洋食屋さんのある街

 ある日の夕刻、人形町を訪ねました。

 人形町~正しくは日本橋人形町ですが、近代的なビルが並んでいて一見ビジネス街のようです。でも、なぜかすき焼き屋さんと洋食屋さんが多い街です。その点が浅草と煮ているイヤ似ている、と言ってしまって良いのではないかと思います、アバウトですが。

 さらに歴史を調べますと、もっと似ています。浅草にあったものが、それ以前は人形町にあったのです。

 江戸時代初期には、葦原遊郭が人形町大通り東側の辺りにあったのです。1657年(明暦3年)の「明暦の大火」でこの辺り一帯が焼失した後、それを機会に幕府が移転を命令して、それで現在の浅草北方に移ったのです。

 もう一つは歌舞伎小屋です。やはりこの辺り(=堺町と葺屋町)にあった芝居小屋は、1841年(天保12年)12月の火災の後、浅草猿若町(=現在の浅草6丁目)に移転させられました。この移転命令は「天保の改革」として知られています。

 似てますね。歴史の方はアバウトな感覚ではなくて、史実です。

 さて、その人形町に今年創業100周年を迎える洋食店「小春軒」さんがあります。

 初代は、まず上野「精養軒」に入り、それから明治の元勲・山縣有朋公のお抱え料理人に成ったそうです。

 可愛い店名は初代・小島種三郎さんが春さんと結婚したことから「小春軒」と名づけられたと言います。

 店名の通り、今でも家族経営で、モットーは「気どらず美味しく」。この日も4代目を中心に営業しておられました。

 で、初代が考案したという元祖「カツ丼」と、もう1品ハンバーグをいただきました。

 カツ丼は洋食店だから洋風です。カツの上に目玉焼きとデミグラスソースで煮た野菜がたっぷりのって、しかも半熟卵も絡まっています。

 旨いですねえ。旨い要素がテンコ盛りです。

 人形町は一見近代的ですが、こういう旨いものがある街です。

 「小春軒」さんの店内には、御店の歴史を書いたボードが掲げてありましたが、そこには、

「初代・小島種三郎が結婚を期に独立、下町・人形町に開業した」と記されていました。

 そう、ここは下町なんです。

 そして旨いものがあります、下町には。

 追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

  「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は300人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて963日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: 憧れの明治時代,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメントはまだありません »

No comments yet.

Leave a comment





(一部のHTMLタグを使うことができます。)
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">