良いとこ獲り

浅草は「なんちゃって」な店を何時だって許容してきました、と以前にこのブログで書きました。

しかし浅草は「利殖家」「良いとこ獲り屋」には手厳しい街です。

「利殖家」またの名を「良いとこ獲り屋」とは、業界の情勢が良い時に進出して来て、風向きが変ったら撤退して行く人達のことです。

例えば、私が今大キラいなのは「民泊」。

個人の持ち家を「旅館業法」の営業許可を得ることなく、外国人観光客に貸し出す事業のことです。平成26年辺りからインバウンド観光客が増えているとみて、事業を開始した輩が多いですが、連中は、普通の下宿人に貸すよりそうした方が利幅が大きいと思うからやっているだけで、旅館業が好きなわけではありません。

本当にリアルに私が見た話しですが、浅草のマンションの一室の所有者が中国人に部屋を貸してしまいました。キーロックで守られている筈のマンションに外国人が自由に出入りしています。アンビリーバボーなことです。

「民泊」の施設は国土交通省、厚生労働省、消防庁、警視庁の御指導をうけていません。

衛生状態や火災時の安全を確保するには、それなりの設備投資が必要ですが、「民泊」の施設は、そういうことをしません。

一方、これまでずーっと、国の御指導に従順に従って来た老舗の宿泊業の皆さんは、あんな連中に客を奪われて、本当にお気の毒なことです。

なのに政界の大勢は、「民泊」を規制緩和して「成長戦略」の一つにしよう!という方向なのだとか。オリンピアなる、いっときの狂騒のために、永年国の指導に従って来た人たちが利益を得る、わずかの機会を取り上げるとは。

「良いとこ獲り屋」が罷り通る国に成ってしまったらいけません。このような為政者の下に居ることが、私は気分悪くて仕方ありません。

南無観世音菩薩。

話しを戻しますが、「なんちゃって商人」と「良いとこ獲り屋」は違います、断じて。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.045日連続更新を達成しました。

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全国民の慶事

オリンピック!と唱えれば泣く子も黙る御時勢です。

しかし浅草の過去を知っている人にとっては微妙な感じがします。

1964年のオリンピックで痛い目に遭っているからです。

ここで最初に、戦前の浅草公園六区の写真を画像検索で探してみて下さい。その壮大さにびっくりさせられることと思います。

興業街には立派な建物がひしめくように並んでいます。そのほとんどが劇場・映画館・寄席・見せ物小屋といったエンタメ関係の建物です。

名前も「金龍館」「電気館」「帝国館」「富士館」とご大層。どの館も幟を沢山たてて賑々しい感じです。夜間も電灯を煌々と点けて営業し「不夜城」と形容されたそうです。

しかし、その栄光を一つの技術があっと言う間に過去のものにしました。テレビジョンの登場です。

1959年に皇太子明仁親王様(=今の天皇陛下)の御成婚が決まると、その中継を視ようと、一般人がテレビを争って買い求めるようになりました。この時点では白黒でしたが1960年にはカラーに。

そして1964年の東京オリンピック。

わざわざ浅草などへ出かけなくても、茶の間で世界一流の競技が視られるのですから、従来からの、出かけて行くタイプの興業街・興業界に与えた影響は甚大でした。

六区からは大きい資本が潮が退くように退いて行きました。特に私が子供の頃=70年代がひどかったように思います。六区の劇場は軒並み閉館していてまさに廃墟。

今だから言えますが、「ちんや」が在る「浅草中央町会」辺りの子供達は「なるべくあっちへは行かないように」と言われていました。

全国民の慶事のように見えて、実はそうでもないってコトがあるんです。本当の話しです。

それと同時に、私は今、この浅草の暗黒時代=テレビの全盛時代を生き抜いて来た先人に興味を持っています。

テレビの影響で、浅草から大きい資本が手を引いて行く中で、小資本が街を支えられるのか?

それをやった人がいたんですね。

そうした先人のやったことに今私はとても興味を持っています。

 

追伸

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

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無免許旅館

そ、それって、「無免許旅館」に成ってしまいませんか?

「無免許旅館」はソウル名物と聞いていましたが、それと疑わしきものが、浅草のド真ん中に在ったなんて!ちょっと衝撃です。

「無免許旅館」とは民間人が自分の持ち家を観光客に貸すことで、そういう「旅館」の存在が韓国の観光業界の評判を毀損しています。

日本でも、不特定多数の客を対象として、その事業を反復継続するのなら都知事の許可を得ないといけません。それをしないと旅館業法違反に成ってしまいます。

今ここで「旅館」と書きましたが、正確には、その物権はマンションでした。最近では浅草の街中にもマンションが在りまして、そういうマンションの前で中国人と思しき若い男女が8人ほど、中に入れないと騒いでいたので、私はその「旅館」の存在に気づいたのです。

もしもし、ここはマンションですよ。ホテルじゃないです。

分カッテマス。ソノまんしょんニ入リタイデス。(と、その中国人?は日本語が話せます。おそらくは無免許ガイドでしょう。)

デモ、鍵ガ合ワナイノデス!

鍵が合わない理由は分かりました。そのマンションの住民の方がおっしゃるには、最近オートロックの機械を取り替える工事があって、たぶん「旅館」の持ち主が鍵を替えていないのだろうということでした。

ぷ、ぷ、ぷぷぷぷー 安い旅行をしようとするから、そうなるんです。ちっとも同情できませんな。

あ、いや、失礼しました、マンションの住民にとっては一大事ですよね。オートロックに守られて暮らしていると思っていたのに、その日常にある日外国人がドヤドヤと乱入して来るなんて、非常事態です。

ぜ、絶対に、管理組合の理事会で問題にしてやるわ!!!

お~桑原、桑原。

私は、そそくさと現場を後にしました。

どうか、これ以上加熱しないで下さい、インバウンド観光。

まあ、人民銀行が元安にと向け始めたそうだし、ぼちぼち手仕舞いだと思いますけどね。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

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やり手

最近浅草に店を出すと、「やり手の社長」と評価されるらしいです。

目ざとく、人の集まっている所に出店する機動性が「やり手」と言われるのでしょう。

そうと私が気づいたのは、とある展覧会のパーテイーで旧知の人が近づいて来て、

住吉さん、住吉さん、知り合いに素晴らしい社長がいましてね、最近浅草に店を出したから今度是非ご紹介したいです!

と言って来たからです。

正直申して友達に不自由はしていないので、始めはぼんやりと聞いていましたが、あまりに

素晴らしい社長なんです!

素晴らしい方なんです!

と連呼するので、どんな店か聞いてみますと・・・

知ってました、その御店。たしかに浅草に在りまして、ご繁盛のようです。

でも、「なんちゃって」なんですよね。

その御店は伝統工芸方面の御店なんですが、商品のマテリアルは勿論のこと、デザインも「なんちゃって」です。「なんちゃって」を通り越して、ふざけているようにすら見えます。

そういう御店が繁盛しているのを見たら、旧来の製法で頑張っている人が嘆くこと間違いないです。

しかしです、伝統工芸がふざけていけないことは勿論なく、むしろ楽しい方が良いです。

いくら拘りがあっても拘り過ぎて、上から目線になってはいけません。

「ちんや」だって、狆を止めて料理屋に成った時は、「なんちゃって」だったに違いありません。浅草は「なんちゃって」を全否定してはいけないと思います。

でもなあ、御店の前を通りかかると、とにかくヘンなので気になります。

「ご紹介」どうしようかなあ。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

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シンガポールの異変

ある日浅草のコンビニに免罪コーナー、いや、免税コーナーが出来ていて、驚いてしまいました。

コンビニってコンビニエントな店じゃなかったの?観光客がレジを占領して、ちっともコンビニエントでなくなっています。

あんまりインバウンド対応に突っ込んで行って欲しくないよなあと思っていましたら、日本の将来を予感させる記事が出ました。

「シンガポールに異変…観光客激減、中国の“爆買い”集団は円安・日本へ」という産経新聞の記事です。

「東南アジア有数の買い物天国として、各国の富裕層を魅了してきたシンガポール。なかでも高級ショッピングモールが立ち並ぶオーチャード通りに異変が起きている。」

「これまで中国本土やインドネシアなど国外からの買い物客の増加を受け、次々と新しいショッピングモールなどを開いてきたが、シンガポールドル高などもあり外国人客が急減。さらに店舗用不動産の供給過剰で、賃料を値下げする物件も出てきた。また、顧客が減ったことで閉店に追い込まれた店が並ぶシャッターモールも目立つ。」

「日本の景気が、安倍政権による経済・金融政策によって上向きに転じ、さらに大幅な円安で中国はじめ外国からの観光客にとって日本旅行の方がシンガポールより相対的に割安となったこともあって、中国人観光客が日本に殺到。その反動か、シンガポールを訪れる外国人観光客は減少に転じた。」

「今は“爆買い”中国人観光客に沸く日本の小売業界にとっても、明日はわが身かもしれない。」

この記事に対するコメント欄にも、

「観光業って水物そういうものでしょ!観光業に頼りきったギリシャが悪い例」

「今の状況に合わせてむやみに新しいホテル等を乱発させない方が良い。今が特別。仮設や他業種協力などで乗り切った方が本当の「特需」となるだろう。」

はい、まったくもってその通りと私も思いますね。

もちろん私は「爆買い」「爆食べ」はスルーしてまいります。

追伸、

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電飾広告

隅田川花火大会の夜は、年に一度、屋上の電飾広告に注目する夜です。

ビルの屋上でビカビカ光っている、あれのことです。

今年の花火は、猛暑の中7/25に無事開催されましたが、その夜、

天麩羅の「三定」さんの電飾は消えていました。

「ホテル魚眠荘」さんの電飾も消えていました。一方、

居酒屋チェーン「つ♡八」の電飾はビカビカ光っていました。

カラオケチェーン「ビッグエ♡ー」の電飾もビカビカ光っていました。

この違いはどこから来るのか。

もちろん企業姿勢ですね。

ある会社さんは、こういう日こそ我が社の電飾が目立てる日だ!と電飾に清掃業者を入れてビカビカと光らせます。

しかし別の会社さんは、花火がより綺麗に見えるよう、自社の広告を消します。

貴女なら、どちらの企業に好意を持ちますか?

追伸

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昇殿

第21回すきや連を、浅草新仲見世の「今半本店」さんで開催しました。

せっかく浅草へお越しいただきましたので、参加者の皆さんを浅草神社(=「三社様」)へご案内し、昇殿・参拝をしていただきました。

祭の神輿を観たことのある人は多いと思いますが、神社の中へ入ったことのある人は多くはなく、素晴らしい体験だったと喜んで下さいました。

神様には、「すきや連」ですから、肉を奉納させていただきました。

さて今回入れていただいた、三社様の社殿は国の重要文化財に指定されています。第三代将軍徳川家光により寄進・建立されたものです。

度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れ350年たった現在も当時の面影をそのままに残しています・・・

と、いうこと位は私も勿論知っていたのですが、その被害の免れ方のすさまじさについて、今回私は恥ずかしながら認識を新たにしました。

昇殿の前に神社の禰宜さんに講話をしていただいたのですが、その話しの中に太平洋戦争の3.10大空襲のくだりがありました。

三社様のすぐ西側の、浅草寺の本堂は焼けました。

三社様のすぐ北側の、浅草寺のお坊さん達の住居群も焼けました。

そして三社様の境内の、社殿のすぐ南側の神輿庫も焼けました。

実は、三社祭の神輿は戦前は七基ありました。その全てがこの時失われまして現在は三基です。

七基が三基になったことも私は勿論知ってはいましたが、

神輿が全部焼けて、しかし社殿は残っているってどういう事情だったのだろう?もしかして神輿を他所へ避難させていて、運悪くそこが爆撃されたのかな・・・とか思ったりしていたのですが、まったく違いました。

社殿の周囲が、神輿庫も含めてことごとく焼失したのに、ギリギリ社殿だけが残ったのだそうです。奇跡的です。

私は日頃、建物が失われてもノウハウと心があれば、街も店も再建可能だ、と申しておりますが、しかしやはり焼け残ったものは大切です。残り方が奇跡的であれば尚更ですね。

「度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れ・・・」だけでは伝わらないことがありますね。

地元の歴史は客観的な事実だけでなく、詳しい経緯も知っておきたいものだと痛感しました。

 

追伸

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すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

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どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

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開催しました~第21回「すきや連」②

第21回「すきや連」を開催しました。

浅草新仲見世の「今半本店」さん。

今回も50人以上の、全国のすき焼き関係者が集結して大盛況。老舗の味と風情を堪能させていただきました。

<参加者の皆さんが書いて下さった寄せ書きを、昨日から公開しています。今日は、その②です。ご覧ください。>

・七夕の夜に浅草今半本店さんのおいしいすき焼きを「すきや連」メンバーと楽しく食せること、とでも幸せです。(中川晶成)

・浅草の歴史に乾杯!美味しいすき焼を食べ、七夕に願いを込めて(尾崎仁)

・老舗の味を スキヤキソングを口ずさみ、愉しい浅草の夜(吉澤彰浩)

・七夕に願いを込めて おいしいすき焼きありがとう。(林邦宣)

・創業120年今半本店の昔ながらのすき焼き最高。(黄木修太郎)

・創業120年今半本店さん楽しみにして参りました。やっぱりスキヤキ最高です!!

(荒井順子)

・七夕の日に浅草で老舗のすきやきを味わう、もう幸せです!(荒井亮一)

・七夕にすき焼!浅草の老舗で舌つづみ 黒毛和牛最高(吉澤直樹)

・老舗の味を堪能させていただきました!!(吉澤裕介)

・牛肉と白菜美味しい今半流(柴田伸太郎)

・初めての参加勉強になりました。(森嶋利成)

・本日は科学で解明出来ないおいしさを勉強しに来ました(佐々木整輝)

・浅草の老舗今半本店さん、文明開化の味を楽しみました(森大亮)

・美味しいすき焼き頂きました。今半本店さんに感謝(松浦保)

・今半本店で七夕すき焼き。歴史を感じる味でした。(小金沢章文)

・創業120年老舗のすき焼き美味です(島崎進)

・浅草神社に参拝し歴史ある今半本店さんの美味しいすき焼きに感謝です。(和田政司)

・同じ「今」の付くすき焼き屋として初めて訪問し、とても美味しく頂きました。お野菜に白菜が入り、椎茸が入らなかったり、とても勉強になりました。(藤森朗)

・新幹線に乗って北陸金沢に能登牛のすき焼き食べに来まっし!日帰りはダメよ!!今日はごちそう様でした(中田二郎)

・今半さんの歴史を勉強させて頂きました。すき焼きに感動!!ありがとうございました。(西居基晴)

・美しい神代杉、吉野杉の木目。明治時代のお洒落で美しい電灯 心豊かの中で今半本店のすき焼き頂戴できて感謝です。伝統の美しさいつまでも(羽鳥裕子)

・浅草神社の参拝で牛肉がお供物とされているのは感激でした。底深い今半さんたちの歴史にまだまだ届かない私共が学ぶこと大でした(加藤英子)

・味の年輪は素晴らしい。おいしくいただきました(加藤政義)

・老舗の歴史は継続の力です。これからもずっと続けていかれる事を切に願います。これからもよろしくお願い致します(星南子)

<以上>

追伸

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開催しました~第21回「すきや連」①

第21回「すきや連」を開催しました。

浅草新仲見世の「今半本店」さん。

今回も50人以上の、全国のすき焼き関係者が集結して大盛況。老舗の味と風情を堪能させていただきました。

<まずは、参加者の皆さんが書いて下さった寄せ書きをご覧ください>

・七夕や牛にひかれて仲見世へ(向笠千恵子)

・浅草に彦星牛女つどひけり(向笠千恵子)

・すき焼きの香り立ちたる星逢ふ夜(向笠千恵子)

・相澤さん、美味しいすきやきありがとうございます。私の知らない今半の歴史を知りました(高岡修一)

・「あさがお」と「すき焼」楽しむ浅草最高。(高岡慎一郎)

・盛夏にて盛会なりやすき焼のクーラなごむあつかんの宵花(高岡哲郎)

・すきや連久しぶりですが最高です。すきやきソングの由来が今半とは!(高村善雄)

・七夕夜に今半本店のおもてなしと最高のすき焼きを味わえて幸せ!!(森脇政子)

・すき焼きは芸術だ!(手塚雄二・生子)

・モットモットすき焼きを食べて和牛文化を拡めて下さい。飼育頭数が減っていることが気になります。(天井国康)

・すきや連三田会最高!!(山口辰幸)

・今半本店さん、浅草今半さん、人形町今半さんとありますが、どこが本家とか言うことなく、お揃いで笑って見えるのを拝見し嬉しく思いました。「柿安」も三つに分かれています。何代も代が替わり今は冠婚葬祭でしか会いませんが、それぞれの良さをいかしお互い頑張っています。すき焼きは和の象徴。3軒ともよろしくお願いします。(赤塚直子)

・とろける肉おいしくいただきました。(九鬼紋七)

・バリアフリー!のすき焼き屋さんが増えることを願っております。(川井秀晃)

・縁があるような無いような浅草でしたが、浅草神社お参りでつながりました。(伊藤祐嗣)

・掛軸にある「夢」の字の迫力。このようなエネルギーのある字をかけるようになりたい!です。(鏑木武弥)

・向笠さん。住吉さん夫夫有難い御縁に感謝!今半さん美味しく頂きました。(井出民生)

・鬼灯の夜店こがれる赤い爪(松井純)

・久しぶりの浅草嬉しいです。すき焼きの原点浅草にあり!(土居秀夫)

・第21回すきや連開催おめでとうございます!「日本のごちそうすき焼き」も増刷するよう頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします!(水野良美)

・(七夕の願い)重版できますように!(清田康晃)

・地元浅草開催でお着物きてすき焼き~美味しく頂きました。浅草神社も成人式以来の社殿参拝で禰宜さんに「ご結婚は?」とツッコまれました(笑)。(清水祐子)

<寄せ書きはまだ在りますので、残りは明日のこのブログでUPします>

追伸

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昭和の浅草・平成の浅草

大学時代の部活のOB会報誌が私にインタビューしたいと言います。在り難くお請けしましたら、

昭和の浅草と平成の浅草の違いはどこか?

という御質問がありました。

うーん、難しいですね。

この質問に答えるには、

まず、昭和・平成以前に、変わった点と変わらない点があることを考えないといけません。

そして、その変わった点について、いつ、どういう理由で変わったのか、を考えるのが良いと思います。

そんなに簡単ではないんです。

さて、まず最近目立つのはインバウンドの観光客ですが、

私が最初に彼らに気づいたのは2002年(平成14年)。 FIFAワールドカップ日韓大会を応援するため来日したサポーターたちが、浅草の「ホッピー通り」(正しくは「公園本通り」)に飲みにやって来た時でした。

それ以前日本に観光に来る外国人と言えば、たいていインテリで、歌舞伎や茶器を観に来るような人達でしたから、「ホッピー通り」なんてあり得なかったのですが、ここで大きく雰囲気が変わりました。日本人もあまり行かなかった「ホッピー通り」が急に賑わい始めました。

2007年(平成19年)「観光立国推進基本法」が施行されて、インバウンド誘致は国是に成りましたが、すぐに大勢のインバウンド客が来るようにはなりませんでした。円高だったからです。

今のように大勢の観光客が入り込むようになったのは、やはり「アベノミクス」による円安が主な原因だと私はみています。2012年のスカイツリー開業は追い風になりましたが、やはり円安です。

円安は、インバウンド観光客の質と量に変化をもたらしました。

歌舞伎座からホッピー通りへ。

個人旅行から団体旅行へです。

このような変化が目立ちはしますが、これを平成の浅草の一大特徴と言い切って良いか、それは未だ分からないと私は思います。期間的にそう長くないですし、円安が解消すれば様子も変わるかもしれませんからね。

次に、こうした変化が浅草にどのように作用したか、です。浅草は大きく変わったのでしょうか。

たしかにインバウンド消費を当て込んだような、雨後の筍的な店が出来ているのは事実ですが、彼らが浅草の屋台骨に影響を与えているでしょうか、

私は今のところ、そこまでではないと看ています。

それよりも私は日本人自身の変化の方が気になります。

例えば、歩き食い。

食べ物ではあるのですが、

飲食店のように、席と箸を用意された所で食べるのではない、しかし、

家まで持ち帰れるような、しっかりした包装をされているわけでもない物。

つまり歩き食いするしか食べる方法がない食べ物が浅草でたくさん売られるようになりました。

歩き食いのようなマナーに反する行為を恥ずかしがる日本人が減ったからです。

今インバウンド外国人がそれをまねて楽しんでします。郷に入っては郷に従えですからね。

油でベトベトになった手で商品を触られてしまう仲見世の人達は日々イライラを募らせていますが、外人さんのせいじゃないと思いますよ。元はと言えば日本人が悪いんです。

この意識の変化は確実に街を変えると思います。

客席が要らないんですから、安く売ることが出来て「歩き食い店」は有利です。

飲食店から「歩き食い店」へ。

気分は悪いですが、業態が確実に変わって行くでしょう。

ウチも「歩き食いスキヤキ」を開発しないとなあ。

追伸

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