サラエボ事件

サラエボを訪問していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃・暗殺されるという事件が起きたのは、1914年6月のことでした。

これが第一次世界大戦のキッカケです。

この戦争は長期化して、各国は国家総力戦を強いられることとなり、それまでの人類の常識をはるかに超える人的損失・経済的損失がもたらされました。

それから百年。

この戦争の犠牲者を追悼するため、EU加盟国の首脳らは今月、かつての激戦地に集まって追悼式典を開催したそうです。

で、この戦争と「ちんや」が実は関係あるんです。

へええ?!でしょう。

御説明しますね。

この戦争中、浅草本願寺が俘虜収容所として使われました。

日本は連合国側に立って参戦、ドイツ軍の極東における根拠地チンタオを攻略しました。その結果、約4700人のドイツ兵が戦争俘虜となったのです。

俘虜たちは船で日本に輸送され、全国各地の収容所に振り分けられたのですが、そんな中、東京の収容所としては浅草本願寺が使用されたのです。

この時日本側はドイツ兵を手厚く待遇したようで、ベートーベンの「第九」を日本で初演したのが、俘虜兵であったことは有名な話しですね。

第九初演の場所は残念ながら浅草ではなく徳島県の収容所でしたが、浅草でも兵たちが合唱団を結成していたようです。また収容所当局は、兵の栄養状態に気を遣ったらしく、旨い肉を調達しようと努めました。

その肉を提供したのが、浅草広小路の「ちんや」だった、という次第です。

この収入が弊社の社業を発展させたことは申すまでもありません。

風が吹けば・・・みたいな話しですが、ドイツの方角には足を向けて眠れません。

Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium

Wir betreten feuertrunken. Himmlische, dein Heiligtum!

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.582日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM
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