当然の判決

やっと判決が出ましたか。
良かったです。当然の判決です。
毎日ウチの前を暴走している「マリカー」が、任天堂さんの知的財産権を侵害していると認められました。
報道によりますれば、任天堂さんは、
「公道カートレンタル事業「株式会社マリカー」へ不正競争行為と著作権侵害を行ったとして東京地裁で訴訟を起こしていた件について、勝訴したことを発表しました。判決ではマリカーに対し、不正競争行為の差止めと、損害賠償の支払いなどが命じられています。」
当然と思います。
パーテイーでマリオの仮装をして盛る上がるくらいならまだしも、あの格好で天下の公道を走る行為が知的財産権の侵害でないならば、この国に知的財産などというものは、まったく無いのと一緒ですよね。
あれを認めたら、パクり放題の国に成ってしまいます。
当然の判決と思います。
それにですね、あの車は危ないです。
屋根がなくて「剥き出し」だし、車体はヤワだし。
事故るかもしれない行為に自社ブランドが使われることを阻止するのは、任天堂さんの自然な権利と申せましょう。
この上は、裁判所だけでなく、警察もお考えいただきたいと思います。

追伸⓵
東京商工会議所が主催する、第16回「勇気ある経営大賞」において、株式会社ちんやが「奨励賞」を受賞させていただきました。
受賞理由は、
「格付や等級ではなくすき焼きにあった肉の提供に向けた挑戦(適サシ宣言)」でした。
権威ある賞を弊社が受賞できましたのは、ひとえに皆様のご愛顧の賜物とあつく御礼申し上げます。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.140日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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今日もこれから

ある夜、玄関でお客様の送り出しをしていたら、通りすがりの人が私に気づき、
ご主人の『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』を読みましたよ。
あの本に載っているバーを巡り歩いていて、今日もこれから行くところですよ!
これは、かなり嬉しいですね。
ご購読ありがとうございました。

追伸⓵
東京商工会議所が主催する、第16回「勇気ある経営大賞」において、株式会社ちんやが「奨励賞」を受賞させていただきました。
受賞理由は、
「格付や等級ではなくすき焼きにあった肉の提供に向けた挑戦(適サシ宣言)」でした。
権威ある賞を弊社が受賞できましたのは、ひとえに皆様のご愛顧の賜物とあつく御礼申し上げます。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.136日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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江戸の粋

久しぶりに、とんかつ「すぎ田」さんを訪ねました。
今や浅草を代表するとんかつ屋となった「すぎ田」さん、最寄り駅は実は浅草駅ではなくて蔵前駅ですが、私が若い頃は浅草通りにお店がありました。その後蔵前駅に近い現在地に移転したので、ウチから行こうとすると10分ほど歩かないといけないのですが、遠くなっても私にとっては身近なお店さんです。
普段は一人で行って、とんかつ定食を食べることが多いのですが、今回は仲間がいたので、とんかつだけでなく、エビフライ(これが迫力!)、オムレツも頼み、酒など飲みつつ食べました。
とんかつ=独りで一心不乱に食べるもの
というイメージがありますが、それは「孤独のグルメ」の視すぎというもの。仲間とシェアは、どんな料理でも楽しいものです。
ところで今回検索していて、有名グルメ評論家の方が「すぎ田」さんを評した記事をみつけました。
「さらり、粋な、江戸のとんかつ/すぎ田」
と題されています。
「すぎ田」でとんかつが運ばれると、どきりとする。胸が高まって、顔が赤らんでしまう。僕は、こんなに艶が漂うとんかつを、他に知らない。」
「箸をつけずに、しばし眺めていたいほど、皿から色気が立ち上っている。」
私にとって、「すぎ田」さんが最初から標準なので、「これぞまさしく、江戸の粋」と言われると、いささか戸惑ってしまいます。
とんかかつに限らず、何が「粋」かって、本当に分からないです。
よって粋を目指すより、野暮なことをしないようにするのを、当座の目標にした方が良いように思っています。悪しからずです。

追伸、
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、こちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.104日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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弔問客

「すきや連」の用事で「今半本店」さんを訪ねましたら、
昭和8年(1933年)に初代店主・相澤半太郎氏(1877-1933)が亡くなった時の記録が、最近発見されたとおっしゃいます。
そして弔問客名簿の中に、私の曽祖父・住吉忠次郎の名があったとか。
また「すきや連」でご一緒する新橋「今朝」さんのご先祖の名もあったとか。
このご葬儀と同じ年に私の祖父・清が結婚し、翌々年の昭和10年(1935年)に私の父・滋夫が生まれます。
時代を超えて、その子孫が面会・打ち合わせをしていることの奇遇を想いました。
南観世音菩薩。

追伸、
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、こちらです。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

浅草六区芸能伝~第八幕

月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて今月の「第八幕」では、ついに「コント55号」が結成されます。浅草六区の全盛時代と言っても良い時期に入って行きます。
「55号」の、欽ちゃんと二郎さんには共通点がありました。なかなか芽が出なかった点です。
欽ちゃんは「東洋劇場」三代目座長の東八郎さんに弟子入り、この東さんが、親切丁寧に指導したことで腕を上げて行きますが、元々歌手だった二郎さんにも恩師がいて、それは当時「フランス座」の座長だった安部昇二(「アベショウ」)でした。
二郎さんは後に「55号」でのボケが有名になりますが、そのボケはアベショウ譲りだったと言います。
芸能の世界にほんの一握りのスターが登場する背景には、陰ながら貢献した人の存在があったのでした。松倉さんは、そういう人達を今回の「芸能伝」で紹介しています。
欽ちゃんと二郎さんには、もう一つ共通点がありました。
最初テレビで上手く行かなかったことです。
テレビには秒単位のカット割りがありますが、浅草では激しい動きやアドリブが芸のメインですから、合わなかったのでしょう。
二人とも別々にテレビに出て→失敗、そこで、たまたま、コンビになります。
「東洋劇場」と「フランス座」とで芸人を交換してみよう!という試みで、欽ちゃんと二郎さんがコンビになったと言いますから、人生何が飛躍のキッカケになるか分からないものです。
テレビ進出が失敗した後二人は浅草で腕を上げ、やげて日劇出演を契機に中央へ進出、昭和40年代前半に浅草を去って、時代の寵児になります。
そして、この時期に浅草六区興行街は全盛期から大きな転換を始めます。そして、ついでに申しますと、私がリアルに知っているのは、この辺りからです。
六区にとって、浅草にとっても辛いことの多かった、次の時期は、第九幕以降で語られるのでしょう。
購読ご希望の方は㈱東京宣商さんへ。TEL:03-5827-1962 

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.085日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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独演会

大学同期(129期)の落語家・立川談慶君が浅草「東洋館」で独演会をします。
談慶君は最近たて続けに本を出していて、作家さんのようですが、落語家です(笑い)
今回の独演会では、落語の前に、浅草芸能界の「生き字引き」松倉久幸・東洋興業会長とのトークショーもあるとかで、私はそちらがかなり楽しみですね。二人は信州上田出身なのです。
で、演目は?
・・・
演目はチラシに書いてないなあ。まあ、独りで噺しまくる、ということなんでしょう。
皆さま、よろしくです。
9月1日(土曜)18時開場。
詳細は「墨東キネマ」さんのサイトをご覧ください。
お問い合わせ・申し込みは、
bokutoukinema@gmail.com

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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けいだんれん

在り難いことに『月刊経団連』にエッセイを投稿させていただきました。
それを丸々転載するのは、ネタバレなのでしょうけど、発行からもう20日経ちましたし、私の文が読みたくて購入する人は、ごくごく少数でしょうから、誠に勝手ながらここに転載しちゃいます。
以下お読みください。なお「ですます調」でなくて「である調」なのは編集部からのご指定です。

私 は「けいだんれん」の 代 表 幹 事 に な っ た こと が あ る ― ― と 書 け ば 、 そ ん な ば か な ! 財 界 総 理に ど う し て ? あ り 得 な い ! っ て 。
待 て 待 て そ れ は
「経 団 連」 。
私 の 場 合 は
「 継 旦 連」 。 旦 那 を 継 ぐ 連中 の 意 味 で 、 浅 草 料 理 飲 食 業 組 合 の 青 年 部 の 通 称だ 。
「 継 旦 連」 が 発 足 し た の は 1988 年(昭 和 63年)のこと、 う な ぎ「 川 松」 の 先 代 ・ 松 沢 欣 一 氏 ( 故人) が 組 合 長 だ っ た 時 。 将 来 の 浅 草 を 考 え て の こと だ っ た 。
初 代「 継 旦 連」 代 表 は「 ど ぜ う 飯 田 屋」の 飯 田 龍 生 氏 。 現 組 合 長 だ 。 以 来 、 現 代 表 の 清 水祐 子 氏 ( も ん じ ゃ 焼 き「 雷 門 お す ぎ」)ま で 活 動 は継 続 さ れ て い て 、 私 は そ の 途 中 の 2 年 間 を お 預 かり し た 。
た い て い の 浅 草 の 料 理 屋 は 世 襲 経 営 で 、 親 子 間の 味 の 伝 承 は素 晴 ら し い 日 本 の 伝 統 だ と お 褒 め にあ ず か っ た り も す る が 、 現 実 は も ち ろ ん そ う 簡 単で は な い 。
ご 経 験 の あ る 諸 兄 も 多 い と 思 う が 、 親子 と い う の は素 直 に な れ な い も の 。 没 コ ミ ュ ニ ケー シ ョ ン に 陥 る こ と も あ る 。
そ こ で「 継 旦 連」 であ る 。 街 の 先 輩 が 斜 め上 か ら 、 親 父 の 気 持 ち ・ 考え を 伝 え て 、 子得 心 さ せ る こ と がで き る と い う の が 、こ の 場 の素 晴 ら しい と こ ろ だ と 思 う 。
「上か ら 目 線」は 嫌 わ れ る が 、斜 め上 か ら 目 線」 は 嫌 わ れ な い の だ 。
ほ お 、 な る ほ ど 結 構 、 し か し 技 術 の 流 出 は 大 丈夫 な の ? も し す き 焼 き 屋 が 2 軒 入 会 し た ら 、同 業者 に 秘 伝 の 味 を 盗 ま れ る じ ゃ な い か ! っ て 、 そ う考 え が ち か も し れ な い 。
し か し 今 少 し 考 え て み てい た だ き た い 。 も と も と 飲 食 業 界 に お い て は同 じ料 理 の 店 は 競 合 し て い る よ う で 競 合 し て い な い こと が 結 構 、 あ る 。 甘 め の 割下 の す き 焼 き が 好 き なお 客 様 は 、 辛 め の 割下 の す き 焼 き 屋 に 決 し て 行 かな い か ら で あ る 。 そ の 逆 も同 じ 。
し た が っ て 1 つの 繁 華 街 に 複 数 の す き 焼 き 屋 が あ って 、 そ れ ぞ れの 特 徴 を 活 か し て 繁 盛 す る こ と は 、 む し ろ そ の 街の 強 み と と ら え る の が 実 は 正 し い 。 他 の 繁 華 街 との 競 合 に 勝 つ こ と が 重 要 な の だ 。 他 地 区 の同 業 店に 対 し て も同 様 だ 。
他 の 料 理 、 他 の レ ジ ャ ー と の競 合 に 勝 つ た め 、 す き 焼 き 屋同 士 が 連 携 し て 業 界を 盛 り 立 て る こ と が 期 待 さ れ る 。
そ う 考 え て 私 は2008 年 に「 す き や 連」 と い う 、 全 国 の す き 焼き 屋 と 関 係 業 者 ・ メ デ ィ ア 関 係 者 の 団 体 を 設 立 し 、年 3 回 の 会 合 を 主 催 し て い る 。 そ の「 す き や 連」は 今 秋 発 足 10 年 を 迎 え る 予 定 で 感 慨 深 い・・
・・・ と 、本 稿 で は「 継 旦 連」 を 題 材 に 、「 時 の 調 べ」 読 者の 諸 兄 が 、 日 ご ろ あ ま り 触 れ て お ら れ な い で あ ろう 、 地 域 社 会 の 一 景 を ご 紹 介 し た 次 第 。 と ざ い 東〜 西 。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.065日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

浅草六区芸能伝

月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて、今月の「第七幕」では「欽坊」「欽ちゃん」こと萩本欽一さんが東洋興業に入社してきます。1959年のことです。
「欽坊」は台東区のカメラ店の息子。
家業が傾き、東洋興業さんが踊り子や芸人を住まわせていたアパートに入居してきたことが、そもそものご縁だったそうです。
しかし、その「欽坊」は、なかなか芸人としての芽が出なかった。
やがて「東洋劇場」三代目座長の東八郎さんに弟子入り、この東さんが、親切丁寧に指導したことで腕を上げて、やがて日本人なら知ら者はいない国民的な「欽ちゃん」に成って行きます。あの「二郎さん」と出会って「コント55号」を組んだのも東洋興業でした。
松倉さんは、このような芸人たちの成功・不成功を眺めて来て、こう言います、
「一番の決定力となるのは、よき出逢いではないでしょうか。」
「そして、さらに大切なのは、その出逢いに感謝して、何かを学ばせてもらおうという、素直な心。」
「そういう真っすぐな心を持った者だけが、与えられたチャンスを、結実させていけるのだと思います。」
至言と思います。
購読ご希望の方は㈱東京宣商さんへ。TEL:03-5827-1962 

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.063日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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パンの話し

パンのペリカンの四代目が本を出されました。題は、そのまんまですが、
『パンのペリカンのはなし』
去年の秋に出ていたようですが、気づくのが遅れ、今頃読みました。
さて「ペリカン」さんは、浅草寿町の、75年続くパン屋さんですが、商品は、
食パンとロールパンだけ。
それでも連日行列ができ、昼には売り切れます。
食パンとロールパンだけになったのは、二代目がとにかく優しい性格に人で、他のパン屋さんと競争したくないと考えたからだそうです。当時は戦後の復興期、生活様式の洋風化の中で、パン業界は菓子パンや総菜パンの開発にしのぎを削っていました。
そんな中で、競争したくなくて、食パンとロールパンだけになりましたが、結果として「無駄をそぎ落す」ことが達成できて、世間からもよく認知されているのだから結構な話しです。
「効率さと丁寧さだと、丁寧さのほうが大切だと思っています」とは至言。
内容は以下の通りです。
◎ 食パンとロールパンしか作らない理由
◎ 「ペリカン」の由来
◎ 人気喫茶店のレシピを紹介
◎ バブル期は「時代遅れのパン」
◎ 伝説のキャバレーはペリカンのパン粉を使っていた
◎ 特別な材料を使っているわけではない
◎ おいしさの秘密
◎ 45年以上ペリカンのパンを作っている職人さんの言葉
◎ 食パン400本、ロールパン4000個を毎日売る
◎ 堅実で地味なパンは不況に強い
◎ 常識をくつがえす差別化

出版社: 二見書房 (2017/10/2)
ISBN-10: 457617147X
ISBN-13: 978-4576171470

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8月14日(火曜、お盆)

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洪水ノ実況

「浅草公園六区洪水ノ実況」
という絵葉書があります。
たまたま歴史好きの知人がSNSに上げていたのを見かけたのですが、そのすぐ後に西日本で水害が起こり、なんとも申し上げようがありません。
この絵葉書を見ると、六区興行街の中心部が、人の腰の高さまで浸水している様子に驚くとともに、その写真を絵葉書にして売るという商魂にも驚かされます。
この水害が起きたのは、明治43年(1910年)です。「明治43年の関東大水害」と言われるもので、死者769人・行方不明78人・家屋全壊2.121戸、家屋流出2.796戸にも上る大参事だったそうです。
これ以降浅草は水害に遭っていません。
水害に遭わなくなったのは、明治43年の大水害に危機感を覚えた当時の政府が荒川の流路掘削を決意したからです。
江戸時代、荒川と隅田川はつながっていて、水運の大動脈でした。弊ブログの6月25日号でご紹介した、ギャラリー・エフさんの蔵が建てられたのも、水運がもたらす富が浅草に落ちたからです。荒川が隅田川へ流れこんでいるのですから、水量が多く、物資の輸送には便利でしたが、ひとたび水害が起きると惨事になったのです。
そこで政府は「荒川放水路」を掘削することを決定します。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年がかりの難工事の結果、荒川の水はかなり東方・現在の江東区・江戸川区の境へと流れることになりました。
この新しく太い流路が、やがて荒川の本流と認定され、江戸時代には荒川の本流であった現在の「隅田川」つまり岩淵水門より下流の部分が「隅田川」と呼ばれるようになったのでありました。
以来浅草は水害に遭っておらず、現在の水害ハザードマップでは荒川周辺の危険度が高いと評価されています。
地球温暖化の時節、荒川流域にお住まいの皆様は、充分にお気をつけいただきたいと存じます。
最後になりましたが、このたびの豪雨で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.055日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。