変わり羽子板

来週の17日、18日、19日は浅草寺の「羽子板市」の日です。
元々江戸時代は「歳の市」と言って、正月用品・越年用品を売る市が盛大でした。大店の主は奉公人を引き連れて市に繰り出し、たくさん買い物をして、帰り道大いに飲んで帰るのが粋だったようですが、次第に、同時開催されていた羽子板市の方がメインになったようです。
羽子板市の隆盛は歌舞伎の流行とセットのもので、人気役者を描いた羽子板が売れたそうです。現代では、羽子板という遊びそのものが行われなくなりましたが、「変わり羽子板」が毎年発表されています。
描くのが人気の芸能人であれば、昔と少しも変ったことはなく、歌舞伎役者を描くのと同じことですが、どうも近年は芸能人以外が多いような気がします。
今年については、
ラグビー・ワールドカップ(W杯)リーチ・マイケル選手
ゴルフ全英女子オープンの渋野日向子選手
リチウムイオン電池の吉野彰博士
そして、何と言っても、今年は
天皇・皇后両陛下!
両陛下を羽子板にしちゃって、肖像権は大丈夫なのかなあ。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.577本目の投稿でした。

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民謡酒場

三ノ輪の「鈴木酒販」さんが創業60年を迎え、記念誌を出されました。
「鈴木酒販」さんは1959年のご創業。台東区北西部を中心に多くの飲食店に酒を卸している会社さんです。弊店の取引先ではないのですが、記念誌を頂戴して拝読しておりますと、高度成長期の、この辺りの飲食業の歴史を知ることが出来て面白く読めました。
例えば、民謡酒場が何故このエリアに多いのか?
しかも何故東北地方の民謡酒場ばかりなのか?
それは、集団就職で「金の卵」と言われて東京にやって来た若者たちが憩える店だったからです。
当時の東京の北の玄関口は上野駅でした。東北地方から東京へ着く列車は東京駅へは乗り入れておらず、全て上野駅発着でした。そういう形で東京で働き始めた大勢の若者が、方言丸出しで飲める場所が民謡酒場だったのです。
そして鈴木酒販の創業者・鈴木藤吉自身も山形から出て来た人でした。
当時は数十軒の民謡酒場が大繁盛していたそうで、今も台東区千束にのこる、有名な「追分」さんなども、そうした一軒です。
中には吉原の遊郭を業態転換?した民謡酒場もあったとか。1957年に売春が禁止になったからです。吉原の遊郭には大きな物権もあり、それが転換して300畳敷の大会場のある民謡酒場になったそうな。
全盛期には、その300畳が人で満杯になり、酒場の店員だけでは下足取りが間に合わず、鈴木酒販の営業マンが下足番を手伝っていたと言います。
朝は早くから働き始め、夜はこうして飲食店の手伝いまで買って出たのに営業の人達は何も辛くなかったと言います。
高度成長ですねえ。東北の若者達の青春時代で、日本の青春時代でもあったのが、この頃です。

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トンカツの旨さ

浅草で私が好きなトンカツ屋さんは、寿3丁目の「すぎ田」さんです。
「すぎ田」さんの最寄り駅は大江戸線の蔵前駅で、歩いて行くと10分くらいかかるのですが、30年前までは浅草通りにお店があり、それで今でも浅草料理飲食業組合に入っておられます。個人的にも存じ上げているので、たまに食べさせてもらっています。今月の初めにも、繁忙期に向けて景気を付けようと、ロースカツを目指して行くことにしました。
で、美味しくいただき、そのことを書こうとして、私は悩み始めました。上手い説明が思いつかないのです。
「すぎ田」さんについて雑誌などで語られていることと言えば、
・低温と高温の二つの油で「二度揚げ」すること。
・白木のカウンターが清々しいこと。
・店の清掃が徹底していて、営業は20時で終わるのに、掃除は22時過ぎまでやっていること。
などでしょうか。不思議なことに直接肉について、あまり語っていません。・・・と考えている内に、私も登場させていただいた本『浅草老舗旦那のランチ』(小学館、2012年)に「すぎ田」さんが採り上げられていたことを思い出し、どんな表現だったか、確認してみようと思いました。
本を引っ張り出して、見出しは、
「なんと言っても肉の旨さですね」
となっていたので、「おお!」と思い読み進めましたが、やはり、直接肉について、あまり語っていません。この本を参考にしても上手い説明が思いつきません。
そして、ついでに思ったことは、浅草の店の美味しさって、表現し辛いよなあ・・・ということでした。
浅草の美味しい店に行っても、食材のブランドを前面に掲げている店はあまりないです。掲げている店もありますが、最近の店ですね。
今時は豚のブランドもたくさんありますが、「すぎ田」さんは何も掲示していないです。壁に掲げられているのは「ヒレカツ」「ロースカツ」「エビフライ」といったメニュー名のみ。愛想なく感じる人もいるでしょう。しかし食べれば問答無用で旨い。
私自身も元々は「食べれば旨い」を良しとしていたのですが、2017年の「適サシ肉宣言」ですっかり「つべこべ派」の人間と思われるようになってしまいました。元々は「食べれば旨い派」でしたが、17年当時メデイアの人達が次々にやって来て、あれこれ質問するので、答えていたら情報量が増えてしまったのです。それまでは肉の仕入れ方を掲示したりしていませんでした。
「すぎ田」さんや、浅草の店の美味しさって、表現し辛いです。
いつかAIが普及すれば、美味しさを数値化してくれるかもしれませんけど。

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三大タワーまつり

本日浅草の六区ブロードウェイとオレンジ通りで、
「東京三大タワーまつり」が開催されます。クイズに参加し、正解すると商品券がもらえるそうです。
「三大」とはスカイツリー、東京タワーの前に日本一のタワーだった「凌雲閣」のことです。1890年から1923年まで浅草六区に立っていました。
その遺構が、昨年浅草旧六区(現浅草2丁目14番)の商業ビル工事現場で発見されたことで、浅草では今「凌雲閣」再発見の機運が高まっていますが、ご存知ない方も多かろうと思いますので、念のため書きますと、
浅草「凌雲閣」の設計者はウィリアム・K・バルトン。東京における高層建築物の先駆けであり、東京観光でまず行くべき場所として有名でした。地元では「十二階」と呼ばれましたが、関東大震災で倒壊しました。
その様子は多数の絵や写真に収められており、「ちんや」が所蔵する楊斎周延の「浅草公園遊覧之図」にも描かれています。
「東京三大タワーまつり」どうぞ、ご参加を。

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悔しくてたまりません!

マラソンが札幌に行っちゃって、浅草の人は、さぞ残念でしょうねえ!
と、いまだにお客様から言われます。
たしかに移転決定直後はテレビ局の人が浅草をウロウロして、そういうインタビューを集めていましたから、その放送を視た人は多いかもしれません。それが未だ続いています。
別に・・・の女優さんは先日逮捕されましたが(笑)、マラソンのインタビューで、別に・・・と答えると浅草愛が薄いような感じを与えかねませんから、
もの凄く残念です!悔しくて悔しくてたまりません!
と言った人が、まあ、いたかもしれません。
それにしても、マラソンコース沿道の商店街はいくらでもあるのに、テレビの人は何故浅草ばかり撮っていたのでしょう。そこが不思議なところです。
きっとテレビ局サイドは、
浅草の人なら、別に・・・と言わずに、悔しくてたまりません!と言ってくれるに違いないと想像したのでしょう。
そしてインタビューを受ける側も、その期待を忖度してしまう。
そう、忖度って、元々は悪い言葉ではないですよね。
「マラソン残念ですよね」問答も、「桜を見る会」問題も、そろそろ終わって欲しいもんです。

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活弁

雑誌・月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて、その松倉さんの今月号は「活弁」のことでした。
先日松倉さんが経営する「東洋館」で上演された浅草オペラに「活弁士」が付いていたからです。今回の浅草オペラ上演では、その方面で有名な曲が次々に歌われる形式でしたが、その司会進行を「活弁士」が担当しました。見事な進行だったと思います。
と、書きましても「活弁」だけでは通じないかもしれません。
活弁=活動弁士(かつどうべんし)とは無声映画(サイレント映画)の時代に、上映中に傍らでその内容をナレーションしていた演者のことです。単なる解説ではなく、映画俳優の声色や情景の描写なども行い、弁士の創意・伝え方によって、映画の感じがだいぶ変わることもあったそうです。人気弁士が現れるようにもなりました。
活弁士が必要とされたのは、映画が無声だった、ごく短期間だけです。トーキー(音付き)映画の登場で、活弁士は無用の存在になったのですが、それでも日本芸能界で活弁の存在は重要です。
トーキー化によって、多くの弁士が廃業に追いこまれ、その多くが漫談や講談師、紙芝居、司会者、ラジオ朗読者などに転身して芸能界で活動を続けたからです。弁士には話術が高く要求されたため、その優れた話術が活かせたのです。
「活弁のスピリットが後生の芸人たちの中に脈々と受け継がれている」と松倉さんは言います。
そして貴重なことに、今回の浅草オペラに登場した弁士のように、現代でも少数ながら活動している弁士がいるのです。麻生八咫・麻生子八咫の父子は、その代表的な人です。
こうして活動が続いていることに、私は日本の芸能の中における、「語り物」の根強さを感じます。
弁士は、日本で映画が初めて公開された1896年(明治29年)から存在したそうです。音の無い映画だけでは場が保てない、興行として成り立たせるためには説明者が必要だと思われたのです。
そういうことをしたのは日本人だけです。当時の日本人には人形浄瑠璃が馴染みのあるものでしたから、映画も、浄瑠璃の義太夫のように、人が語った方が良いと思ったのだと思います。
そして、その感覚は、映画というものが様変わりした後でも生き続け、今回は浅草オペラに登場しました。面白い話しです。

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ハタチの小宴

「乃り江ハタチの小宴」にお招きいただいたので参加しました。浅草芸者・乃り江さんの、芸者としてのお披露目から20年を記念する会でした。
乃り江さんは曽祖母も祖母も浅草芸者という家に生まれ、デビュー以来着々と支持者を増やしてきました。
40歳までに自分の店を持ちたいという目標も達成。その時は開店資金の調達の仕方がニュースになりました。融資を受けようと大手行など5~6か所をまわったものの断られ、それでもあきらめずに信用組合から融資を受けて、開業したのでした。何かと話題になるのも、一つの才能と思います。
さて「ハタチの小宴」ですが、「小宴」どころか、ド派手な大宴会でした。
著名な日本舞踊家なども出演。
浅草ビューホテルでこれだけ日本酒を飲む会もあまりないのでは・・・と思います。
このたびは20年、誠にお芽出とうございました。ますますご活躍下さい。

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忘年会のテーマ

本日浅草料理飲食業組合の年内最終の役員会があり、続けて早めの忘年会を「ちんや」で開催します。
せっかくの料理屋の集まりですから、テーマを決めて忘年会をします。
本日のテーマは、
ぬる燗ワインと、ヨーグルトすき焼き!
です。
すき焼き好きで、同時にワイン好きでもある皆さんが、すき焼きを召し上がる場合、溶き卵にヨーグルトを入れることを私は、昨年より全力で推奨致しております。
以前でヨーグルトすき焼きについて、「サッパリ」「マイルド」「食べ易い」と言って来ましたが、今回よりは「ヨーグルトすき焼きはワインに合う」です。
ワインに合わせるために、すき焼きという料理を積極的に改変しようと言いだしたわけですから、革新度が進行したわけですね。
振り返りますと、「ちんや」の営業で、卵にヨーグルトを入れ始めたのは、2016年10月8日。
ヨーグルト卵にワインが合うと言い始めたのは、2018年11月3日の弊ブログ。
昨年の今頃ヨーグルト卵にワインの件を確認するため、3人のワイン専門家に「ちんや」に集まっていただきました。ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日のことでした。
解禁日にしたのは、もちろん理由があります。「マロラクティック発酵」させたワインがヨーグルトすき焼きに合い、「マロラクティック発酵」させていないボジョレー・ヌーヴォーが、さほど合わない件を体感で確認するためでした。
結果は予想通り・理屈通りでした。
ボジョレー・ヌーヴォーは卵にヨーグルトを入れても入れなくても、ほぼ同じ感じ。しかし、「マロラクティック発酵」させたワインは、明らかにヨーグルト卵に合いました。
1+1が2以上になったので、「マリアージュ」と称して良いと思います。一方のボジョレー・ヌーヴォーは「同居」という感じでしょうか。
ヨーグルト卵と「マロラクティック発酵」させたワインが合う理屈の一つが乳酸である件は2018年11月3日の弊ブログに書きましたので、詳しくはそちらをご覧いただきたいですが、ざっくり書きますと、ワインの樽にいる乳酸菌が、ワインのリンゴ酸を食べて→乳酸と炭酸ガスにします。それが「マロラクティック発酵」でして、これでワインの中に乳酸ができるのです。
ところでワインがすき焼きに合わない、そもそもの理由は、ワインが生卵に合いにくいからでした。
一般に糖質の多い酒は生臭い食材に合い易いです。日本酒が、その典型です。糖質がワインの2~3倍入っているからですね。ワインの中ではシャンパーニュやスパークリングワインに糖質が多いので、普通のワインより合わせ易いです。
で、そういうワインに合わせにくい食材、例えば魚卵を合わせる場合の調理方法は、伝統的にマヨネーズやサワークリーム、ヨーグルトソースなど少し酸味のあるソースで和えること、でした。
そう、ここでヨーグルトが出てくるのです。皆さんもカナッペなどでこれをやった経験がありませんか?
レモンやライムをかける手もありますが、酸の種類が違うので、乳酸であるヨーグルトがベターと思います。
この理屈について私は迂闊にも最近まで気づいておりませんでしたが、今回ハッキリしました。両方の問題の解決策が、たまたまヨーグルトだったという次第です。ラッキーとは、このことですね。
色々申しましたが、以上の二つの理由つまり、
1ヨーグルトの乳酸がワインとの間の「つなぎ」に成ること。
2ヨーグルトの乳酸が生卵の生臭みを抑えること。
によって、ヨーグルト卵のすき焼きはワインに合います。
よって、すき焼き好きで、同時にワイン好きでもある皆さんが、すき焼きを召し上がる場合、溶き卵にヨーグルトを入れることを私は全力で推奨致します。
ワインに合わせるために、日本料理であるすき焼きを改変するという考え方は、なんか、日本を失うようで、批判を招き易いかもしれませんが、実はヨーグルトすき焼きは、日本酒にも今までより合うようになるのです。
日本酒づくりにも乳酸は欠かせないからですが、それまで書くと長くなるので、その件は、2018年11月4日の弊ブログをご覧ください。
さて、忘年会の支度をしなくちゃ。

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檜扇型

今年は20日が「二の酉」の日でしたので、仕事を終えてから鷲神社に出かけ、今年も松下商店さんの熊手をいただいてきました。
「酉の市」に熊手を出している熊手商は100軒ほどありますが、その中でも松下さんは四代続く老舗です。膨大な数の飾りのパーツを手作りなさっていて、台東区からは「優秀技能師」の認定を受けています。
特に檜扇型の熊手が独特のデザインで、ウチでは毎年、その檜扇型をいただいています。
これで今年も年を越せそうですが、近年夜中に行っても寒くないのは温暖化なのか。そこが気になっています。

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嗚呼 昭和天皇

琵琶の友吉鶴心さんの公演「花一期」を拝聴して来ました。会場は国立能楽堂でした。
鶴心さん、いや、友吉君は私の浅草小学校の同級生で、「台東区アートアドバイザー」の同僚でもあります。
2015年に、「ちんや」創業百三十五年を記念して、『読み継ぎたい すき焼き思い出ストーリーの本』を刊行した際には、特別対談「浅草小学校同級生が語る、愛すべき浅草とすき焼き」に出ていただきました。
が、近年琵琶の演奏だけでなく、NHK大河ドラマの邦楽監修の仕事を何年も続けて引き受けていて、すっかり有名人に。今回の公演も大盛況。タメ口をきけなくなる日も近いと思われます(笑い)
「花一期」は、当初勉強会的な性格だったのが、次第に大きな会場に移り、27回も続いていて、大変なご努力だと思います。
さて今回は大きな目玉は、
「嗚呼 昭和天皇」の初演でした。
この作品は鶴心さんの師匠・鶴田錦史の、上演されなかった作品です。昭和天皇崩御のおりにテレビの追悼番組の中で上演される予定が、実現しなかったという作品です。
詞は、なかにし礼。太平洋戦争の戦況が劣勢になってから、天皇が終戦の決断をするまでを主に扱っています。
愛知では昭和天皇の画像の扱いで騒動があったと聞きますので心配もしましたが、今回は問題ないようでした。一個人の民間のコンサートと言え、こういう内容の作品がトラブルなく上演できることに、御代がかわったことを実感します。
琵琶という楽器は、何故だか鎮魂曲に向いた楽器です。

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