り捨てた。」

「鈴木氏は、突出した伸びを示す調剤報酬について、総医療費、1日当たり医療費、受診日数、1施設当たり医療費などを挙げて糾弾」

ということがあったそうです。

以前に「塩じい」こと塩川正十郎・財務大臣が、日本の特別会計のムダづかいについて、

「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」と表現したことがありましたが、久しぶりの、すき焼き=贅沢論ですね。

この発言ですき焼きが目立って良い半面、

すき焼きは、過剰に値が高いという印象が流布されるので、マイナス面もありますねえ。

私個人も、一度も「ちんや」に来たことがない、学校の先輩から直接に、

すき焼きというものは、とにかく高すぎると思う、というメールを貰って、憤慨したことがありました。

だからと言って、安くする気は毛頭なく、適切な価格で営業するだけですけどね。

高いという先入観から入っていただくと、チト困ります。

それに、だいたいですよ、薬剤師さんに、そんなに御利用いただいている、っていう実感はないんですけどねえ。

どこの店で、すき焼き三昧なんだろう?

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は366人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.305日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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贅沢のための贅沢

今は亡き日本社会党は「反対のための反対」を唱える党だと批判されましたが、その点を改めようとした民主党が政権を獲って⇒あえなく下野した今「反対のための反対」という表現もレトロな感じに成ってしまいました。

さて似たような表現で「贅沢のための贅沢」という言葉がありますが、今日は、その「贅沢のための贅沢」について、です。

肉の業界で最近どうしても「贅沢のための贅沢」を見つけてしまうから書くのです。つまり、所謂「希少部位」に過剰にコダわる業者さんのことです。

ここで「部位」と書いていますが、実は正確ではなく、彼ら業者がコダわっているのは、部位の中のまた一部を子割りして、その部分肉を、さも「希少」だと言っているわけです。

マル(半マル)の牛

⇒(パーツ)肩

⇒(部位)肩ロース

⇒(小割り)「ザブトン」

というのが正確な分割方法でして、子割りの「ザブトン」が彼らのコダわりの対象です。

「稀少度」を独自に判定して、サイトに公開している店もあります。なんでも「稀少度」とは「牛一頭から取れる重量と部位に対する人気の度合いとを、その店が独自に勘案している」のだそうですが、「人気度合」という部分がひどく根拠不明瞭です。

それに、ですよ、希少と言われている部分の味が、周りの部分の味に比べて格段に美味しくなければ、希少じゃないですよねえ、そもそも。

「希少希少」と唱えている人には申し訳ないですが、ザブトンが、そのまわりの肩ロースに比べて格段に美味いとは思いませんね、私は。

肩ロースをまるごと、すき焼きにして食べれば良いんじゃないでしょうか、普通に。肩ロースは最初から全体が美味い部位です、特にすき焼きにした場合に。

美味いのに名前が「肩ロース」と今市魅力的でないから売りにくく、それで高く売ろうと邪道な作戦を思いついたんじゃないか、そう勘ぐられても、不自然ではないと思います。

もう一つ、「それに」を言わせていただきますが、いくら「希少部位」を取り出しても、その牛全体が残念だったら、その一部である「希少部位」が美味いはずがありません。

「希少希少」にコダわるヒマがあったら、牛全体のこと、つまり、

肥育期間は長いのか、

気温何度くらいの所で飼われていたのか、

水は、どういう水を使っていたのか、

飼料は、どういう飼料を使っていたのか、

熟成期間は長いのか、

にコダわってみてはいかがでしょう。

ここで断言します。牛全体にコダわるなら、贅沢ですが、

たかが部位にコダわるなら、「贅沢のための贅沢」ですな。ふん。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.302日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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200歳

「敬老の日」にFBを見ていて、「すき焼き通検定」に合格している知人の投稿を見つけました。

「祝200歳! 今日は祖父母の合計200歳を祝う集まりがありました。」

へえ、合計200歳とはスゴいの一語です。

正確には103歳+97歳なのだそうで、結婚なさったのは1937年。

「叔父が祖父母の結婚の時の写真をキレイに復元し、素晴らしい記念品として用意してくれました。中には2人からのメッセージなどが書いてあります。」

「現在の祖父の好物は、肉と鰻とビール。今日もお祝いのお重をペロリ。本人曰く、長生きの秘訣は腹八分目とのことでしたが、衰えない食欲こそが力の源泉でしょう。」

そうです、そうです、元気に長生きしている方は、肉を食べておいでです、たいてい。そこで、

「長生きには肉と鰻と酒ですね、やはり。」

と私も書き込みましたら、

「住吉さん、先日は従兄弟が送ったすき焼きを美味しくいただいたそうです。」

で、次なる目標は「オリンピックを見ること。」

スカイツリーが開業した時も「メイドの土産ができた」いや「冥途の土産ができた」と言いながら観覧なさっている方に出会いましたが、その時点ではオリンピックが来るなど想像の外でした。あの方にも次なる目標が出来て、2020年まで死ねなくなってしまいましたねえ。

肉と鰻を食べて頑張っていただきたいです。

ともあれ、200歳とは素晴らしいです。

いつまでも、お元気で!

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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かっこいいスキヤキ

テレビ東京の「孤独のグルメSeason3」が始まったせいで、久住昌之さんに注目が集まっているようです。

久住昌之さんは漫画の原案作者です。

「孤独のグルメ」では作画担当の谷口ジローさんとコンビを組んでいますが、以前は泉晴紀さんと組んで「泉昌之」と名乗り、数々の異色の作品を発表して来ました。

「泉昌之」さんがデビューしたのは1981年。当時サブカルチャーの総本山的な位置を占めていた漫画雑誌『ガロ』からのデビューで、今でも「ガロ出身の漫画家」と分類されているようです。

泉さんのタッチは暗~い劇画風。で、久住さんの原案は細かいコト、特に食べ物には徹底して過剰にこだわる主義で、その合作がユニークな漫画を産みだしてきました。

「泉昌之」を代表するキャラクターは、ハンフリー・ボガートをモデルにしたハードボイルドな「トレンチコートのおじさん」です。この男が、初期の作品『夜行』では、駅弁の幕の内弁当を美味しく食べる方法にこだわりまくります。

同じ時期の、すき焼きを採り上げた作品『最後の晩餐』も、勿論その路線です。

「トレンチコートのおじさん」が未だ若い頃、男ばかりですき焼きを食べるのですが、すぐに肉の取り合いが始まります。

「俺はそんなに肉ばかりを食べていないよ」と他の男に見せかけるため、シラタキの中に肉を隠して食べる場面は、実に笑えます。

やがて争いは醜さを増し、肉を多く食べる男の出身地をバカにして「このブタ!」と叫ぶなどエスカレートしていきます。

実に下らなくて、私はこういうのが好きです。

ビールを飲む様が非常に上手に描かれているのも良いですね。

この頃の作品が集められて文庫本に成り、『かっこいいスキヤキ』という題で売られていまして、13刷りまで刷られていますから、今でもファンがいるのですねえ。

是非、どうぞ。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

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追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

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外国通

9/11の弊ブログで単行本『夜明けのハンター』について触れました。今日は、もう少しその話しを、と思います。

この本では、神戸ビーフを普及させた人物として、キルビー商会のキルビーと、その部下・ハンター、それから初代の兵庫県知事・伊藤博文(=後の総理大臣)が登場します。

ここで誰でも疑問に思うことは、伊藤が何故27歳と若いのに知事に成っているのか、ということです。

少し長くなりますが、説明しますと、明治維新で政権を獲った薩長方には外国通の人物が少なく、伊藤が、その数少ない外国通だったから、というのが、その理由です。兵庫が開港して、外国人居留地が建設されていましたので、外国通が起用されたのです。

なにしろ長州藩と言えば「尊皇攘夷」の総本山でしたから、外国のことを学ぶなんてトンデモなかったわけです。維新の前夜になって薩長同盟が成立して、それでようやく「攘夷」の旗を下した位ですから、外国通なんてほとんど藩内にいません。

そんな中、伊藤と井上馨は密航同然で英国に渡った経験があり、英語が話せたので外交通と看做されていた、という次第です。

薩長=国際的、幕府=守旧的というイメージは間違っておりまして、当時むしろ幕府方に外国通がたくさんいました。福沢諭吉先生がそうですね。

先生は適塾で学んだ後、咸臨丸の艦長・木村摂津守の従者としてアメリカへ渡り、帰国後は摂津守の推薦で、中津藩に籍を置いたまま幕府外国方に出仕することになりました。だから当然幕府方ですね。

徳川慶喜もフランス公使と親密で、フランス式の軍隊を新設したりしました。

このように幕府方には外国通がいましたが、長州藩には少なく、わずかな例外が伊藤・井上、それから大村益次郎でした。

大村は元々武士ではなく医者で、適塾で福沢先生と同門。蘭学を学ぶ内、西洋の兵術・砲術なども学び、その学問を活かして薩長方の実質的な参謀総長になります。

実に人生とは数奇なものです。

さて肉の話しに戻ります。そんな日ノ出の政治家・伊藤とキルビー・ハンターの出会いが、神戸ビーフを有名にした、というのが『夜明けのハンター』の筋です。

伊藤は27歳、ハンターは10代でアイルランドを出奔して来ていますから、伊藤よりも年下。そんな若い面々が神戸ビーフを推進した、というのが、この本が描く情景です。

小説の形態をとっておりまして、描かれていることの全てが史実ではありませんが、有馬温泉「御所坊」の御主人によりますと、

「だいたいは本当です」ということですので、皆さんも、是非どうぞ。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

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時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

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追伸②

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この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

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皆様も、是非御参加下さい!

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島育ち~長期肥育と長期熟成

7週間熟成させた肉を食べてみました。

食べてみましたのは、個体識別番号:1334790070の牛。「隠岐潮風ファーム」産の「隠岐牛」のサーロインを、我が家の夜食としてステーキにしてみました。

この牛は隠岐生まれ、隠岐育ち。島内一貫肥育で育てられ、肥育期間は33カ月と充分です。

この位肥育されていない若い牛ですと、どうしても体内に水分が多く、熟成させてもしっかり乾かず、逆に状態が劣化してしまって⇒上手く行かないことが多いです。そう、充分肥育されていない牛は長期熟成に向かないのですが、この牛なら33カ月ですから、7週目でも良かろうと想像して食べてみました。

実は、この牛は「今週の特選牛肉」として8月21日から売っていたもので、そのことを今頃ブログに書いているようですから、

住吉も相変わらず商売っ気が足りないなあ!と言われてしまいそうですが、それは、まあ、さて置きます。

残りの在庫はだいぶ少なくなりましたが、まだ販売継続中ですので、どのような状態か試してみたわけです。

熟成に関して、私は元々4~6週間が好みでして、8週位になりますと脂に独特の風味が出てくることがあり、そこが好き・ずきで、私は4-6が好みです。

さて、7週目の隠岐牛ですが、なかなか美味でした。

長期熟成肉ですのでステーキにしますと、やはり少しスパイスを効かした方が良く、七味とかワサビが欲しくなりましたが、すき焼きなら、そのままでも旨いと思います。

隠岐に限らず、だいたい島の牛は、ミネラルをたくさん取り込みますので、味が複雑になる傾向がありますね。それが良いのです。

だから、是非ともそういう土地で牛を飼う場合は、この牛のように長期肥育をして欲しいものだと思います。

せっかく良い味が出る土地柄なのに、短期肥育では面白くないです。餌も地元由来のものに限れば、さらに良いと思います。

今時は、畜産経営の採算性を考えて、肥育はより短期で、ということになりがちですが、それでは土地柄が活きません。土地柄を活かして、面白みのある畜産日本にして欲しいと思うのですが、むしろ現状は逆のようで、私的には日頃不満を持っています。

長期肥育して、さらに長期熟成をさせると、採算上良くないことがさらにあります。

肉の色が濃くなり、見栄えが悪くなりますから、肉の知識をお持ちでない方から、

色が悪い!と嫌われたりします。

しかし、そういう見栄えばかりを気にする人は旨い肉を食えません。

この点は業界人だけでなく、是非一般の方にもご記憶いただきたいですね。

ともあれ、島育ちで長期肥育の「隠岐牛」を、私は今後も買っていくと思います。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

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ブランデイング

牛脂の登録商標「牛ゅっとハ-ト」の出願手続きをして下さった弁理士の先生が、とある地方の商工会議所青年部の依頼で「ブランデイング」に関するセミナーを行うことになったそうです。で、

つきましては、「ちんや」さんの名前と、「牛ゅっとハ-ト」をセミナーの題材として使わせてもらっても良いですか?また、ちんやさんとして、今後、これらを使って広告宣伝をどのようにやっていくか等の具体的なアイデアはありますか?教えていただけないですか。

よろしくお願いします。

というメールが来ました。なんでも、地元名産の茶の「ブランデイング」を研究中なのだとか。

そりゃあ、勿論、結構です。宣伝になりますから、有り難いです。

とお受けしましので、その御返事を用意しないといけません。

さて、口はばったいですが、「ブランデイング」の大根幹は、お客様との約束ないしお客様への誓い だと思います。

例えば、有名な靴のブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」の信条は「履き心地のよい靴」でした。滅茶滅茶シンプルですが、それが「お約束」です。

フェラガモ氏は「スターの靴職人」として有名で、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、マレーネ・ディートリッヒ、といったハリウッド女優との交際が知られていますから、我々はそちらに注意を向けてしまいがちですが、信条は「有名人向きの靴」では決してなくて「履き心地のよい靴」でした。

足を痛めない靴を製作するため、フェラガモ氏は南カリフォルニア大学で解剖学を修めたそうです。客の足に触れただけで体調の良し悪しが分かった、ということすらあったそうです。

信条が無いのに有名人のコネでブランドを作った、ということなのではなく、全ての御客様に「履き心地のよい靴」を提供すると約束したことでブランドを確立したのです。

で、「牛ゅっとハ-ト」ですが、「ちんや」の「ブランデイング」の根幹、つまりお客様との約束ないしお客様への誓いを象徴的に、目に見える形で提示する素材として使って行きたいと考えています。

「ちんや」の理念を、ここでご紹介しますと「心に残る思い出を!」です。

ですので、お爺さんの還暦のお祝いの会であるとか、結婚記念日の夫婦のお食事であるとか、あるいは先代社長の1周忌とか、そういう場面で使われる店でありたい、と思っております。

そういう店で在りたい、という願望や、

必ず、いつでも、そういう場面に相応しい店で在り続けます、という誓い

それを画像で象徴するのが「牛ゅっとハ-ト」です。パンフレットやネットで、そして勿論客席で、理念=お客様との約束=画像(=「牛ゅっとハ-ト」)が連動した形で提示して参りたいと思っています。

そして、これも重要なことですが、従業員のモチベーション維持のためにも使ってまいります。

なお「LOVEらかたあぶら」も基本的には同趣旨ですが、「牛ゅっとハ-ト」よりはエンタメ性を持たせてイベントにしたり、あるいは食育に使うことを考えております。

どうぞ、御期待下さい。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

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皆様も、是非御参加下さい!

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摂津国有馬

その、有馬温泉の御方には3回驚かされました。

まず到着しまして、すぐ本が支給されたことです。

その本は、神戸に牛肉を普及させ「神戸ビーフ」の基礎を築いた外国人・キルビーとハンターの生涯に関する本「夜明けのハンター」でした。

キルビーとハンターは、青雲の志を抱いて開港直前の神戸にやって来ました。当時はまだ居留地も神戸港も建設が進んでいない状態でしたので、「兵庫にやって来た」というのが正確かもしれません。

で、キルビーとハンターは、最初のビジネスとして牛肉の販売を始めます。近隣の農村を回って牛を分けてもらい、それを屠畜して売ったのです。

その肉の評判を聞きつけた人物の中に、初代の兵庫県知事・伊藤博文=後の総理大臣がいて⇒博文の尽力もあって⇒「神戸ビーフ」が有名になって行った、という次第です。

その御方の旅館では、そういう経緯を踏まえ、「神戸ビーフ」を熱心に提供されていて、しかも伊藤博文が揮毫した書が客間にかけられているのです。

その書の文字は「高談娯心」。

「高い志の話をすれば、お互い気持ちが良くなる」という意味の言葉で、神戸の文化人たちはこの書の下で、すき焼きを食べることを習慣にしていた、と聞きます。

有り難いことに、その部屋に泊めていただき、すき焼きは現在は定番メニューにないそうですが、牛肉を食べさせていただきました。

こうして、支給された本を読み、博文の書の部屋で肉を食べた翌朝、その方=「御所坊」主人のKNIさんとお話しすることになりました。

そうしましたら、御主人は、こちらのブログやFBを調べていらして、

いやあ、実はお目にかかりたいと思ってたんですよ!

とおっしゃるので、二度目の驚き。

そして、三番目は、いただいたお名刺の住所が「摂津国有馬」となっていたことです。

この住所に関する事情は浅草と似ています。浅草は、江戸が出来る以前から存在していたのに江戸に吸収されて江戸の一部に成ってしまったのですが、有馬温泉も日本書紀の時代から在ったのに、戦後に神戸市に吸収されて、今は「神戸市北区」です。

しかし、御主人は歴史に誇りをもって、名刺の住所を「摂津国有馬」にしておられました。

へえ、有馬温泉が神戸市とは知りませんでした。

こちらも浅草が台東区とは知りませんでしたよ。

神戸ビーフを扱いながらも、土地の歴史はまた別なので正統に主張する、という方向は、まったく正しいことだと思います。

勉強になりました。

 

追伸①

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21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

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人形芝居

休暇を利用して有馬温泉に行きましたら、兵庫県の総合観光パンフレット(のようなもの)が置いてありましたので、何気なくパラパラとめくってみました。

めくってみまして、私的には大不満。

私の嫌いなB級グルメについては、やたらと詳しいのに重要なことがゼンゼン載っていません。

まず淡路島が、松阪牛の子牛の非常に重要な産地であることが載っていませんが、まあ、それは「良し」としましょう。あくまで消費者は松阪牛として食べているのですからね。

しかしですよ、淡路の人形芝居についてまったく触れないというのは、いかがなものなんでしょう。

念のため、ここで淡路の人形芝居について・・・

「最盛期の18世紀初めには40以上の座元が覇を競い、人形役者が千人もおり淡路島のみならず日本全国を巡業し、各地に人形芝居を伝えました。大阪に出て「文楽」を創始した植村文楽軒も淡路出身です。」

そう、大阪と言えば文楽で、その元祖と言えば植村文楽軒ですが、その文楽軒がそもそも淡路なんですね。それ以前の時代は、

「鎌倉時代、淡路島に大阪四天王寺より舞楽など神事を生業とする楽人が移り住み、その後西宮の戎神社に属したエビスカキから人形操りの人気が高かったため神事を人形操りで行うようになったと考えられています。」

現在は国指定重要無形民俗文化財で、「淡路人形座」という常設の劇場もあります。

そして、その三味線の大師匠で人間国宝の鶴澤友路さんは、なんと、すき焼きがお好きなのだとか。

友路師匠の、芸と長生きの秘密は、

「よく食べ、よく寝る。エビの天ぷら、すき焼きが好物。晩酌を欠かさず、睡眠は12時間。義理の息子夫婦と同居している。」

「三味線の音を聞くと背筋が伸びるそうで、「年のことは忘れてしまうわ」。

「いまも20人以上の弟子に稽古をつける現役だ。自ら三味線を弾いて手本を見せる。一音のずれも聞き逃さない。「耳が全部覚えてるんや」。補聴器は使っていない。」

その友路師匠が、今年・御年100歳に成られました。素晴らしいです。

なんで、こういう文化を割愛して、「あさぢえカレー」とか「あんちょくヌードル」とかを、淡路の名物として推奨するのでしょう。

まあ、日本国民の文化度は低いとみて、B級食でも食わしておけ!という営業方針なのでしょうな。

ザンネンですな、兵庫県。

商品化したいのなら、「友路姐さんのすき焼き」の方がダンゼン良いと思うんですけど。

あ、最後に補足ですが、

私が「B級グルメが嫌い」と申しましても、正確には、B級・C級・D級の精神で造られた「グルメ」が嫌いなんです。値段がB級でも精神がA級なら、それは嫌いではありませんので、念の為。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

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引きずり回したれ!

ある日例によってツイッター検索をしていて、「とんかつ屋二代目」さん(@TahrongiCactus)のツイートを見つけました。

新宿の有名な「さぼてん」さんの関係者の方らしいのですが、それ以上の個人情報は分からないので、その話しはさて置きまして、内容はこんな↓でした。

「岐阜弁小ネタとして、来客があったので亭主が家人に「ひきずりのまわししたれ(すき焼きの用意をしてあげなさい)」といったところ来客には「引き摺り回したれ」に聞こえたため慌てて逃げ帰ったとかいう話が御座いますね。」

さて、岐阜弁と申しましても、美濃弁と飛騨弁があります。

ここではすき焼きを意味する言葉として「ひきずり」を使っていますが、これは名古屋で良く使う言葉ですから、美濃弁の話しなのだろう、と思います。

「美濃弁(みのべん)は岐阜県南部の美濃地方で話される日本語の方言。東海東山方言の中のギア方言の一つで、特に尾張弁(名古屋弁)との共通性が多く、特徴としては東濃地方を除く地域で連母音の融合がある。飛騨弁・三河弁とも共通する部分が多い」

美濃弁で「まわし」は、相撲取りが使う「まわし」のことでは勿論なく、「支度する」「準備する」を意味する言葉だそうです。例えば、

「ちゃっとまわししやー」などと言うそうです。

現地ではかなりポピュラーな言葉らしいですが、地元以外の人は間違えますよね。

美濃弁の口調は「美濃のじゃ言葉」と呼ばるくらい、語尾が「じゃー」「やー」で終わります。「岐阜弁は怖い」「岐阜弁は汚い」とよく言われる理由がこれですね。

その怖い言い方で、

ひきずりのまわししたれ!

と言われたので、それを聞いた人が「引きずり回したれ!」

と思ってしまったのですねえ。

コミュニケ―ションは難しいものです。

お後がよろしいようで。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.285日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)