玉泉寺と曽祖父

 このブログの、昨年の7/8号の続篇です。

 その号で、下田市(静岡県)の玉泉寺という御寺に、日本で初めて牛を屠殺したという碑が建っていて、建立者の中に、私のご先祖が入っている、ということを書きました。

 下田の玉泉寺という御寺は、日米関係史の中では、とても重要な所で、ペリー来航の後、最初にアメリカ総領事館が置かれた所です。1856年から3年弱、タウンゼント・ハリス総領事がここに滞在して、幕府との条約交渉に当たっていたのです。

 総領事や館員が住みますので、当然「牛肉を食べたい」ということになり、大変皮肉なことに、御寺の境内で殺生が行われたのです。
 境内の「仏手柑樹」(ぶっしゅかんじゅ)の木に牛がつながれ、屠殺されていったそうです。そして、この仏手柑樹の木の立っていた所に、屠殺されていった牛を弔うべく、昭和6年4月8日、東京の牛肉商たちによって、「牛王如来」が建立されました。 

 その建立の費用を寄進した人物の中に、私の曽祖父・住吉忠次郎と「今朝」Fさんのご先祖様が入っているのです。

 驚きましたのは、その「牛王如来」の、お披露目式の様子を撮ったビデオが出てきたことです。ビデオと言っても、昭和6年にビデオはありませんから、当事のニュースフィルムをビデオにコピーしたものですが、なにしろ、父の資料の中に在ったのです。

 それは10分ほどの、白黒の動画ですが、見ていてさらに驚いたのは、その派手な様子です。

 経をあげるお坊さんが、大勢、たぶん7〜8人いるだけでなく、お稚児さんが20人ほどぞろぞろと動員されています。全員に稚児の衣装を着せてあります。

 見物人も多数います、群衆と言っていい位大勢います。

 何で、こんなに人がいるんだ、という疑問は、見ていてその後すぐに解けました。経をあげ終わった後、御寺で芸者さんの踊りが披露されているのです。その数30人以上。「下田技芸組合」という大きな垂れ幕の下に、仮設舞台が造ってあり、そこで踊っています。群衆のお目当ては、そっちでしょうね、間違いなく。

 どうです、派手ですよね。

 でもザンネンながら、曽祖父の顔は確認できませんでした。

 なぜだか分かりませんが、画像の撮り方が上手くないのです。被写体をパンする時、カメラを振るのが、妙に速くて、上下にフラついていて、しかも左右に行きつ戻りつするのです。

 下手だなあ、撮影。

 それで曽祖父の顔は確認できず、でも「ちんや」の幟だけは確認できました。幟には、なぜだか「ちんや本店」と書かれていて「本店」の意味が不明ですので、そこはこれから調べたいところです。

 それにしても、派手ですよね。当事の肉屋って、儲かったんでしょうかね。生まれる時代を間違えました。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて319日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

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Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM
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2 Comments »
  1. 曾祖父様が60年前の交通事情で下田まで出かけられたのは大変な事と思います。私はペリーの企画で単行取材(急な取材でただちに準備して出たものの、財布の中が寂しかったので途中の銀行でと思ったら伊豆半島には都市銀行が全くなく寂しい出張になりました)で35年前に下田の玉泉寺にまで行った当時の事は今でも鮮明に記憶に残っています。道路に面した玉泉寺の佇まいが特徴的でした。その時にその碑に気づいていたら、すきや連の時に自慢気にお話が出来るでしょうにね。

    Comment by 川井秀晃 — 2011年1月16日 1:46 AM
  2. 川井さま、住吉史彦です。いつもご愛読ありがとうございます。下田のことは日本の肉食発祥の地ですので、PRしていきたいですね。

    Comment by F.Sumiyoshi — 2011年1月16日 2:17 PM
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