長寿企業の知恵⑪

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その11日目です)

 

<業界での取り組み。長寿企業と地元地域>

石田「現在、地域での活動や同業者との取り組みなど行っていることは?」

住吉「ウチの裏通りである「雷門横丁」の「一斉清掃」を、平成18年から毎月一回行っています。毎月第三金曜日の朝10時から、通り会員が総出で道の清掃をします。連続10年を達成した時には台東区役所から表彰されました。」

朝岡「この活動はどのようなきっかけで始めた?」

住吉 「一斉清掃が、暑い日も寒い日もめげずに続けてきたわけは、「この横丁をなんとしても清潔な通りにしたい」という共通の願いがあったからです。雷門横丁というのは、雷門通りのすじ一本北、つまり「ちんや」の裏の、細い通りなのですが、通りと通りの間の距離がさほどないので、雷門通りから雷門横丁まで敷地が続いている店が多く、そうした店は雷門通りに面して表口を、雷門横丁に面して通用口を設けています。で、平成18年当時問題だったのは、その通用口近辺、つまり雷門横丁に面した口の、ゴミの始末が、とてもだらしない店があったことでした。ゴミの始末がだらしない店の中に飲食店がありました。「ちんや」も飲食店ですが、飲食店は生ゴミを出しますから、始末をよほどキチンとしないと近隣にご迷惑をかけます。生ゴミにネズミやハエ、ゴキブリが寄ってくるからです。そして悪いことに、その店にはホームレスまで寄ってきてしまいました。ヤツが連日出没するので、とても困りました。もちろん、その店には何度も、個人的に申し入れをしましたが、口約束ばかりで、キチンとしたゴミ処理が実行されません。従業員に外国人が多く、オーナーが店をコントロールできていない様子でした。このザンネンな状態を解決すべく、一人の女子が立ち上がりました。ウチの裏の、もんじゃ焼き「O」のU子さんです。「雷門横丁に「通り会」を作って、組織の力でゴミ問題に取り組もう」という彼女の音頭とりで、浅草雷門横丁振興会が結成された時、私は副会長となり、生まれて初めて、年下の女性の上官をかつぐことになりました。以来彼女の音頭取り+私の段取りで今日まで、10年以上続いています。後日談ですが、あの汚かった店は倒産し、今のテナントさんに代わりました。今のテナントさんはキレいにしてくれているので、以前のような問題はなくなりました。毎月清掃することで、他の御店もゴミ処理に気を使うようになりました。また、会の共有でダストボックスを購入したので、さらに清潔になりました。」

石田「浅草は地域と企業の交流が特に活発なのはなぜか?」

住吉「小さい頃から顔見知りで、そのまま自然に会に誘われて入っているので、「特に活発」という意識はないです。他所の人様に言われて、ああ、そうなのかなっていう感じです。銀座と違って皆浅草に住んでいますから、結果当然、幼稚園が皆「浅草寺幼稚園」卒園なんですよ。学歴の中で、そこが一番重要なんです(笑い)人の呼び方も「ふみちゃん」「しゅうちゃん」「たっちゃん」って、幼稚園時代の呼び方そのまんまですしね。」

石田「地域での活動は本業にも大きな影響をもたらしている?」

<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.805日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑩

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その10日目です)

 

<ナレーション>〜心に刻む、言葉と想い〜「言魂」3つ目のテーマは…「言魂」。心に刻んだ言葉、そして想い。現在、代表を務める住吉史彦が、先代や家族から受け取った“メッセージ”の裏に隠された思いに迫る。

石田「続いては『言魂』ということで、先代や家族から受け継いだ印象的な言葉やそこに隠された想いについて伺っていきたいと思います。」

住吉「本当の資産は財務諸表に載ってない」~これは、Antoine de Saint-Exupéry(サン=テグジュペリ)(1900-44年)の、What is essential is invisible to the eye.(「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」)

をパクって、住吉史彦が考案した~気になっていますが、もしかしたら私より先に言った人がいるかもしれません。確認できていません。」

朝岡「その言葉を大切にするようになったきっかけは?」

住吉「この言葉を初めて学校で習った時はピンときませんでした。経営に当て嵌めて、さらに3.11の大震災と浅草対談本を経験してから、腑に落ちるようになりました。」

朝岡「その言葉はどのような影響を与えた?」

住吉「すべての人への接し方が根本的に変わります。お客さま、従業員、取引先、それから神様、仏様へもです。神様に御利益をお願いばかりしてはダメということです。」

石田「現在、社長自身が心に刻んでいる言葉は?」

住吉「カネカネ・ストーカーに成るな!」ですかね(笑い)大学の同期で落語家の立川談慶(タテカワ・ダンケイ)君の迷言ですが、上と似た意味です。「カネカネ言ってる奴ってさ、カネに対してストーカーになってるんじゃないのかなあ。カネも女もさ、追いかければ逃げるんだよ。」(『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』(日本実業出版社)という本に出てきます。)

 石田「自身に、大きな影響を与えた方は?」

住吉「経営のご指導をいただいている、二条彪(にじょう・たけし)先生です。先ほどあげた言葉は自作ですが、同じ趣旨のことを指導しておられまして、それを自分なりに解釈したら、「本当の・・・」になりました。」

朝岡「自身が社長に就任することはいつ頃から考えていた?」

住吉「浅草寺幼稚園のお遊戯の時間に、そう言ったらしいです。だから5歳(笑い)」

 

<業界での取り組み。長寿企業と地元地域>

石田「現在、地域での活動や同業者との取り組みなど行っていることは?」

住吉「ウチの裏通りである「雷門横丁」の<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.804日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑨

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その9日目です)

朝岡「『すきやき=家族』というイメージが強いですが、最近の『おひとりさま』のような新しい食のスタイルはどう考えますか?」

住吉「『おひとりさま』を既に受け入れています。個室を予約できます。しかしトレンドだから受けているのではなく、「心に残る思い出を!」という弊社の営業方針との間に、整合性をもたせる為に受け入れています。昨今世間の様子を観察いたしますと、長寿社会をむかえて、パートナーをなくされた高齢者の方が増えました。故人の思い出を噛みしめながら、お一人で食事をなさる場面も相当多かろうと想像します。

私は、そうした場面に是非弊店をお使いいただきたと考えて、今回お一人様のご予約を承ることに致しました。実際、私事になりますが、私の身内が、まさにそうしたケースに該当します。義父も、既に亡くなっていますが、50歳代に義母をなくし、その後かなり長期間「お一人様」でした。「ちんや」五代目の私の実父も、一昨年80歳の時に妻つまり私の実母をなくし、82歳の現在「お一人様」です。お一人様の予約を断ることは、そうした方からの予約を断ることになります。もちろん採算性の件は悩ましいことでした。「平日の昼に限って」とか、「祝祭日は除く」とかいう限定をつけた方が実際的であったと思います。しかし、そのご夫婦の「思い出の日」は大晦日であるかもしれません。除夜の鐘を二人で聞いた後でプロポーズをなさったかもしれません。そうしたお二人の思い出の大切さに比べれば、弊社の採算性は、その下に置かれるべきものだと私は考えます。そう考えて「限定」は付けないこととしました。大晦日でも、三社祭の日でも、ご利用いただきます。この件をさる7月9日に発表しましたのは、その日が母の三回忌の命日であったからです。この発表は、母が私にそうさせたとも言えます。」

 

朝岡「時代や業界の変化に対応する上で、常に心掛けていることは?」

住吉「自分の周りや、業界の川上ばかり観ず、お客様の方を向くこと。つまり顧客志向であること。ただしお客様の言うことをなんでも聞くのが顧客志向ではありません。お客様に「銭失い」をさせないことが、「ちんや」の顧客志向であって、「銭失い」かどうかを決めるのは、その道のプロである、店の側である、というのが前提です。」

 

<ナレーション>〜心に刻む、言葉と想い〜「言魂」3つ目のテーマは…「言魂」。心に刻んだ言葉、そして想い。現在、代表を務める住吉史彦が、先代や家族から受け取った“メッセージ”の裏に隠された思いに迫る。

石田「続いては『言魂』ということで、先代や家族から受け継いだ印象的な言葉やそこに隠された想いについて伺っていきたいと思います。」

住吉「本当の資産は財務諸表に載ってない」~これは<この続きは、明日のこのブログで>

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.803日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑧

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その8日目です)

朝岡「『浅草』という土地柄も、そういったお客さんが集まりやすい?」

住吉「はい、お墓がありますのでね。実は浅草と上野の間には寺町があってお墓があり、そこへ正月・春のお彼岸・お盆・秋のお彼岸と多くの家族が通って見えます。春には墨堤の桜が咲く。そういった機会に足を運びやすい店であり続ければ良いのです。そうすれば10年に30回、20年に60回、30年に90回といったペースでリピートをしていただけると思います。死者に助られて商いをしているわけで、私達は「街に生かされ」ているんです。」

朝岡「これら多くの『転機』から学んだことは?」

住吉「危機に遭遇した場合に重要なのは『利他主義の精神』であるということ。それから、『危機の時と同じ位危険なのは平時だ』ということを学びました。『老舗企業の研究―100年企業に学ぶ伝統と革新』という御本の事例集を眺めてみますると、100年経営を実現出来ている会社の中には、大災害で被災して、前より良い会社に成ったところがたくさんあります。所謂「ピンチをチャンスにした会社」です。それが手本です。東北の地震を経験して、多くの人が気づいたのは、「日本は災害大国なのに老舗が多い」のではなく、「災害大国だからこそ老舗が多いということ」です。それは今やパラドックスでもなんでもなく、納得的な話しだと思います。」

 

石田「新しい制度も導入されたと伺ったが?」

住吉「『記念日割引』という制度を作りました。その日は割引率が倍になるんですが、お客様が自分の好きな日を登録できる、というのがミソです。勿論自分の誕生日を登録してもOKなのですが、むしろ多いのは奥様の誕生日とか、結婚記念日とか、お孫さんの誕生日、あるいはご先祖の命日もあります。不祝儀でも良いんです。会社をやっている人は創業記念日を登録して社員さんを連れて見える、というようなパターンがあります。この制度の良い点は、どういう理由でお客様が見えたのかハッキリすることです。そしておめでたい日であれば、おめでたい趣向でサプライズのサービスが出来ます。実は『牛っとハート』というネーミングを商標登録出願しているのですが、なんの名前かと申しますと、ハート型に成型した牛脂の名前です。最初に鍋の底に敷く脂の名前です。結婚記念日に見えた御夫婦には、その脂を使って、すき焼きをお作りするんですが、結構喜んでいただけます。またFBやツイッターにUPしていただいています。そういった努力をしつこく続けて行けば、浅草のすき焼きを、その方の人生における必需品に入れていただくことも可能ではないか、イヤ絶対に可能だと確信しております。」

 朝岡「ほかにも“口蹄疫”なども大きな影響があったのでは?」

住吉「はい、そうです。BSEの牛は2009年まで発見され続けました。2010年が口蹄疫で30万頭の牛さんを処分。2011年は大震災。この時も内部被ばくしてしまった牛が流通してしまいました。ここまで悪いことが続くと、離農する人や、後を継がない人が増えて、その影響は2017年の今日でも、相場の「高どまり」として非常に大きく残っています」

 

朝岡「『すきやき=家族』というイメージが強いですが、最近の『おひとりさま』のような新しい食のスタイルはどう考えますか?」

住吉「『おひとりさま』を<この続きは、明日のこのブログで>

追伸

Dancyuさんのお誘いにより、本日まで

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店しています。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.802日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵⑦

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その7日目です)

 

<ナレーション>続いてのテーマは…「決断」これまでに「すき焼きちんや」を襲った過去の苦難や、その壁を乗り越える為に培った知恵、その一つ一つに隠された物語に迫る。

 石田「会社にとっての転機、ターニングポイントをお聞かせ下さい」

住吉「第一は狆が売れなくなった明治初期。次に1923年の関東大震災と1945年の東京大空襲。そして私の代になってからは2001年のBSEの問題ですね。」

 朝岡「その二つの出来事は、どのような転機となった?」

住吉「浅草は、関東大震災と東京大空襲で二度焼失し、再建を果たしました。二十世紀の前半のごく短期間に焼け野原を二度体験したのが浅草なんです。浅草寺は大震災ではかろうじて焼け残りましたが、空襲では焼けて、浅草神社の社殿だけが残りました。街を再建して、寺を再建してきたんです。」

石田「現存する、浅草の多くの老舗店も同じような経験を?」

住吉「もちろんです。浅草で焼け残った建物は、松屋さんと浅草小学校くらいでしたから、普通の店は、皆まる焼けです。」

朝岡「なぜ二度も店舗を失い、再建することができたの?」

住吉「戦争で浅草寺と神輿が焼けてしまったことは、やはり現代浅草に大きな影響を与えていると思います。街の中心・心の拠り所が失われたことの喪失感は勿論大きく、しかし観音様ご本尊はなんとか焼失を免れたので、再度観音様を中心にお寺を再建することが出来ました。信仰があればお寺が再建できたわけですが、商店も同じことです。店舗は焼けてしまいましたが、人が逃げのびて、その人が信用や技術つまりソフトウエアを持っていれば商いは再建できたのです。

心の拠り所が徹底的に破壊され、自分の店も跡形もなくなった時に、浅草の店主達は諦めませんでした。いや、再建をやり遂げねば悔しくて仕方がないというのが当時の浅草でした。建物がなくなっても、自分達には腕がある、お客様もいる。人の力で伝統を復活させることはできる。そう信じなければ立つ瀬がない。そんな状況を皆が通りぬけて来た、その経験が現代浅草の原点だということを、対談本『浅草は何故・・・』で私は痛切に再認識したのでした。」

 

石田「社長ご自身にとって、ターニングポイントとなった出来事は?」

住吉「就任翌月にいきなり遭遇したBSE問題ですね。2001910日、BSE の疑いがある牛が日本で初めて発見されました。売上は半分になり3年間回復せず。その後、完全にBSE問題が終結する2009年まで不景気とも重なり業界にとって本当に苦しい日々でした。」

朝岡「どの苦難をどう乗り越えたの?」

住吉「どうせ苦労するのなら『本当にお客様を喜んでもらえる仕事をしたい』と考えるようになりました。“すき焼きが無ければ人生真っ暗”~それ位に入れ込んでくれるお客様を獲得していくことが大事だという考えに至りました」

石田「多くの選択肢がある中で『すき焼き』を選んでもらう為には?」

住吉「ここ15年ほど家族づれ、それも二世代・三世代で『ちんや』へ来てもらうことに努力を集中して来ました。接待需要を捨て『資源を集中』したとも言えます。接待やビジネスマン同士だと『すき焼き業界も改革のスピードを上げた方が良いんじゃないか!』と言い出しかねないですのでね。」

朝岡「『浅草』という土地柄も、そういったお客さんが集まりやすい?」

住吉「はい・・・<この続きは、明日のこのブログで>

追伸

Dancyuさんのお誘いにより、

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店しています。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~午後8時

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.801日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

長寿企業の知恵⑥

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その6日目です)

朝岡「言葉にしなくても“自然”と受け継がれてきた面もある?」

住吉「料理屋ですから、そもそも言葉にしづらいのです。食べて、ああ、こういう味のものを提供し続けなければ・・・と思い定めるのです。お客様に対する接し方も、こういう感じ・・・ですねえ。」

 朝岡「この先に向け、社長自身が“家訓”や“理念”を作ることはある?」

住吉「あるかもしれないですね」

朝岡「社長自身が経営を行う上で一番大事にしていることは?」

住吉「自分の周りや、業界の川上ばかり観ず、お客様の方を向くこと。つまり顧客志向であること。ただしお客様の言うことをなんでも聞くのが顧客志向ではありません。お客様に「銭失い」をさせないことが、「ちんや」の顧客志向であって、「銭失い」かどうかが分かるのは、その道のプロである、店の側だけです。だから、店の側が顧客志向に立って、肉を選ぶ必要がある、というのが前提です。」

 

石田「社長の想いを社員・スタッフの方へはどのように浸透を?」

住吉「対話しかないです。しかも対話に効率性を求めないこと。モテたい時に効率的にモテようなんて思わないでしょ。だから「適サシ肉」に転換する時は一人ずつ面談しました。」

 朝岡「“浅草”という地で、人として・企業として、学ぶことは?」

住吉「街に生きることは街に生かされること、あるいは人材として街に活かされること、と思っています。浅草で傲慢な気持ちで働いている人は、たぶんいないと思います。その立場を噛みしめ、また在り難さを味わう場として、浅草神社(三社様)に社員全員を連れて参拝しています。その際には肉を奉納します。自分たちの肉を神社がお納め下さるというのは、とても誇らしい気持ちになります。」

 

石田「すき焼きちんやが、人材採用で重要視する点は?」

住吉「浅草で営業しているということは人材採用の能率面では実は大きなマイナス要素です。正月も、お盆も、GW連休も働くんですから、世間とズレます。しかし逆に言いますと、ここで働こうという人は、この街が好きという人位しかいないとも言えます。そして、ここから好きを仕事にすることの重要性が分かります。人を喜ばせる仕事が好き。肉が好き。浅草が好き。「好き」は才能であり、同時に使命でもあると思っています。人は、その才能を活かす道を行くべきですし、職業にしてしまうべきであると思います。そう考えれば、人材採用も自然と出来て行くと今は考えています。例えば採用サイトで、賄いの肉がうまいことを最大のPRポイントとして訴えています。酔狂ではなく本気で肉が好きな人に来て欲しいのです。」

 

<ナレーション>続いてのテーマは…「決断」<この続きは、明日のこのブログで>

追伸①

・「どぜう飯田屋」飯田龍生さま(どじょう料理、合羽橋)

・「伊勢重」宮本重樹さま(すき焼き、小伝馬町)

「食品衛生事業功労者厚生労働大臣表彰」を受賞されました。誠にお芽出とうございます。

日頃親しくご指導いただいている方が受賞して嬉しいです。引き続きよろしくお願い申し上げます。

 

追伸②

Dancyuさんのお誘いにより、

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店しています。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~午後8時

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.800日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

長寿企業の知恵⑤

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その5日目です)

 

朝岡「飲食の長寿企業は、他業種とまた違う難しさがある?」

住吉「最終的に、こちらの考えを味として表現しないといけないというのが当然ながら最も難しい点です。だいぶ研究されては来ましたが、味は文字や数値に出来ないですから。感覚的に覚えるしかありません。その結果としてスタッフを長い目で育てる、即戦力を期待しない、という形になっているのだと思います。」

 

石田「浅草に『すき焼き店』が多いのはなぜでしょうか?」

住吉「浅草にすき焼き屋が多いのは偶然です。牛鍋が世に登場した時、繁華街としての浅草が全盛期だっただけです。要するに、時代が変わって、商売としての「狆屋」の将来性が脅かされた時期と、浅草の全盛時代が同時期だということです。狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのだと思います。」

 

<ナレーション>創業から137年、「すき焼きちんや」に継承されてきた歴史や伝統、その裏に存在する長寿企業ならではの家訓や理念とは。

石田「家訓や理念などはございますか?」

住吉「実は、弊社には“家訓”といった明確なものは存在していないんです。弊店に家訓がない理由を考えてみました。まったく想像ですが、当主が二代続けて婿さんであったからかもしれません。私は父から、お爺ちゃんは自分が婿だということを結構気にしていたようだと聞かされたことがあります。祖父は浅草料理飲食業組合の組合長を務めるなど浅草の要職を歴任したのですが、それでも婿意識というのは消えないものだったようです。プラス、時代があまりに激動の時代で、家訓などというもっともらしいものを遺す気にならなかった、ということもあるような気もします。

「ちんや」の歴史では、

1868年の明治維新で狆が売れなくなったのが第一のショック。

1923年の関東大震災が第二のショック。

1945年の東京大空襲が第三のショック。

で、家訓など整頓する場合ではなかったような気がします。こういう時代を、他家から迎えた優秀な婿さんが凌いで「ちんや」は生き残りました。しかし、家訓を創ろうという気にはならなかったのだと想像できます。あくまで想像ですけどね。私の代になってからも、BSE問題、口蹄疫問題、リーマンショック、東日本大震災などがあって、まったくゆとりというものが在りません。そろそろ後世のことを意識した動きをしないといけないのでしょうが、いやあ、どうも忙しくて。そう、忙しくて、飲むのが(笑い)」

 

朝岡「言葉にしなくても“自然”と受け継がれてきた面もある?」

住吉「料理屋ですから<この続きは、明日のこのブログで>

追伸

Dancyuさんのお誘いにより、

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店しています。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~午後8時

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.799日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

長寿企業の知恵④

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その4日目です)

 

石田「長寿企業であると“創業者”に関する質問も多いのでは?」

住吉「私も以前は店の過去を細かく聞かれるのが苦痛でした。しかし、これも現実ですので、そういった事情を潔く認め、今は開き直って、この話しも面白おかしく語ることにしています。色々なケースを調べましたら、創業の経緯が「いい加減」なのは、別に恥ずかしいことではないようです。例えば、久保田万太郎の『大東京繁昌記』は(1927年)を読みますと、浅草の店の固有名詞が14軒ほど列挙されていて、その中には現在「老舗」と言われている店も入っているのですが、「それらはただ手軽に、安く、手っとり早く、そうして器用に見恰好よく、一人でもよけいに客を引く・・・出来るだけ短い時間に出来るだけ多くの客をむかえようとする店々である。それ以外の何ものも希望しない店々である。無駄と、手数と、落ちつきと、親しさと、信仰とをもたない店々である。」と猛批判されています。老舗も最初から老舗だったわけではなく、その頃はそういう様子だったのです。だから弊店の創業時が「いい加減」でも卑下することはないのです。」

 朝岡「これまでの当主はどのような方々だった?」

住吉「私の父は滋夫(シゲオ)。清(キヨシ)の直系男子。昭和10年(1935年)生まれで現在は弊社会長。母を亡くしましたが、元気です。

滋夫の父・清は浅草の天麩羅屋「中清(ナカセイ)」の子として生まれ、住吉八重子(ヤエコ)と結婚して、婿に入りました。

清の父・忠次郎(チュウジロウ)は湯島のすき焼き屋「江知勝(エチカツ)」の子として生まれ、住吉まつと結婚して、婿に入りました。つまり当主は二代続けて婿。忠次郎は町会長、通り会長、議員も務めた発展家でした。

その「まつ」の母が「やす」(大正10120日没)という次第です。

清の義兄つまり「八重子」の兄・忠義(タダヨシ)は、放蕩の挙句、消息不明。

 

石田「創業当時“すきやき”とは、どんな存在だった?」

住吉「文明開化のシンボルでした。明治維新になり日本の指導者は西洋文明をとり入れ、文明開化の名のもとに旧来の習慣を破っていきますが、例えば福沢諭吉ら文化人も長年仏教の戒律によって忌み嫌われた肉食を大いに勧めるキャンペーンを張り、慶應義塾の学生たちは彼らに感化されてさかんに牛鍋屋に通うようになったと言います。代表的な文献としては『肉食之説』(明治3年)があります。」

「肉類のみを喰ひ或は五穀草木のみを喰ふときは 必ず身心虚弱に陥り、不意の病に罹かりてたおるるか、又は短命ならざるも生きて甲斐なき病身にて、生涯の楽なかるべし」さらには肉食を避ける人達の論は「人の天性を知らず人身の窮理をわきまへざる無学文盲の空論なり」

朝岡「社長は、ここまで『ちんや』一筋で勤めてきた?」

住吉「学生時代はそのまんまバブル時代という温い環境に育ち、8年間のサラリーマン生活を体験しました。当時はひたすら忙しくて、やたらと残業していました。勿論今と違って残業代は出ましたよ(笑い)。その後「ちんや」に入って、6年間父の下で修行した後、私が社長に成ったのは、200181日、36歳の時でした。自分の将来・自分の人生について危機感などというものは勿論持ち合わせていませんでした。」

「父は「お客様に親切に」と言っていたのですが、当時まったくピンと来ませんでした。言葉として漠然とし過ぎていると思ったんですね。今は親切とはお客様を「銭失い」させないことだと解釈しています。

お客様は肉の価値をあまり分かっておられず、本当に分かっているのはこちらだけなのだから、騙すことも可能です。だからこそ、お客様のことを考えて、お客様を「銭失い」させないような肉だけを売ることが大事です。それが最終的には親切に成って行くと今は考えています。」

 

朝岡「飲食の長寿企業は、他業種とまた違う難しさがある?」

住吉「最終的に・・・<この続きは、明日のこのブログで>

追伸

Dancyuさんのお誘いにより、

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店しています。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~午後8時

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.798日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵③

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その3日目です)

 

<ナレーション>ここからは、各テーマを基にすき焼きちんや6代目・住吉史彦の言葉から、長寿の知恵に迫る…。最初のテーマは「創業の精神」「すき焼きちんや」が誇る137年間という長い歴史に一体どのような物語が隠されているのか。

石田「『創業の精神』という事ですき焼きちんやの、『歴史』現在に至るまでの経緯を伺えますか?」

住吉「創業は江戸時代まで遡り、元々は大名や豪商に犬の『狆(ちん)』をはじめとした愛玩動物を卸す、いわばペットショップでした。「浅草筋」という良い血統を持っていたらしく、おそらく儲かっていたと思います。一風変わったこの“店名”はそれに由来しています。明治13年に料理屋に転じ、そして明治36年に現在の『すき焼き専門店』になりますが、店名を変えずに来ています。」   

朝岡「ペットショップから、なぜ『すき焼き専門店』へ?」

住吉「明治維新により、庶民の旅行が自由になったこと、また肉食も許されて、「これからは飲食業がいいのでは」ということで転じたようです、と言えば聞こえが良いですが、要するには、狆が儲からなくなったのだと思います。転業の理由を書いた書類がありませんので、想像するのみですが、犬の趣味が変わったことが大きいのでは、と私は思っています。天下泰平の江戸時代には可愛いペットが愛されました。特に狆を飼うのはお旗本の奥方とかでしたから、狆は、少し言いづらいですが、「女イメージ」「軟弱イメージ」の犬でした。ところが、続く幕末・明治は戦争や政争が続く騒乱の時代ですから、世の中の犬の趣味が変わりました。上野の西郷さんは犬を連れていますが、狆ですか?違いますね。西郷さんは猟犬を連れて、野山を歩き回るのが趣味だったようですが、そういうワイルドな世相の時代に狆は可愛い過ぎで、かつ旧時代のイメージに見られたと思います。要するに、時代が変わって、商売としての「狆屋」の将来性が脅かされましたから、手前どもの御先祖は、狆を捨てて、牛鍋に走ったものと思います。全盛時代の浅草に店を構えているのですから、狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのだと思います、あくまで想像ですが。そんな経緯で、浅草にすき焼き屋が多いのです。」

石田「当時は同じような経緯で『すき焼き店』へ移るケースも多かった?」

住吉「明治10年頃に牛鍋屋の開業ブームがありまして、当時東京府下に488軒もの牛鍋屋があったそうです。その中には、他の商いからの転身組もいただろうと思います。」

朝岡「その決断を下した創業者とはどのような方でしたか?」

住吉「実は、狆屋を料理屋に転換した人物つまり料理屋としての創業者はハッキリと特定できていないんです。『住吉やす子』あるいは『住吉やす』という女性が重要らしいんですが、情報は殆ど残っていません。夫もいたようですが、そちらも活躍した形跡がさらになく、おそらく遊んでいたのでしょう。良い話しではないので詳しいことは伝わっていません。想像するに、生業として、仕方なく料理屋を始めたのではないかと考えています。」

石田「長寿企業であると“創業者”に関する質問も多いのでは?」

住吉「私も以前は店の過去を細かく聞かれるのが苦痛でした。しかし<この続きは、明日のこのブログで>

追伸

Dancyuさんのお誘いにより、本日から

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店します。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~午後8時

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.797日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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長寿企業の知恵②

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その2日目です)

朝岡「“すき焼き”の調理法にもこだわりはが?」

住吉「こだわりと申しますよりは、理にかなっていて、しかしこれまでにない食べ方を探し求めています。最近では、溶き卵に変化を付けています。

・カレーオイルをオイルで時、それを溶き卵に加えます。

・ヨーグルトを溶き卵に加えます。

*「甘」「辛」「旨」の三味が強烈なすき焼きは、最初美味しく感じるが、食べ続ける内に飽きてしまうことがあります。そこで「苦」「酸」を足すことで、五味が揃い、最後まで美味しく食べ続けられます。

*伝統にないものなので一見革命的に見えますが、食の理論に沿ったレシピです。

(カレーオイル入り卵)

・カレー粉と若干のスパイスをオイルに入れて溶き、それを生卵に加えます。

・すき焼きに足りない「苦味」を補い、アクセントを付けます。

・シラタキに良く合います。(キンピラに七味をかけると美味しいのと同じ原理です)

・使い残したら、ごはんにかけて食べると美味しくいです。カレーライスは、明治20年代から国民食なので、どこか懐かしい味がします。

(ヨーグルト入り卵)

・ヨーグルトを生卵に加えます。

・すき焼きに足りない「酸味」を補い、味を中和させます。(「味の抑制効果」と言います。)

・甘辛味と酸味とがバランスして、信じられないくらいサッパリ、マイルドに感じます。(酢の物に醤油を加えると美味しいのと同じ原理です。)

・どの具材もサッパリと食べられます。

・酸っぱいヨーグルトが苦手な方でも「抑制効果」で中和することで美味しく食べられる。ヨーグルトの新しい使い方でもあります。

 

(書籍の現物をスタジオに持参)

石田「社長は『書籍』も出されていると伺ったが?」

住吉「浅草の九人の旦那衆と対談して、“浅草ならではの商人論”を目指した本『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』を執筆しました。平成282月に出版しました。

朝岡「どういった経緯でこの本を出版されたの?」

住吉「個人的なことですが、昭和14年生まれの母が、平成277月に他界しまして、それがキッカケです。パーキンソン病を患っていて、26年の秋ぐらいからはかなり体調が悪くなっていて、この世代の方に早く会っておかねば記憶が失われると思いました。戦争のことは良く記録されていますが、戦後のことはあまり記録されていませんからね。でも結局本の出版に母は間に合いませんでした。」

 

石田「関西の“すき焼き”を意識することは有りますか?」

住吉「もちろん意識はしますが、どちらが上とか下とか、そういう意識の仕方ではないです。スキヤキは地方ごとに違い、家庭ごとに違いがあって、そこがなんて面白いのか!と思います。街の数だけご家族の数だけ、のすき焼きが在って、そのどれもが後世に伝えたいものばかりです。どれが一番美味しい?と問うのは野暮です。そういう質問は止めて、全部面白い!と言っていただけたら嬉しいと思っています。」

 <ナレーション>ここからは・・・<この続きは、明日のこのブログで>

追伸

Dancyuさんのお誘いにより、明日から

二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店します。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。

会場:玉川髙島屋本館6階催場

会期:10月25日(水)→30日(月)

営業時間:午前10時~午後8時

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.796日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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