曳山まつり
街に歴史あり。学びに行けば面白いのですが、日々忙しく、なかなかそういう時間がありません。
そんな中、二条彪先生の「ニッポン全国彪友会」が長浜で開催されたので、長浜を訪問しました所、地元の「湖彪会」の皆さんが、とても熱心に観光案内をして下さいました。
さて長浜は元々城下町だったのに、城が無くなり、城が在った時代に城下に発展した都市だけが残っている、という非常にユニークな成り立ちの街です。
長浜城を築いたのは、若き日の豊臣秀吉です。
浅井長政を倒した秀吉は、浅井の旧領・北近江三郡の主となり、浅井の本拠だった小谷城の近く、琵琶湖畔に長浜城を築きました。
秀吉は長浜城下に計画都市を建設しようとし、近在の商人や職人を誘致しました。自由な商取引きを認めたため、長浜の街は発展していきます。
やがて秀吉は天下統一を進めるため長浜を去り、江戸時代に入りますと、この辺りの中心地は彦根に移ります。
徳川幕府が近江国統治の中心として彦根城を築き、徳川譜代の井伊家が入城、天下の要衝である、この地を治めることになったからです。一方長浜城は廃城、今在る城は再現です。
城を再現した、その中が歴史博物館になっていて、今ここに書いていることは、全てそこに展示してあることの請け売りです。そういう次第で、まだ続けますが・・・
こうして長浜は政治の中心ではなくなりましたが、元々街道・水運の拠点でもあったため、商人達が居残りました。
武家の世である徳川時代にあって、長浜は商人の街であり、しかも秀吉派の商人の街であり続けました。そうした存在は、この街だけでしょう。
有名な「長浜曳山まつり」の始まりも、秀吉が男子誕生の祝いに町人へ砂金を贈ったことに由来するそうです。その砂金を原資に町人たちは曳山を造営し、長浜八幡宮の祭礼に曳いた、と伝えられているそうな。
聞けば、今も街の人々は曳山の出番がまわって来ると、2月あたりから4月15日の祭の日まで、本業が手につかない有り様なのだとか。
街に歴史あり、ですねえ。
追伸①
単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。
21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。
時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。
くわしくはこちら↓です。
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は370人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.336日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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