真剣にケンカ
三代目桂米朝さんは、あらためて紹介するまでもなく、「上方落語中興の祖」と言われた方です。亡くなって忘れられるどころか、紹介される回数がむしろ増えているようにすら見えます。
で、米朝さんのすき焼きの思い出という記事を見つけました。ご子息であり弟子でもある米團治さんの談です。
「お弟子さんたちと一緒に食べた、すき焼き。多い時には10人以上、普段は台所で食べてる人も茶の間で一緒に鍋を囲む。独演会の後とか、おやじがなんやかんやと理由をつけて食べたがるんです。 「最近、肉食べてへんな」って。」
「10年以上、味の名店紹介番組に出演していたおやじですが、さすがに台所に立つことはなかった。ただ、すき焼きだけは別で「あっ~、待て待て、わしがする」と鍋奉行です。具の置き方にも決まりがある。 」
「薄味好みのおやじに対し、おふくろは甘党で、食卓を離れた途端「チャーチャン(米朝さんのこと)」あっち行った。さあ砂糖、砂糖」ってだーっと入れる。いっつも同じタイミングで夫婦げんか。「今日はすき焼き」と聞くと「また、けんかや」とげんなりするお弟子さんもいたみたい。」
「おかしいですよね。後に人間国宝にまでなる人がすき焼きの味付けで真剣にけんかするんですよ。けど米朝師匠は何事にもこだわりの人ですから。 父のすき焼きと、母のすき焼き、二つの味の思い出を持つ自分は幸せだと、今は思います。」
関東人と関西人が結婚すると、すき焼きの味付けでケンカになると言いますが、米朝さんの絹子夫人(故人)は大阪松竹少女歌劇団の出身で、やはり関西人。
関西人同士でも、すき焼きで真剣にケンカって素晴らしいですね。
追伸、
すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。
すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。
ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。
どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。
投稿〆切は9月末日です。
既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.015日連続更新を達成しました。
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