駅舎復元
先日国際観光日本レストラン協会の研修会が奈良県大和郡山市であり、出張して来ました。その内容は昨日の弊ブログに書きましたが、今日はその行き帰りに通った東京駅のことを書いてみます。
さて東京駅のエキナカ・ビジネスは大盛況のようです。
辰野金吾の、美しい駅舎が復活したのは勿論私も嬉しいのですが、JRさんのエキナカ・ビジネスについては、好感を持ちません、私は。
おや、また住吉がヒネくれたことを書いてるなあ って?
そんなにヒネくれてますかねえ。
私は旧官有物件を使って商売するのがキラいなんですね。だって国策のために整備した物件ですよねえ、あの駅は。そこで商売って、なんかアンフェアな感じがするんです。
少なくとも早慶両校ご出身の方には御賛同いただきたいです。
だってですよ、早慶両校が今日の形になった減点イヤ原点は、明治14年の「官有物件払い下げ問題」です。そのことを思い出していただきたいものです。
それで、やや長くなりますが、この話しは明治14年に飛びます。
この当時政府の役職は、まだ薩長土肥の藩閥の面々が独占していましたが、それに対して在野の民権党や新聞などの言論機関が「藩閥打倒」を叫ぶようになっていました。
そこへ、北海道開拓使の「旧官有物件払い下げ問題」が起きます。
この頃は、北海道が、薩摩の黒田清隆の下で開拓され⇒成果があがってきたのを受けて、そろそろ事業を民間に移そう、というタイミングでもありました。問題になったのは、その払い下げ価格がメチャンコ安かったことです。しかも払い下げ先は薩摩出身の政商。
このアンフェアな取引を知って、元々アンチ藩閥だった世論は沸騰しました。
さて、その情勢の中で微妙な動きをしたのが、後の早稲田の創立者・大隈重信でした。
大隈は肥前出身で藩閥の一角であったものの、薩長勢力に押されて主役には成り切れていませんでした。その大隈が変な動きをしてしまったのです。
在野の世論に迎合したような、民主的な内容の憲法草案を独自に書いて、それを薩長の面々に読ませず、公家出身の大臣を経由して密かに明治天皇に奉呈したのです。
抜け駆けされた、黒田をはじめ薩長の面々は当然怒り、怒るだけでなくて妄想しました。
大隈が在野勢力と結託して薩長を追放しようとしている!
~そう疑ったのです。
大隈にどの程度の野心があったのか、今となっては分かりません。情勢を利用して政局を主導しようと考えただけだったかもしれませんが、あえなく薩長連携のクーデターによって罷免されてしまいました。弁明のため参内しようとしたものの、実力で阻止されてしまったようです。
大隈の煽りを食ったのが慶應義塾出身の人々です。
慶應出身の人々は、まだ早稲田を創っていなかった大隈の誘いによって政府に入っていました。犬養毅・尾崎行雄が有名です。その一方で新聞社にも多数の慶應出身者がいました。
それで「大隈=慶應連携による薩長打倒」と疑われてしまったのです。
かくして大隈と犬養・尾崎ら慶應出身者は政府から追放されましたが、明治天皇は、このクーデター劇を喜ばす、喧嘩の片一方の薩摩にも成敗を加えました。すなわち払い下げの中止です。
黒田の開拓事業は成果をあげていたのに、最後の最後でミソをつけ、この後政局の中心は、伊藤博文・山縣有朋といった長州の政治家が握るようになって行きます。
一方大隈は、これ以降野に在って立憲改進党を設立、さらに早稲田大学を創立します。また政府に入れなくなった慶應の卒業生は、民間の実業界に進むようになって行きます。
これが明治14年の「官有物件払い下げ問題」です。
それから今日まで長い時間が経っていますが、私は旧官有物件で商売するのが好きではありません。自分は純民間の実業界に在りたい、と思っています。
東京駅のエキナカについては、駅舎復元の費用を稼ぐために、まあ、仕方ないとは思います、勿論。
でも、JRさん、儲け過ぎたら、その時は何か国のために使って下さいね。
追伸①
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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて967日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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