市立中学校
久住昌之先生がインターネットのグルメ情報サイトに連載している『途中めし』の第10回にお採り上げ下さった件は、昨日のこのブログに書きました。
「遠くて近くて羨ましい街・浅草。平成30年の出発は高級すき焼きでシアワセに…!」
久住先生は『孤独のグルメ』や『かっこいいスキヤキ』で有名な方ですから、嬉しいことでした。ありがとうございます。
で、その久住先生ですが、実は私の嫁と同じ東京都三鷹市立第N中学校の出身です。つまり先輩・後輩ということです。小学校は三鷹市立第(N+3)小学校です。
地元の人は「N中かあ!」「(N-1)小ね!」と言い合っているようですが、私のような下町の人間には、学校の名前が数値だということに、ひどく違和感があります。この辺りにそういう名前の学校は無いからです。
だいたい私は、嫁の中学校のナンバーを今でもハッキリ記憶していません。うーん、三鷹市立の何番目かの学校だったよなあ、という感じです。数値は覚えにくいです。
第一はカッコ良いし、覚え易いです。
第三、第五も良いでしょう。ベートーヴェンなら「英雄」と「運命」ですからね。
でも第二十九、四十二、四十九は気の毒。
学校の名前が数値だということには、ひどく違和感があります。今回先生の文のタイトルは今回「遠くて近くて羨ましい街」でしたが、「遠くて」の一因は、こういうところにもあると思います。
では遠いばかりかと申しますと、そうでもないと思います。
事実、私は若い頃、1960-70年代の中央線沿線カルチャー(あるいはサブカル)を「羨まし」く思い、また近寄りがたいなあーと距離感も感じていたからです。
縁遠い世界に飛び込む勇気が結局なかったのです。左翼のイメージもありましたしね。
そして、最近思うのですが、
中央線沿線カルチャーって、戦前の浅草と似てるよね。
戦前の浅草も多くの文化人を集め、そこで多くの作品が創られました。戦後浅草が衰退してしまった頃に、空白を埋めたのが中央線沿線だったように思います。新宿も、渋谷も、東横線沿線も、中央線のようではなかったですよね。
表面的な違和感に囚われず、飛び込んだら楽しいのだろうなーと今は思います。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.906日連続更新を達成しました。すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。
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