誓文
ブログ更新に熱中している内に、今年も残りわずかになってしまいました。あと30数日ほどで平成25年です。
平成も、もう四半世紀なのだなあ、と思うと同時に、来年自分は年男だ、ということにも気づかされます。
干支が四回転し、もう人生の後半戦に入るのです。
そういえば今までの年男の時は、私は何をしていたのでしょう。いつから現在の私が出来て来たのか、突然ですが思い出してみたくなりました。
三回転前の12歳の頃、私は受験勉強の最中でした。慶応中等部に入るため、勉強以外のことは何もしない年でした。
受験勉強で習ったことの大半は、その後忘れてしまいましたが、覚えていることもあります。
覚えているどころか、人生の方向性を決めたこともありました。
それは「五箇条の御誓文」です。
「御誓文」とは明治元年に明治天皇が新政を始めるに当り、公家や諸大名に示した、施政の基本方針のことです。
新帝が百官を従えて天地の神々に誓う、という形式をとったため、「御誓文」と呼ばれています。
以下五箇条の順番を無視して、私の気にいっている順に、現代語表記に変えて引用します。曰く・・・
・旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
この一条だけは木戸孝允が自ら発案して挿入したと言われています。維新後は政治の主導権を摂り切れなかった木戸ですが、最後まで理想家肌の人だったと伝えられています。
木戸の理想と覇気は、今日まで私を含めた多くの人々を魅了します。
ドナルド・キーン先生のように、この一条は何を言いたいのか曖昧だ、という方もおいでですが、私は好きです。カッコ良いと思います。
・官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
庶民にも志を遂げさせ、人心を健全に保つべき~この条文は、由利公正が起草した原案では第一条に置かれ、最も重視されていたそうです。この考えが「治国の要道」とみなされていたからです。
侍と庶民が同人種とは思えぬほどに違った生き方をしていたこの時代に、ここまで庶民を重視した態度には驚かされます。
まさに、この考え方こそ帝王の心得であり、そして経営の心得でもあると、今は思っています。
・上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
も同趣旨ですね。下層階級の人々も国家の「経綸」に参加すべし、というのは革命的です。
この文言を読めば、明治維新は単なる徳川家から天皇家への権力移動ではないと分かります。
・智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
・広く会議を興し、万機公論に決すべし。
私という子供はこうした条文を読むことで、進歩的な考えと伝統的な政治制度が同居しうる日本という国の貴重さを知りました。
私は今日まで割合と調べものが好きですが、そうなったのは、調べていけばこういう素敵な文章に出遭えるのだ、そう分かったからだと思います。
ところで、この「御誓文」は、福澤諭吉先生の代表作『西洋事情』と類似点が多いと指摘されています。たしかに私が読んでも近い感じがしますね。
多分近い感じだから、その後十年間慶應義塾に学籍を置いて、私は違和感が全くありませんでした。
そして、そう言えば自分の家は明治時代に起源がある商売をしている・・・
さて、これから私の人生も後半戦ですが、
「天地の公道に基づくすき焼き店!!!」
~は流石に大げさですかね、やっぱり。
ますます御高配を賜りたく、心よりお願い申し上げます。
これにて弊ブログは1.000日連続更新を達成。
1.000日間に渡ってお読みいただき、本当に有り難うございました。