3153
「UENO3153」が開業しました。
「ユーイーエヌオー・サンイチゴーサン」と読むわけでは勿論なく、「うえの西郷さん」と読むのだそうです。
普通に「西郷会館」と言えば良さそうなものを「・・・」ですねえ。どうせなら、もっと歯切れ良く、UEN35とかにして、HKTの後でも追えば、と思ったりしますが、それはさておきまして、場所と事業内容を書いておきますと・・・
場所は、上野の山の西郷像の直下で、以前レストラン「聚楽台」があった場所です。事業内容は飲食店を中心とした複合商業施設で、「精養軒」さんや「銀座ライオン」さんが入っています。「・・・」なテナントも入っていますが、そのことをここに書くのは止めにして、西郷さんのことを書いてみることにします。
最近「維新」が流行ってますしね。
さて「書いてみる」と申しましても、西郷さんについて私が立派な論を書けるわけではありません。
書けるとしたら、実に分かりにくい人物だった、ということだけです。近代政治史上、最も分かりにくい人かもしれません。
西郷さんと言えば「維新の酸欠」イヤ「維新の三傑」ですが、西郷さんは結局日本の近代化を推進したかったのか、そうじゃなかったのか、良く分かりません。
薩長同盟・王政復古・戊辰戦争・江戸開城・廃藩置県といった一連の変革は、全て西郷さんが主導しており、特にこの中で最も革命的な内容の廃藩置県は、西郷さんの強烈な意志の力なしには、とても成し得ない一大事でした。
参議在任中に、士族から職を奪う「徴兵令」の布告にも賛成していますから、ここまでは近代化路線です。
しかし、その後西郷さんは「征韓論」という奇妙な政策にとりつかれてしまい、この政策が却下されると下野、ついには、あの無謀な西南戦争を引き起こしてしまいます。
西南戦争の時の西郷方の戦略は、西郷さんが「反政府」を掲げて決起すれば、全国の不平士族が一斉に蜂起するから、それを引き連れて上京すれば良い。戦略なんてものは無用だ、という戦略でした。無謀な流血を長く続けさせた罪は重いと言えます。
しかし、西郷さんはとても敬愛された人で、特に戦った経験のある敵方から愛されました。
『南洲翁遺訓』という西郷さんの教訓録は、戊辰戦争で薩摩藩と激しく戦った、旧庄内藩士たちが、その後西郷さんを敬愛するようになり、直接聞きとった教訓を本にまとめたものです。
明治天皇も西郷さんが大好きで、西南戦争が始まると陛下は半ノイローゼのような精神状態に成ってしまいます。
戦争の終盤・城山の戦いでは、新政府方の将軍・山縣有朋が、城山に籠る西郷さんに密書を送っていますが、そこには西郷さんへの敬意が綴られていました。
こうした話しは美談ですが、分かりにくさ、評価のしづらさに繋がって行きますね。
そうした話しの最後のオマケが、上野の山の銅像です。
上野の山は、彰義隊VS新政府の激戦地で、新政府方の先鋒は西郷さんが率いる薩摩兵でした。両者は上野広小路の辺りで激しく衝突したと伝えられています。
もっとも、この戦いの帰趨を決めたのは佐賀藩が持っていた長射程のアームストロング砲でした。新政府方は、この大砲を本郷台に曳き上げ、不忍池越しに上野に向かって砲撃しました。対する彰義隊は旧式の武装だけでしたから、上野から逃走せざるを得ませんでした。
この砲撃で上野の多くの文化財が焼失しました。上野の人々は、さぞ残念がっているはず、と思いきや、その戦場に西郷さんの銅像がたてられました。
銅像がたったのは明治31年。上野戦争から31年、西南戦争から21年しか経過しておらず、実に驚く話しです。さすがに銅像の西郷さんに官服を着せるわけにはいかなかったらしく、着流しの西郷さんに成りましたが、それでも朝敵の銅像を、同じ陛下の在位中にたてるとは驚いた話しです。
しかし時代は流れて、今や上野と言えば西郷さん、という感じの観光スポット・観光資源です。
その銅像直下の「3153」を訪れる人々の中で、果たして、どの位の人が西郷さんの分かりにくさを分かっておいでなのでしょうか。
いや、そういう方向へ客が興味を向けないように、あえて軽い感じで3-1-5-3なのか。
でも4桁は歯切れ悪いですよね。やっぱり48の方が良いよねえ。
追伸①
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皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて952日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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